困った傾向



たまたまその日は昼休み直前の授業が別な教室であり、教室移動をさせられたのだが、そのだるさをぼやく前に俺はふと、9組の前を通って帰れることに気がついた。
教室に帰るついでに、9組で古泉がどうしているのかのぞいてやろうと思ったのだ。
それは純粋な興味によるもので、俺がストーカーになるなどという恐るべき進化を遂げたなんてわけではない。
ただ…あるだろ。
普段自分に見えないところで何をしているのか、ちょっと知りたいっていう好奇心くらいは誰にだって大なり小なり。
というわけで、なんだかよく分からんままに自分に言い訳をしつつ、俺は9組の前を通ろうとして、ぴたりと足を止めた。
すでにもう昼休みに入っており、どこも廊下や教室は騒然としていたのだが、それにしたって9組は賑やかだった。
一体なんだ、とのぞき込んだ俺は、どうやらその騒ぎの真ん中に古泉がいるらしいと知るなり、勝手に教室に足を踏み入れていた。
別に、他の教室に入ってはならんというような決まりは一切どこにもないのだが、それでも入り辛いのが普通だろう。
しかし、この時の俺にはそんなことを頓着するような余裕など一切なく、ずかずかと足を進めると真っ直ぐに古泉に詰め寄っていた。
「おい」
「え…?」
驚いたように顔を上げた古泉は、なんだか知らんが怯えたような顔を一瞬見せたが、知るか。
「なんの騒ぎだ?」
「ええと…僕が今日、うっかり財布を忘れてきてしまったと言ったら、クラスの皆さんがお弁当を分けてくださるというので……」
…なるほど。
それで弁当箱を抱えた女子に囲まれているというわけだな。
俺は苛立ちながら古泉の手を引っ掴み、
「ちょっと来い」
と言って強引に古泉を立たせ、そのまま引き摺るようにして教室を出た。
この時の俺は、ハルヒが乗り移るかどうかしてたんじゃないかというくらい力が出せたらしい。
自分よりでかい古泉をほとんど引き摺るようにして廊下を歩き、階段を通って自分の教室に行くと、弁当の入ったカバンを掴み取り、そのまままた廊下に出る。
「あ、あの…一体どこへ……」
「いいからついて来い」
びくつく古泉に、何にそんなに怯えてるんだと眉間の皺を深めつつ、それでも足早に向かった先は、食堂だった。
財布を引っ張り出し、
「お前、いつも何食ってんだ?」
「え? …ええと、いつもは大体Aランチセットを……」
「じゃあそれでいいか」
という短い会話と共に食券を買った。
それから、食堂で行われる極普通の手順を経て、ようやく席についた俺は古泉を向かいの椅子に座らせておいて自分の弁当を広げる。
まだ状況把握が出来ていないとばかりにぽかんとしている古泉に、
「食わないのか?」
「え?」
「…弁当の方がいいなら、譲ってやるが」
…ああ、そっちの方がいいかもな。
うちのお袋は一応食事には手を抜かない方だから、冷凍食品なんかも入ってないし。
そうしよう、と俺は手早くランチセットのトレイと自分の弁当を入れ替えた。
「ちょ…っ、え、あの…!?」
驚き戸惑う古泉に、
「俺もたまには温いもんが食べたくなるんだよ」
と言って勝手に箸をつける。
味噌汁はなかなかうまい、というか、温かいだけでも結構うまく感じるもんだよな。
ずっと味噌汁をすすって、
「お前もいいから食え」
「……いただきます…」
まだ釈然としないなりに、一応きちんと手を合わせた古泉が、怖々弁当に箸をつける。
そろりと箸でつまんだのは玉子焼きだ。
それを怖々口に含んだ古泉が、小さく微笑むのをみてほっとした。
「うまいか?」
「はい、おいしいです」
「そりゃよかった。うちのお袋も喜ぶだろ」
そう言いながら俺もランチのポテトサラダを口に放り込む。
思ったほどまずくなくて何よりだ。
もっとも、不味ければハルヒがせっせと通うはずがないか。
俺は温かい白飯を食べつつ、
「財布を忘れたんなら、真っ先に俺のところに来りゃいいのに」
と恨みがましく古泉を見つめた。
古泉は一瞬ぽかんとした後、
「すみません。ご迷惑かと思いまして…」
「アホか。…お前には世話になってるんだ。たまにはおごってやったっていい」
「いつもおごってもらってると思うんですけどね」
「あれはハルヒの命令で、だろ。お前だって遠慮したようなもんしか頼まないくせに何言ってんだか」
そんな話をしてたのがまずかったのか、
「あたしが何よ」
とハルヒが寄って来た。
と言うかお前な、
「食いかけのラーメン丼抱えて近づいて来るんじゃない」
「うるさいわよ、キョン」
そう言いながらハルヒは古泉の隣りに座ったかと思うと、
「今日は一体何があったわけ?」
と好奇心丸出しの顔で聞いてくるから、
「こいつが間抜けにも財布を忘れただけだ」
「それだけにしては、凄かったわよ」
「は?」
「古泉くんは珍しく引きつった顔してたし、あんたはあんたでただでさえ無愛想な顔に拍車がかかってて、どこの人攫いかと思ったわよ」
…そんなに凄い顔だったか?
全く自覚してなかったんだが…。
「…もしかして、それで変にびくついてたのか? お前…」
と俺が聞くと、古泉は困ったように、
「…ええと……」
と言葉を濁らせた。
「む…」
しまった、と思う俺に、古泉は柔らかく微笑んで、
「あの、確かに驚きはしましたが、僕の心配をしてくださったんですよね? …ありがとうございました」
「…いや」
「しかし、」
と古泉は笑みに苦いものを混ぜ、
「さっきは本当に驚きました。僕が何かして、怒らせでもしてしまったのかと…」
「は?」
むしろその言葉に驚く俺に、ハルヒはうんうんと頷いて、
「そうね、キョンが滅茶苦茶怒ってるみたいに見えたわ。鬼のような形相っていうか、あんた、ああいう顔も出来たのね」
「そこまで言うほどじゃないだろ?」
「そこまで言うほどだったわよ」
そんなことをハルヒに言われても信じ難い。
というわけで、一番客観的に判断してくれそうなところに聞いて見た。
要するに、あの時教室にいたであろう国木田に聞いたわけだ。
「お前、昼休みに教室にいたよな?」
と確かめた俺に、国木田は小さく笑って、
「うん、いたよ。キョンに見えてたとは思わなかったけど」
正直見えてなかったわけだが、それについては黙っておこう。
「あの時の形相が物凄かったと言われたんだが、そんなに酷かったか?」
「うん」
と国木田はなんの躊躇いもなく即答しやがった。
「キョンもあんな顔するんだなって驚いたよ」
ハルヒと似たようなことを言った上に、
「凄い迫力だったから、みんな慌てて道を譲ったりしてさ。古いけど、映画の『十戒』を思い出しちゃったよ」
道を譲って、って……、
「……そうだったか?」
「うん」
…全く気付かなかった。
そういえばあれだけ強引かつ乱暴に歩いたにしては誰にもぶつかったりしなかったが、そういうことだったのか?
首を捻る俺に追い討ちをかけるように、
「廊下を歩く間もずっと古泉くんの手を掴んでたの? 痛そうな顔してたよ?」
「う……」
それについてはまったく申し訳なく思っている。
いくら心配だったり頭に血が上っていたにしても、古泉が弁当を食べ終えて返すまでそれに気付かなかったのがまた良心の呵責に拍車をかけてくれた。
やっと気付いたそれに俺は慌てて頭を下げた。
「すまん」
しかし古泉は怒りもせずに笑って、
「大丈夫ですよ」
と言ってくれたが、その手首にはくっきりと俺の手形がついていて、
「本当に悪かった…」
「大丈夫ですって。これくらい、すぐに消えますから」
そう言って俺の目から隠すように、古泉は自分の手首を押さえた。
それがまるで、俺の残した手形に、古泉が自らの手の形を合わせようとするように見えて、なんだか分からないままにぞくりと総毛立つようにさえ思えた。
いかんだろうと必死に自分を抑え、
「…今度から、財布を忘れたとか何とか、困ったら真っ先に俺を頼れよ」
と精々虚勢を張って言ったのだが、古泉は嬉しそうに、つまりは非常に可愛らしく微笑んで、
「はい。…よろしくお願いしますね」
と言ってくれた。
それに安堵しながらも、俺は危惧するのだ。
このままではまずいんじゃないか、とな。