言葉をその音から解釈しようとする考え方というものが、世の中にはあるらしい。 音の近いもの、同じものは、意味的にも近いというのだ。 それになんとなく納得したのは、SOS団の発足からおよそ一年ばかりが過ぎた、春先のことだった。 その頃になれば、俺ももう随分とこのおかしな日常に慣れきっており、何かあるのをむしろ楽しみにしてると言ってもいいんじゃないかという有様だった。 そのせいではないとは思うのだが、実際その頃も色々あったしな。 が、とりあえずその直前のまだのんびりとしていた春休み中、例によって例の如くハルヒに振り回されていた俺と古泉が、たまたま市中探索で二人きりにされ、騒々しくも楽しそうに走っていく三人娘を見送った日のことだ。 その日は春とは名ばかりの冷たい風に吹かれてか、どことなく赤い顔をした古泉は、そのくせいつもと変わらない愛想笑いで、 「どうしましょうか?」 と俺の顔色を伺うように聞いてくる。 んなもん、俺に聞かれてもな。 「後で責任を転嫁するつもりか?」 と軽口を叩けば、古泉もそれが分かるのだろう。 大仰に、 「いえいえ、そんな、滅相もない」 と返し、 「ただ、あなたに何か希望があればそちらを優先させたいと思ったまでですので」 「まあ俺も特に何もないんだが……寒いから、とりあえず暖かそうなところに行くか」 「そうですね」 そういうわけで、とりあえず時間を潰しつつ寒さをしのげそうな場所に行った。 簡単に言えば、その辺の店に入って、買いもしないのにあれこれ冷やかしてたわけだが、その間にも店を移動したりする。 温かいのと寒いのとの波状攻撃はもしかして逆に悪かったりするんじゃないか、と俺が考え始めたところで、 「っくしょん!」 となかなか大きなくしゃみが隣りから聞こえ、 「…すみません」 と謝りながら古泉がかすかに鼻を鳴らした。 …ちゃんと鼻をかめ。 「花粉症か?」 そういう季節だよな、と思いながら俺が聞くと、古泉はどことなくぎこちない苦笑で、 「そんなところです」 と突き放すように短く言った。 それが、引っかかったのは、別にそれが不快だったとか、そういうわけじゃない。 ただ、経験上、古泉がそんな風に不可解な調子で俺を突き放すような時ってのが決まっていて、これがそのサインだと分かったからだ。 こいつがそんな風にする時ってのは、決まって、そうしなければ取繕えないほど余裕がない時だからな。 何があったのか、と思ったところで、顔を合わせた時から気になっていた古泉の顔の赤さが目に付いた。 俺は手を伸ばし、自分より少しばかり高い位置にある額に触れた。 「ちょっ……」 古泉が慌てたようにさっさと逃げたから、一瞬しか触れられなかったが、その熱さは間違いない。 「お前、熱があるだろ」 そう指摘してやると、人がせっかく心配してやったってのに、古泉は不機嫌な語調で、 「あなたの手が冷たいだけですよ」 「嘘吐け」 吐き捨てるように言って、俺はもう一度古泉の額に手を当てる。 「風邪か? インフルエンザか?」 「…っ、少し熱っぽいだけですよ」 言い返しながら古泉が俺の手を振り解くが、構ってられるか。 「阿呆! 甘く見て倒れでもしたらどうする!」 俺は強引に古泉の腕を引っ掴むと、そのまま引き摺るように歩き出す。 「ちょっ…! 何を……」 慌てふためく古泉に、 「決まってるだろ。さっさと帰って寝ろ」 「しかし、」 「ハルヒがこれくらいで機嫌を悪くすると思うのか? むしろ、お前が無理して倒れたなんてことになったら、目も当てられんぞ。まかり間違って数日に渡って後ろでダウナーな空気を撒き散らされてみろ。こっちが堪らん。だから、お前は俺の精神衛生のためにも大人しく養生しろ」 反論を許さずまくし立てると、熱のせいか処理速度が落ちているらしい古泉は、しばらくぽかんとしていたが、やがてかすかに笑みのようなものを唇に浮かべた。 「…すみません」 「いいから、とりあえず状況を白状しろ。病院には行ったのか?」 「ええ、昨日ちょっと」 「じゃあ、薬はあるな。あと要る物はなんだ? 食事とかはあるんだろうな? 最悪米さえあれば粥くらい炊けるが」 「え、えっと、それは大丈夫ですけど……」 「熱冷ましのシートとかは? 氷でもいいが」 「一応…」 「なら、お前がすべきことはとっとと帰って寝ることだけだな」 「…はい」 「で、お前の家はどっちだ?」 「え?」 え、ってのはなんだ。 あとその珍しくまん丸に見開かれたその目はなんだ? 「え、い、いえ、驚いて……。あの、連れて帰ってくださるおつもりで……?」 「このまま放り出せるか」 憤然と呟いて、俺は携帯を引っ張り出す。 「道案内しろよ。俺はとにかくハルヒに連絡するからな」 「はい、すみません」 と言った声もどこか痛々しい。 よっぽど無理してたんだな、というかこいつの精神力はどこまでカバー出来るんだろうか。 もやもやしたものを感じながらハルヒに電話を掛けてやると、すぐに応答があった。 『何? 今日こそ何か見つけたの!?』 「違う」 はしゃいでるところ悪いが、 「古泉が熱を出してな。調子が悪そうだから、このまま帰らせることにした。問題はないな?」 『古泉くんが?』 「ああ。風邪らしい」 『古泉くんでも風邪を引いたりするのね…』 っておい、そりゃ、古泉が「なんとかは風邪を引かない」のなんとかだとでも言いたいのか? 『違うわよ。あんたじゃあるまいし、体調管理はしっかりしてそうなのにって思っただけ。でも、そんな古泉くんがかかるようじゃ、今年の風邪はよっぽど性悪ね。あんた、ちゃんと看病してあげなさいよ!』 言われるまでもないが、団長命令が下った以上古泉も断れないだろう。 「分かった」 『あたしたちが行ったんじゃ迷惑だろうから、あんたに任すんだからね! 団長の名代として、その責務を着実に果たすのよ!』 「分かったって」 大音量で怒鳴られるのに辟易して通話を終了させると、困ったようなくすぐったそうな笑みを浮かべた古泉と目が合った。 「ま、そういうことだから、ちゃんと責務を果たさせろよ」 「はい」 そうして、俺は古泉の家に初めて足を踏み入れたわけだが、これがまたなんというか予想通り過ぎて面白くないくらいの部屋だった。 一応賃貸なのだろう、一人暮らし向けながらも、色々と整った、決して安っぽくはない部屋だ。 おそらくは、そこそこに金のある両親が、なんらかの都合で息子に一人暮らしをさせることになってしまったので、不自由のないようにしてやったというくらいの設定だろう。 「ええ、そんなところです」 律儀に返事を寄越した古泉の額に、冷却シートを貼り付けながら、 「いいからお前はとっとと寝ちまえ」 古泉が言った通り、冷却シートも薬もあったし、レトルトとはいえお粥なんかもあったから、俺のすることは大してありやしない。 だから、というんじゃないが、なんとなく手持ち無沙汰なまま、古泉の横たわったベッドの傍らに座り込んでいると、ずっと沈黙していた古泉が、 「…すみません」 と呟いた。 まだ寝てなかったのか。 てっきり寝たと思ってたのに。 というか、 「…それはなんに対する謝罪だ?」 少なからず苛立ちながら聞いたってのに、古泉はそれにも気がつかなかったらしい。 ぶつぶつと、まるでうわ言のように返事を寄越す。 「…こんなこと、あなたにさせてしまって……」 言われるほどのこともしてないんだがな。 「せっかくの休日で、涼宮さんたちと楽しく過ごせたでしょうに、邪魔してしまって……すみません…。こんなことなら、…ちゃんと、風邪でお休みしますと言うべきでした…」 古泉はこちらを見もしない。 天井の方に顔を向けたまま、まるで俺の顔を見れないほどに恥じ入ってるかのような調子で呟く。 「本当に……ごめんなさい…」 古泉は、本当に何も分かってない。 どうして俺が、他の誰も気付かなかったような不調に気付いたのかってことも、どうして自分から看病を買って出たのかということも。 そんな馬鹿さ加減に、苛立ち、憤りながら、それでも俺は、そんな鈍くて後ろ向きなところも可愛くて、古泉の間違った考えが、隙だらけの言葉が、なんだかくすぐったくなる。 俺は、そっと古泉の頭を撫でて、 「お前が自分のことより俺の都合なんかについて考えてくれてることは、よーく分かった」 黙ったまま、古泉は薄く目を開いて俺を見る。 いつもは明るい色をしたそれがいくらか沈み込んでいるのを見つめながら、 「お前、俺のことが好きなんだな」 と揶揄するように言ってやると、 「えぇ…っ!?」 古泉が大きく目を見開き、熱のせいでなく真っ赤になる。 可愛い。 可愛すぎるぞ古泉。 そうコメントする代わりに、ぐりぐりと頭を撫で、なんでもないような顔で続きを口にする。 「だが、俺も自分の少々の不自由やなんかよりは、お前のことをなんとかしてやりたいって思いの方が強いくらいには、お前のことが好きなんだよ」 「……っ、も、からかわないでくださいよ…!」 泣きそうな、それとも笑顔みたいな、複雑な表情を浮かべた古泉が拗ねたように寝返りを打ち、背中を向ける。 それさえ、可愛くて、俺はしみじみと納得した。 隙を見て、空いた心に入り込むから、好きって言うのかね、なんて。 それからようやっと寝入った古泉の額にキスをして帰ったのは、……まあ、あれだ、少しばかり行き過ぎた、親愛の情の表れってやつだということにしておいてくれ。 |