好奇心の強さは



好奇心の強さは俺も相当のものだと思うのだが、俺をはるかに上回るそいつの出現によって、俺はまだまだ大丈夫だという安心感が生まれた結果、いくらかタガが外れたようになっちまったのは我ながらどうかと思う。
それでも、人間ってのは他の動物以上に好奇心が強く、それこそ無警戒なまでに首を突っ込んじまう生き物だろう。
俺もどうやらその例から漏れないものらしい。
出来ることならなんだって知りたいし、幼い頃から大いに憧憬を抱いていたような不思議な能力を手に入れたなら、それを思うがままに使ってみたいと思う程度には俺はまだ老成してないし枯れてもないつもりだ。
だからしょうがない、と開き直っちまった。
可哀相なのは古泉だが、俺と付き合うことを決めたりした時点で、自分から苦労を買って出たようなもんなんだから、構わんよな?


古泉と初めて体を重ねて、その余韻のままにべたべたいちゃいちゃとした休日を過ごすことになったのは、当然のことと言って差し支えはないかと思う。
「飯はどうする? 俺でよければ何か作るが……」
「あなたが作ってくださるならなんだって嬉しいですよ」
なんて甘ったるい会話をしながら、遅い昼食を取り、一息吐く。
ソファに並んで座ってテレビを見、だらだらと過ごしていたはずが、気がつけば手が重なり合い、肩が触れ合い、いつの間にやら古泉の膝に乗せられていたりするのは恥かしくないわけでもないのだが、それ以上に嬉しくもあった。
「古泉」
鼻を鳴らすような声で呼び、
「…好きだぞ」
なんて甘えた言葉を囁く。
そう告げられること、それに返事が返ることがどんなに幸せなことか、痛感した俺には羞恥心など物の数ではない。
「…なんだか、感謝したいような気持ちになりますね」
「…うん?」
「あなたがそうやって言ってくださるなんて、甘えてくださるなんて、思ってもみませんでしたから、とても嬉しくて…」
そう言って俺を抱く手に力を込めた古泉は、
「あなたが辛い思いをされたのに、そんなことを思ってしまってすみません」
「…別にいいさ。お前がいてくれるんだったら、なんだって……」
「そんなことを言ってると、図に乗りますよ?」
「乗ってもいい、から…いなくなるなよ……」
そう囁いて、そろりと古泉の下唇に歯を立ててやると、
「どこでそんなやり方覚えてくるんですか」
なんて不満げに言いやがるから、
「お前がしたんだろ。…俺はお前しか知らないんだからな」
もう一度、今度はきつめに歯を立ててやると、離れようとしたところを引き止めるように口付けられた。
「ん……っ…ぁ…」
唇を舐められ、そのまま歯列をなぞられる。
歯茎に触れる舌の感触がどうにもくすぐったくて、むず痒くて、つまりは気持ちよくて腰が揺れた。
「んー……もう…まだ足りんのか…?」
「あなたさえよければ、とは思うんですけどね。…お疲れでしょう?」
「…そうだな……。ちょっと、だるい」
「なら、無理は言えませんから」
優しく笑って、古泉は俺の背中を撫で下ろす。
なだめるように、落ち着かせるように。
実際俺は安心して、そのままとろとろと寝ちまいそうになったのだが、
「やっほー!」
と唐突に誰のものだか分からない声が響いてびくんと飛び起きた。
「なっ、だ、誰だ!?」
驚いて振り返ると、テーブルの上に何かが立っていた。
小さな猫のぬいぐるみ。
ぬいぐるみとは言ってもしっかりしていて、関節も動くらしく、たとえるならテディベアとかそういう感じに作られた猫だ。
色は青味がかった灰色とでも言うんだろうか。
綺麗なくせに、ぱっちりと開いた片目と悪戯っぽくウィンクした反対の目が妙に印象的だ。
その猫が、
「お邪魔しまーす!」
と底抜けに明るい声で喋りやがった。
「へ…?」
ぎょっとしながら俺は古泉を見た。
俺だけが見てる幻覚か何かかと思ったのだ。
しかし、古泉もまたぬいぐるみを凝視して間の抜けた面をさらしていた。
「古泉…あれ……」
「ええ、見間違いじゃない…ですよね」
思わずそう確かめる俺たちに、ぬいぐるみは憤慨したかのように腰に腕を当て、
「もーっ! 酷いよ何その反応!」
「え、あ…すまん…」
というか、
「…お前、なんなんだ?」
「あたし? うっふふー!」
嬉しそうに笑ったそれは、
「聞いて驚け! あたしはゆきりんなのですっ!」
……ゆきりん?
「そお、ゆきりん! ……って、あっれー? わかんない? わかんない?」
首を110度程斜めに傾げるぬいぐるみ――正直言って怖い――に頷くと、それは少し考え込んだ後、
「…あー……そっか、ちゃんと名乗んなきゃやっぱだめか。ちえー」
文句を言いながらもそいつは仕切り直しをはかるべく、
「どうもこんにちはー! みんなの嫁、長門有希ちゃんだよっ☆」
と宣言し、俺たちの度肝を抜いてくれた。
「は? …な、長門……!?」
「そっ! って言っても、あたしはこの世界のじゃないんだけどね」
そう明るく笑って、
「今日はキョンくんを招待するために来たんだよ!」
と言った。
「招待って……」
「もっちろん、あたしの世界に来てほしいなってこと! あ、心配しなくてもヘーキだよっ! モンスターが出るとかお化けが出るとかそういうことのない、フッツーのつまんない世界だし! あんまり違ったところもないよんっ。違ってるとしたら、キョンくんといっちゃんのことくらいかなっ?」
「は? 俺と何だって?」
「いっちゃん! あたしの世界の古泉くんだね!」
そう楽しそうに笑う長門…というかゆきりんだな。
ゆきりんに興味を引かれた。
「どうなってるって?」
「そりゃー見てのお楽しみだよっ!」
悪戯っぽく言った長門の言葉を受けて、俺の好奇心も頭をもたげてくる。
ちらりと古泉を見つめて、
「…なあ、」
「だめです」
即答しやがった。
「なんでだよ」
「どんな危険があるとも限らないでしょう?」
「その件については話がついたはずだろ」
「それでも…出来ればやめてほしいんです」
「…心配してくれてありがとな」
そう告げておいて、俺は言う。
「だが、行きたい時は行くぞ」
「……」
不満げに見つめられるが、構わず言葉を続ける。
「…ちゃんと帰ってくるから」
「…どうしても行くんですか?」
「気になるだろ?」
「それは…勿論気になりはしますけど……」
しどろもどろになる古泉に、俺は出来るだけ柔らかく笑ってみせる。
「だから見て来る。何、この長門も長門だってのはなんとなくだが分かるし、悪い感じはしないってことくらい、お前も分かるだろ」
黙り込んだのを肯定と受け取り、
「行って来るから待っててくれ。…そうだ、なあ、一樹って呼んでもいいか?」
「えっ」
と上げた声はなんだろうな。
驚きよりも嬉しさが滲んで聞こえて、なにやらくすぐったい。
「だめか? …ほら、他の世界に行くと俺のじゃない古泉がいるだろ。区別するのにそう呼んだ方がいいかと思ったんだ」
というのは半分本当だが半分はこじつけだ。
そう呼ぶきっかけがほしかったとでも言えば分かってもらえるだろうか。
古泉は少し考えて、
「…そうやって懐柔しようとしてます?」
などと言ったが、それは心外だ。
「すみません」
苦笑混じりに謝った古泉は、
「…そう呼んでいただけるなら嬉しいですよ」
「じゃあ…一樹、」
「はい」
本当に嬉しそうに笑ってくれたのをみると、こっちまで嬉しくなるもんだなと思いながら、
「ちょっと行って来るな」
「…気をつけて行ってらっしゃいませ」
諦めと共に一樹が吐き出した言葉に笑顔で頷いて、俺はゆきりんに向き直った。
「どうしたらいい?」
「あーじゃあ、あたしが誘導するよっ」
と言って、ゆきりんは俺の膝に乗った。
「いーい? いっくよー!」
出発しんこーう! なんてゆきりんが言ったのと同時に、世界が揺らぎ始めた。
この酩酊感にもそろそろ慣れていいと思うのだが、なかなか簡単にはいかないらしい。
ぐらぐらする気持ち悪さに吐き気染みたものを感じ、ひたすら目を閉じて耐えていると、
「はい到着ー」
とゆきりんの声がした。
それにつられて目を開くと、なるほどそこには長門と俺と古泉がいた。
この世界の俺と古泉はどうやらこういうことに慣れているらしい。
俺を見ても驚くのではなく、諦め、呆れているような顔をしている。
そうして古泉が口を開いてまず言ったのは、
「ゆきりんがご迷惑をお掛けしたみたいですみません」
という言葉だった。
「ああいや…別に、大したことはありませんから」
とこっちも敬語で返すと、にっこりと笑みを浮かべられ、
「敬語でなくて結構ですよ」
そう返されはしたが…なあ?
「その方がいいかと思ったんですが」
「…ゆきりんが何か言ったのかな」
独り言のように呟いた古泉は、
「もしかして、僕が敬語だから合わせてくれたとか?」
と言ったが、こちらは驚くばかりだ。
古泉が敬語なしで話すとは。
「あれ? 違った?」
困ったな、と笑った古泉をたしなめるように、キョンがくいと袖を引き、
「兄ちゃん…」
と控え目な声を上げる。
兄ちゃんだって?
「…つまり、兄弟ってことなのか?」
驚く俺に、ではなく、にやにやチェシャ猫みたいに笑っているゆきりんに向かって、
「何も説明せずに連れてきたわけ?」
と古泉が咎めるような調子で言う。
「だって、実際目にした方が早いじゃん?」
「面白がってるだけだろ。本当にゆきりんは……」
はぁ、と深いため息を吐いた古泉は、俺に向き直り、
「驚かせてごめんね」
と軽く頭を下げた。
キョンも、
「本当にすまん。ちょっと目を放した隙に…」
と言う。
……なんだ、仲は良さそうだな。
小さく呟いたのをゆきりんが聞き取ったのか、
「仲はもちろんいいよー。一緒にご飯食べたり寝たりお風呂に入ったりするもがっ!」
最後に聞き苦しい音声が混ざったのは、ゆきりんの口を古泉が手で塞いだせいだ。
キョンも一緒になってゆきりんを押さえ込んでいるが、相手はそんなのでもあの長門だろ。
無駄だと思うぞ。
それに、大部分はちゃんと聞こえたしな。
「…まあ、険悪だとかっていうよりは気が楽だな」
俺も人のことは言えない訳だし。
それにしたって驚きだ。
「兄弟…なぁ……」
しかも付き合ってる、と。
……とりあえず今度他所に行ってみるなら、俺と一樹が付き合ってないところと考えてみようか、などと思いながら二人をじっくりと観察する。
顔だちは俺のよく知るものと何も変わらないから、兄弟と言われてもあまりピンと来ない。
「どういう事情なんだ?」
と聞いた俺に、三人は――というか主にゆきりんが――丁寧に説明してくれた。
どこにも複雑な事情があるもんだな。
「しかし、俺が古泉と兄弟ってのは不思議な気分だな」
と改めて呟いた俺に、キョンは苦笑して、
「そうか? …まあ、違うならそうなるだろうな」
と答える。
さっきから見ていると、弟という割にしっかりしているらしい。
兄の方が少しばかりとぼけたところがあるというか、間の抜けたところがあるから、そうならざるを得ないのかも知れないが。
「で、ゆきりんは何を考えて俺を連れてきたんだ?」
ただ俺を驚かすためなら、この兄弟に会うことよりもゆきりんの衝撃の方が強かったし、それならわざわざ俺が来るまでもなかったはずだ。
そうして、俺をわざわざ連れてきて面白いことがあるとも思えない。
それなら、何か別の目的か考えがあるってことだろ。
「んっふふー、分かるー?」
ニヤニヤしながら肯定したゆきりんは、
「あたしはほら、やっぱり観測がお仕事だから、色々見てみたいんだよね。それがたとえほかの世界のキョンくんなんかのことだとしても、参考事例としては十分過ぎるもん。それにー、キョンくんをそそのかしてみたいなって」
悪びれもしないで少しばかり偽悪的なことを言ってのけたゆきりんは、
「あたしはこれでも色んな世界を知ってるよ。キョンくんといっちゃんが付き合ってないし兄弟でもないんだけど、ものすっごく仲がいい世界もあるし、いっちゃんがキョンくんと二人だったりすると敬語で喋らない世界もあるんだよ。そういうとこに興味ない?」
「ない…訳じゃ、ないな」
面白そうだとは思う。
色々知りたいし、見てみたいとも思う。
ああ、どうしようもないな、この好奇心ってやつは。
本当に毒みたいなもんだ。
共犯者めいた笑みを交わす俺たちに、キョンはため息を吐き、諦めている様子――というより、こいつは自分の大事な兄貴のこと以外どうでもよさそうに見えなくもないのだが――だったが、古泉はゆきりんのストッパーを努めているとでもいうのか、
「ゆきりんも、あなたも、あまり無茶はしないほうが……」
と釘を刺してくるが、無茶をするつもりなど俺には毛頭ないし、ゆきりんも、
「大丈夫だよー。そんな無茶なんてさせないってば! 無茶するなら自分で行くか、いっちゃんを送り込むかするから」
と笑って請負っている。
「長門、兄ちゃんに何かしたら……」
と睨むキョンはなかなか恐ろしげな迫力があるが、なんというか、本当にブラコン通り越した溺愛っぷりだな。
うちの一樹もこれくらい甘やかすかどうかしてやったら喜ぶんだろうか、などと考えながら、俺は小さく笑った。