「恋は盲目」のジョン帰還直後、消失サイドの話




理由



ジョンを見送って、俺は古泉と二人きりになった。
顔にまだ俺の足形を残した古泉だったが、少しもめげることなく擦り寄ってきたかと思うと、
「ちゃんとオアズケ出来ましたよ。ご褒美をくださいな?」
とふてぶてしくも要求してくる。
それを、いっそのこと突っぱねてやろうかなどと思いながらも、待たせたのも事実ならば古泉がちゃんと我慢したのも事実なので、渋々目を閉じた。
それだけで十分なのは、逆に躾が出来ていないと見るべきだろうか。
本当なら、言葉で言ってやっと動くくらいに躾けてやった方がいいような気がするのだが、そのためにわざわざ口にするのも面倒なのでこのままだ。
古泉はそろりと俺に近づくと、
「抱き締めますよ」
と告げてから、優しく俺を抱き締めた。
いつまでも慣れないな、こいつも。
「キスしますね」
その言葉の通り、触れるだけのキスをされる。
それが何度か繰り返されて、さて俺はロボットか何か相手にこういうことをしているのかねと首を捻りたくなってきた辺りで、ベッドに押し倒された。
荒くなった呼吸に、こちらの息まで上がり始めるのを感じながら、努めて呼吸を抑える。
まだこの段階で余裕のないところなんて見せられるか、と思うのは俺の勝手な矜持だし、古泉がそんなことなど気にしないか、そうでなければむしろ余裕がない方が喜ぶなんてことは重々分かっている。
だが、こんな日は特に、簡単に悦んで見せたくなかった。
「好きです…」
そう囁かなければ呼吸も出来ないかのように古泉は繰り返す。
「愛してます。…あなたが、好きです」
それに頷き返せば十分だろうと思うし、実際いつもならそうだってのに、今日に限って古泉は切なげな目で俺を見つめた。
なんだよ。
「…言っては、もらえませんか」
「…何を」
「分かってて、そういうことを仰るんですね」
拗ねたように言った唇が俺の首筋に食いつく。
「っ…! こ、ら…、痕、つけんなって……」
「これくらい、許してください。それとも、それさえあなたは許してくれませんか?」
「んなこと言っても、痕なんか人に見られたらどうするんだ」
思わず眉を寄せた俺に、古泉は苦しそうな顔をした。
なんだっていうんだ。
「…教えてください」
「あ?」
「あなたにとって、僕はなんですか」
「……は?」
何を今更聞かれるんだろうか、と思った俺を、古泉は真剣に見つめた。
「不安になるんです。……僕は、一応自分としては、あなたと好き合った者として付き合っているつもりですけど、あなたの方はそうでもないのかもしれないと思うと、堪らなく、胸が苦しくて…」
じわ、とその目に涙が浮かぶ。
「泣くなよ」
「答えてください」
潤んだ瞳で睨まれてもあまり怖くはないんだが。
しかし、まあ、答えないわけにもいかんだろう。
俺はため息を吐き、
「……俺が、好きでもない奴と付き合ったりすると思うか?」
しかも、こんな風に過ごすのも初めてじゃないってのに。
「…思いません、けど……」
「だったら、信じろよ」
というかだな、
「お前、さっきからなんか変だぞ」
何かあったか? と聞きながら、古泉の頭を撫でてやると、平らな胸板に顔を押し付けるようにして抱き締められた。
「…妬けたんです」
泣きそうな声で古泉は言った。
「妬けた?」
「あなたがジョン氏に対して、あまりにも親身になっているものですから……」
「…仕方ないだろ。あいつは俺なんだから」
それに、あいつがフリーのままじゃ、いつお前を取られるか分からん。
…なんてことを聞こえない程度の小声で呟いたら、
「…なんですか? 聞こえなかったんですけど…」
「聞こえなかったなら別にいいだろ。そんな大したことじゃない」
「嘘です」
断言しやがった。
「あなたはいつもそうですよね。大切なこととか、本音をそうやって隠して、僕には明かしてくれなくて……。僕は、そんなに頼りになりませんか。本音を明かすのに値する人間ですら、ありませんか」
毅然とした態度で言えばまだ良かっただろう台詞も、時折しゃくり上げながらでは台無しもいいところだった。
しかし俺は、古泉のそんなところも嫌いじゃないどころか、むしろ好きなわけで、とりわけ、古泉が俺のことで泣いているかと思うと嗜虐心にも似たものが胸の中でざわついた。
…よくない傾向だ。
「…そういうわけじゃない」
「では、どうして言ってくれないんです」
「…っ、い、言うのが恥かしいんだよ!」
それくらい分かれ、馬鹿、と罵ると、古泉はぽかんとした顔で俺を見た。
何だその反応。
「恥かしい…なんて、思うんですか、あなたでも……」
「どういう意味か説明してもらおうか古泉くん?」
返答次第ではこのまま床に沈めるぞ。
「いえ、だって、」
と慌てながら、
「…そんな風に、言ってくれることも珍しいじゃないですか……」
とくすぐったそうに呟いた。
…喜ぶな。
「嬉しいですよ。…ねえ、お願いですから、聞かせてください」
「恥かしいって言ってるだろ」
「恥かしがるあなたも見たいです」
「…調子に乗るな」
「すみません」
謝りながら、古泉は引き下がろうとしない。
じっと俺を見つめてくるのは、卑怯だと思うんだが。
「……あいつが、ジョンが…」
「はい」
「…フリーのままでいたら、いつ、お前を……そのっ、」
「僕を?」
きょとんとした顔で首を傾げる古泉は、俺が妬いてるなんて、本気で思っていないんだろう。
そう思うと、言ってやってもいいかと思えたのは、古泉が驚き、慌てふためく様を見たいなんてことを思ったからに違いない。
「…取られるか、分からん、だろ」
「……ええと、ジョン氏が、僕を……ですか?」
「そうだっ」
横柄に頷いた俺に、古泉はぽかんとした顔をし、
「……えええええ」
と間の抜けた声を上げた。
よっぽど予想外だったらしい。
「予想外に決まってますよ。まさか、そんな、あなたがそんな心配をしてるなんて、思いもしませんでしたから……」
そう言っている頬が赤い。
「…でも、嬉しいです」
にへりと笑った頬を思いっきり抓ってやったら、
「痛いです…」
と情けない顔をされた。
「自業自得だろ」
「そうですかぁ?」
「そうだ」
「…それにしても、どうしてそんな風に妬いたりするんです?」
本気で分かっていないらしい古泉を睨みつけ、
「だ、って、お前とジョンの方が、俺より先に会ってたんだろ…っ」
それで俺が不安になって、何がおかしい。
そう唸った拍子に涙が溢れそうになって、奥歯を噛んだ。
泣いてなんかやるもんか。
「それに、…お前は、俺とジョンを見間違えたりするし…!」
「その節は本当にすみませんでした」
と深く頭を下げた古泉は、
「…でも、」
と生意気にも言い訳するつもりらしい。
何を言う気だ、と睨む俺にも怯まず、
「言葉を交わせば、きっと分かったと思います。いえ、そうに違いありません。何故なら、」
柔らかく微笑んだ古泉が俺を見つめ返したので、不覚にも胸が弾んだ。
「僕が好きになったのは、あなたの外見なんかじゃなく、あなたの内面なんですから」
「……悪趣味だな」
俺みたいなひねくれ者に惚れるなんて。
きっと、ジョンの方が優しいのに。
「そうかもしれません。でも、」
と笑って、古泉は俺に口づける。
「僕にはあなただけ、なんです」
「……そうかい」
その背中に腕を回し、抱き寄せて、口付けて、求める。
深い口付けは息苦しくなるほど続き、絡め取られた舌は痛いほどに吸われる。
そのくせ溢れた唾液が唇の端から顎までを伝うと、それだけでぞくりとした。
「…キスがしつっこい…!」
と唸って見せながらも、本当は嫌なんかじゃない。
古泉は俺が好きだという。
俺に酷い執着を持っているという。
だがきっと、俺の方がよっぽど酷いに違いない。
だからこそ、執着を見せるのが怖い。
それを他の誰でもなく、古泉に恐れられることが、怖い。
だから俺は、押し隠すのだ。
「この、へたくそ…」
と罵って、引っ叩いて、蹴飛ばして、古泉に嫌われても仕方ないという口実を作って、心構えをする。
それでも古泉が離れようとしないことに、何よりも安心しながら、いつ捨てられるのかと不安がって。
ああ、本当に子供なのは古泉じゃなくて俺の方なのかもな。
そう思いながら、古泉の唇に噛みつけば、古泉が唇を離した。
「…愛してます」
赤いものを滲ませながらそう囁く古泉を、何より愛しいと思いながら、
「…だったら、早くしろよ、あほか」
と毒を吐く。
ひねくれた言葉が、ちゃんと正しく古泉に届くだろうと、妙な確信めいたものを持っているのかもしれない。
そうでなければ、こんな言葉は呟けない。
ひねくれてばかりいるから、好きだなんてストレートな言葉を呟けば、それさえ裏返しになってしまいそうで怖い。
「馬鹿だな…」
思わず呟いた言葉を古泉の耳は律儀に拾い上げたらしい。
「…僕のことですか?」
「他に誰がいる」
「…ですよね」
だけど、と古泉は笑う。
とても綺麗に、とても優しく。
「馬鹿でもいいです。…あなたが好きですよ」
「…勝手にしろ」
ぎゅっと抱き締めた腕だけは、素直になれた。