恋人といて、



恋人といて、それも、二人っきりで部屋にいて、それで落ち着かないなんて思う俺は薄情なんだろうか。
それともそれでいいんだろうか。
恋愛経験と言うものが皆無と言っても差し障りのない俺には判断のつけようがないのだが、古泉と二人きりだと落ち着かなかった。
別に、息が詰まるとか重苦しさがあるとか、そういうわけじゃない。
ただ無性に落ち着かない。
古泉がちょっと指先を動かすだけで身が竦みそうになるし、背後からいきなり声をかけられると飛び上がりそうになる。
そんな、妙な緊張感を感じていた。
……それでいいのか?


相談を持ちかけた俺に、学ラン古泉をすっかり飼い馴らしているあのキョン――物凄い枕詞だ――は、心底呆れた顔をして言った。
「アホか」
「アホとはなんだ」
「そうとしか言いようがないだろ。訳の分からんことを言ってる暇があったら、古泉を背後からどついてやったらいいだけだろ」
「なんでそうなるんだ!?」
「どつくのが嫌なら、蹴り飛ばすとか」
余計悪い。
何でお前はそう思考がバイオレンスな方向に行くんだ。
「じゃあどうするんだよ」
「俺がそれを聞きに来たんだろうが!」
だめだ、まともな会話にならん。
頭痛を感じて頭を押さえる俺に、キョンは憤然とした顔つきで言った。
「くだらんことをわざわざ聞きに来るな。そんな暇があったら古泉のところにでもいてやれよ」
「だから、人の話を聞けよ。古泉のところにいると妙に緊張するからどうしたらいいのか聞きに来たんだって言ってんだろ!?」
「その時点でおかしいってのが分からんか? 聞きに来てどうするんだよ」
「どうするって……」
そう言われて俺は戸惑った。
分からんことがあるから、分かりそうな奴に聞きに来た、それは間違っているんだろうか。
「間違ってるだろ。他力本願もほどほどにしろよ」
そう吐き捨てるように言われて、ずきりと胸が痛んだ。
他力本願。
確かにその通りかもしれない。
だが、だったら、どうしたらいいんだ。
「自分で考えろ」
自分自身が相手だからか、キョンの言葉には遠慮の欠片もない。
ずばずばともっともすぎて耳にも心臓にも痛い言葉ばかりだ。
「考えろって……言われても…」
しどろもどろになる俺に、キョンは盛大にため息を吐いた。
「何をそんなに怖がってんだ?」
「……」
「怖がってるだろ」
「……かも、な」
渋々ながら認めても、キョンの追及は緩まない。
「何が怖いっつうんだ?」
「……知るか」
「…だったら、俺も知らん。さっさと帰れ」
そう言ってキョンは俺に背を向けた。
……帰れと言われても、このまま手ブラで帰るのも忍びないんだが。
ちなみにここがどこかと言うと、キョンの部屋………ではなく、古泉の住むマンションの一室であり、具体的にどのような用途に供される部屋かというと、主に睡眠のために使われるはずの部屋である。
俺が来て、相談があると言ったために部屋を追い出された古泉は、今頃近くのコンビニでアイスか何かを買い込んでいるはずだ。
文句一つ言わずに、わざわざ部屋着から外出着に着替えてまで買い物に出かけた辺り、忠犬っぷりは涙を誘うほどのレベルになっているらしい。
俺が居心地悪く座り込んでいる間に帰ってきた学ラン古泉は、
「どうかしたんですか?」
と心配そうに俺たちを見た。
そりゃ、心配にもなるだろうな。
自分のベッドの上と下で同じ顔した人間が居心地悪そうな面してたら。
「いつも仲がいいのに、ケンカですか? 珍しいこともあるものですね」
苦笑しながら古泉はアイスの入った袋から、安っぽいアイスモナカを引っ張り出して俺に手渡し、キョンにも渡した。
「さんきゅ」
と短く返した俺とは違い、キョンは黙ったまま袋を開く。
…礼くらい言えよ。
「いつものことですから、気にしませんよ」
と苦笑した古泉に向かって枕が投げつけられる。
「お前は黙ってろ、この八方美人!」
投げつけられた枕を、避けもせず受け止めもせず、律儀に顔面に食らった古泉は、落下しかけたそれをうまく受け止めながら、
「八つ当たりはやめましょうよ。それとも、妬いてるんですか?」
とこちらがぎょっとするほど挑発的なセリフを吐いた。
いいのか、そんなこと言って。
「さて、どうでしょうね。正直、分かりません」
分かりませんって……。
怖くないのか?
そんなことして。
「怖いですよ? 僕は、彼に嫌われたら生きていけませんからね。…でも、だからって中途半端なままにしておきたくはないんですよ。……この先ずっと、一緒にいたいからこそ、ね」
そう言った古泉は枕をそろりとキョンに返す。
ふんだくるようにそれを掴み取ったキョンは、背中を向けたままそれを抱え込み、
「…くそ、面白くない」
と呟いた。
「僕がちょっと手出ししたくらいで妬くなら、そうやって放り出したりせずに、もう少し親切にしてあげてくださいよ」
「お前が余計なことをしなきゃいいだけだろ」
「しますよ」
「なんでだよ」
頭だけをこちらに向けて、キョンは古泉を睨みつけた。
同じ顔をして言うのもなんだが、目つきどころか人相が悪い。
しかし、古泉は愛しげに目を細めた。
それこそ、こっちが恥ずかしくなるくらいに分かりやすく。
「あなたとそっくりの人が困っているのに放って置けると思いますか」
「放っとけばいいだろ」
「あなたが嫌がるのでそうしたいところなんですけどね」
と古泉は苦笑する。
「せっかくの週末に一緒にいられない、別の世界の僕への同情もありますし、こんな風に困っていられると微力ながら手助けしてあげたいとも思うんですよ。…あなたが相談に乗ってあげられないなら、僕がなんとかしますからね」
「お前に出来るもんか」
と吐き棄てられても気にしない様子で、古泉は俺の隣りに腰を下ろした。
「お話してもらえますか?」
「……いいのか?」
怒りまくっているのが丸分かりなキョンが結構怖いんだが、と思う俺に、古泉はことさら柔らかく微笑みかけ、
「はい。僕では頼りないかもしれませんけれど」
「いや、そんなことは……」
むしろ、古泉に聞いてもらった方が助かるかもしれない。
そう思った俺は古泉に向き直り、キョンに話したのとそう変わらない内容の相談をした。
それを古泉が、大人しく相槌を打ちながら話を聞いてくれたまではよかったのだが、
「それはまた、」
と苦笑されたばかりか、どこかくすぐったそうに、
「可愛らしい悩みですね」
と言われ、話したことを悔やむ以前に驚いた。
何を言い出すんだお前は、と俺が目を見開くと同時に、キョンがもう一回枕を投げつける。
さっきより勢いが強い。
やはり律儀さを見せた古泉は、顔から落下したそれを受け止めて、キョンに向かって言った。
「可愛らしいですよね。…恋人と二人きりでいて、落ち着かないから不安になるなんて。あなたを見ていると翻弄されるばかりで、恋愛について随分慣れてらっしゃるのかと思っていたものですけど、彼を見ているとどうやら違ったようですね」
「うるさい!」
と怒鳴ったキョンに、古泉は優しく笑って見せた。
「もう少し教えてあげたらいいんじゃないですか? あなたのことです。くだらない相談だと一蹴して、アドバイスもろくにあげてないんでしょう?」
「実際、下らん相談だろうが」
「微笑ましくはありますね」
微笑ましいとか言われる方がよっぽど恥ずかしいんだが。
俺の相談は、
「やっぱり、そんなにおかしいか…?」
小さな声で呟くと、
「いえ、おかしくはありませんよ」
と古泉には言われたが、
「くだらん」
とキョンには一蹴される。
どっちだよ。
「多分、付き合い始めの頃には誰しも似たような状態になるものなんでしょうね。だから、彼にはくだらなく思えるのではないかと」
優しくそう言ったものの、古泉は困ったように軽く眉を寄せた。
「しかし、これはどうしたらいいんでしょうね。アドバイスをしようにも、ちょっと思いつかないんですが……」
「え?」
「いえ、僕は正直、そのような状態に陥る以前の問題だったものですから。……付き合い始めの頃は本気で、彼にいつ棄てられるかと戦々恐々としていたものです。…今だって、それはあまり変わってないんですけどね」
と苦い笑いを見せ、
「つまり、あなたのような状態にはならなかったんですよ。お役に立てなくてすみません」
「いや、それは別にいいんだが……」
「でも、そうですね、ひとつだけ言えることがあるとしたら、とても簡単なことです」
「なんだ?」
わらにもすがるような気持ちで問うと、古泉は殊更に柔らかく微笑み、
「とても恥ずかしいとは思いますし、あなたもおそらく彼と同じで、そういったことはとても苦手だとは思うんですが、一言だけでも、言ってあげたらいいと思います」
言うって何をだ。
「…好き、とか、そういう類の言葉をですね……」
「…っ!?」
かっと顔が赤くなったのが見なくても分かった。
「な、んで、んなこと言わなきゃならんのだ…!」
どもりながらそう言えば、古泉は困ったように、
「そうしたら解決すると思うんですけどね。それが無理なようでしたら、その相談を直接本人にしてみるというのはどうでしょうか?」
「あいつに……?」
そんなこと、言っていいのか?
それこそ、キョンみたいに呆れたりするんじゃないかと思うと、非常に言い辛いものがあるんだが…。
「呆れたりはしないと思いますよ。僕が保証します」
こいつが保証するならこれ以上はないような気もするのだが、それでもと躊躇っていた俺に、キョンが言った。
「そのついでに背後から抱きつきでもしてやったら間違いなくうまく行くだろ」
「は?」
戸惑う俺に構わず、古泉も頷く。
「そうですね、確かにそうだと思います」
「分かったら、」
とキョンは俺を軽く睨み、
「とっとと帰ってやれ」
「う、わ、分かった。邪魔してすまん」
今日は本当に迷惑になったらしい。
本気で申し訳なくなった俺に、古泉は小さく声を立てて笑いながら、
「気にしなくていいですよ。…僕としては、珍しいものを見れて嬉しい限りですし」
と横目でキョンを見た。
珍しいものって。
「いいからお前はさっさと帰れ!」
怒鳴りながら蹴り倒す対象は古泉だった。
……なんなんだ。
首を傾げながらも、これ以上邪魔をしたって仕方がないから俺はそのまま大人しく帰った。
だから俺は知らない。
「お前、性格悪いよな」
「どうしてです?」
「先に、あいつがやりたくない方法を提示しておいて、後からさもマシであるように、普通ならやりたくないだろう方法を言うってのがタチ悪い」
「そうですか? 有効な手段だと思ったんですけど。それより、ねえ、そんなに妬くなんて珍しいですよね」
「や…いて、……なんか、ない。んなわけ、あるわけないだろ」
「そんな、分かりやすい嘘を吐かなくてもいいんですよ?」
なんてやり取りも。
キョンが本当に妬いていて、しかもこんな風に分かりやすく妬くというのが珍しかったために古泉が調子に乗ったということも。
その結果古泉が盛大に青あざをこしらえたということも、俺は知らない。


突然部屋の中に現れた俺を見ても、古泉ほとんど驚かなかった。
一瞬目を見開きはしたものの、そのまま優しく目を細め、
「またどこかへ出かけてらしたんですか?」
と言う。
それだけで、心臓が落ち着きをなくすのを感じながら、俺は意を決して古泉に抱きついた。
「え……」
驚きの声を上げる古泉に、
「あの、な、」
と話そうとして、言葉に詰まった。
そのまま、しばらく黙り込んでいても、古泉は抵抗もしなければ、先を促しもしなかった。
ただじっと、俺が話すのを待ってくれた。
たったそれだけのことが、どうしようもなく嬉しく思えた。
だから、
「…っ、俺、な、ここ最近おかしいんだ」
「おかしい、ですか? そんなこともないと思いますけど…」
「あるんだよ。……お前と二人きりでいる、と、落ち着かなくて、変に、緊張しちまって、どうしたらいいのか分からなくなる…」
言いながら、古泉の肩に頭を押し当てる。
「俺、やっぱり、変なのか…? 薄情だったり、するのか?」
聞いても、なかなか返事がなかった。
さっき俺が古泉を待たせたんだから、俺の方が待ったっていいはずなんだろうが、それをするには心臓が痛過ぎた。
「…なあ」
返事を促すと、
「…す、みません」
と謝られ、びくりと体が震えた。
やっぱり呆れられたんじゃないか。
それとも、それを通り越して嫌われでもしたのか?
「もうちょっと、待ってください。今、必死に我慢してますから」
そう言いながら、古泉は俺のことを抱きしめる。
それこそ、痛いくらいに強く。
「我慢ってなんだよ」
「だから、落ち着くまで待ってくださいって。…押し倒されたいんですか?」
「なっ!?」
何を言い出すんだお前は。
「何もおかしくはないでしょう? …恋人にいきなり抱きつかれて、そんな可愛らしいことを言われたら、誰だってなりますよ」
「かっ、可愛らしいとか言うな!」
というか、なんなんだ、そういうところは学ラン古泉と同じってことなのか。
「……今、気になることを言いましたね」
と、さっきまでの熱を帯びた声とは違い、どこか冷えた言葉にぞっとした。
やばい気がする。
「なんですか。まさかと思いますけど、同じことをしたわけじゃないでしょうね?」
「いや、流石に抱きついたりはしてないが…ちょ、っと、相談、を……」
「……前に、言いましたよね?」
ぞくりとくるような声を耳元で響かされ、体が震える。
「悩み事があるなら、一人で悩んだりしないで、ちゃんと言ってくださいって」
「だ、だから、一人で悩んだりは…」
「それで他の人に相談される方がよっぽど嫌ですね」
そう言って、古泉は密着していた体を少し離し、俺を見つめた。
「恋人、でしょう?」
「……呆れられるかと思ったんだ」
こんな、訳の分からないことを言ったら。
「呆れませんよ。呆れるわけないでしょう? ……可愛らしくて、愛しくて、止まれなくなりそうで困りますけど」
「…何、言って……」
「何かおかしいですか? だって、一緒にいて落ち着かないのは、それだけ僕を意識してくれているということでしょう?」
「……そう、なるのか?」
「そうだと思いますよ?」
意識してる、ということさえ分からなかったのかと思うと恥ずかしくもなるし、大体その意識していると言うことが恥ずかしくてならん。
真っ赤になって顔をそらそうとしたってのに、古泉はそれを許してくれなかった。
俺の頭を押さえ、楽しそうに笑いながら俺の目を覗き込み、
「今も、凄いですね。心臓の音が僕にまで伝わってきますよ」
「い、うな…」
恥ずかしくて死ねる。
「可愛い」
「だから、言うなって言ってんだろうが」
「言いますよ。…今度から、ちゃんと僕に相談するって約束してくれます?」
「なんで…」
「そうじゃないと、離しませんよ?」
「……」
「離さないでいいんですか?」
俺が知るか。
唸る代わりに黙り込んだ俺に、古泉は目を細めながらキスを寄越した。