俺にとっての世界が激変したその日に、俺はこの世界に生まれたのだと、インテリぶったその男は賢しげに口にした。 俺はそれを、好悪で言うなら最悪とでも言うしかない気持ちで聞いたのだが、それから一年近くが過ぎた頃になって、あの時とは違ったニュアンスで、あの時とよく似た言葉を聞いていた。 「もうすぐあなたの誕生日ですね」 とそいつは言った。 真っ裸のまま、同じく素っ裸の俺を、えらく幸せそうな顔で抱き締めて。 「誕生日はまだ先だ」 そんなことも覚えてないのかと顔をしかめて言いながら、きつくその耳を引っ張ってやれば、古泉は痛いとも言わず、ただ顔をしかめながら、 「いえ、あってますよ。…あなたは、あなたが僕たちの前に出現したあの時に、生まれたのですから」 そう言って、古泉は幸せそうに笑う。 一年近くが過ぎたし、実際その通りなんだろうという状況証拠がジョンによって提示された今になっても、そんな風に言われるのは面白くない。 よって俺が、思い切り顔をしかめながら、 「何がそんなに嬉しいんだ、お前は」 と唸ってやれば、 「嬉しくて当然ですよ」 と返された。 「あなたが生まれてから、これまでずっと、あなたを見つめて来られたんですから」 御目出度いやつめ。 一年前のあの日、俺は自分がこんな状態になるなんて、欠片も思っちゃいなかった。 当たり前だろ。 あの頃は古泉ももっとピリピリしていて、余裕なんてなかったし、俺としても突然俺の生活に乱入してきた奇人変人どもを優しくみていられるようなことなんて出来やしなかったんだからな。 だってそうだろ。 気がつくと何故か文芸部室にいて、見知らぬやつらに取り囲まれ、訳の分からないことを言われたばかりか、それ以降もなんだかんだと付きまとわれ、あれよあれよと言う間に謎の一団に加えられていたんだからな。 というわけで、その頃の俺の機嫌は最悪の低空飛行を続けていた。 それで当然だろう。 クラスメイトにはなんだかよく分からないが不審そうな目で見られるし、俺は知らないってのに相手は俺を知っていると言う奴等が複数登場するし、おまけに三日分の記憶が飛んでいると来た。 加えて、それ以前の記憶がちゃんとあるってのに、古泉をはじめとしてハルヒたちは、その12月21日に俺が出現したと疑わず、俺にまで押し付けていたからな。 これで上機嫌を保っていられる奴がいたとしたら、既に頭がおかしかったか、あるいは中二病から抜け出せていないかのどちらかに違いない。 そんな俺でも、SOS団という珍妙な集まりに通わざるを得なかったのは、一応知人といえなくもない長門が巻き込まれており、しかも校内でも有名な美少女である2年の朝比奈さんと一緒になって、俺を誘いに来るのだ。 それに逆らえるはずなどなく、しかし従ったら従ったであらゆる方面からイヤミだの嫌がらせだのを受けることとなり、全く酷い目に遭っていた。 それによるストレスのはけ口を求めていたと言うだけ、というのが、案外真相なのかもしれない。 俺が、古泉にあんなことを言っちまったのは。 今だから、古泉が別に悪い奴でもなければ、胡散臭くて嫌味ったらしい奴じゃないということも分かっているが、当時の俺にはさっぱり分からなかった。 なんで古泉がハルヒみたいなとんでもない奴に喜んで振り回されているのか分からなかったし、俺にまで作り笑顔で愛想を振りまく理由も分からなかった。 俺がいなければ美少女ばかりの中に男が一人と言う、どこぞのエロゲか何かのような状況を楽しめるだろうに、率先して俺を活動に参加させようとするのは、いっそ気味が悪いくらいで、裏があるんじゃないかと大いに疑ったほどだった。 「チェスをしませんか?」 と誘われても、俺は思い切り渋い顔で、 「ルールを知らん」 と返したし、 「ルールなら、ここに説明書もありますし、僕でよければお教えしますよ」 なんて食い下がられても、イヤミにしか思えなかった。 「ハルヒとやればいいだろ」 「涼宮さんとではなく、あなたとしたいんですよ」 と、今思えば当時の古泉にしては珍しいほどにストレートに言ったってのに、俺は眉を寄せるしかなく、 「嫌だ」 と突っぱねた。 そんなやりとりが日常と化してしまったのは、ひとえに、俺たちの生活習慣や価値観が余りに違っていたからなのだろう。 ハルヒたちと一緒に、帰りに買い食いをしに行けば、2本入り60円のアイスに古泉が、 「こんなに安いんですね。ちゃんと食べられるんですか?」 とやつとしては正直な驚きを口にして、俺を苛立たせたこともあった。 勉強の話をしても、進学校とほどほどの公立校では会話がかみ合わず、溝は広まるばかりだった。 それでもなお、古泉は頑張ってくれた。 不器用なくせに、俺とコミュニケーションを図ろうと試みたがゆえに、俺を苛立たせてしまっていただけなのだ。 だが、当時の俺にそんなことが分かったはずもなく、2月に入るか入らないかという頃になって、とうとう俺はぶちきれた。 思っていたことを思うさまぶちまけた。 「お前、鬱陶しいんだよ」 「……すみません」 傷ついた顔をしながら謝る古泉に、俺の苛立ちは更に募った。 「そんなに俺につっかかって楽しいか? 庶民の生活を見るのが楽しいのか? お前ってほんとに、悪趣味だよな」 「そんなつもりじゃ…」 と古泉が何か言おうとして、そのくせすぐに黙るのが面白くなかったのを、未だにはっきり覚えている。 「いつもそうだな。何か言いかけちゃやめるし、嘘臭い態度を続けて、本音なんて少しも見せやしねぇ」 「不快にさせてしまったなら、謝ります。すみません。でも、僕はただ、あなたと親しくなりたくて…」 「親しく? なれるわけねぇだろ。お前みたいな、作り笑いしか見せないような、胡散臭い奴と」 「っ…」 古泉が唇を噛んだのを見ても、悔しがっているとしか思えなかった。 だから俺は、怒鳴るように言ってしまえたんだろう。 「そんな態度じゃアソビ目的の彼女なんかは出来たところで恋人は出来ないだろうな。それどころか、親友だって出来ないだろうよ」 と。 それだけ怒鳴って、清々したので、俺はそのまま帰ってやろうとした。 ちなみに、そんなやりとりをしたのは、部室でのことだ。 ハルヒたちがとっとと帰ったってのに、古泉が俺を帰らせてくれなかったので、そんな風に言っちまったのだ。 黙り込んだまま何も言わない古泉が気になって、ドアを閉めるついでに振り向いて見ると、古泉の目から大粒の涙が零れ落ちていた。 「っ、こ、古泉!?」 お前、何も、そんな、泣くことはないだろう!? 驚いて近寄った俺の肩を、古泉が掴んだ。 「う…っ、ぇ、ううう…」 噛み締めた唇の間から零れる、呻き声めいた泣き声に、俺は抵抗も忘れて、それこそほとんど反射的に古泉を抱き締めてやっていた。 「泣くなって……」 泣かせておいて何を言うか、と言われてもいいところだが、古泉にそんな余裕などなく、苦しそうに涙を流し、泣き声を堪えようと必死になるばかりだった。 「…声、出せよ。その方が楽になるだろ」 「っ、で、も……」 大きくしゃくり上げる体を抱き締めて、背中を撫でさすってやる。 「いいから」 「…う、わ、っぁ…ああああ……!」 見っとも無い泣き声を聞きながらも、俺はどうしてかそれを不快なものとは思わなかった。 泣かせてしまったことを申し訳なく思ったからじゃない。 こいつには泣く必要があったんじゃないかとさえ、思っていたからな。 そういう悔やみ方はしなかった。 ただ、そんな風にうまく泣くことすら出来ない古泉を知って、俺はようやく理解したのだ。 古泉の不器用さを。 泣きながら、古泉はぽつぽつと呟いた。 「僕は、あなたと、仲良くなりたかっただけ、なんです…。あなたに、嫌われたくなんて、なくって……」 「……ああ、やっと分かった」 「でも、僕は、っ、どうしたら、いいのか、なんて、分からなく、って」 「それも、なんとなくだが分かった」 相槌を打ちながら話を聞いていくうちに、古泉は黙っていたことすら、教えてくれた。 「本音を、人に見せちゃ、いけないと、しつけ、られ、たん、です…。利用することしか、知らなく、て、だから、僕は、本当に、どうしたらいいのか、知らなくて、考え、つけなく、って、ごめん、なさい…。ごめんなさい…っ」 「いいから。俺こそ、八つ当たりみたいなことしちまって、悪かったな」 よしよしと背中を撫でながら言うと、古泉は頭を振った。 「僕が、悪いんです。……ごめんなさい」 「古泉……」 なんでそう思い込むんだ、と歯痒くなりながら、俺は偽善者面して言ってやった。 「お前にひとつ教えてやる」 「は、い……?」 びくつく背中をぽんと軽く叩き、 「…ケンカしたら、お互いに謝るのが普通なんだよ。そうじゃなきゃ、友達付き合いなんてやってられん」 「……あの…それって……」 やっと涙の止まった顔が、じっと俺を見つめる。 そうしてまじまじと見た古泉は、なんだか酷く頼りなくて、可愛くて、正直、庇護欲を刺激された。 古泉はやっと泣き止んだってのに、またもやくしゃりと顔を歪め、 「でも……前以上に、嫌いに、なりました…よね…? こんな、情けなくって、みっとも、ない、ところ、見られて……」 と言う。 その、酷く自信なさ気な様子に、俺は思わず笑って、 「いや、」 と答えていた。 「ふ、え……?」 大きく見開かれた目が、朝比奈さんのそれのように可愛く見えた。 「むしろ…その、なんだ。……前よりは、親しみがわいた……な」 「…っ、嬉しい、です……」 「泣くなって。嬉し泣きでも、困る」 「ご、めんなさい…。でも、止められなくて……」 ――と、そんなことがあって以来、古泉は何かあってストレスが貯まると俺のところに来るようになった。 俺としても、古泉が他にはけ口がないというなら、それをなんとかしてやらんでもないという程度には、この見かけによらずもろくて可愛い、「優秀な」男子高校生を気に入っちまったのだ。 まさか、そのせいで古泉に惚れられるなんて、思いもせずに。 「好きです」 と古泉が言い出したのは、3月になる間際だったように思う。 つまり、俺に本音を吐き出せるようになって一ヶ月も経っていなかった。 その間、三日に一度近いハイペースで古泉が俺のところに来ていたことを思うと、別に早くもなかったのかも知れないが、思い返すとえらく展開が速かったように思う。 何しろ、古泉は形振りなんて構わなかった。 そんな余裕なんてないとばかりに、毎朝俺を迎えに来て、わざわざ北高まで送った後、坂を下って光陽園に通うというような馬鹿げたことをして、その間中、どんなに俺が好きかと歯の浮くようなセリフと共に語りまくってくれもした。 当然、ハルヒたちにだって隠すつもりなどなく、あまりの無茶苦茶っぷりに俺がけんもほろろと言った対応を貫くにつれ、最初は好奇に満ちていたはずの視線が、気がつけば古泉への同情と俺への義憤染みたものに変わっていたくらいだった。 「なんで付き合ってあげないのよ」 とハルヒに責められ、 「俺はホモじゃない! ノーマルだ!」 と怒鳴り返したくらい、と言えば状況は分かってもらえるだろうか。 結局、春休みになってもそんな日程とは無関係に古泉のアタックは続き、親すら同情するほどの猛アタックに俺が根負けする形で付き合うようになったのだが、それで今まで続いているんだから、凄いよな。 「他人事のように言いますね」 と古泉は苦笑しながら俺の髪をそっと撫で付けた。 「あなただって、ちゃんと好きでいてくれているんでしょう?」 そう聞かれ、俺は赤くなりながらも、部屋の中が暗いのをいいことに、俺としては非常に珍しく、 「ん…まあ、な……」 と素直に答えてやったのだが、我慢はそこまでしか続かず、あまりの照れ臭さに耐えかねて、 「というか、恥かしいから言わせるな!」 と古泉の頭を軽くとはいえぶん殴っていた。 すまん、と心の中だけで思う。 しかし、古泉は痛がる様子もなく、幸せそうに笑って、 「愛してます。…あなたが恥かしいなら、あなたの分まで言わせてください。あなたが好きです。あなたが一番、好きですよ」 繰り返されるくすぐったい言葉に身を捩って逃げようにも、古泉に抱き締められては逃げようもない。 精々、背中を向けるのがやっとだ。 向けられた背中に古泉は軽くキスを落として、呟くように言った。 「あなたの誕生日は、どう祝いましょうか?」 「知るか。んなもん、お前が考えろ」 「はい、頑張って、考えさせてもらいますね」 幸せそうな声を聞きながら、俺はひとつだけ言ってやる。 「…とりあえず、ハルヒには言わないでおけよ」 「え? どうしてです?」 「あいつに、邪魔されたく…ないだろ」 「……ええ、そうですね」 と古泉が笑ったのが分かって、俺は悔しいのか歯痒いのかよく分からなくなりながら唇を噛む。 それを見透かしたように、手探りで俺の唇を探し当てた古泉が、それをそっと撫でながら囁いた。 「誕生日には、あなたと二人っきりで過ごさせてください」 その、余裕ぶった態度が非常にムカついたので、俺は遠慮の欠片もなく、急所を蹴り飛ばしてやった。 |