春にはほど遠い、とある日曜日の朝。 俺が目を覚ますと枕元に素っ気無い手紙がひとつ置いてあった。 チラシの裏に書き殴られたそこには、 『花見のメンツが足らんから来い』 という乱暴な一言のみがあり、それ以外は差出人名もなにもない。 それどころか、どこに行けばいいのかということすら書いてない。 それでも、だ。 その字が自分の字であるせいで、どういうことなのか分かっちまった。 やれやれ、とため息を吐きながら、俺は手早く身支度を整える。 花見なら食事も出るだろうと当て込んで、飯も取らずに未来へと跳んだ。 座標の設定にあれこれ苦労するらしい朝比奈さんと比べて、随分と楽をさせてもらってるような気がする。 なんせ、どんなところに行きたいかということを考えるだけで、ほぼ正確に目的の場所へ跳べるんだからな。 そうして、到着したのは、見慣れない公園だった。 桜は今が盛りらしく、花見客も大勢いる。 そんなところに突然出現して大丈夫なのかと問われたら、ちょっとばかり長門に協力してもらってる、とでも返せばいいだろう。 さて、キョンたちは、と視線をめぐらせれば、4人や5人は座れそうなスペースに野郎二人で向かい合っているという、ちょっとでなく可哀想な桟敷が見つかった。 「何やってんだ?」 呆れながら声を掛ければ、すでに酒が入っているらしいキョンが上機嫌に、 「よう、ちゃんと来たか。えらいえらい」 などと言いながら俺を引き摺りこみ、強引に座らせる。 ついでとばかりに人の頭を撫で回すのは止めてもらえないだろうか。 古泉はと言うと苦笑しながらキョンを見ているだけだ。 止めてくれよ。 「無理ですよ。僕はこれ以上飲ませないようにするだけで精一杯です」 くすりと笑ったその笑い方は、あいつと変わらないはずだってのに、どこか余裕が滲んで見える。 あいつがこうなったら、ちょっとでなく腹が立ちそうな気がするな、と思っていると、 「こぉら!」 と不満そうに叫んだ酔っ払いに顔を引っ張られ、無理矢理向き合わされた。 「なんだよ」 「それは俺のなんだから、お前は見つめたりしなくてよろしい」 「……」 あのな。 「あんだよ」 ……だめだ、完全に目が据わっている。 酔いも適度を少々過ぎたくらいにまわっているんだろう。 酔っ払いに接する時の鉄則は、シンプルだ。 とにかく機嫌を損なわない程度に従順な態度を示すこと。 あくまで示すだけであって、本当に従順になっては更に酔いを深めて体を壊したりする元なので、フリで通す、というのがポイントだ。 「…分かったから、離してくれ」 「ほんとにわぁってんのか?」 「分かってる」 「ならよし」 そう言って、キョンは俺を解放した。 つうか、どんだけ飲んだんだこいつ。 呆れる俺の前に、紙コップと紙皿、割り箸が差し出される。 「わざわざ来ていただいてすみません。せめて、しっかり食べて行ってくださいね」 と古泉に言われ、俺は軽くため息を吐いてそれを受け取った。 キョンはと言うと、ごろりと横になり、ついでとばかりに古泉の膝に頭を載せているのがなかなか見苦しい。 これが自分の未来の姿かと思うと、色々と考え直したくなるくらいである。 「今日は、二人だけなのか?」 「ええ、残念ながら。それで、寂しくなって、あなたを呼び出してしまったようですけど」 苦笑する古泉は、よく考えてみるとこれが初対面だった。 「……一応、初めましてと言うべきか?」 「ああ、そうなりますね」 くすりと笑ったその笑い方も、俺の見慣れたそれとは少し違った。 作り笑いの色がない、というのだろうか。 微妙な違いでしかないのだが。 「初めまして、お世話になってます」 面白がるように笑いながらそう言った古泉に、俺もなんだか笑いたくなりながら、 「ああいや、こちらこそ。…ええと、この前もらったクッキー、美味しかったです」 「それは何よりです。それから、敬語に改める必要なんてありませんよ?」 悪戯っぽく言われると、余計にこちらが子供扱いされているようで、そうなると更に言葉を崩し辛くなる。 相手は古泉とはいえ、一応年長者だしな。 「本当に、律儀ですよね」 感心したように呟いた古泉の膝でなにやらむにゃむにゃと不平を漏らしたキョンの唇を、古泉の白い指先がそっと押さえて黙らせる。 その扱い方に、何故だか赤面した。 なんだろうか、見てはならないものを見てしまったような感覚がしたのだ。 「ハルヒとかは…来ないんですか」 沈黙に耐えかねてそう話題を振ると、古泉は軽く目を伏せ、 「残念ながら…」 と答えた。 …まあ、そうだろうな。 酒の入ったキョンがこれだけ好き勝手に振舞うなら、ハルヒたちの前で下手に飲ませるわけにはいかないだろう。 しかし、ずっとハルヒたちには内緒なのか。 そう思うと、少しばかり胸が痛んだのだが、 「急にキャンセルされてしまったんですよね」 と案外軽い調子で言われて、拍子抜けした。 「は?」 「いえ、最初はSOS団全員で、とのことだったんですが、急にキャンセルされてしまったので。それで、お弁当が余ってるんです」 言われてみれば、最初から二人だけでするつもりだったにしては、桟敷は広いし弁当も多い。 というか、花見に手作りの重箱弁当って、お前はいつの時代の人間だ。 「ハルヒたちには…」 「ああ、カミングアウトしてありますよ?」 あっさりと古泉が言い、余計に脱力した。 さっきの胸の痛みを補償しろ。 「本当に、僕は幸せです」 やけに豪勢な弁当箱を俺の方に押し出しながら、独り言のように、古泉は呟いた。 「愛する人と一緒にいられて、それを祝福すらしてもらえて。…幸せ過ぎて死んでしまいそうです」 「死ぬなよ」 思わず呟いた言葉が、二重に聞こえたと思ったら、古泉の膝で伸びていたはずの酔っ払いが体を起こした。 「他の死因よりずっといいかもしれんが、そんな死に方は何があっても認めん。そんな風に死なれたら、加害者は俺になるだろうが」 「……それはそれで自信満々のお言葉を、どうもありがとうございます?」 茶化すように言った古泉の頭を、キョンが遠慮なく叩いて、 「阿呆」 と唸る。 叩いて、唸っておいて、そのくせキョンは恥ずかしげもなく古泉を抱き締めた。 「……死ぬなよ…」 「ええ、分かってます。あなたより先に死ねるものですか」 …何かあったんだろうか。 首を傾げながら、 「何かあったんですか?」 と聞いてみると、古泉は迷うようにしばらく黙り込んでいたが、 「…どこかの世界で、見てしまったんだそうです。その世界の――古泉一樹が、死んでしまうのを」 その言葉だけで、キョンの体が怯えるように震え、古泉を抱き締める腕に力が込められた。 「それは……」 「ええ、トラウマものですよね」 「……見たくないな」 「そうですか?」 「当たり前でしょう。……古泉が傷つくところだって、みたくない…」 「…嬉しいですね」 ふわりと古泉は笑った。 「はぁ?」 「嬉しいですよ。そこまで思っていただけて」 ふふ、と忍び笑いを漏らし、 「本当のことを言いますと、こうして抱きつかれるのも嬉しくてならないんですよ。死んでしまったのは所詮別の世界の僕ですし」 おいこら。 「それに……聞いた話では、その世界の僕も、そんなことになってしまったことを、悔やんでいるようではありませんでしたから」 「…でも、残される方は辛いですよ」 「そうですね。でも、この人は僕に残される方になれって言うんです。…ワガママでしょう?」 なるほど、そうなるのか。 しかし、古泉は幸せそうに笑う。 「正直言って、どちらでもいいんです。この人を残して死ぬのは悲しいですが、この人を看取らなくていいなら、それはそれで安堵します。逆に、僕が残されたとしても、僕はきっと大丈夫です。それくらい、僕のことを愛してくれてますから」 恥ずかしげもなくそう言った古泉を見ていられなくなって、口に突っ込んだハンバーグは、何故だか酷く甘ったるく思えた。 |