一瞬のうちに

一瞬のうちに人間がどれほどの動きが出来るのか、なんてことを俺はよく知らない。
ただ、大したことは出来ないんだろうと思っていた。
もちろん、頭の中で考えるだけなら、驚くほどのスピードで何かやれる奴だっているんだろう。
しかし、実際動くとなるとそこにはやっぱり制約が大きくあるものだろうし、いくら鍛えたって越えられない壁と言うものが存在するだろうと思っていた。
しかし、それはどうやら俺の狭い了見による間違った認識であったらしい。
一瞬、時があれば、人間意外と激しい動きに持ち込めるらしい。

ＳＦっぽい世界に滞在することになった俺は作戦参謀の部屋に泊めてもらうことになり、当然のように作戦参謀と一つ布団で寝ることになった。
それならそれで、あちこちみて回るため早起きしてもよかったのだが、俺の面倒を見るからということで、一日フリーになっていた作戦参謀は、軍人とはいえやはり俺であり、惰眠を貪ることを寝る前から決めていた。
俺もそれに付き合うことにし、思う存分寝ることにしていたのだが、それでは不満を感じる奴もいたらしい。
「っ、一体どういうことですか…！？」
苛立ち、怒り、憤慨、不満、不安、驚愕、その他諸々の感情の滲んだ声で俺は目を開けた。
軍人なんだから、俺よりよっぽど気配に敏感だろう作戦参謀は、まだぐーすか眠り込んでいる。
それがフリなのか本当に熟睡しているのかはよく分からん。
寝たふりなら、大した狸だ。
寝ぼけ眼を擦り擦り、声の主であるところの幕僚総長を見ると、憤怒とでも言ったらいいような顔をしていた。
おお、怖いな。
ここまで本気で怒ってる顔を見るのは初めてだろう。
もし、俺が作戦参謀と同じ顔をしてなければ、ぶん殴られてたんじゃないだろうか。
さて、ただ部屋に入ってきただけのはずの古泉がここまで怒る理由はちゃんとある。
というか、ここで怒らなかったら俺か作戦参謀、あるいは両方がぶち切れてこいつを袋叩きにしていたことだろう。
自分の恋人が、全くそっくりとは言え他人と一つ布団に潜り込み、半裸ですやすやと寝こけてて、怒らない方がよっぽどおかしい。
「どういうことです」
なんとか理性で怒りを抑えようとしている幕僚総長を煽るように、俺はわざとらしくあくびなんぞしながら、
「何が？」
と返してやる。
内心はひやひやもんだ。
なにせ、こっちは全くのずぶの素人で、相手は職業軍人なんだからな。
「何でそんな格好で寝てるんです…！」
いっそ悲壮感すら滲んだ声に、俺はしれっとした顔で、
「何でって……聞かなくても分かるだろ？」
と言ってやった。
キッと俺を睨みつけた幕僚総長の手が振り上げられる。
それが一瞬で俺の頬に到達するのだろうと思い、反射的に目を閉じるのが精一杯だったのだが、次の瞬間、どこか鈍い音が響いたものの、俺の頬には衝撃など訪れなかった。
怖々目を開けると、さっきまで確かに大人しく寝ていたはずの作戦参謀が俺を庇うような形で起き上がり、ついでに使っていた薄い毛布で幕僚総長を包むようにして、床に押さえつけていた。
全く、今の一瞬で何がどう動いたんだか、わけが分からなくて混乱するくらいの見事さだ。
ちゃんと見ていたなら、そのアクション映画さながらの様子をもっと的確に表現出来たかと言うと、答えはノー以外ありえない。
何故なら、見ようとしたところで、俺の目がちゃんとそれを捉えられたとは思えないからだ。
それくらいのやりとりが、一瞬で行われたらしい。
「素人相手に何しようとしてんだ、お前は！」
と怒鳴る作戦参謀に、押さえつけられた幕僚総長の顔が歪む。
「あなたこそ、一体何をしたんです？　寸の間、肌をさらすことだって嫌うあなたが、一晩そんな格好で、ただ寝てたと？」
「ああ、寝てただけに決まってんだろ。それとも何か？　俺が信用ならんとでも？」
「あなたではなくて、そっちのが…！」
そっちの呼ばわりされた俺は、ぽりぽりと頬をかきつつ、
「…なあ、とりあえず服着ていいか？」
と聞いた。
それで多少、正気を取り戻したらしい二人に、
「あと、お前らも大人しく話し合う体勢を作れよ。その状態じゃまともな話し合いにもならんだろ」
と言ってやると、作戦参謀がため息を吐いた。
「そうだったな…」
そう言って、そろりと幕僚総長の拘束を解く。
体を起こした幕僚総長は、思わず竦み上がりそうな目で俺を睨み、
「どういうことか、きちんと説明していただきましょうか？」
「説明するのはいいが、お前もちゃんと話せよ。包み隠さずにな」
「…どういう意味です？」
そう睨むな。
俺は昨晩から放り出したままにしていたパジャマの上着を作戦参謀に投げ渡してやり、少し考えた後、放り出された毛布で自分の体を隠すことにした。
多少挑発的な格好かも知れんが、幕僚総長から本音を引き出すには、冷静にさせるわけにはいかんだろうからな。
というわけで、俺はいささかハレンチな、それこそ古泉に知られたら取り縋って泣かれそうな格好でベッドに座り直した。
作戦参謀は何を考えているのかよく分からん顔で幕僚総長を見つめている。
不機嫌なのか、それとも上機嫌なのかと言う判断にすら迷うような表情だ。
俺ですらそうなのだから、幕僚総長は余計にそうなのだろう。
不安げに、作戦参謀を見ていた。
が、俺に対しては、当然、容赦などない。
「説明してください」
と棘を含んだ厳しい声を出した。
俺を庇おうとしてか、何か言いかけた作戦参謀を、俺は目で制した。
言ったって無駄だ。
というか、今は黙っててくれ。
俺は、時折ハルヒがするような、傲岸不遜な笑みを真似、見下すように言ってやった。
「そんなに、こいつのことが好きなのか？」
「あなたに言う必要なんてありません」
「こいつには、言うべきことだろ」
「言う必要はないでしょう？」
幕僚総長の言葉に、作戦参謀の顔がかすかにくしゃりと歪む。
それさえ、幕僚総長は分かっちゃいないんだろう。
分かったとしても、どうしてそんな顔をされるのか、分からないに違いない。
…不器用だな。
こいつを見てると、光陽園のあいつの方がよっぽどマシに思えてくるぞ。
あいつはあいつで、恐ろしく不器用なところがあるようだが、それでもキョンに対しては、呆れるまでに素直だからな。
俺はもう一つため息を吐いて、
「言わなくても通じると思うのは、思いあがりだ」
「あなたに何が分かると？」
「分かるさ。…俺のことだからな」
…というのは、半分くらい、強がりというか、虚勢を張るようなもんだ。
実際には、そんなに分かっちゃいない。
同じ人間、と言ってもおかれている状況や生育環境なんかによって、性格も考え方も変わるからな。
平々凡々として平穏無事に過ごしてきた俺と、軍人として育ってきた作戦参謀とじゃ似てないところの方が多いだろう。
ただ、根幹はおそらく同じだ。
だから、そんな風に大見得も切れる。
「お前とこいつじゃ、合わないんじゃないか？」
言いながら、今度は俺が作戦参謀を庇うように、同時に、幕僚総長を挑発すべく、作戦参謀を抱き締めてみる。
それに作戦参謀が抵抗をちらとも示さないのが、幕僚総長の苛立ちを煽る。
「どうしてです？」
「合わないだろ。お前はこいつを幸せにしてやれるか？　大事にしてやれてるか？　俺には、そう見えんね」
「だから、あなたに何が分かると言うんです！？」
苛立ちも露わに怒鳴る幕僚総長に、俺は薄く笑った。
「こいつが好きか？」
さっきと同じ問いを繰り返す。
今度こそ、怒りか何かに顔を歪めた幕僚総長が、唸るように答えた。
「好きですよ。好きに決まってるでしょう！？　たとえ同じ姿形をしていても、彼を連れて行くとでも言ったなら、あなたを殺してでも阻止します」
その声はどう聞いても本気で、そんなものを感じた覚えなんてほとんどない俺ですら、殺気を向けられていると感じられた。
俺は、今度こそ声を立てて笑った。
全く、馬鹿だな。
幕僚総長も、作戦参謀も。
「そんなに好きなら、不安にさせるなよ」
笑いながら言ってやれば、拍子抜けしたらしい幕僚総長が作戦参謀を見た。
「…もしかして、二人して僕を引っ掛けたんですか」
「あ、当たり前だろ！？　お前、今頃気付いたのか！？　　というかだな、お前、まさか本気で俺がお前以外の奴とそういうことをすると思ったのか！」
羞恥だか怒りだか分からないものに顔を真っ赤に染めた作戦参謀が怒鳴り返すと、今度こそ、幕僚総長が笑った。
「よかった……。いくら別の世界の、とはいえ、あなたと同じ人であるらしい人を殺すのは気が引けると思ってたんですよ」
おいこら、ヤバいことを笑顔で言うな。
しかもそんなイイ笑顔で。
やっぱりこいつは危ない。
軍人だからかも知れんが、おかしい。
やれやれ、とため息を吐きながら、俺は作戦参謀に言ってやる。
「これで、こいつの気持ちを疑うだけ馬鹿だってことは分かっただろ？」
小さく頷く作戦参謀に、もう一押しとばかりに、
「それじゃあ、今度はお前の番だな」
「……言わなきゃならんか？」
「溜め込んどくと大変なのはお前の方だろ」
「……くそ」
かすかな声で毒づいた作戦参謀だったが、それでもなんとか幕僚総長を見据えた。
睨むような目に射抜かれた幕僚総長は、思わず居ずまいを正したくらいだ。
「これから、俺は恐ろしく馬鹿な質問をいくつかする。…正直、言いたくないくらいだし、言ってお前に呆れられるんじゃないかと思いもする。が、お前をあれだけ取り乱させたんだから、これくらいしねぇと、フェアじゃないだろ」
前置きはいいから、さっさと言ってやれ。
作戦参謀の顔が赤いのは、今度こそ、間違いなく羞恥のせいだろう。
唇が震え、縋るように俺の手をきつく握り締めているのはいいが、手加減はしてくれよ。
じゃないと、もう一押しで、手がへし折られそうだ。
小さな声で、作戦参謀は尋ねた。
「…俺のこと、本当に……好き、か…？」
「好きですよ。好きに決まってるじゃないですか」
驚いたように言った幕僚総長だったが、流石に気付くものがあったらしい。
「…僕は、そんなにもあなたを不安にさせてしまっていたんですね。すみません…」
「っ、だ、って…」
「言葉が足りませんでしたか？　それとも、過ごす時間が？　過ごし方が、いけなかったんでしょうか」
本気で悔やんでいるらしい幕僚総長には悪いが、質問はまだあるんで、その辺の話し合いは後にしてくれ。
「なんでしょうか。この際、全部言ってください。お願いします」
と頭を下げる幕僚総長を見ながら、作戦参謀は迷うように俺を見る。
いや、そこで俺を見られても困るんだが。
…そこまで不安なのかね？
首を傾げながら、
「言っちまったらいいだろ」
と言えば、作戦参謀が長門のようにかすかに顎を引いた。
「……どうして、俺なんかと、付き合ってるんだ？」
「あなたが好きだからですよ。…あなたの優しさも、少しばかり意地の悪い口の利き方も、何もかもが、好きなんです。あなたの立てる作戦の見事さにはいつも感服しますし、日々努力を欠かさない自分への厳しさも、部下への優しさも、好ましく思っています」
「俺は、そんな、大したもんじゃない」
「そんなことはありません。…少なくとも僕にとっては、あなたはとても魅力的な人です。おそらく、他のＳＯＳ団の方々にとっても、ね」
と苦笑した幕僚総長は、
「僕の方こそ、あなたとどうして付き合っていられるのか、不思議なくらいですよ。あなたなら、もっと素晴らしい女性との出会いもあれば、チャンスだってあるでしょうから」
「んなわけないだろ」
「ありますよ。…あなたが気付いてないだけで」
困ったように言った幕僚総長だったが、
「他にはありませんか？」
と話をそらした。
薮蛇を避けようとしたのかも知れない。
作戦参謀はまた少しの間黙り込んだ後、
「俺みたいな筋肉質なのより、こいつみたいに抱き心地のいい方がいいって、思わないのか？」
とわざわざ俺を指差しながら言った。
ついでとばかりに毛布をひん剥いて、俺が驚くのにも構わず、
「こういうのの方が、いいって思わないのか？」
というか、お前、本気でそれが一番気になってたのか？
さっきまでと質問の勢いが違いすぎるぞ。
あと、
「こんなに色も白いし、乳首なんかピンクだぞピンク」
とか言いながら、人の乳首を指差すんじゃねぇ。
これはあれか、恩を仇で返されている、まさにその瞬間って奴なのか。
「関係ありませんね」
幕僚総長は小さく笑いながらさり気なく俺から目をそらしてくれた。
お前、意外といい奴だな。
「僕が好きになったのは、あなたです。好みなんて、関係ありませんよ。そもそも、僕は別に同性愛者じゃありませんし。それなのに、あなたを好きになったんですよ？　好みか好みじゃないかなんて、関係ないということだと思いませんか？」
その言葉に驚いたのは作戦参謀だった。
「何？　お前、前に言ってたじゃないか。同性愛者なんだって、男しか好きになれないんだって」
「えぇと、それは、あの、あれです。嘘も方便と言いますか、その方があなたが折れてくださるかと思って。だってあなた、僕が告白してもなかなか信じてくださらなかったばかりか、僕に女性を紹介しようとしてきたじゃないですか」
なんだと。
俺も大概古泉に酷いことをしたと思ったが、俺以上に凄くないか、それは。
「だからそれは、お前が本当に俺なんかを好きだなんて思えなくてだな…」
――とまあ、こんな調子で続く話を聞いていて思った。
こいつら両方に言いたい。
「…なあ、頼むから勝手に思い込んだりする前に、お互い正直に話すようにしてくれ」
巻き込まれた俺はまるで馬鹿そのものじゃないか。
思わず脱力した。
「嘘も方便も禁止、照れ隠しも極力抑えろ。そうじゃなきゃ、また同じような擦れ違いになるぞ」
そうなったって、今度こそ俺は手なんて貸さん、馬鹿をみるだけだからな、と唸るように言えば、作戦参謀は頷いて、
「それは、よく分かったから、努力しようとは思う。…古泉、お前は？」
「言うまでもないでしょうけれど、同意見です。軍属だからでしょうか。すっかり、嘘も虚勢も当たり前で、本音をさらせなくなっていたんでしょうね。…でも、僕は、あなたになら本音を聞いてもらいたい、あなたになら打ち明けられると、そう思っているんです。それくらい、あなたを愛してます」
恥ずかしげもなくそう言い切った幕僚総長に、作戦参謀は微笑して頷いた。
……どうしてだろうな、作戦参謀の方がよっぽど見てて恥かしい。
とうとう見ていられなくなった俺は、
「仲直り出来たんなら、デートにでも行って来い」
と言った。
口が笑っているが、これが苦笑であることはいうまでもない。
それも、苦味多目のだ。
しかし、作戦参謀はその俺よりもよっぽど苦い顔で言った。
「デートなんか出来るか。こいつと二人で出歩くってだけでも無理だ」
「そうなのか？」
「ああ」
「じゃあ、出歩くのは、お前じゃなくて俺、ってことにしたらどうだ？」
俺が言うと、作戦参謀は軽く眉を上げた。
幕僚総長も、すぐに俺の言いたいことを理解したらしい。
「可能でしょうか…」
と検討を始める。
「少なくとも、俺が作戦参謀のフリをして出歩くよりは簡単だろう。何も分からないフリをすりゃいいんだからな」
「その間、あなたはこの部屋に籠もっていると？」
「そうじゃなきゃまずいだろう。疲れて熱でも出した、ってんじゃ体調管理がなってないと叱られるかも知れんが」
そんな皮肉を、ニヤリと笑って言ってやれば、幕僚総長は苦笑した。
作戦参謀はそんな俺たちのやりとりに首を捻りつつ、
「疲れて不貞寝してる、ってのでもハルヒには通用するだろ。昨日、呼び出されたのもあって、今日はちゃんと非番にしてもらえたんだし、古泉、お前は元々今日は休みだよな？」
「ええ」
「それで、俺がジョンの面倒を古泉に押し付けた、といえば十分通るとは思う」
なら、決まりだ。
俺は自動的にクリーニングされて綺麗になっていた自分の制服をジョンに渡し、自分はパジャマを着た。
「サイズは大丈夫だよな？　多少きついかも知れんが…」
「ああ、問題ない」
軍人らしく、恐ろしく手早く着替えた作戦参謀は、それから迷うように俺を見た。
「本当に、いいのか？　お前も、あちこち見てまわりたいんじゃ……」
「そりゃ、興味はあるがな。それよりは、お前らの方が優先順位が高い。見学は、またの機会にさせてもらうさ」
「……すまん。恩に着る」
「ああ。ついでに、何か土産でも買って来てくれるか？　珍しいもの好き向けと健啖家向けに何かあると助かる。…俺の古泉にも土産をやりたいから、幕僚総長オススメの一品もあるといいな」
「分かった」
そう笑った作戦参謀に、幕僚総長が手を差し出す。
「では、作戦参謀に代わって、不本意ながら、僕があなたのご案内を務めさせていただきましょう
「ばか、そんなだらしない顔で言ってどうする」
そう言いながらも、作戦参謀は幸せそうだ。
「夜までには帰って来てくれよ。俺も、帰りたいからな」
「帰れそうか？」
作戦参謀に、俺は曖昧に答える。
「多分な」
「分かった。…お前のことを待ってる奴が、いるんだからな」
「…ああ」
照れ臭いながらも頷いて、俺は二人を送り出した。