恋は盲目



恋は盲目とは言うものの、それが本当のことだなんてことは生まれてこのかた、一度も思わなかった。
いや、俺もこれが本当にその言葉に相応しい状況なのかと言うことは分かっていない。
分かるのは、自分がおかしいと言うことだけだ。
驚天動地の事実を告げよう。
――俺はどうやら、本気で古泉に惚れちまったらしい。


自分が分からん。
何で俺がこんなにキョドらねばならんのだろうか。
古泉と廊下で行き違うことだって日常だし、向かい合わせで下らん話をしつつゲームをすることなんかは、日常と言うまでもないくらい自然なことだった。
ここしばらく滞っていた事態の方がよっぽど異常なのだ。
それなのに、である。
このところの俺は本当におかしい。
古泉と目が合うだけで顔が赤くなりそうになるし、話そうにも声が上擦ってうまく言葉が出なかったり、そのくせ気がつけば古泉を目で追っていたりと気色悪いことこの上ない有様なのだ。
どういうことか、なんてことは考えるもないのかもしれないのだが、あえて呟かせていただきたい。
…なんでだ。
「俺は自分が分からん…」
思わずそう言った俺に、例の学ラン古泉がいる世界のキョンはきょとんとした声で、
『いきなりなんだ』
「分からんから分からんと言ってるんだ」
そうため息を吐いて、ざっくりと説明した。
古泉とちゃんと話し合った上、やり直しを要求されるままそれを実施したことも、古泉に告白され、明確に返事はしていないものの、俺が受け入れたも同然の状態になっていることも、ついでに言うと自分の挙動不審極まりない有様についてもきっちりと。
それに対するキョンのコメントは、
『……おめでとう、と言った方がいいのか?』
というものであり、俺はしばらくうががががとか何とか唸りながらベッドの上でのた打ち回った。
「目出度いことなんぞあるか!」
と俺が言ったのも聞かず、携帯の向こう、更に言えば世界の向こうでキョンは小さく声を立てて笑い、
『にしても、お前、ちゃんと古泉のことが好きだったんだな。そんなことだろうとは思ってたが、安心した』
その発言だけで心臓が止まりそうになりつつ、俺は嫌々ながらも確認する。
「…やっぱりそうなんだと思うか?」
『違うのか?』
「……分からんから聞いたんだが…」
『まあ、前に相談してきた時点では分からないにせよ、今は惚れてるんだろ?』
うがががが。
『暴れるなって』
笑いを含んだ声で言われたところで、布団の上で暴れまわる他ない。
他にぶつける先もないんだからな。
恥ずかしくて死にそうだ。
いっそ泣きてぇ。
訳が分からん。
出来ることなら今すぐ過去の自分の目の前に行き、古泉をからかうのはやめてやれと忠告し、全てなかったことにしてやりたいくらいだ。
ぶつぶつと唸り続ける俺に、キョンはまだ面白がる様子で、
『まあ、そのうち落ち着くだろ』
「何でお前はそんなに余裕なんだ」
噛みつくように言った俺に、キョンはからりと笑い、
『多分、こういうのはバランスなんだろうな。お前の方は今、お前より古泉の方に余裕があるんだろ? 逆に俺の方は、古泉に余裕が全然ないから、その分俺に余裕があるというか…』
『なに言ってるんですか』
不意に怒気をはらんだ古泉の声が聞こえ、俺の方がぎょっとさせられた。
「…と言うかお前、今どこにいるんだ」
『ん? 古泉の部屋だが…何か問題でもあるか?』
言い忘れていたが、今は金曜日の夜10時である。
俺は当然大人しく自分の部屋にいるし、そうであればキョンもそうだろうと思ったのだが、その認識は恐ろしく甘かったらしい。
「…邪魔したな」
『別に平気だぞ。つうか、変に気を回そうとするな』
と言われたところで、はいそうですかと話の続きが出来るか。
「そっちの古泉に恨まれたくないから切る」
『そこまで狭量じゃないだろ。なぁ?』
とこれは古泉に言ったのだろう。
ため息らしいものが聞こえたかと思うと、小さく、
『誰かさんのおかげでオアズケはそこらの駄犬よりずっと得意ですからねぇ……』
……憐れな。
『古泉もこう言ってるし、俺も気になるから話したいことがあるなら話しちまえよ』
本当にいいのか?
『いいって。んで? 返事はしてやらないのか?』
「するまでもないようにも思うんだが……してやるべき、だよな?」
『そりゃそうだろ。お前も、ちゃんと言ってやった方が落ち着くんじゃないのか? 下手に黙ってるから、落ち着かないってこともあるだろ。告白されたなら返事してやって、で、付き合うなら付き合うでそう言ってやれよ』
「ぐ…っ」
『だから唸るなって』
「…にしても……なんで古泉なんだ…」
『また酷い発言だな。そんなに酷いやつって訳でもないんだろ?』
「そりゃあな。多少胡散臭いが、悪い奴じゃない。それは分かってる。だが、好きになるだけの理由もよく分からん。強いて言うなら……顔か?」
『おいおい、分からんでもないが、そりゃあんまりじゃないのか?』
呆れたように言われたが、実際そうとしか思えないのだ。
あの妙に整った顔で真剣に告白されれば、大抵の人間は老若男女を問わずして落ちるだろうとさえ言ってやりたい。
他に何か要素があるとしたら、妙に庇護欲をそそるところが悪い。
『庇護欲ね…。それだったら、俺の古泉もそうだがな』
そういえばそうだったな。
『……なあジョン』
何か思いついた時のような調子でキョンが言った。
なんだ。
『お前、今からこっちに来れるか?』
「はぁ!?」
『なに言い出すんですか!?』
俺の奇声に、驚いたような古泉の声が重なる。
『いや、そっくり同じなら、こっちの古泉と見比べてみればどこを好きになったのか分かるかも知れないだろ?』
それには一理あるが……。
「迷惑だろ?」
『いいって。実際別の古泉を見てもキョどるようなら、逆に止めた方がいい気がするからな。それに、けしかけた分責任もあるってもんだろ? ――お前もいいよな?』
聞かれた側の古泉は、諦観の滲む声で、
『ええ、いいですよ』
『というわけだから、来いよ』
「…分かった。ちょっと待っててくれ。少ししたらそっちに行く」
通話を切った俺は部屋を出て、こそこそと台所に下りると、来客用の菓子箱から小さめの箱に入ったクッキーを引っ張り出し、部屋に戻った。
こんな時間に手土産もなしに訪問するのは流石にまずいだろうと思ってのことだ。
それから、大事にしまってあったコショーを取り出すと、いつものように鼻先でふるった。
むず痒さを限界まで我慢した後くしゃみを放てば、いつまで経っても慣れやしねぇ強烈な目眩に襲われる。
それでもなんとか床に倒れこんだりすることもなく、キョンの目の前に到着出来たらしい。
キョンが、
「大丈夫か?」
と聞いてくるのへ、
「おう」
と短く返してから、すとんと床に座った。
落ち着くのを待って目を開けると、どうやらいなくなっていたらしい古泉がコーヒーカップの載ったトレイを手に戻ってきたところだった。
「いらっしゃいませ」
と一応愛想笑いなんぞを浮かべつつ、トレイごと俺の目の前に置く。
よく見たら、古泉の髪は湿っているし、キョンはキョンで湿ったタオルを肩に載せているものの、髪はすっかり乾いた様子だった。
……なんというか、本当に最悪なタイミングで電話しちまったらしいな、俺は。
「あー…こんな時間に邪魔してすまん」
目をそらしながら言って、掴んできたクッキーを差し出す俺に、古泉は苦笑して、
「いえ、構いませんよ。…この人のわがままに振り回されるのには慣れてますから」
「そんなことより、」
とベッドの上から身を乗り出してきたのはキョンだ。
「どうだ? こいつを見て何かおかしくなったりするか?」
こいつ、と古泉の頭を引っ掴み、強引に俺の方に突き出してくる。
古泉は抵抗一つしないが、痛くないのか?
それとも慣れてるんだろうか、こういう扱いに。
俺はじっと古泉を見つめたが、動悸も息切れも何も起こらない。
「…いや。ただ、扱いが可哀想だなと思いはするが……」
「扱いはこんなもんでいいだろ」
吐き捨てるように言ったキョンは、古泉を解放しておいて、
「本当に、どうともならないんだな?」
「ああ。…なんでだろうな」
少なくとも顔の造作は全く同じだってのに。
今も、対外仕様の作り笑顔のせいか、見分けがつかないと言っても過言ではないくらいだ。
それなのに、俺はなにも感じない。
こいつが俺のよく知る古泉とは違うと分かっているからというだけの理由なんだろうか。
「こいつがお前に惚れてますって顔してないからじゃないのか?」
そうか?
「だから、こいつが顔を赤くするかどうかしたら違うとか…」
「頼まれたって無理ですよ、そんなの」
呆れたように言いながら古泉はコーヒーを一口すすり、
「僕はあなたに夢中なんですからね」
と恥ずかしげもなく言ったのだが、キョンの方が一枚上手だった。
ジトッと責めるような目つきで古泉を睨み、
「…前に俺とジョンを見間違えたくせに……」
「ごっ、ごめんなさい…っ」
弱ぇ。
弱すぎるだろ、学ラン古泉。
それともキョンが強いのか?
前のように平謝り状態の古泉を見ていると、ひとつ、分かった。
こいつの見せる情けない顔より、あいつの、ちょっと余裕ぶってるような顔の方が好きなのかもしれん、と。
そんなことを呟いた俺を、キョンはまじまじと見つめた後、
「……お前、マゾ?」
「違う!」
ただ、あいつの場合はぐじぐじしているより余裕ぶってられる時の方がずっと幸せそうで、見てて気分がいいんだ。
…こっちの古泉の場合は、平謝りしてようが酷いことを言われていようがそこそこ幸せそうに見えるから、そんな風に思わないんだが。
「だったら、大事にしてやれよ」
というのが、キョンのアドバイスだった。
「あっちはお前が好きで、付き合って欲しいって思ってるんだろ? だったら、付き合って、大事にしてやったら、余裕ぶった顔くらいいくらだってするだろ。多分、こいつと同じで、簡単に付け上がるだろうしな。ただし、甘やかしすぎて付け上がらせるなよ。絶対うざいから」
あまりの言いように、俺は思わず、
「古泉、これは流石に酷くないか?」
と言うかお前ら、本当に恋人同士なのか?
「大丈夫です。ただの人前仕様のツンですから。むしろ、デレに見えます」
自信たっぷりに言い放つ古泉には、
「……お大事にな」
と言うしかない。
勿論、頭的な意味で。
「っ、誰がデレてるか!!」
そう叫んだキョンが赤くなっていたということは、古泉の発言も案外あばたもえくぼなんて精神状態のせいじゃないのかもしれないのだが、叫ぶついでに蹴り飛ばされているのを見ると、本当にそれでいいのかと聞きたくなる。
しかし…まあ、愛の形というのは人それぞれだろうし、別の世界の俺とはいえ一応別個の人間なんだから、余計なことを言うのは止めておこう。
…むしろ、見なかったことにしてやりたい。
うっすらと、とはいえ、顔面に足形のついた古泉の面なんてのは特に。
「それじゃあ、俺は帰ることにするから」
と言った俺に、ぐにぐにと古泉を踏みつけていたキョンが、
「ああ、また来いよ。心配とか不安なんかがあるなら、いつでもメールなり電話なりしてくれ。俺でよければ相談くらい、いくらでも乗ってやる」
「ああ、その時は頼む」
「それから、今度こそハルヒに会ってやれる時に来いよ。俺ばっかり会ってるって知られたらそれこそ八つ裂きにでもされかねんからな」
「分かった」
と笑い返しながら、俺は床に転がされている古泉になんとか目をやり、
「…邪魔したな」
とだけ声をかけ、コショーを使って帰還を果たした。
自分のベッドに戻った俺は、しばらく悩んだ後、バクバクとやけに大きな音を立てる心臓を片手で押さえつつ、片手で携帯を操作した。
電話を掛ける相手は、勿論自分の世界の古泉に決まっている。
数コールで出た古泉に、
「俺だ。…夜遅くに悪いな」
『いえ。どうかしましたか? また何かありました?』
と心配そうな声で聞いてきたのは、俺が普段ハルヒ絡みで何かあった時くらいにしか古泉に連絡を取ろうとしないからだろう。
俺は苦笑しながら、上擦りそうになる声をなんとか落ち着かせて、
「…声が、聞きたくなったんだ」
と告げた。
一瞬の間の後、古泉がかすかに笑い声を立てるのが聞こえてきた。
『嬉しいことを言ってくださいますね。一体どうなさったんですか?』
「理由がいるか?」
『出来ればお聞かせ願いたいですね。あなたがそんなことを言ってくださるとは思ってもみませんでしたから』
「……す、好きな奴に電話して、声を聞きたいと思っただけだってのに、わざわざ説明が必要なのかよ」
口ごもりながらもそう言えば、古泉が息を呑むのが聞こえた。
『好きな…って……』
「お前以外にいないだろうが!」
僕ですか、なんて確認してくるなよ!?
『え、ええ、僕に掛けてくださったということはそう、なんですよね…』
まだ驚き戸惑っているような調子で古泉は言ったが、すぐに柔らかな笑い声が俺の鼓膜をくすぐった。
それだけで、心臓が弾む。
どうしようもなく、ドキドキして、顔が熱くなる。
電話越しだってのになんだこの威力は。
『嬉しいです。冗談とかじゃなく、僕のことを好きだと言ってくださるんですね?』
「ん…。好き…だぞ……」
カッカしてくる顔を片手で扇ぎながら言うと、
『僕もです。あなたが好きですよ。……ふふ、いけませんね。にやけすぎて締りのない顔になってしまってますよ』
「…見たいな、それ」
『はい?』
「……お前のそんな顔を見てやりたいって言ったんだ」
見なくても、幸せにとろけきったような声のせいで、なんとなく予想はつくんだがな。
『…もう、本当にどうしたんです? あんまり喜ばせないでくださいよ。これが現実なのか、それともいつの間にか眠ってしまって、夢を見始めているのか、分からなくなってくるじゃないですか』
「ばか。素直に喜んでろよ」
『せめて、理由を聞かせてくださいよ。さっきはああ仰られましたけど、実際、あなたは理由もなくこんなことを言い出すような人ではないでしょう?』
「さあな。……理由があるとしたら、そうだな…。……お前の、その幸せそうな声が、聞きたかったのかもな」
と返してやった。