えてして、諫言に耳を傾けることは難しいことである。 しかし、だからこそ必要なことであるとも言える。 良薬口に苦し、だ。 とはいえ、だからと言って、自分に無情に言い聞かせたところで簡単に納得できるかと言うとそうでもなく、余計にどつぼにはまるだけになるのがオチな訳だ。 どうせならこのままほとぼりが冷めるのを待ちたいなどと主張するヘタレな部分があったとしてもむしろ当然と言うものだろう。 だが、それ以上に閉塞感すら感じさせる現状を何とかしたいとも思っていた。 ゆえに、俺は決断する。 古泉にちゃんと話をしようと。 なんと言っても、古泉は唯一の、同性の団員である。 そんな奴にどうして好かれちまったのかなんてことは横に置いておくとしても、貴重な仲間であり同志であることに変わりはない。 実際、何かあった時、どうしても助けを求めなければならないとしたら長門か古泉になるんだからな。 今のこの状態で何か余計な介入だのハルヒの思いつきだのがあった時にはどうなるかも分からん。 極力長門には頼らないでおきたいという考えも、俺はいまだに保持しているからな。 となると、さっさと正直に話して、問題を解決した方がいいに決まっている。 自分を何とか説得し、奮い立たせ、逃げられないほど追い詰めた上で、俺はやっと動いた。 突然俺に呼び出された古泉は、戸惑いも何も表情に出さず、出会った頃の長門以上の無表情を装って屋上に現れた。 どうして屋上に呼び出したかと言うと、そこがもっとも適切な場所に思えたからだ。 部室ではハルヒたちもいるし、だからと言ってどこか物陰と言うのも誰に聞かれるか分からなくて困る。 そこで、見晴らしがよく、誰かが来ればすぐに分かる場所である屋上を選んだわけだ。 …野郎が二人して屋上で話し込んでいる姿を他の校舎辺りから見られた場合、一体どのような誤解を招く可能性があるのかということについては、あえて見ないフリをしておきたい。 「あなたが僕を呼び出すなんて珍しいですね。一体何の御用でしょうか」 わざとらしさの付きまとう冷たい声音で古泉は言った。 おそらくという表現も要らないくらい、それが虚勢を張っているだけに過ぎないのだと分かった。 何故分かるかは、これまでの付き合い及びことの経緯のせいだと言っておこう。 長門の表情すら読めるようになった俺には、古泉のポーカーフェイスくらい、どうってことはないのさ。 とはいえ、いつも以上に読めないところのある表情に、ズキズキと良心が痛んだ。 ここしばらく、もっと穏やかな表情を浮かべられるようになっていたはずのこいつに、こんな顔をさせるようになっちまったのも俺なんだと思うと、胸が痛む。 「話がある」 俺が言うと、古泉は無感情な笑みを見せ、 「二人きりで話すようなことですか。全く想像がつきませんね」 「いいから聞け。ある意味じゃハルヒ絡みの話だ。お前をいつまでも蚊帳の外に置いておく訳にも行かんだろ」 「……どう言う意味でしょうか」 ここに来てやっと古泉の顔に怪訝そうな色が滲んだ。 それでもまだ、表情の変化と言うには浅く薄い。 どれだけこいつは傷つき、また怒っているのだろうかと思うと気が滅入る。 本当に、話し合っただけで修復出来るんだろうかと。 出来ないとしたら、俺はおそらく自分の失言をこの上なく呪うに違いない。 そう思うくらいには、古泉と過ごす穏やかな放課後というものも、俺は気に入っていたようだ。 「この前、長門と話してたことでもあるんだが、長い話になる。頼むから、最後まで大人しく聞いてくれ」 「……いいでしょう」 忍耐の文字が見えそうな声で古泉は言った。 仕事だから、とでも言い聞かせているんだろうか。 「で、一体何です?」 まとめて簡潔に話すというのは苦手なんだが、試みる他あるまい。 「ハルヒのおかげで、俺が過去に行かされたりしてるのは、お前も知ってるだろ? 朝比奈さんが使う、TPDDの話もしたよな?」 「え? …ええ、確かにそんな話もされましたね」 戸惑いながら古泉が頷くのを確かめて、俺は話を続ける。 「それを何度も体験したのに加えて、ハルヒがどうやら余計なことを望んでくれたらしくてな。……少し前から――そうだな、まだ一ヶ月も経ってないよな? お前が俺と長門の話を立ち聞きしていた日の前日以来だから――、俺の中にはTPDD’なんつう代物があるんだ」 「…それは…どういうことですか?」 困惑を露わにする古泉に、内心でガッツポーズなんぞしつつ、 「俺が他の世界だの別の時間平面だのに移動できるようになったってことだ」 つうことだから、機関のデータも「ただの一般人」から修正しといてくれ、なんつう俺の戯言も聞かず、 「なっ…!?」 と絶句した表情は、驚きと言う他ないものであり、それこそ珍しい代物だった。 「きっかけになる発動条件がくしゃみってのがどうにもしまらないんだがな。他の世界、なかったことになったあの十二月の三日間がそのまま続いてる世界には2回ばかり行った。未来にも一度。この前部室で食ったクッキーは未来の俺が土産にと言って持たせたものだったんだ」 「それで、あなたの体には何か悪影響は出てないんですか?」 心配そうに言う古泉に俺は笑って、 「今のところはな。ただ、他の世界だの時間だのに跳ぶだけで恐ろしく疲労するだけで。その辺は長門の折り紙つきだ」 「そう…ですか……」 ほっとしたように呟いた古泉に、俺は苦笑しながら説明を続ける。 「それでだ。他の世界の、お前とハルヒが共学の光陽園に通ってたり、長門も朝比奈さんも皆含めてただの高校生だったりするような世界に行った時、前はいなかった向こうの世界の俺ってのがいてな、」 その辺の理屈は何なら今度電話を掛けてやるから向こうの古泉に聞いてくれ。 「その俺と、向こうの古泉が……その、付き合ってるんだよ」 「……え」 ぽかんとした顔をした古泉に、すまんと思いながら、 「当然向こうの俺も男ではあるんだが、そういうことになっててな。向こうの俺にべた惚れの向こうの古泉を見て、それでつい、お前にまであんなことを言っちまったんだよ。だから、……その、なんだ。俺がお前の好意に気付いてたと思ったとしたら、それは誤解だ。お前の隠し方は驚くほど巧妙だったし、俺は呆れられるほど鈍感だった。すまん。安心してくれ…ってのは変だよな? とにかく、俺の話は以上だ。何か言いたいことがあるなら、何でもいいから言ってくれ」 「…と、言いますか……」 まだ呆然とした風の古泉はそれでも俺をじっと見つめると、 「…どうして、そんな大変なことになっていたのに、何も話してくれなかったんですか? 僕はそんなに、頼りになりませんか? それとも、僕には話すべきではないとでも?」 「違う。俺だって、すぐに話そうと思ったとも。だが、話そうとしたのに逃げ出したのはお前の方だろ? 俺はあの日、お前にも説明するつもりでいたんだぞ」 「あ、あなたがあんなことを言ったのがいけないんでしょう…!?」 真っ赤になってそう言った古泉に、俺は肩を竦める。 「だから、それは悪かったと思ってるし、俺なりに反省もしてるんだから、そう責めるな。……で、お前はどうしたい?」 自分の顔まで赤くなってきているのを感じつつ、俺は聞いた。 「どうって……」 質問の意図が理解出来ないとでも言うように古泉は俺を見たが、これくらいのことが分からないお前じゃないだろう? 「過程はどうあれ、俺はお前が俺のことをどう思ってくれてるのか知っちまった。その上で聞いてるんだ。まともにやり直したいか? それとも、そのまま俺の返事が欲しいか? なかったことにしたいか?」 俺はどれでもいい、と言うよりむしろいっそなかったことにしてもらいたかった。 それくらい、友人としての古泉との時間は楽しかったのだ。 戻れるならその時に戻りたい。 だが、実際には戻れやしないということくらい、俺にもよく分かっていた。 だから、古泉がどれを選んでも、俺は反発せず、正直に答えよう。 古泉も悩んでいるようだった。 たっぷり考え込んだ挙句、自嘲するような笑みを浮かべ、 「…本当は、なかったことにしてもらうべきなんでしょうね。僕の立場とあなたの役割を考えれば、そうでならなければならない、と言っても過言ではないでしょう。でも……僕も、限界なんです」 悲しげな笑みのまま、古泉は言葉を連ねる。 「あなたに知られてしまったと思って、僕が真っ先に感じたのは、嬉しさだったんですよ。あなたが気味悪がりもせず、あんな笑顔で言うから、どうしたらいいのか分からなくなって、笑って誤魔化すことも出来なくなってしまって。逃げ出した後は更に困りましたよ。あなたの顔もまともに見ていられなくなってしまったんですからね。でも……だからこそ余計に、自分がどれだけの思いを抱えているか、自覚出来たんです。……やり直させて、もらえますか?」 「…ああ」 頷いた俺を前に、古泉は真剣な表情を見せた。 これまでにないくらい、本気の顔だ。 そのまま深呼吸を何度かして、心を落ち着かせている仕草が、どうにも普通の高校生らしくて、不思議な気分にすらなった。 その目が真っ直ぐに俺を見つめる。 逃げ出したり、誤魔化したりすることは許さないとばかりに。 実際の古泉の心情からすれば、おそらく、懇願にも似た気持ちなんだろうな。 その形のいい唇が開かれ、 「……あなたが好きです」 と告げられた。 改めて本人の口からはっきりと言われると、その言葉は酷い破壊力を伴っているように思われた。 なんというか、これまで想像していたようなもんじゃない。 あるいはそれは、こっちが恥かしくなるほど、古泉の視線が真っ直ぐ過ぎるせいなのかも知れないが。 それが真剣であればあるほど、俺も真剣に答えなければならないことは言うまでもない。 しかし、それには判断材料が少なすぎた。 だから俺はすぐには答えず、 「理由とか、聞いてもいいか? いつから好きだったのかとかも」 「…いいですよ。うまく話せる自信はありませんが」 困ったような顔をしながらも古泉はそう言い、 「…夏休みが終る頃から、ふと気がつくとあなたのことばかり目で追うようになっていたんです。繰り返された二週間の間になんらかの蓄積があったせいではないかと勘繰っているのですが、それは置いておきましょう。あなたが気になり始めたのはそのせいだということだけ分かっていただければ結構です。それからも色々ありましたが、その度にあなたの僕に対する態度も少しずつ変わって行きましたね」 思い出話をするような調子で、古泉は穏やかに話す。 酷く愛しげに、壊れ物でも扱うように、そっと。 「先ほどあなたも仰っていた、十二月の三日間、僕にとってのそれとあなたにとってのそれは違いますが、あの後、あなたがより優しくなったことに変わりはありません。…優しくされたから、あなたを好きになってしまった。単純に言ってしまえば、そういうことなのかもしれません。でも、他の誰でもなくあなただったのはやはり、あなたが、僕をただの一般人であるかのように扱ってくれたからだと思います」 「そうか?」 「そうですよ。勿論、超能力者であることを言ってくる時もありましたけどね。普段はこちらが拍子抜けしてしまうほど、普通に接してくれたでしょう? そのことが、何よりも嬉しかったんです。まるで、僕もただの一般人であって、世界の命運だとか閉鎖空間だとかそんなものは何も知らないでいられる気がして」 「普段は気にする必要もないからだろ。お前も、気にしてるように見えなかったし」 「そうですか? だとしたら、それもあなたのおかげでしょうね。…あなたがそんな人だから、僕はあなたが好きになったんです」 古泉の話を聞きながら俺が思ったのは、やっぱり似てるんだと言うことだった。 あの世界の古泉と同じだ。 置かれた状況は多少違えど、根っこは変わらない。 周囲に形作られたキャラクターと、その下に隠された本当の自分のギャップに苦しみながら、ひとりになってもそれを出せず、そのくせ、誰かに本当の自分を認めてもらいたくて仕方がないとでも言うような、どこか危なっかしいほどの弱さを持っているのだろう。 そのことに俺は何故か安堵していた。 同時に、それを支えられるものならそうしたいと思った。 仕方ないだろ? 頼られると弱いんだ。 俺がずっと黙って考え込んでいたからだろう。 最初は穏やかに微笑んでいたはずの古泉の表情が徐々に歪み、不安そうなものへと変わり、やがて泣き出しそうなほどに歪んでしまった。 「すみません……やっぱり、ご迷惑ですよね…」 目を潤ませる古泉に、自然と笑みが浮かんでいた。 泣かせたくない。 だからと言って作り笑いやポーカーフェイスなんか見たくもない。 ただ、心から笑っていてもらいたい。 作り物でなく、本当に。 「…俺がそんな風に思うのは、なんでだ?」 俺がそう聞くと、古泉は困ったように顔を赤らめ、 「どうして僕に聞くんです?」 と問い返してきた。 「俺には分からんからだ」 と俺は嘘を吐く。 本当はどうしてなのかくらい、知っているとも。 ただ、古泉に選ばせたかった。 それは俺が選択権を放棄すると言うことではなく、改めて確かめたかったからに過ぎない。 本当に俺でいいのか、と。 俺は何の取柄もない。 妙な力を持っちまったものの、それだって取柄とは言い難いものだ。 古泉が俺を好きになった理由だって、たまたま俺であっただけで、同じようなきっかけさえあれば俺ではないほかの誰かでもよかったんじゃないかと思うようなものだ。 それでも、いいのかと聞きたかった。 「分からんから、お前の好きに解釈してくれ」 俺が言うと、古泉は更に顔を赤くしながらおどおどと、 「い、いいん、ですか? 僕に聞いたりして。自分勝手なことを言ってしまいますよ? 格好なんてつけていられないくらい、僕はあなたが好きなんです」 「好きにしていいから、焦らさずに教えてくれ」 「……あなたも、僕のことを…好きだから、では、ないかと思います…」 嬉しそうに笑った真っ赤な顔に、俺も釣られるようにして笑った。 「お前がそう言うなら、そうなんだろう」 「…っ、好きです。…あなたが好きなんです」 繰り返される言葉と共に、ふわりと抱きしめられる。 鼓動が強まり、早くなる。 浮ついたような感覚が訪れる。 「……待て。なんか変だろ。なんでいきなりこんな……」 かっと赤くなる俺に、古泉は戸惑いの目を向ける。 「あの…? どうされたんですか?」 「待て、落ち着く時間をくれ」 見つめられるだけでどうにかなりそうだ。 恥かしい。 体温が急上昇する。 何だこれは。 訳が分からん。 さっきまでは全然平気だったはずだってのに、かすかに匂う古泉の甘い香りにすら顔が熱くなり、心臓が落ち着かなくなる。 本当に、何だこれは。 「…いいですよ。いくらでも、待ちます」 さっきまでとは打って変わって、妙に余裕を持った笑みを湛えた古泉に、 「意識してくださってありがとうございます」 と囁かれ、くらりと目眩がした。 それだけで他の世界にだって跳べそうなほどの目眩だ。 いっそこのまま他の世界にでも時間にでも逃げさせてくれ。 そう願ったってのに、残念ながら俺はどこにも跳べず、つまりは古泉に抱きしめられたままその場にへたり込む破目になったのだった。 |