たとえ未来が分かっても、



たとえ未来が分かっても、どうしようもないことってのはあるだろう。
人間いつかは死ぬものだと分かっているが、どうしようもなく死んでいくのと同じようなもんだ。
だが、もうすぐ死ぬと分かっているからこそ、がむしゃらになってやれることもあるらしい。
だから俺は、未来を知ることに大した意味はないと思う。
占いと同じようなもんだ。
それこそ、宝くじの当選番号みたいなギャンブル関係以外はな。
でもって俺は、今のところギャンブルに手を出す予定はない。
日常が既にいつ爆発するか分からんロシアンルーレットみたいな状態なんだ。
今更金を出してまでスリルも刺激も求めたくない。
同じように、過去に手出しすることも俺はおそらくしないだろう。
反省すると言う意味でない限り、過ぎ去ったことを無意味なまでに悔やんだりするのは愚の骨頂だ。
過去に戻って忠告なり強引な改変なりをしたところで、待っているのは帰る先がないという状態じゃないかと言う疑惑も沸き上がってきているしな。
悔やみすぎてる時間があるなら、現状をなんとかしろと言うべきだろう。
……これに行動が伴えば、言うことなしなんだろうが。


学生という職業柄、見たくなくても渡され、書くことを強要される用紙がある。
進路希望調査である。
まだ２年の一学期だと言っても仕方ないんだろう。
むしろ、早いやつはもっと前から志望先を決めていて、勉強なんかも始めてるらしいからな。
俺はのんびり構えすぎている方に分類されるに違いない。
だが、どうしたって決め難いんだから仕方ないだろう。
あくまでこういう時に限っての話ではあるのだが、いつも後ろの席に座るやつのように、でっかく馬鹿げたことを書いて提出出来るだけの度胸が欲しくなるね。
というか、俺は目下のところこんなもんに頭を悩ませているような余裕はないのだ。
更に身近かつ重大な懸案事項が目の前にぶら下がったまま、近づきも遠のきもしないでいるおかげでな。
その懸案事項の原因であるところの古泉は、なんと書いて提出したんだろうな。
ハルヒに進路を合わせそうではあるのだが、ハルヒが書いた内容からすると、そんなものは古泉一樹のキャラクターからして書けんだろう。
俺だって精神科への受診を進められるか鼻で笑われるかというような内容で提出なんかしたくない。
となると、キャラに合わせて、どこか有望な大学への進学希望ってところかね。
頭の出来のいいやつは選択肢が広くて羨ましい。
しかも、そんなやつが俺の進路希望調査用紙への記入を妨げていると思うと余計に腹が立ってくるのだが、俺の自業自得と言える部分も大きいのでこれ以上はやめておこう。
逆恨みと言われそうだしな。
「将来の夢も何もないんだがな……」
ぽつりと呟いた時だ。
鼻が猛烈にむず痒くなってきた。
これはやばい。
くしゃみが出る。
堪えきれないがそれならば、他の世界だのなんだのを考えなければいいんだろうか。
戸惑っている間にくしゃみが出て、そして俺は数日振りの目眩に襲われた。
気持ち悪。
目を開ければおそらく自分の部屋ではなくなっているんだろうなと思いながら、硬く目を瞑ってからどれくらい経った時だろう。
「大丈夫か？」
と聞き覚えのある声を掛けられたが、まだ目が開けられん。
まだ世界がぐるぐる回っている気がする。
いっそエチケット袋を携帯するべきだろうか。
「吐くなら洗面器くらい貸してやるが、いるか？」
親切にありがとよ。
だが、要らん。
無理矢理ながら薄く目を開けた俺は、思い切り目を見開く破目になった。
目の前でいくらか心配そうな、だがそれ以上に面白がっているような顔をしている男に、嫌というほど見覚えがあったからだ。
多少、違ってはいる。
背だって違う。
顔つきや雰囲気も違う。
だが、間違いない。
これは――俺だ。
「よく来たな。……もしかして、まだ跳躍に慣れてないのか？」
そう言いながら手を差し出してきたそいつは、手慣れた様子で俺を助け起こすと、すぐ近くにあったソファに座らせた。
「調子が悪いならもう少し横になってた方が楽になるぞ」
と言いながら、自分はお茶でも淹れてくれるつもりらしい。
ポットからお湯を注ぐ音が聞こえてきた。
「ここは……」
見渡した室内に見覚えはない。
真新しいとまではいかないものの、それなりに新しく、小奇麗な部屋の様子からしてどうやらマンションの一室らしい。
広々としたリビングの雰囲気は世帯用に思える。
少なくとも単身者用ではないだろう。
「俺の部屋だ。お前はいつから来たんだ？」
「いつから…って……」
ＴＰＤＤと同じように時間跳躍も出来たのか。
「まだそれも知らないのか？」
そう笑ったそいつがテーブルの上に湯飲みを置き、俺の隣りに腰を下ろした。
「てことは、高２の５月からってところだな」
「そう…だが……」
「今は、それから３年ばかり過ぎた７月だ。よく来たな、ジョン」
にやっと笑ってそいつは歓迎するような言葉を繰り返した。
「なんで未来に…？」
戸惑っている俺に、
「偶発的に来ちまったみたいだし、５月ならあれだろ。進路希望調査。将来がどうのとか考えてたんじゃないのか？」
「あー……」
それはそうなんだが、それだけで来ちまったのか。
やっぱりくしゃみが発動条件じゃ抑えるのが難しいな。
「ま、俺も暇を持て余してるところだったから、なんならゆっくりしてけよ」
「ゆっくりって…」
おいおい、余裕過ぎないか？
「それにしても懐かしいな。進路なんかで人並みに悩んだりしたんだな、俺も」
人の話を聞けよ。
しかし、俺以上にハルヒとの付き合いが長いからとでも言うのか、そいつはろくに話も聞きやしねえ。
「考えてみれば、今となってはお笑い種にもならんようなことで悩んだりもしたか」
「…お前は随分気楽そうだな」
皮肉っぽく言ったつもりだったのだが、そいつは軽く笑った。
……その笑い方からして、どこかで見たような笑みだったが、どこで見たのかは思い出せなかった。
「人間満たされてるとこんなもんなんだよ」
「満たされて？」
それを言うなら俺だって十分満たされてるとは思うが。
「そのうち分かるだろ。俺はお前なんだから」
それより、とそいつはずいっと顔を近づけてくると、
「お前、進路より悩むべきことがあるんじゃないのか？」
「い゛っ！？」
「たとえば、――古泉のこととかな」
にんまりと笑ったそいつは非常に楽しげだったが、
「要するに、まだ覚えてるくらい悩んだのか」
「可愛くない反応だな。俺だから仕方ないといえば仕方ないんだが」
つまらなさそうに言ったそいつに、
「あんたは全部知ってるんだろ？」
「知ってるが、それがどうした？」
「どうしたって……」
「俺は知ってる。それは確かだ。だが、それをお前が聞いてなんになるって言うんだ？　聞いたって仕方ないだろ。言われた通りにするとでも言うのか？　俺が本当のことを言うって保証もないってのに。それに、言われた通りにするにせよ、それに反発するにせよ、それじゃお前が悩む意味がないってもんだろ」
そう薫陶染みたことを垂れたそいつだったが、ややあって苦笑したかと思うと、
「…とはいえ、何を聞かされようが結局そんなものとは無関係に悩むのが俺なんだろうが」
と言った。
「んで？　聞きたいのか？」
「…要らん。そこまで言われて聞きたがる奴がいるか？」
唸るように言った俺に、そいつはなんだか知らんがにやにやと笑っていた。
「なんにせよ、今の俺を見れば将来への不安なんてなくなるだろ？　古泉のことにしても、進路のことにしてもな」
それだけは確かだと思った。
今の俺より３割は緩んだ顔をしてるからな。
「ああ、今のお前より多少太ったかもな。同居人がせっせと手料理を振舞ってくれるから」
そうかい。
なんかもう無駄に疲れた気がするんで帰らせてもらえるか？
「なんだ、もう帰るのか？」
何が残念なんだか、不満そうに言ったそいつは、
「せめて茶くらい飲み干せ」
と言い置いてソファから立ち上がった。
言われるまま大人しく湯飲みに口をつけ、ずーっと茶をすすりつつ横目でうかがっていると、そいつは食器棚を開けると、中から円筒形の缶をふたつ取り出した。
よく、土産物とかであるだろ？
キャンディーとかクッキーが詰めてあるような、缶が。
あんなのだと思ってもらえたらいい。
茶筒よりは二回りは大きい円柱形の缶を二つ携えて戻ってきたそいつは、それを俺の目の前に持ってきた。
「ん」
「んって……」
「土産だ。ひとつは長門にやってくれ。もうひとつはお前にやる。古泉にやってもいいけどな」
「いいのか？」
「おう。ちなみに、中身は俺の嫁の手作りクッキーだから、よく味わって食うように」
「…嫁って…お前、まだ学生なんだろ？　なのにもう結婚してんのか？」
「いや？　結婚はしてないが……。一緒に住んで、一日三食作ってくれるようなやつなら、嫁って呼んでいいと思わないか？」
二次元に向かって叫ぶよりはマシかもしれんが…。
「缶が空になった頃に回収に行くからな」
「――って、まだ出来るのか！？」
「そりゃ、まだＴＰＤＤ’を持ってるからな」
事も無げに言ったそいつに、
「ＴＰＤＤ’？」
と聞き返すと、
「仮称だ。つっても、正式名称はいまだに決めてないし、決める必要もないと思ってるんだがな。というか、これもこの時聞いたんだったか？」
なんて首を捻っていたが、
「…これくらいなら話してもいいだろうな」
と独り言みたく呟いて、
「こいつはお前が今使ってるのとは少しばかり変わってる。長門にそうしてもらったんじゃなく、自然にそうなったんだが、おかげで使いやすくなったから、気ままに使わせてもらってる。今のところ、なくなる見込みもないが害が出た覚えもないな。あくまで今のところだし、もしかすると俺の記憶から消え失せてるだけで、軽い害が出たことくらいあるのかも知れんが」
軽くそう言ったそいつは、意地の悪い笑みを見せ、
「ただし、使いすぎて酔うと死んだ方がマシって言うくらいの酷い目に遭うから気をつけろよ？」
…そうかい、最後の一言だけ肝に銘じておこう。
それから俺は、目の前にコショーを振ってもらい、派手なくしゃみと共に自分のいるべき時間に戻った。
それだけでくたびれたのはやっぱり、俺が慣れていないからなんだろうか。
少なくとも今の状況では、わざわざどこかに行くにしても覚悟がいる。
あんな風に気楽に行くつもりにはなれんな。

翌日、俺が部室に行くとハルヒ以外皆揃っていた。
いつものように挨拶を交わして席につきかけた俺は、カバンの中からクッキーの缶を二つ取り出した。
そのうちひとつを、
「朝比奈さん、これ、今日のお茶菓子に使ってください」
「え？　いいんですか？」
嬉しそうに言った朝比奈さんに、
「ええ。もらい物のクッキーなんですが、手作りだとかでひとりで食べるには踏ん切りがつかないので」
「手作り…ですか。キョンくんも隅に置けませんね」
と朝比奈さんは笑って仰ったが、それは誤解ですよ。
「ただの知人にもらっただけのクッキーです」
「はい、分かりました」
くすくすと楽しそうに笑う朝比奈さんに苦笑しつつ、俺はもうひとつの缶を持って長門に近づくと、その頭の上に缶を乗っけてやった。
「長門、」
土産だ、とは言わなくても通じるだろうと思っていると、案の定長門はかすかに頷いた。
缶が頭から落ちてこないんだから、どれくらいかすかな頷きなのかと言う話だが、見慣れてしまうとどうとも思わんな。
缶を乗せたまま読書を続ける長門はその後やってきたハルヒのお気に召すものだったらしく、その日の下校時まで、長門はずっとそうしていた。
古泉は紅茶とセットにして配られたクッキーをなにやら怪訝そうに見つめていた。
何がどう気になるんだろうな。
それを一口かじった古泉の眉が寄る。
まずかったのか、と思いつつ俺もかじるが、それはまずいというよりむしろうまいものだった。
「気に食わないのか？」
俺がそう聞くと、古泉は一瞬びくりと身動ぎしつつも、
「いえ……覚えのあるクッキーだったので少し驚きまして…」
「覚えが？」
つっても、手作りだろ、これ。
「ええ。ですからそんなはずはないのですが……」
「どう覚えがあるんだ？」
俺がそんな風に首を突っ込むようにして聞いたのは、これをきっかけに古泉とのぎこちなさがなんとか緩和されないかと言う期待を抱いての行動だった。
あわよくば、そのままうやむやにしてしまえと、少々小ずるくも思っていたのだが、しかし古泉はふいっと視線をそらすと、
「…あなたには、関係ないでしょう」
と俺を傷つけるような言葉をあえて選びつつも、むしろ自分が気に入ったような顔をして呟いた。
やれやれ、そう簡単には行かんということか。
ため息を吐きながら俺はもう一口クッキーをかじる。
何故だか優しく感じるような味わいが広がった。