なんで僕が…と何度ため息を吐いても仕方ないんだろう。 あの無茶苦茶な会議の後、あれこれ打ち合わせという名の口裏合わせを行わされ、なんだかよく分からないままに計画の実行班に加えられてしまった。 どうして、なんて言うだけ無駄だ。 あの涼宮ハルヒに目をつけられた時点で逃れようなどなくなってたに違いない。 いつか絶対に雪辱を果たし、あのにっくき涼宮ハルヒにぎゃふんと言わせてやる、と誓いながら、僕は文芸部室のドアを叩いた。 「どうぞー」 とやる気のない返事が返ってきたのを確かめて、 「お邪魔するよ」 とドアを開けると、打ち合わせの通り、そこには長門さんとこの酷い企みの標的である彼だけがいた。 「彼女から話は伝わってるかな?」 僕が聞くと、彼は頷き、 「一応聞いてます。調子の悪いパソコンを見てもらうために運ぶ手伝いが必要なんですよね?」 「ああ。運悪く、他の部員たちはみんな忙しくてね。本当ならとうに引退してるはずの僕が動かなきゃならないんだ」 「大変ですね」 と言いながら、彼は立ち上がり、 「じゃあ長門、荷物のことは頼んだぞ」 長門さんは本を見つめたまま、かすかに頷いたようだった。 彼はそれだけで安心したように小さく笑って僕に向き直り、 「パソコンは部室ですよね?」 「あ、ああ。すまないね」 「いえ、うちの方がよっぽど迷惑を掛けちまってますし」 と苦笑した彼は、 「でも、」 と訝しげに呟き、 「よくうちに声を掛けましたね。てっきり、俺なんかもハルヒの手下と見なされて敬遠されてるもんだとばかり思ってたんですけど」 ぎくりとしたのは事実そうだからだ。 僕自身としては、出来るだけ彼とも近づきたくない。 しかし、既に巻き込まれているのだし、加えて、 「それで言ったら、僕は長門さんを次の部長に是非、なんてことは言わないと思うんだけどね」 「ああ、そういえばそうでしたね」 と笑ったということは、納得してくれたということだろう。 「長門、そっちではどうですか?」 「え? 何も聞いてないのかい?」 「楽しそうにしてることは知ってますけど、詳しくは聞いてませんね」 「気になるかい?」 「そりゃあ、まあ」 と言った顔は、なんだろうか、妹を案じる兄のような感じだ。 微笑ましいなぁ。 「多分、楽しんでくれてるんだと思うよ。うちの部員達も頼りにさせてもらってるし」 「ちゃんとコミュニケーションはとれてますか?」 「うん、うちの連中も女の子に免疫のないのが多いなりに頑張ってるよ」 「いや…そっちの心配じゃなかったんですが……」 「うん?」 どういう意味だろう、と首を傾げる僕に、彼は苦笑を返して黙った。 なんだろうか、と思いながら、僕は彼を伴って部室に入った。 部員たちにはよく言い含めておいたので、誰も中にはいない。 「これなんだけど、」 と僕が指し示したパソコンに、彼は小さく笑ったけれど、それは不快なものではなかった。 「凄いですね」 「年代物だろ。もう十年は前の機種だからね」 と僕も笑うと、今度こそ彼は遠慮なく満面に笑みを浮かべて、 「本当に。…修理に、ってことはまだ使えるんですよね? 凄いな。俺、パソコンなんてそんなに持たないと思ってたんですけど」 「パソコンだって、使い方次第だよ。うちは特に、メンテナンスにも力を入れてるからね。ただこれはもう、スペックが低すぎてたいした作業は出来ないんだけどね」 それでも取っておきたいし、ただ飾るだけじゃなく使いたいと思うのは、これが創部以来受け継がれてきたものだからだ。 だからと言って、守るように先輩方に言われたというわけでもないし、先輩方も同じだろう。 僕らの後輩はあっさり処分してしまえるかもしれない。 でも僕は捨てたくないし、使い続けたいと思っている。 強い愛着から、そっとその重すぎるディスプレイを撫でると、 「大切なものなんですね」 と言われた。 「優しい顔してますよ」 と言う彼の方がよっぽど優しい顔をしていると思う。 僕は苦笑しながら手を離し、 「さて、それじゃ手伝ってもらおうかな。何しろ古いからね。ブラウン管のおかげでとてつもなく重いから、覚悟してくれよ」 僕の言葉に笑いながら、 「わかりました」 と頷いた彼は、実際よく頑張ってくれたと思う。 勿論、途中交代もしたし、休み休みだったとは言え、部室棟の三階から一階まで重いパソコンを運んで往復してくれたんだから。 「――っあー! 疲れた!」 と言って地面に脚を投げ出すように座り込んでも、彼はどこかさっぱりしたような顔をしていた。 程よく汗もかいて、いい運動になったってところかな。 「お疲れ様」 言いながら、僕はすぐ側の自販機で買ってきたコーヒーを差し出した。 「すみません」 「こっちが苦労をかけさせてるんだから、これくらい当然だよ」 律義だな、とほほえましく思っている僕の前で、コーヒーを一口飲んだ彼は、ぴくっと眉を跳ねさせた。 「あ、気に入らなかったかな? つい、癖で減糖しちゃったんだけど……」 と言い訳しながら、内心では冷や汗をかいている。 何しろそれは、そうした方が彼の好みであるという長門さんの入れ知恵によるものだからだ。 僕もどちらかと言うとここのコーヒーは減糖した方が好みだけど、人に渡すのに聞きもせずそういうことをするのは好きじゃない。 どうなるか、とびくつく僕に、彼は小さく笑って、 「いや、こっちの方が好きです。……甘すぎますよね、ここのコーヒー」 「そうだよね。それがありがたい時もあるんだけど」 「そうなんですか?」 「うん。……徹夜する時とか、ね」 脳を使うから糖分がほしくなると言うか。 「なるほど」 にこにこしている彼に、僕はつい、 「……なんだか、意外だったな」 と呟いていた。 「何がです?」 きょとんとする彼に、しまった、と思いはしてもうまくフォローなんて出来ないので正直に、 「いや…、いつもどちらかと言うと不機嫌な、難しい顔をしてることが多いだろ? 意外と笑ったりするんだなと思って」 「そりゃ、俺がハルヒと一緒にいるところばかり見てるからじゃないですか? 俺は普通に笑ったりしますよ」 「本当に? …この何ヶ月か、前より楽しそうにしているように見えるよ?」 「それは……」 恥ずかしいのか顔を赤くしながら、それでも彼は、 「……実際、楽しいですから」 と答えた。 「でも、ここしばらくはなんだかつまらなさそうだね。何かあったのかな」 何かあったか知ってるなんてものじゃないくせに、そんなことを言うことに少なからず罪悪感を覚えつつも、なんとか指示を完遂しようとそう声を掛けた僕に、彼はちょっと眉を寄せ、肩を落とした。 「ちょっと…」 「…話したいようなら、僕でよければ聞くよ? ……その、噂は聞いてるし」 本当は噂ばかりか、涼宮ハルヒに堂々と聞かされたんだけど。 彼は少し困った顔をしながら、 「それでも、部長さんは気持ち悪いとか思わないんですか?」 と警戒するように問う彼に、 「僕は別にそんなことないと思うけどね」 ほっとしたように、彼から警戒が消える。 僕は小さく笑みを返しつつ、 「それじゃあ、運びながら聞かせてもらえるかな」 とパソコンを積んだ台車を示した。 彼は頷いてコーヒーを飲み干すと、元気よく立ち上がった。 そうして話しはじめると、彼は意外にも饒舌だった。 「古泉がこのところ忙しくて、さっぱり会えてないんですよ。部室にも顔を出さないし、放課後も待ってるって言っても待たせてくれないくらい遅くて。…休み時間に会いに行けたら、とも思うんですけど、流石にそれは恥ずかしいし、そこまでしたら迷惑かとも思って…」 「そんなに忙しくしてるのかい?」 「ええ、生徒会とかに借り出されてるらしくって……」 「ああ、そうか。生徒会役員選挙も近いからね。期待されてるんだ」 「え」 驚く彼に、こっちが驚かされる。 「それくらい考えてたんじゃなかったのかい? この時期にそうやって頼られるってことは、普通はそのまま生徒会役員になるってことだろう? 彼ならまず当選するだろうし、それなら早い内に業務を引き継ぐってことも考えられると思うよ?」 「…そう……なんですかね…」 がっくりと肩を落とす彼に、僕は申し訳ないと思いつつ、自己保身に走らせてもらう。 この時期にあの写真を持ち出されたりしたら受験で不利益を被ることは間違いないから、僕は涼宮ハルヒに逆らえないのであって、君に怨みがあるわけじゃないんだと手を合わせながら、 「そうなったら、彼も今以上に忙しくなるだろうね。…それまでに、慣れておいた方がいいんじゃないのかな」 等と、指示されたように話す。 「慣れる、って……」 「古泉くんがいない状況に」 酷くショックを受けたように彼はめを見開き、それから俯いた。 「やっぱりそうですよね…」 「…ええと、なんだったら、君も長門さんと一緒にうちに遊びに来るかい?」 「…え?」 「暇つぶしにはうってつけだと思うよ。それに、来ない人間をじっと待つのはあまり楽しくないだろ?」 「……そうですね。お邪魔させてもらうかもしれません」 そう言いながら、彼はどこか儚げに笑った。 それでも彼は切り替えがうまいタイプらしく、パソコンショップに入ると、人が変わったように明るく振る舞った。 「せっかくなんで教えてもらえますか」 と言って、色々と質問をしてくれて、こっちは本当に助かった。 沈黙されるのが一番居心地が悪いからね。 それに、彼は話をしていて気持ちのいいタイプなのだ。 こっちの話は当然きちんと聞いてくれるし、質問も的外れなものがないどころか、結構鋭い質問にたじろぎそうになるくらいだ。 そんな調子で、命令されて嫌々ながら過ごしたにしてはとても楽しく過ごしてしまった僕なんだが、帰り際にメールが届いて気分が素晴らしく下降した。 勿論、涼宮ハルヒからのメールである。 どこかで見ているとでも言うのか、もう帰ろうとしていたのを見透かしたように、 『引き止めてお茶でもしなさい』 と非常に簡潔な指示だ。 僕は仕方ないと思いつつ、しかし半分以上は本心で、 「よかったら、何か食べて行かないかい?」 と彼に言った。 「え?」 予想もしてなかったというのか、彼は驚いた顔をした。 「どうやら、今日はパソコンも持って帰れないみたいだし、こんな時間まで付き合わせてしまった上に、これからまた学校に荷物を取りに戻らなければならない破目になってしまっただろ? 申し訳ないから、おごらせてほしいんだ。あんまり持ち合わせもないから、ファーストフードがいいところだけど、それが嫌でなければ」 冗談めかして言った僕に、彼は明るく笑って、 「じゃあ、ありがたく」 と言ってくれた。 一人暮らしだから、誰かと、それも対して親しくもないはずの相手との食事なんて本当に珍しいことで、どうなることかと思ったのだけれど、彼はやはり食事の相手としても過ごしやすい相手だった。 気が利くし、礼儀正しいし、でも堅苦しくなくて聞き上手、と言うと誉め過ぎかもしれないけれど、涼宮ハルヒならうちの団員に対して褒め方が足りないとでも言うだろうか。 そうして、数時間を一緒に過ごして、僕にもなんとなくだけれど、分かった。 地味で没個性的に見えても、彼はとても魅力のある人で、だから多くの人を引き付けられるんだろう。 彼がそれを自覚してないからの魅力であるようにも思える。 でも、それは同時に、無自覚故の危なっかしさがあるということだ。 彼の恋人とやらはおそらく心配でならないんだろうね。 僕としては、それなりに近くてそこそこ遠い、ほどほどの友人にでもなれたらと思うくらいなのだけど。 ともあれ、どうしてあれだけの人が彼を心配し、あるいは興味を持つのかということはよく分かった。 もしかすると、僕のこのポジションさえ羨ましく思うような人がいるのかもしれないってことも。 ただ僕はノーマルだから、どう間違っても、押し倒すようなことにはなってほしくない。 そうなる前に、頼むから誰かあの暴走女を止めてくれ。 |