古泉と俺が付き合っている、というのが校内に浸透したと言うことだろうか。 それとも、あれだけ堂々と付き合っていても――あるいはだからこそ――、本気で付き合っているとは見られず、SOS団の宣伝か何かだとでも思われていたのかね。 最初のうち、冷やかされたりしていたのが落ち着いたと思ったら、おかしなことが俺の身の回りに起き始めていた。 たとえば、登校して靴箱を開けると、えげつなさのあまり例示するのも疎ましくなるような罵詈雑言悪口雑言の数々が書き連ねられた手紙が入っていたりする。 それは靴箱じゃなくて、教室の机の中にある時もあった。 他のパターンとしては、文芸部室からなぜか俺の椅子だけがなくなっていたこともあった。 幸いその時は、気付かれる前に長門が適当に再構成してくれたので誤魔化せたのだが、段々エスカレートしてくる嫌がらせに、俺も限界を感じ始めていた。 といっても、古泉と交際を続けることについての限界じゃない。 この程度の嫌がらせなんかでやめられるほど軽い気持ちじゃないからな。 限界と言うのは、この嫌がらせを古泉から隠しおおせることについてだ。 「別に、言って頼ってもいいんじゃないの?」 とハルヒは言ったが、 「んなことしてみろ。あいつのことだ。自分のせいで嫌がらせに遭うのなら、とかなんとか言って、別れ話を切り出されるに決まってる」 「なったって、説得くらい出来るでしょ。あんたなら」 ああ、それはそうかもな。 だが俺は、 「あいつからの別れ話なんて、たとえ嘘や冗談でも聞きたくない。それを、本気で言われてみろ。説得出来たとしても俺の胸にPTSD並みの傷が残るぞ」 「……あんた、本気で古泉くんが好きよね」 と呆れるのはなんなんだ。 「焚き付けたのはお前だろ」 「それはそうなんだけど、意外だったわ。あんた、本当に恋愛なんて興味ないって顔してたから」 「そうか?」 「そうでしょ」 …さて、どうだろうね? 興味がないと言うか、面倒だと思っていたようには思う。 実際、面倒だ。 何で俺がこんな嫌がらせに遭い、しかもそれをこっそりと証拠隠滅してやらねばならんのだとか思うのも面倒だし、古泉のことを考えてどうしようもなくなっているのをついつい客観視してしまったりなんぞすると、その面倒くさいことこの上ない思考回路に、頭を大口径の銃でぶち抜いてやりたくすらなる。 それでも好きで付き合ってるのが不思議になるくらいだ。 「何言ってんのよ」 呆れ果てた声で言ったハルヒは、 「ほら、惚気はもういいから、とっとと片付けなさいよ。噂になったら元も子もないでしょ」 「そうだったな」 俺とハルヒが二人して何をしているかと言えば、俺の机の上に作られた葬式セット――黒縁の写真立てに入った俺の写真、ユリの花、白いテーブルクロス等、案外金と手間がかかっている――を片付けているところである。 そんな異様なものがあるだけで人目を引くはずなのだが、俺の机の上、ついでに言うとハルヒの前の席の机というだけで、そんなものは些細な日常光景と化してくれるらしい。 ハルヒと一緒に片付ければ、俺たちがまた何か悪戯でもやらかそうとしたと言う風にしか見えないようなのが、いっそありがたいところだ。 しかし、事情が分かる奴には分かるようで、国木田がいつもの柔和な表情を引っ込めて、 「キョン、本当に大丈夫なのかい?」 と心配してくれたのだが、 「これくらい、どうってことないだろ」 「だったらいいんだけどさ。…いや、あんまり堪えてないのもまずいのかな?」 どういう意味だ。 「キョンが平気だからって、向こうがこれ以上エスカレートしたらやばくない? 刃傷沙汰とかになったら、流石に誤魔化しきれないだろ。それに僕も、時々キョンのメアドとか聞かれるんだよね。勿論、教えてないけど……どこかから聞き出されたりしたら、もっとえげつないことになるんじゃないかな」 「……今からメールアドレスの変更を考えとくべきか?」 「そん時は、谷口とか迂闊な辺りには新しいメアドを教えない方がいいかもね」 さり気なく酷いことを言った気がしたが、谷口に対する扱いとしては妥当なところだろう。 ハルヒはユリの花を教室の花瓶に突っ込みながら、 「いっそのこと、新しいアドレスはitsuki-loveとかにしたら? よくやってる子がいるじゃない。彼氏の名前入れたりするの」 「誰がそこまでやるか!」 面白がるんじゃありません。 しかし実際、嫌がらせはエスカレートする傾向にあるようだった。 そろそろ机に海産物を入れられる日も近いのかも知れん。 そんなこんなで、それなりに苦労しながらも、放課後になれば俺は何食わぬ顔で古泉と会っていた。 苦労しただけ愛情が増すという理屈が成立するのかどうか知らないが、とりあえず、古泉の嬉しそうな顔を見ると、苦労に見合うだけのものはあると思う。 古泉の顔を曇らせたくないと思えば、どんな嫌がらせだって隠せると思えたし、古泉が俺の側にいてくれるなら、少々のことはどうってことがないように思えた。 どうせ嫌がらせに遭ったりする上、親には知られてるんだと開き直った俺は、二人きりで帰り道を歩きながら、古泉の腕に自分のそれを絡めた。 「どうしたんですか?」 と古泉は少しばかり驚いたようだったが、 「なんとなく、したくなったんだよ」 と返せば、嬉しそうに目が細められた。 可愛い。 「可愛いのはあなたの方ですよ」 そう言った古泉が、辺りを見回す。 人影はない。 となると、その後の行動は分かっている。 掠めるように触れた唇に物足りなさを感じながら、 「古泉、今日もうちに来るだろ?」 と誘った。 返事はいうまでもない。 たとえ男女のカップルであっても、見苦しいことに違いはないだろうと思うようないちゃつきっぷりを見せ付けながら、俺は古泉を連れて帰ったのだが、古泉を部屋に通し、飲み物を取りに行くといって階下に下りた俺を待っていたのは、お袋の心配そうな顔だった。 聞けば、俺が帰るちょっと前に、女の子の声で電話があったらしい。 俺が男と付き合ってるようなふしだらな――何時代の言い回しだこれは――奴だと密告するような電話で、お袋は俺と古泉のことを知っているし、一応認めてくれてもいるのでどうってことはなかったのだが、そんな風に俺が嫌がらせとしか思えないことをされていると知って、不安になったという。 「それくらいならまだ大丈夫だろ」 と俺は適当に誤魔化したのだが、お袋も古泉に相談しろと言った。 相談してそれで別れるなんてことになったら嫌だという恥さらしな発言は流石にしかねたのだが、考えは変わらなかった。 俺は曖昧な返事をして、それからまたなんでもないような顔をして部屋に戻った。 「時間がかかりましたね。お母様と何か?」 と古泉に聞かれ、一瞬どきりとさせられたものの、 「成績の話でちょっとな」 と誤魔化す。 「待たせて悪かったな」 言いながら、古泉の隣りに、ぴったり密着するようにして座ったのはやっぱり、不安だったからかもしれない。 エスカレートする嫌がらせそのものより、それを古泉に知られたらと思うと、不安で堪らなかった。 それくらい、俺は古泉が好きで、離したくなくて、だから、 「…古泉、キス、したい」 「喜んで」 微笑して応えてくれる古泉が好きだ。 優しく抱きしめてくれるのも。 キスが気持ちいいのも、テクニックがどうのというより、古泉だからなんだと思える。 愛しいと思うたびに、平気だとも思えた。 古泉に秘密を作ったままにしておくことは苦しいが、それが今の関係を守るためなら、どんな嘘だって吐き通せると、そんな風に思い込んでいた。 それから数日経ったある日。 状況に変化が生じた。 その日は珍しくなんの嫌がらせがなかったのだ。 警戒しながら開けた靴箱は自分の靴以外入っていなかったし、机の上に悪魔召喚の祭壇が築かれているということもなかった。 今日は何か特別な日だっただろうかと首をひねりつつも、久しぶりに穏やかな一日を過ごした俺だったのだが、放課後になって俺を迎えに来た古泉の顔を見てそれがどうやら浅はかな考えであったらしいと気付いた。 表面上は何も変わらない。 しかし、俺にはよく分かった。 古泉が怒っている。 それも、本気で。 「どうしたんですか? 一緒に帰るんでしょう?」 そう微笑んでいる。 だが、怖い。 思わず足が竦み、立ち尽くす俺に、何も感じていないのか、ハルヒが無責任に、 「ほら、待たせてないでさっさと帰りなさいよ」 と言って俺を古泉に向かって突き飛ばした。 「う、わっ!?」 そのまま転びそうになった俺を、古泉がうまく抱き止めてくれたのはいいのだが、一瞬見えた目の色に、ぞっとした。 酷く冷たいそれに、体温をも奪われたような気持ちになった。 「さ、帰りますよ」 そう言って古泉は俺の手を取った。 そのまま、強引に連れて帰られる。 歩いている間、会話はなかった。 俺はなんだか分からないままに古泉の機嫌をこれ以上損ねたくなくて黙っていたし、古泉は口を開いたら止まらなくなるとでも言うように、固く唇を引き結んでいた。 会話のないまま連れて行かれた先は古泉の部屋で、 「座って」 という短い指示に縮こまりながらソファに座ると、お義理のようにコーヒーを出された。 古泉はと言うと、いつものように隣りに座ることなく、向かいに腰を下ろし、睥睨するように俺を見た。 びくびくしっ放しの俺をじっと見ていたかと思うと、不意に、 「どうして、」 と口を開いたのだが、その声の調子が怒っているのかそれとも悲しんでいるのか分からないようなもので、俺は恐怖も忘れて戸惑った。 何でそんな声で喋るんだ、と思っていると、古泉は苦しげに、 「何も言ってくださらなかったんですか」 と呟くように口にした。 「な……」 「なんのことか、なんて、今更とぼけないでください」 そのきつい声に、びくりと体が竦みあがった。 知られた、知られてた。 「ごめ…っ…、ごめん、なさい…」 「謝らなくていいですから、理由を説明してください。そんなに僕は信用なりませんでしたか?」 「ちがっ、そ、うじゃ、なくて……」 どうしようもなく声が震えて、言葉がうまく出てこなかった。 最悪の事態になってしまったと思うだけで、目の前が真っ暗になりそうだ。 これで、古泉に嫌われたんだとしたら。 ひ、と引き攣れた音が喉から出たかと思うと、目から涙がこぼれていた。 その涙に、古泉は一瞥をくれただけで、拭ってもくれない。 ずきずきと胸が痛んで、余計に涙が止まらなくなりながら、答えなければという義務感だけで口を開き、泣き濡れたみっともない声で、 「…っ、別に、平気、だった、か、ら……」 「平気? あんな嫌がらせが平気だったって言うんですか? 冗談もほどほどにしてください」 「ほん、と、だ…っ。お前が、いて、くれるなら、何、言われても、されて、も…平気、だから……」 大きくしゃくり上げて、手の平でぐしゃぐしゃと涙を拭く。 それでも、次々に溢れてくる涙は止まらない。 「それ、以上に、……お前、に、これで、っく、これ、を、理由に、わ、別れよう、なんて、言われたく、なく、って……」 そこまで言ったらもうだめだった。 自分で言った、別れるなんて言葉だけで心臓が張り裂けそうに痛む。 古泉が別れようと言ったわけでもないというのに、とめどなく溢れてくる涙と共に、わがままな子供のように、声を上げて泣いた。 「や、だ…っ、から、別れ、たくなんか、ない…。そ、んな、の、いや、だ…ぁ…」 「何言ってるんですか」 呆れているような笑っているような、中途半端な声に、恐る恐る顔を上げると、いつの間に近づいていたのか、優しく抱きしめられた。 「もう、放せやしませんよ」 「ほん、とに……?」 「ええ、本当です。あなたが嫌がらせに遭っているからって、そんな理由で別れるなんて、するわけがないでしょう。それこそ、相手の思う壺じゃないですか。そんなのに屈する必要は感じませんね。…あなたが嫌がらせに遭うなら、僕があなたを守ります」 そう言った唇が、誓うように俺のそれに触れ、それから、優しく涙を舐め取ってくれた。 「大体、今更手放せるわけないでしょう? …こんなにも、あなたに夢中なのに」 ほっとして、やっと笑えたのに、涙は止まらなかった。 止まらなくてもいいなんて思っちまったのは、なだめるようにキスをしてくれる古泉の眼差しがあまりにも優しくて、キスが胸に染み入るほどに気持ちよかったからだ。 古泉のシャツを握り締めて、子供のようにすがって、思うのはやっぱり、こいつのことが愛しいと言うことで。 …このまま流されてもいいかなんて思っていたのに、忌々しいことだが、ヘタレにはやっぱり通じなかった。 |