放課後、俺は古泉と共に買い物に向かった。 いつもは二人して街を歩いても、ぶらつくばかりでろくに物なんて買わないのだが、実際買うつもりで商品を眺めると違って見えてまた面白いもんだな。 まずは本屋に行って、料理本コーナーに二人狭苦しく並んで本を探す。 「どういうものがお好みですか?」 と聞かれても、俺は特にこだわりも好き嫌いもない。 「無理しなくていいから、作りやすそうなのを選べよ」 「それももっともなのですが…どうせなら、好きなものを食べていただきたいですし、作りやすさで作るものを決めるとなると、食べ盛りの男子中学生みたいなまっ茶色のお弁当になりますけどそれでいいですか?」 冗談めかして言った古泉にニヤリと笑い返し、 「俺は別にいいぞ? 白飯の上に焼いた肉が載ってるだけでも。たとえ海苔弁だったとしても文句を言うつもりはないからな。お前が俺のためだけに作ってくれるなら」 「そう言ってくださるのは嬉しいですけど、僕が嫌ですよ。手抜きみたいじゃないですか」 言いながらも古泉は真剣に本を吟味している。 俺も一緒になって覗き込みながら、考えてやる。 揚げ物は無理だろうから、まず除外してやるとして、後は何が楽だろうか。 前日に作っておけば済むようなものの方が朝は楽だよな。 「早起きするつもりではいますけど」 「それでも慌ただしくなるだろ。背伸びせずに簡単なのにしとけって。たとえば、今日の弁当だって、胡麻和えは昨日作って冷蔵庫に入れてたやつなんだからな」 「なるほど、そういうことも出来るんですね」 感心したように呟いた古泉だったが、力みが抜けないままだ。 俺はいくらか呆れつつも嬉しくてつい笑ってしまう。 嬉しくて、愛しい。 俺のためにそんな風に真剣に考えてくれるということも。 そこまで俺を好きでいてくれるということも。 俺は本を覗き込むようなフリをして、本を広げている古泉の腕の下から手を差し入れると、そのまま古泉の腕に自分の手を絡めた。 驚いたように身動ぎした古泉だったが、優しく微笑むだけで咎めないでいてくれる。 それが嬉しくて、抱きしめたくなる。 キスしたくなる。 そっと耳を寄せて、 「…好きだぞ」 と囁くと、小さく頷き返された。 「僕もですよ」 その笑顔が眩しいくらい綺麗で、勿体無いくらいだと思いながら独り占めしたいと思ってしまう。 欲張りだよな、俺も。 人に咎められないように気をつけながら俺たちは手を触れ合わせたりしつつ、それでもちゃんと本を選んだ。 初心者向けの、料理の本と弁当の本だ。 古泉はもう少し複雑そうなのを選びたがっていたが、失敗はしたくないだろうと脅すと了解してくれた。 「次は何だ?」 「弁当箱が必要ですね。うちにはひとつもないので」 「別にうちのを貸してもいいが……」 「だめですよ。それだと、僕が予告なしにお弁当を用意したりして、あなたを驚かせるということが出来ないでしょう?」 「…驚かせたいのか?」 「それはもう。…今日は本当に驚かされましたからね。もちろん、だからこそ余計に嬉しかったのですが。……あなたにも同じ気持ちを、と思いまして」 「…そりゃ、楽しみだな」 「大きめのお弁当箱を買って、二人で分け合うようにしましょうか。それとも、別々のにします?」 「大きいのでいいだろ。ひとりで弁当食ったりしないなら」 「しませんよ。…あなたと一緒だからお弁当が食べたくなるんですし、作りたくもなるんですからね」 そう甘ったるく囁く古泉と一緒に、食器などの並ぶ店先で弁当箱を物色する。 素材だけでも、アルミ製プラスチック製木製樹脂製と色々あるものだが、どうしたものかね。 「長く使いたいですからプラスチック製は嫌なのですが、木製では仰々しすぎますかね? 大きいサイズとなると完全に重箱みたいですし」 「だよな」 うーん、と考えながら店の棚を眺めていると、少しばかり変わったものが目に入った。 「…これは、竹製なのか?」 「そのようですね」 竹を細く切って編み上げたようなそれは、大きさの割に木製品なんかと比べるとリーズナブルな値段設定だった。 「これにしましょうか」 「使えそうか?」 「多分大丈夫ですよ」 そう請負った古泉はサイズを検討した後、それを購入した。 ついでにと、多少汁気のあるものを入れても大丈夫そうな木製のものまでやはり購入して。 「買いすぎじゃないのか?」 「これくらい平気ですよ。それに、どうせなら色んなものを作りたいじゃないですか」 そう笑った古泉は本当に嬉しそうで、俺まで胸の中が暖かくなるように感じられた。 それから勿論、食材を買いにスーパーに行った。 本当に古泉の家には何もないらしく、米まで買っていたのには驚かされた。 「お前…今度からなんでもなくてもうちに来て飯食ってけよ」 どんな食生活なのか本気で不安になってきた俺が言うと、古泉は苦笑して、 「十分お相伴させていただいてると思うんですけどね」 それはそうなのだが、急激に心配になったんだよ。 「ご心配をお掛けしてしまってすみません」 と笑った古泉は、 「大丈夫ですよ。でも、…ありがとうございます」 と喜色を滲ませた声で囁いて、俺を黙らせた。 その後も、俺は極力買い物には口を出さないでおいた。 明日何が入っているか楽しみにしておきたいからな。 それでも、一緒にほろほろ歩いているだけでも楽しいもので、ただの安っぽいスーパーがデートコースになり得るということを生まれて初めて知った次第である。 傷みやすい物も買ったので、流石に古泉も今日はうちに寄らずに帰ると言った。 おそらく、夕食の支度がてら明日の準備と練習でもするつもりなのだろう。 いくらか緊張の滲んだ顔つきがいつもと少し違っていて新鮮であると同時に可愛かった。 荷物が多いんだから、俺もついていってやればよかったのかもしれない、と思いながら、俺は久しぶりにひとりで家路を辿りつつ、ポケットの中を探った。 金属質な、しかし耳障りではない軽やかな音色と共に、冷たい鍵が指先に触れる。 同時にくしゃりと音を立てるのは鍵と共に入れてある紙切れだ。 古泉にもらった鍵を、俺はいまだに使わずにいた。 いや、使わないだけならまだしも、古泉の部屋にまだ入れずにいる始末だ。 古泉が悪いわけじゃない。 ただ俺が臆病なだけなんだろう。 古泉の部屋に行ってみようかと考えないわけじゃない。 だが、いつだってそう考えるだけで、心臓がおかしくなりそうなほど脈打って、俺の思考を妨げる。 怖がっているというわけでもないはずだから、単純に緊張しているんだろう。 古泉の部屋に行くということ、そうして、また知らない古泉を知るということに。 別に、知りたくないわけじゃない。 ただ、知ったらどうせまたこれまで以上に惚れ込んじまって、余計にどうにかなるっていうのが目に見えてるだけに、踏み込む前に覚悟を決める必要があるというだけだ。 それに――これは困ったことと言っていいことだと思うのだが――、今の古泉との距離感が、酷く心地好いのだ。 腹八分目の満腹感にでもたとえたら丁度いいような感覚がずっと続いている。 少し物足りない、でも、満たされているという感じだ。 この物足りなさがもっと大きくなったら、俺は踏み出せるんだろうか。 今以上愛しくなってしまったらどうなるんだろうと、バカみたいに思いながらでも、手を伸ばせるんだろうか。 「…それまでに、愛想を尽かされなきゃいいんだけどな」 自嘲気味に呟いて、俺はポケットから引っ張り出した鍵にそっと口付けた。 翌朝、通学路の途中で古泉とばったり出くわしたのは、俺が早めに家を出たからであり、古泉がいくらか準備に手間取り、いつもより家を出るのが遅くなったからなんだろう。 それでも、示し合わせたかのような偶然に、二人して顔を合わせるなり声を立てて笑った。 「はよ」 「おはようございます」 笑いを引き摺ったままそう言葉を交わして、並んで歩き出す。 「ちゃんと作ってきたんだろうな?」 そう聞くと、古泉はにこりと微笑んで、 「ええ、勿論ですよ。でも、あまり期待はしないでくださいね?」 「するに決まってんだろ。お前が俺のために頑張ってくれたんだから、まずいはずがない」 「えええ…」 困ったように眉を下げる古泉に俺は笑って、 「心配するな。お前が作ったんなら、多分、どんなゲテモノでも完食しちまうだろうからな」 「それ、喜んでいいところなんですか?」 素直に喜べよ。 「何にせよ、楽しみにしてるからな」 と俺が言うと、古泉は困ったように薄く微笑んだ。 「昼休み、昨日の場所で待ってるからな」 「え? あ、どうせなら、一緒に行きませんか? あなたの教室まで迎えに行きますよ」 「そうか? なら、昼休みに」 そう約束をしてからもゆっくり歩きながら話し込み、廊下の途中でやっと別れた。 「キョン、お前ほんと幸せそうだな。間抜けな面しやがって」 とやっかみとしか思えないことを言ってきたのは勿論谷口だ。 俺は満面の笑みで、 「そりゃ、本当に幸せだからな。どんなに羨ましがっても古泉はやらんぞ」 「要らねーよ」 だろうな。 あいつは俺にべた惚れだからもらったって困るだけだろう。 「なんていうかさ、」 と苦笑混じりの表情で会話に参加してきたのは、勿論国木田だった。 「キョンって意外とリベラルだよね」 「どういう意味だよ」 「常識的なのかと思ったらそうじゃないなって。勿論、悪いってわけじゃないんだけど」 「……ハルヒに言わせると、俺はとんでもなく常識のない世間知らずらしいが」 古泉を好きになっちまってからの恋愛相談のたびに言われ続け、一体何度その言葉を言われただろうな。 「恋愛に関してはそうかもね」 と笑った国木田は、 「でもまあ、いいんじゃない? キョンが幸せなら」 「ああ、ありがとな」 どうやら分かり辛いなりに心配してくれたらしい。 古泉と付き合いだしてから知ったことは、ハルヒが以前俺に言った、「性別なんて関係ない」という理論が実際には世間の常識からかけ離れているということであり、つまり俺と古泉はひやかされたりするのと同じかそれ以上に白眼視されるのだということだった。 それを知ってから、古泉に申し訳なく思ったことが一度もないと言うと嘘になる。 だが、それ以上に俺は古泉が好きで、古泉を放したくなくて、古泉の方もおそらく同じはずだから、そんなことは気にしないことにしている。 それでも傷つけられてしまう時はあるということも、分かっている。 だから、国木田も心配してくれたんだろう。 俺たちが男同士だからじゃない。 人から傷つけられるかもしれないから、心配してくれた。 そのことがありがたく、嬉しかった。 にやけながら午前中の授業を消化した俺は、昼休みになるなり現れた古泉と共に教室を出た。 昨日の反省を活かして、別の場所に行くことに決めて、屋上に向かう。 多少暑いかもしれないが、少しくらい構わないだろう。 薄汚れた床に腰を下ろした俺に古泉が水筒を差し出し、 「お茶も用意してみたんです。注いでもらえますか?」 「おう」 ひとつきりしかない大きめのコップにお茶を注いでいる間に、古泉は弁当を広げる。 綺麗に包んでいた風呂敷を開くと昨日買った竹の弁当箱が現れた。 「開けてもらえますか?」 嬉しそうに言うってことは結構な自信作ってことだな。 口元をほころばせながら俺は遠慮なくふたを取った。 それは、はっきり言って期待以上の内容だった。 海苔を巻いたおにぎりが6つばかりと綺麗に半分に割った煮玉子がふたつ。 ゆでたブロッコリーがいくつか隙間を埋めているのが彩りとしても鮮やかだ。 それから、焼き鮭が一切れ。 添えてあったふた付きのプラスチック容器にはうさぎに作ったリンゴが入っていた。 大根の漬物は流石に買ってきたものだよな? 「残念ながらそうです。でも、いつか自分で作ってみますね」 「いや、これでも十分だろ。本当にお前がひとりでやったのか?」 「はい」 「大変だったろ?」 「そうですね…。簡単ではありませんでしたけど、でも、とても楽しかったですよ。あなたのためにと思って作るのは。どんな顔をしてくださるかって、本当に楽しみにしながら作ったんです」 「…満足か?」 俺は今、我ながら君が悪くなるくらい幸せに満ち溢れた顔をしちまっていると思うのだが。 「ええ、とりあえずは」 嬉しそうに言った古泉が手を伸ばし、俺の顎に触れる。 キスされるんだな、と分かっても目を閉じずに見つめ続ける。 至近距離で震える睫毛を見つめながら、柔らかな唇の感触を味わう。 「後は、美味しく食べていただけたら満足です」 そう微笑む古泉に、俺も笑みを返す。 「見た目だけなんてやつじゃないなら、大丈夫だろ。本当にうまそうだ」 ひょいとおにぎりを拾い上げてかぶりつく。 中から出てきたのは、なにやら香ばしいおかかだった。 「これは?」 「それは、出汁を取った後の鰹節で作ってみたおかかです。炒ってあるので少し違っていていいでしょう?」 「だな」 と言うかお前、出汁までとったのか。 「やりはじめたら面白くなってしまって」 古泉はそう言って苦笑したが、 「いいんじゃないか? 料理くらいはまったって」 「いいですか?」 「ああ」 「じゃあ、」 と微笑んだ古泉は、 「今度是非、食べに来てくださいね」 「……は?」 「あなたのためだと思うから出来るものですから」 悪戯っぽく言った古泉は果たして策略家なのかそれとも何も考えてないのか。 判断に迷いながらも俺はつい、 「…ああ、楽しみにしてるから、うまいもん作ってくれよ」 なんて返していた。 後悔? するわけないだろ。 |