僕は彼と二人、ゆっくり歩いて帰っていた。 この頃、彼は駅前まで自転車を使うということをしていないらしく、二人並んで歩くことが出来る。 「どうしてですか?」 と僕が聞いてみると、彼は恥かしそうに顔を赤らめながら、 「チャリなんか押してたら、邪魔だろ」 「……そうですね、」 そんな反応が可愛くて、ついついにやけてしまいながら、 「自転車を押していたら、手を繋ぐこともろくに出来ませんし、買い食いなんかもし辛いですからね」 と言えば、彼は赤くなりながらも否定しなかった。 そんなところも可愛いと思う。 そうして、僕は当然のように彼を家まで送る。 彼も、そこまでするなとは言わない。 何故なら、一分一秒でも長く一緒に過ごしたいと思うのは、僕も彼も同じだからだ。 日によっては――これは大抵、妹さんがお友達のところに出かけている時のことだ――、今日のように、 「寄ってくか?」 と聞かれる時もある。 僕は頭の中の予定表を確認して、笑顔で頷いた。 「ええ、よろしければ、お邪魔させてください」 「悪けりゃ誘うわけないだろ」 と笑った彼が僕の手を引いて家に入った。 「ただいま」 彼がそう声を掛けつつも、まっしぐらに自室に向かうので、僕も、 「お邪魔します」 と何とか声を掛けてそれを追いかける。 階段の下から彼のお母様が、 「古泉くんいらっしゃい」 とにこやかに声を掛けてくれた。 「お邪魔してます」 と返しながら、どうしてあそこまで愛想がいいんだろうと首を傾げつつも、彼が目で急かすので慌てて彼の部屋に入る。 ドアを閉める間際に、 「後でケーキとか持って行くからね」 と言う言葉が聞こえてきた。 彼がかすかに舌打ちしたけれど、どうしてだろう。 「どうしても何もあるか。邪魔なだけだろうが」 「それは言い過ぎですよ。せっかくのご厚意でしょうに」 「……」 ちろりと僕を見た彼の視線に、違和感を感じる。 「……あの、何か…いきなり機嫌が悪くなったみたいなんですけど…気のせい、ですか…?」 「気のせいじゃないな」 憤然と言った彼は、面白くなさそうに眉を寄せながら僕を呼び寄せて、隣りに座らせた。 思わず正座した僕の唇に噛み付くようなキスをして、 「お前のそういう愛想の振り撒き方が、ムカつく」 なんて、可愛らしいことを言うものだから、僕は思わず笑ってしまった。 「笑うな」 と今度は鼻の頭をかじられる。 「痛いですよ」 「うるさい」 「それに、あなたのお母様に愛想を振り撒くなと言われても困ります。…少しでも好かれたいと思いますからね」 「なんでだよ」 いよいよ眉間の皺を深くした彼に、 「分かりませんか?」 と聞く。 彼は黙ったまま答えてくれない。 だから僕は苦笑しながら、 「簡単なことですよ。…いつか、あなたとお付き合いさせていただいているということを報告して、それを認めてもらうことを考えたなら、嫌われるよりは好かれた方がいいじゃありませんか」 「なっ……」 絶句した彼が、それより少し遅れて赤くなる。 「何かおかしいですか?」 僕が聞くと、彼はしばらく唸っていたけれど、やがて、 「……そんな心配、要らん」 と言った。 「どうしてです?」 「……その…早いとこ話しとこうとは思ってたんだがな」 と言いつつ、彼はまだしばらく口ごもり、なかなか話そうとしてくれなかった。 やっと口を開いたかと思うと、 「…お袋は、知ってるんだ」 「……知ってるって何をです?」 「俺と、……お前が、付き合ってるってことを、だ…!」 「……なんですって?」 一体どういうことだろうと驚く僕に、彼は言い辛そうにしながら言った。 「ハルヒの力のせいで、最初に女になった時のこと、覚えてるか?」 「え、ええ…覚えてますが…」 「あの時な、お前を置いて俺は引き返しただろ? それからハルヒたちと合流して、ハルヒに泣きついたんだ。そうやって、ひとしきり泣いて、泣いて……気がついたらもう、女になってたんだ」 「そうだったんですか」 てっきり夜の間に、とかだとばかり思っていたのに、そこまで速やかだったとは、と驚いている僕に、それが本題ではないとばかりに彼は言う。 「でな、女になって帰った俺は思い切ってお袋に相談してみたんだよ。古泉を好きになっちまったから告白したのに、快諾してもらえなかった、ってな」 「えぇ!?」 「おまけに、次の日、お前が俺のこと好きって言ってくれたってことも、浮かれついでに報告しちまってな」 今度こそ、絶句するしかない。 「その時は、俺も女だっただろ? だからお袋も応援してくれたし、むしろ、俺がそんな風に色気づいたことを喜んでくれてさ、おめでとうって言ってくれたんだ。が、今、男に戻ってる状態で思い出すと、少しばかり違うんだ、これが」 「はぁ…」 そういう風に記憶が二重になっているという話は彼から聞いていたけれど、実際具体的にどう違ったのかと聞くと不思議な気分になってくる。 「今思い出すと、つまりは男だった場合どうなってたか、ということではあるんだが、その場合だと、お袋は俺がお前のことを好きだと話したら、呆然としながらもそれでも、俺が本気かを確かめた上で、それなら無理には止めたりしないって、やんわりとだが認めてくれたってことになってるんだ」 「そういう風に記憶されてるんですか」 僕は驚きも隠しもせずに呟いた。 その後で、その意味するところに気がついて、 「――って、それはつまり、お母様公認ってことなんですか…!?」 「鈍い!」 と彼に怒られてしまった。 反射的に叩かれた頭が痛い。 「すみません」 「それに、公認とか言うんだったら、お前の方から挨拶でもしたらどうだ?」 からかうように笑って言った彼に、僕は赤くなる。 「あ、挨拶…ですか……」 「…可愛い」 ぽそりと呟いた彼に笑みを返して、 「ご挨拶出来るようになりたいですね」 「そんなもん、いつしてもいいんじゃないのか? したけりゃしろよ」 「いいんですか? 息子さんを僕にください、というご挨拶のつもりなんですけれども」 「なっ…!?」 今度は彼が絶句した。 「そ、そこまで…か…?」 戸惑っていても可愛らしい彼を見つめながら、 「僕としてはそうしたいです。それくらい、あなたが好きですから」 彼は目を潤ませながら腰を浮かせると、いきなり僕に抱きついてきた。 嬉しいと全身で訴えられているようなくすぐったさに、胸の中まで満たされるような心地がする。 そのまま、彼の方から僕にキスをしてくれる。 触れるだけの、くすぐったいのに満たされるキス。 それを繰り返しながら、手を絡ませ合い、しっかりと抱きしめあう。 唇だけでなく、頬にキスをしたり、瞼に触れたりもする。 手の甲にも口付けてみると、 「キザったらしいんだよ」 と怒られたけれど、満更でもないと言うことはその表情を見れば一目瞭然だ。 調子に乗って繰り返していると、部屋のドアがノックされ、 「入るわよー」 と声をかけられたので、僕たちは慌てて離れた。 間一髪間に合った、と思ったのに、どうやら彼のお母様にはお見通しだったらしい。 彼が悪戯をする時のそれによく似た笑みを見せて、 「古泉くん、この子のこと、よろしくね」 と言われてしまった。 流石の僕も、どう誤魔化すべきか迷ったはずだった。 けれど僕の口は僕の頭以上に単純かつ素直に出来ていたらしい。 笑って、 「はい」 と即答していたのだから。 隣りで恥かしそうに顔を赤くした彼に、後でしこたま怒られてしまったけれど、後悔はしていない。 |