涼宮さんに怒鳴られて部室を飛び出したのは、本当に情けないとしか言いようがないけれど、僕としては本当にどうしようもなく途方に暮れていたのだ。 彼にキスをしなかったことを咎められるなんて思いもしなかった。 僕はそもそも、キスをすべきだったとも思っていなかったんだ。 だから、彼が焦る気持ちが分からなくて、それでも、ヘマをやらかしてしまったということだけはよく分かった。 とにかく、彼ときちんと話し合おう。 そう思って追いかけたのに、階段の踊り場で呆然と立ち尽くしていたのは彼ではなく――彼女、だった。 「ど、どうしたんですか!?」 謝ろうとしたことなんかも忘れて思わずそう声を上げれば、 「俺が知るか!」 と怒鳴り返されてしまった。 しかも彼は短いスカートを履いているにもかかわらず、大胆なまでに大きく足を上げて歩み寄ってくると、 「それより、」 といいアイディアを思いついた涼宮さんのように眩しいまでに輝く笑顔で、 「これならどうだ?」 「どうだ、って……」 一体何を言い出すんだこの人は。 「キス、したくならないか?」 そう言って、彼は人差し指で自分の艶やかな桃色の唇に触れた。 完全に挑発するつもりとしか思えない。 そう分かっていても喉が鳴ってしまったのは、悲しいが、男のサガというものだろう。 同時に思ったのは、 「まさか…それでまた女性になられたんですか?」 ということだった。 「……俺は知らん」 ぷいっと彼は顔をそらしたが、絶対嘘だ。 自分でも気がついてるに違いない。 そうでなければ誤魔化すように、 「それより、したくならないのか?」 なんて横を向いたまま不貞腐れたように聞いてきたりなんてしないだろう。 同じ台詞を言うにしても、さっきのように僕を厳しく断罪するような目で睨み上げて来たに違いない。 僕は困惑に眉を寄せながら、 「さっきも申し上げた通り、そんな風に言われて、軽々しくしたくないんです。場所も場所ですし…」 「……じゃあ、そういう流れと雰囲気と場所があればいいんだな」 唇をへの字に曲げながら彼は言い、僕の手をその柔らかくて細い手で掴んだ。 「っ!?」 驚く僕に、鼻を鳴らして笑い、 「仕切りなおしだ。昨日よりもっとちゃんとしたデートをしてやろうじゃないか」 えええええ、本気ですか!? 本気だった。 滅茶苦茶本気だった。 冗談なんて欠片もないくらい本気だった。 正直、勘弁してもらいたい、と思った僕は別に何も間違っていないはずだ。 やっと思いが通じて、やっと付き合えるようになった。 それも、涼宮さんの前でさえ堂々としていていいというのは、この上ない快挙のはずだ。 だからこそ、大事にしたいと思ったのは、僕が恋愛と言うものに不慣れだからだろうか。 そうではないと思いたい。 たとえ慣れていたとしても、僕はきっとそう思っただろう。 それくらい、彼が愛しい。 好きだからこそ、その思いがいつまでだって続くという自信があるからこそ、刹那的に行為に及ぶなんてことは勿論のこと、キスのようなちょっとしたコミュニケーションだって、少しずつ踏み込んで行きたいと思っていたのに、 「…どうしてこうなるんですか……」 「お前のせいだろ」 思わず呟いた僕に、彼はすかさずそう言った。 「だから、」 「もういいって言ってんだろ。言い訳なんか聞きたくない。それより、楽しもうぜ」 そう言って、彼はいきなり僕の腕にしがみつくようにして腕を絡ませた。 「ちょっ…」 「なんだよ、いいだろ、これくらい。…恋人なんだし」 そう言って嬉しそうに小さく微笑む彼は本当に可愛い。 彼の持つ純粋さが滲み出るような柔らかくて真っ白な笑みは、それだけで心臓が止まってしまいそうなくらいだ。 そんな、自分の持つ魅力を彼自身が全く分かっていないからこそ、僕がなかなか手出し出来ないでいるということなんて、彼は少しも分かってくれないんだろうな。 ため息を吐きたくなるけれど、ここでそんなことをしたらまた泣きそうになってしまうかもしれない。 それだけは阻止したい。 …彼に涙まで見せられたら、今度こそ言いなりになってしまうどころか、彼が嫌がることまでしてしまいそうになるから。 そんなことになって、彼に嫌われたくない。 ……なんて、利己的で自己中心的なんだろう、僕は。 自嘲しながら、僕はぎこちない笑みを作りつつ、 「あの、せめて、もう少しだけでも体を離していただけませんか?」 「なんでだよ」 不機嫌に問い返す彼に、僕は顔が赤くなるのを感じながら、小さな声で告げる。 「…胸、が…ですね、当たってるんです……」 彼は軽く目をぱちくりさせた後――勿論そんな仕草も非常に可愛らしかった――、にやりと小悪魔めいた笑みを見せ、 「テンプレ的台詞で悪いがな、」 と言いながら僕の耳を引っ張って唇を近づけると、 「…当ててんだよ」 と殊更に胸を押し当てながら囁いた。 それだけでこちらはあらぬところに血が集まってしまいそうになると、彼は本当に分かってないんだろうか。 分かってやってるとは思いたくないけれど、疑いたくもなるというものだ。 「耳まで真っ赤だな」 くすくすと楽しげに笑う彼は本当に可愛い。 「俺の胸なんてそんなに大きくもないんだから、気にしなくていいだろうに」 「大きさの問題じゃないですよ…」 ぐったりしそうになりながら恨みがましく呟けば、 「じゃあなんだよ?」 と聞かれる。 ……ほんとに、この人って、無自覚に酷くありませんか。 というか、本当に僕は男として、あるいは恋愛対象として意識されているのか不安になってきましたよ。 ずきずきと頭が痛くなってきたのを感じつつ、 「…あなただからです」 「じゃあ、お前は何か? 朝比奈さんに胸を押し当てられても特に何も感じないと?」 「ええ」 実際、そんなこともなかったわけではないから断言出来る。 しかし彼は口も目もへの字に近いような形で下げてしまうような変な顔をして、 「……お前ってやっぱりガチホモ?」 「どうしてそうなるんですか…」 はぁ、と今度こそため息が出た。 「だって、朝比奈さんだぞ?」 「それがたとえ涼宮さんでも長門さんでも同じことですよ。僕が好きなのはあなたなんですから」 それでもまあ、僕だって年頃の若い男だから、流石に極端に露出度の高い姿や裸なんて見せられたら赤くなるか脂下がった顔をしてしまうかするだろうけれど。 「…っ、おま…!」 そう言って絶句した彼はどうしてか真っ赤になっていて、 「…どうかしたんですか?」 「…お前が、恥かしいこと言うからだろうが…!」 恥かしい? 「一体何がですか?」 「――もう、いいから、ほら、ちょっとそこに入るぞ」 そう言って彼がぐいっと僕の腕を引っ張って行った先は、ちょっとばかりオシャレなカフェだった。 昨日のコンビニよりはずっとデートらしい行き先かもしれないけれど、彼はこういう店を好むタイプだっただろうか。 うーん、と考え込みつつ、引っ張られるまま店に入る。 洗練されたデザインのモノトーンを基調としたインテリアに、柔らかな照明が暖かないい店だな、と思いながら、僕は彼と二人、向かい合わせになって小さなテーブルについた。 「こういうお店、お好きでしたっけ?」 僕が聞くと、 「いや、特に好きとか言うんじゃないが……たまたま目に付いたから。それに、男二人じゃ入れないだろ? こういう雰囲気は」 「そうですね」 僕は窓際に置いてあった小さなメニューを手に取ると、彼に向かって差し出した。 「お先にどうぞ」 「あ、…ありがとう」 照れ臭そうに笑う彼は本当に可愛くて堪らない。 顔に邪なものが滲み出ないように、精々気をつけなければ。 それでも、メニューを端から端までじーっと真剣に追ってみたり、どちらがいいかと悩む彼は可愛くて、僕は自分の顔がだらしなく脂下がるのを感じつつ、自制しきれなくなるくらいだった。 「…じゃあ、俺はエスプレッソとティラミスにする」 そう言いながら彼は僕にメニューを渡してくれた。 丁寧に受取り、自分は何を頼もうかと目を走らせながら、 「ティラミスですか。…甘い物、お好きでしたっけ?」 「好きといえば好きだぞ。妹がよく食べたがるから、家でもクッキーを作ってたりするし、妹のおやつにって買ってきたら当然俺の分もあるからな。それを遠慮なく食べるくらいには好きだ。それに…」 と彼は少し言葉を途切れさせた後、小さく笑って僕を見つめ、 「……雑学だけは妙に詳しいお前のことだから、ティラミスって名前の意味くらい、知ってんだろ?」 「ティラミスの意味、ですか?」 確か、私を元気にして、とかそういう意味だったような……。 「…あ」 「分かったか」 ぷいっと顔をそらした彼は、テーブルの上に肘をつき、落ち着かない様子で手を組んでみたりしながら、 「……お前がキスしてくれないから、結構本気でへこんでるんだからな、俺は」 「すみません」 謝りながらも、少しばかり遠回りな意思表示や、可愛らしい仕草に笑みが込み上げてくる。 込み上げてくるものは勿論それだけではなくて、愛しさも湧き上がってくる。 「笑うな」 「ごめんなさい、でも、あなたが可愛らしいからいけないんですよ?」 そう言ってみると、彼は白い頬に朱を掃いたように頬の赤味を増して、 「こ、古泉のくせに口答えすんな!」 なんて言ったけれど、それが照れ隠しだということくらい、流石の僕にもよく分かった。 ぶつぶつひとりで文句を並べ立て始める彼の、そんな声さえ快く聞きながら、僕はウェイトレスを呼びつけ、エスプレッソをふたつとティラミス、それからワッフルをひとつ注文した。 ウェイトレスが行ってしまうと、 「お前のことだから、何か意味があるんだろ?」 悪戯っぽく笑いながら彼が聞いてきた。 僕は軽く首を傾げて、 「なんのことでしょうか?」 「ワッフルだよ。違ったか?」 そう聞いてくる彼に、僕は小さく声を上げて笑って、 「意味にこだわって食べ物を選ぶつもりはありませんけど、全く違うとも言い切れませんね」 「どういう意味なんだ?」 そんな風に興味を持ってくれることを嬉しく感じながら、 「ワッフルの語源は、オランダ語では『蜂の巣』という意味なのですが、英語では『無駄話』という意味になるんです。…僕にぴったりでしょう?」 そう笑って言うと、彼は難しい顔で少し考え込んだ後、 「そう…だな、ぴったりと言えばぴったりなんだが、……その、無駄と言っちまうのは勿体無いくらい、お前の話とか…好きだぞ、俺は…」 段々小さくなっていってしまう声を最後まで聞き取って、僕は嬉しさに胸が温かくなるのを感じずにはいられなかった。 「本当ですか?」 「…ん」 恥かしそうに俯く彼に、 「嬉しいです」 と微笑めば、彼がちらりと僕を見た後、顔を上げて、少しだけ身を乗り出した。 そうして、そっと目が閉じられる。 ……ええ、と……これは……その…いわゆる……すえぜ…いやいや、なんでもないですよ!? 妄言が脳裏を過ぎっただけです!! 彼が焦れたように薄目を開く。 「……だめ、か?」 ああもう、お願いですからそんな泣きそうな顔しないでくださいよ! 「だめ、というか……ですね、あの、」 僕は指を上げて、そっと窓とは反対の方を指差した。 「…お店の方が困ってますから……」 指差されたウェイトレスの女性は苦笑しながら、 「失礼しました。ご注文の品を置いたらすぐに退散しますね」 なんて言っているが、やっぱりこういう場所でいちゃいちゃされたら迷惑だろう。 下手したら営業妨害ものだ。 だから、と僕が言うまでもなく、彼は顔を赤くして、 「す、すみません、こいつがへたれなものだからつい…」 としなくていい言い訳をしていた。 ウェイトレスが微笑ましげに笑いながら立ち去った後はいたって大人しく、というか普通に、ケーキを味わいながら話をした。 「ん、うまい」 と嬉しそうに微笑む彼は見ているだけでも和むし、 「お前のもおいしそうだな。一口くれ」 と言ってくるのも可愛い。 僕はにこにこと笑いながら、 「どうぞ、一口でも二口でも」 とワッフルを大きめの一口大に切り分け、添えられていたホイップクリームとチョコレートソースを絡める。 そうしてフォークを彼に渡そうとしたら、その前に彼がぱくんとワッフルに食い付いた。 赤い唇を開いて、更に赤くて柔らかな口の中へとワッフルが消えていくのをコマ送りの映像のようにはっきり見てしまった僕が、思わず呆然としている前で、彼は唇にホイップクリームを付けたまま、 「こっちもうまいな」 なんて笑ってる。 「唇にクリームが付いてますよ?」 と指摘すれば、彼は少し考えた後、 「取って」 と笑う。 どれだけ僕を翻弄したら気が済むんだろうこの人は。 そう言ったところで仕方がないので、僕は手を伸ばして指先でクリームを拭った。 すると、どうしたことだろう、彼がぱっと赤くなったじゃないか。 「…あの……?」 「お前、な……」 真っ赤になってわなわなと震えながら、 「キスは出来ないくせにそういうことは恥かしげもなく、つうか意識もしないで出来るのか…っ!」 え、何か恥かしいことしましたか、僕。 「しただろ! 普通はナプキンとかで拭くんじゃないのか?」 「そう……かもしれませんね」 でも僕は、せっかくあなたの唇に触れられる機会なんて逃したくなかったんですよ。 それに、キスをしろなんて迫る人が、ちょっと唇に指先が触れたくらいで動じるとは思わなかったんです。 「そっちじゃない…」 唸るように言った彼は、赤い顔のまま、小さな声で、 「…お前…指、舐めただろ」 「……え」 「……待て、本当に無意識だったのか?」 そう聞いてくる彼に答えず、僕は自分の行動を思い出す。 彼の唇に手を伸ばして、ちょっとだけ付いていたクリームを指で拭い取って、それから………クリームの付いた指を、舐めた。 「……あれ?」 よく考えたら、確かに恥ずかしいことをしてしまったらしい。 そのことに気が付いて、顔が真っ赤になる。 「あれ、じゃないだろ! …ほんとに、これだから天然ってのは……」 いや、その台詞、あなたにだけは言われたくないんですけど、しかもそんな本気で呆れてる声でなんて。 「だってそうだろうが」 むくれながら睨みつけてきた彼は、 「……まあ、間接キスなんて今更と言えば今更だが…」 と言いながらも胸を押さえている。 彼もドキドキしているんだろうか。 自分のしたことに気がついた僕も、痛いほどに胸を高鳴らせている。 二人して真っ赤になって、同じようにドキドキしてるなんて、なんだか変な気もするけれど、きっとそれでいいんですよね? 「またどうぞ」 なんて言葉と共に微笑まれ、僕たちはカフェを出た。 これでばっちり顔をおぼえられてしまったかと思うと恥ずかしいことこの上ないが、それは彼も同じ気持ちらしい。 顔を赤くしながら、 「…当分この店には近寄らんぞ……」 なんて唸っているけど、誰のせいだと思ってるんですか。 「お前のせいだ」 唇を尖らせて言われても可愛らしいだけだ。 「困った人ですね」 そう笑えば、軽く小突かれたが、そのまま腕にしがみつかれる。 「これだけ身長差があると、しがみつきやすいもんなんだな」 「そうですか?」 「男の時くらい背が近かったら、ほとんど肩に近いところに抱きつくことになってすわりが悪いだろ?」 「…どうなんでしょう?」 されたことがないからよく分からない。 「……今度、男に戻ったらやってやるよ」 渋々と言った様子で彼が言ってくれたので、僕は正直ほっとした。 どうやら、戻ってくれる気はあるらしい。 それからは、昨日と余り変わらなかった。 買う気もないのに雑貨を覗いたり、本を立ち読みしたりしながら、彼を家まで送っていっただけだ。 違いといえば、覗く店が少しばかり違ったことくらいだろうか。 女性が好みそうな店をよく見ているので、このまま精神状態まで女性化してしまうんじゃないかと僕は本当にひやひやさせられた。 やっと彼の家まで辿り着いた時には、いっそほっとしたくらいだった。 今日も、中途半端な時間帯だからだろうか、それとも涼宮さんの力によるものなのか、辺りに人影は見当たらなかった。 いっそあったらよかったのに、と思いながら、今日は彼が女性になっているのだからと押し切って、玄関先まで送り届けた。 「それでは、僕はこれで…」 言いかけた僕を彼が泣きだしそうな目で睨み上げ、僕の手を掴んで引き止める。 「……やっぱり、キスしてくれないのかよ…」 悲しそうな声に、今すぐ抱きしめてキスしたくなる。 したくなるけれど、ぐっと堪えるしかない。 ここでキスをしてしまえば、彼の言い分――彼が男だからキスしたくないという世迷言のことだ――を認めることになってしまう。 それだけはしてはいけないと、僕にだってよく分かっていた。 「なんで、してくれないんだ? 俺が、女になってたって、こんなちんちくりんで、可愛くもなんともないからいけないのか?」 その声は震えていて、潤んだ瞳からはすぐにも雫が零れ落ちそうだ。 僕は、 「違います」 とはっきりと告げた。 「僕は、あなたが好きです。あなたのことを愛しています。あなたのことを思う気持ちが変わらないという自信があります。それから…こう言うと非常におこがましいのですが、あなたも同じように、僕のことを一時的なものでなく、本当に好きでいてくれて、それがきっとこの先もずっと続くと、信じているんです。だからこそ、そんな、急ぎ足で進みたくないんです。初めてのデートでキスをして、その次はどうなるんです? もっと先まで? …そんな風に、急ぐなんて、勿体無いことはしたくないんです」 あなたが魅力的な人だから、あなたの唇を知ってしまったらきっと僕は毎日のようにそれを求めてしまう。 今だって、あなたの手の温もりを知ってしまったから、あなたが嫌がろうともその手に触れたいと思うし、握り締めたいと思う。 僕の好きな人はあなたで、あなたも同じように思ってくださっていることを知らしめたくて、手をつなぎたがってしまう。 そんな風にひけらかしたり、焦る必要なんてないはずなのに。 あなたとのキスを覚えたら、僕はきっとすぐにもっと先へ進みたがるに違いない。 もっと知りたいと、もっと触れたいと、愚かしくも思ってしまうに違いない。 そんなことになったら、まるで体が目当てのようで、余計にあなたを傷つけてしまいそうで、そのことが怖い。 「あなたが好きであることは間違いありません。ですから、あなたは不安を感じる必要もなければ、女性になる必要なんて尚更ないんです。男性のままで、いいんです」 僕が言い募ると、それでも彼は唇を尖らせて、 「……俺のことが好きなら、別に俺が女でいたっていいじゃないか…」 と拗ねるように口にする。 まるで、本当は僕にそれを否定してもらいたいかのように。 たとえそうでなくても、僕が言う言葉は決まっている。 「女性でいられたら、困ります。…自制心は効かなくなるし、何より、女性のあなたはあなたと思えない時があって困るんです…。だって、どうしたって男性と女性とでは姿も考え方も違うでしょう? 僕が好きになったのは男性のあなたなんです」 「……ガチホモ」 だからそれは違いますってば。 「だってそうだろうが」 「好きになったのが、たまたま男性のあなただったんですよ。言っておきますけど、他の男性はもちろんのこと、他の女性を好きになったこともありませんからね。生涯、あなただけです」 はっきりと言い切ると、彼の頬に赤味が増した。 「なっ…おま、なんでそんな恥かしいこと…」 「恥かしくなんてありません。事実ですから」 彼の手を、小さすぎる手を、そっと握り締める。 たったそれだけのことなのに、壊してしまわないように気をつけなければいけない気がしてくる。 やっぱり、男性と女性とでは違う。 気を遣わなければいけないと思うし、もっともっと大切にしなければならないと思える。 「あなたが好きです。……あなたが、どうしてもと言うのでしたら女性でいても構いません。でも、出来れば、戻ってくれませんか? 僕が生まれて初めて好きになった、あなたに」 かぁっと真っ赤になった彼が、何か言おうと口を開いた時だった。 彼の姿が一瞬ぼやけたかと思うと、手に触れる感触が変化し、彼が男性に戻ったのは。 「…え、て、なんで、こんないきなり戻るんだ…?」 戸惑う彼に、今しかないと思った。 僕は彼の手を思い切りよく引っ張って彼を引き寄せると、そのまま抱きしめてキスをした。 一瞬唇を重ね合わせるだけのキスだけれど、鼻と鼻をぶつけたりしなかっただけ、初めてにしては上出来だと思いませんか。 「お帰りなさい」 唇を離しても、抱きしめた腕は解かず、至近距離から囁きかけると、彼が真っ赤になりながら柔らかく笑った。 とても幸せそうに。 「……ただいま」 「愛してます」 「……よく、分かった」 くすぐったそうに笑いながら、 「…ったく、最初っからこうしてりゃよかったんだよ」 とむくれるようなフリをして呟いて、僕の頭を引き寄せてもう一度キスをした。 触れ合うだけのキスが、こんなにも気持ちがよくて暖かなものだと、生まれて初めて知った。 それから、玄関先で話すのも難だからと彼の家に上げられ、彼の部屋に通された。 二人、肩を寄せ合うように、カーペットの上に座り込んだ後、僕は彼の問いに答えた。 「最初から、キスをしなかった理由は、さっきも言った通りです。それに……焦って嫌われたくもなかったんです」 僕が言うと、彼は呆れたように微笑みながら僕の手を握り締めて、 「嫌いになんかなるかよ。それを言うなら、お前だって、嫌いになったか? 俺のこと」 不安を瞳に滲ませて聞いてくる彼に、僕は笑って首を振る。 「いいえ、そんなことはありません」 …多少、圧されはしたけど、とは言わないでおく。 「なら、俺も同じに決まってんだろ。……俺の方が、お前のこと、好きなんだからな」 「そうなんですか? 僕の方がずっと、あなたを好きだと思いますよ」 「嘘吐け」 くすくす笑いながら彼は僕を見つめる。 「嘘じゃありませんよ。僕の方が、あなたを好きです。期間も、量も、あなたに負けません」 「じゃあ、」 そう言った彼の唇から舌がのぞき、軽くその唇を湿したのが分かって、どきりとさせられる。 「…証明してみせろよ」 その目が閉じられれば、求められることはひとつだけだ。 僕はごくりと生唾を飲み込んで、彼の顎にそっと指を触れさせる。 そうして、ゆっくりと唇を重ね合わせれば、勢い任せだったさっきよりもずっと気持ちよくて、暖かく思えた。 「ん……もう一回…」 ねだられるまま、もう一度唇を重ねる。 くすぐったそうに笑う彼が可愛くて、角度を変えながら何度も触れ合わせた。 そうするうちに、少しだけだけれど余裕が生まれてきたので、そっと唇を舐めてみた。 気のせいなのだろうけれど、甘く感じられた、と思った瞬間、 「…っ、が、がっつくな!」 と言う言葉と共に引き剥がされてしまった。 「えええええ」 がっつくって言うんですか、あれだけで! 正直、彼のボーダーラインがよく分かりません……。 |