「鬱陶しいから二人ともさっさと帰りなさい! そのべたべたいちゃいちゃした空気が見苦しくない程度に落ち着くまで、部室に来るんじゃないわよ!」 ――って、追い出しはしたものの、やっぱり、気になるのよねー。 「ってことだから、」 あたしは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がった。 有希はどうやら察しがついてたみたいで、ぱたんと本を閉じて片付け始める。 だからあたしは分かってないみくるちゃんにだけ、 「これからキョンたちを尾行するわよ」 「えええええ…!? いいんですか?」 びっくり眼のみくるちゃんにあたしはけらけら笑って、 「いいのよ。これだけ苦労かけさせてくれたんだし、ここまできたら最後まで見守ってやんなきゃ。それに、あいつらがどうするかも気になるでしょ」 「えっと、それはそうですけど……でも、そんな、のぞきみたいなことってあんまりいいことじゃないんじゃ…」 「のぞきみたいじゃないわ」 完全にのぞきだから。 「す、涼宮さん…!」 困ったように声を上げるみくるちゃんを二人がかりで引き摺って、あたしたちはキョンたちを追いかけて部室を出た。 二人は意外とあっさり見つかったわ。 まあ、そうよね。 学校からの帰り道なんて途中まではほぼ一本道なんだから見つけられない可能性の方が低いに決まってる。 それに、あたしたちは慌てて来たんだし、あいつらはゆっくりとろとろ歩いてたんだもの。 坂を下りきるより前に見つけた時は拍子抜けして、むしろこの障害物に乏しい場所でどうやって見つからないようにするか困ったくらいだったわ。 でも有希は、 「…大丈夫」 って言った。 「大丈夫って?」 「彼らには周りが見えていないから」 言われて、あたしも気がついた。 あいつらと来たら会話に夢中で、周囲に誰がいるかなんて全然気がついてないみたいだって。 おまけに、話に熱中してるからか、びっくりするくらい距離が近い。 肩なんて、ぶつかってるんじゃないの? それとも、わざとぶつけてるわけ? どちらにしても、 「……有希、見える? キョンのあの脂下がった顔」 「…見える」 「なんか、段々腹立って来たわ。あんなでれでれした顔が出来るんだったらあたしたちにだってもう少し見せてくれたってよかったと思わない?」 「思う」 「ほんっと、腹立つわ!」 憤慨してそう言ったあたしの横で、みくるちゃんはどこまでもほんわかと、 「でも、キョンくんも古泉くんも幸せそうで何よりです」 なんて呟いてる。 ほんと甘いわ。 そのうち二人はコンビニに入って雑誌を色々見てたかと思うと、アイスを買って外に出た。 それまでの甘ったるいやりとりなんて知りたくもない。 ほんと、鬱陶しい。 いつになったら部室の出入り禁止を解除出来るのか、今から心配になるくらいだわ。 二つに分けるタイプのアイスを二人で分け合って食べてるくせに、相手の分から一口ずつ分け合うなんて、何やってるんだか。 物凄く目立ってるってこと、分かってんのかしら? ……絶対、分かってないわね。 呆れてため息を吐くあたしの隣りで、有希は黙って二人を睨んでるのかって強さで見つめてたし、みくるちゃんは困ったように笑ってた。 …そりゃね、あたしだって思ったわよ。 キョンが幸せでよかったって。 古泉くんも幸せそうだし、見てるこっちは照れるけど、それでもやっぱり幸せのおすそ分けをもらってる気分にもなるわ。 でもね、それでも限度ってのはあるはずだわ。 祝福したい気持ちと苛立ちがギリギリのところでせめぎあってなかったら、あたしはもっとさっさと追跡をやめて有希とみくるちゃんと三人でストレス解消のためのカラオケ大会なんてやったりしてたかもしれないわ。 むしろ、そっちの方が絶対によかったと思う。 それなのにあたしが二人を追いかけ続けたのは、最後まで見守ってないと不安だったからだわ。 実際、あたしの不安は、困ったことに的中してくれた。 古泉くんとキョンはキョンの家の近くでしばらく話しこんでた。 しばらくっていうか……一時間近くってのをしばらくって言うとしたら、なんだけど。 いい加減呆れて帰ろうかとしたところで、古泉くんが帰ろうとしたところだった。 キョンが古泉くんに抱きついたのは。 やっと、とあたしたちは知らず知らずのうちに手を硬く握っていたわ。 古泉くんがキョンを抱きしめ返して、嬉しそうに何かを囁いた。 それなのに――そこまでいったってのに、よ? 古泉くんはこっちが脱力しちゃうくらいあっさりとキョンを離して、大人しく帰っちゃったの。 あそこは普通、キスのひとつもどーんとかますところでしょ!? 「私もそう思う」 有希が強く同意してくれたのは、反省会も兼ねて喫茶店に入ってからだったわ。 あたしが思わず声を荒げて古泉くんの不可解な行動について一席ぶった直後だった。 「す、涼宮さん、声が大きいです…!」 顔を赤くしてみくるちゃんがわたわたしてるのが見えなかったわけでもないんだけど、あたしは取るに足らないこととして無視した。 「なんでキスしなかったのかしら」 腕を組みながら椅子の背に体を投げ出すと、みくるちゃんが困りきった顔をして、 「ええっと……やっぱり、誰かに見られるかもしれないからじゃ…」 「そんなわけないでしょ。あれだけ、人目なんて気にせずに好き放題してたのよ!? あんな人気のない場所で今更そんなもの、気にするわけないじゃない」 「あう…ご、ごめんなさい…」 しょげかえるみくるちゃんの隣りで紅茶を吹き冷ましてた有希は、 「…古泉一樹に度胸がなかったから」 ってばっさりぶった切った。 「やっぱり、有希もそう思う?」 こくんと頷いた有希に、あたしは大きく頷き返して、 「そうよね。古泉くんって凄いへたれだし、鈍いし、奥手だし。下手すると、あれがキスする絶好のタイミングだったってことも気がついてないんじゃないの?」 「その可能性は非常に高い」 「よね。……まあ、そう言ったらキョンの方も怪しいんだけど」 変な顔もしないで家に帰ってったし。 明日、確かめてみなきゃ。 「そうして」 そんな風に、いつになく強く言う有希にあたしはまじまじと有希を見つめ返し、 「……有希、そんなに気になってるの?」 「……」 しばらく黙り込んだ有希は、あたしの目の前3センチくらいの空気を見つめているような、どこか焦点の合わない目をして、 「……幸せになってくれないと、困る」 「……そうよね。あたしも、あいつらがちゃんとくっついたんだって分かんないと安心して新しい恋も出来ないわ」 冗談めかして言ったのに、有希は真剣な顔のまんまで、 「そう。……だから、早く行くところまで行ってもらいたい」 なんて、顔に似合わず物凄いことを言ってくれたわ。 流石は、あたしの選んだ団員ってところかしら。 有希に頼まれたこともあったし、勿論あたしも気になってたから、翌朝、あたしはキョンと会うなり聞いたわ。 「デートして、しかもあれだけいい雰囲気になったってのに、キスしないってどういうことなの?」 一瞬ぽかんとしてあたしを見たキョンの顔が、見る間に真っ赤になってく。 「なっ…お、お前…!」 「普通あそこまでいったらキスするってもんでしょ」 「み、見てたのか!?」 「っていうか、あんたもいっそ自分からぶちかますくらいの度胸はないわけ?」 「いや、だから、お前見てたのか!? それとも誰かに聞いたのか!?」 「男同士なんだし、ううん、たとえ男女でも、どっちからキスするって決まってるわけじゃないんだからあんたからしたってよかったんじゃないの?」 「…頼むから会話くらい成立させてくれ」 がっくり脱力したキョンに、 「あんた、あたしの話聞いてんの?」 「それはこっちの台詞だ!」 「聞いてるんだったらあたしの質問に答えなさいよ。なんでキスもしなかったの!?」 「だから声が大きい…って、もう今更か…」 キョンはため息を吐いた後、寂しそうな顔になって、 「……やっぱり、変、だよな…」 「…あんたね、そんなことも確かめなきゃ分かんない訳?」 呆れを隠しもせずに言ってやると、キョンは今度はさっきとはちょっと違う意味で顔を赤くして、 「し、仕方ないだろ!? 俺は全然何も知らないんだから……」 全く、今の超情報化社会の中でどうしてそこまで純粋培養でいられたんだか本当に謎だわ。 ある意味、この世で一番の不思議って、こいつのことなんじゃないの? でも、本気で言ってるらしいキョンにそれを言うのは流石に気が引けて、 「…まあ、古泉くんが慎重だったってだけかもしれないけど…」 実際、あたしたちが見てたんだし、それなら他に見てる人がいなかったとは断言できないわ。 「そう……だよな」 あたしの無責任な発言にすがりたくなるくらい、キョンも不安だったみたい。 だからあたしは、 「キスして欲しいんだったら、あんたからそう言えば?」 「……ああ、そっか、その手があったのか」 キョンはそう本気で感心したみたいに呟いて、ぽん、と手を打った。 …古いわよ。 ともかく、その後のキョンは授業の間中上の空になってた。 休み時間もどこかぼんやりして、ずっとどうしたらいいのか考えてたみたい。 その結論は決まりきってて、何であんなに長い間考えてたのかって聞きたくなったわ。 キョンは、放課後、しばらく古泉くんと向かい合わせでゲームをしてた。 ――あ、部室への出入り禁止令はとりあえず解除してあげたわ。 そうじゃないと困るってキョンが頼んできたから仕方なく。 でも、状況によってはまた発令してやるんだから。 古泉くんはキョンが企んでることなんて全然分かってないみたいで、楽しそうにゲームしてたんだけど、キョンがいきなり、 「…なあ、……キス…してほしいんだが」 って恥かしそうに言ったら、大きく目を見開いた。 古泉くんにしてはなかなかいいリアクションだわ。 「なっ…!?」 「嫌か?」 「い、嫌とかそういう問題じゃなくてですね、なんでいきなり、それもこんなところで仰るんですか? 皆さんいらっしゃるのに…」 いなかったらよかったわけ? と思いながらも、あたしは、 「あたしたちのことなら気にしなくていいわよ。空気か部屋の飾りだとでも思ってくれたら」 「そ、そんなこと出来ませんよ!」 赤くなって慌ててる古泉くんに、キョンは不機嫌な顔で答えてあげる。 「俺だって、お前と二人だけの時にしたいに決まってるが、二人きりの時に言い出したって、どうせ得意の長話で誤魔化したりするんだろ。だから、今、この場で言ったんだ」 「誤魔化したりなんてしませんよ!」 「嘘吐け」 「嘘じゃありませんってば」 「じゃあ、今しなくてもいいから後で」 「ですから、そういうことはそんな風に言ってすることじゃないと思うんです。流れと言うか雰囲気と言うか…とにかく、そういうのがあってするものじゃないんですか」 「…じゃあ何か。お前は俺がしたいと言ってもしてくれないのか」 むすっと唇を尖らせて言ったキョンは完全に拗ねちゃってた。 なんか可愛い、って思ったのは多分あたしだけじゃないはずね。 有希も本から顔を上げてじっとキョンを見てたくらいだから。 「お前、やっぱり俺が男だから嫌なんだろ」 不貞腐れるキョンに、古泉くんは必死で、 「違いますってば」 って弁明を繰り返してるけど、違うって言うならばーんとキスくらいしちゃえばいいのに。 変なところで純粋っていうか、ロマンチストっていうか、照れ屋っていうか…。 あたしが呆れている間も古泉くんの分かるような分かんないような弁解は続いてて、キョンは段々と泣きだしそうな顔になってきてた。 古泉くんも流石に気がついてるみたいでどんどん必死さが増すのに、なんとかなだめようとしてるって方針自体が悪いってことには気がついてないらしくってどうにもならない。 最終的にキョンは椅子を蹴倒す勢いで立ち上がって、 「もう帰るっ!」 って怒鳴って飛び出してった。 「待っ…」 呼び止めようとした古泉くんの声も、ドアを勢いよく閉める音でかき消して。 途方に暮れた表情で立ち尽くす古泉くんに、あたしはキョンに代わって怒鳴ってやる。 「何とかしたいって思ってるんだったら、とっとと追いかけてってキスくらいガツンとしてやんなさーい!」 ほんとにもう、あの二人と来たらどうしようもなく手間がかかるんだから! |