古泉と一緒に帰るというのは別に初めてでもなんでもないのに、友人という関係から、恋人と言って差し支えのないような状態になれたためか、妙にドキドキした。 繋いでいた手を放したのは渡り廊下に出た辺りで、繋いでいた時間は本当に短かったのだが、それだけでも心臓が壊れるかと思ったくらいだった。 おまけに、手を放しはしても古泉との距離は変わらない。 手が何かの拍子にすぐ触れてしまうくらい肩を寄せ合って歩くのが照れ臭い。 噂が広がるだけ広がっているんだろう、帰り道でも、顔も知らない北高生に、 「見せ付けるなよ!」 なんて言われちまった。 古泉は苦笑しながらも嬉しそうに、 「羨ましがられてるみたいですね」 と耳元で囁いた。 「そう、なのか?」 面白がってるだけじゃないのかと思う俺に、古泉は優しく、 「たとえそうじゃなくてもそう思っておけばいいんですよ。あるいは、ちょっと変わった形の祝福だとでも」 「そう…だな」 あんな風に言われて、笑われても嬉しいのは、古泉が俺のなんだと思えるからだろう。 女子から時々向けられた痛いくらいの嫉妬の視線も、俺にダメージを与えるには足りなかったくらい、俺は幸せだった。 「…ハルヒに感謝、だな」 俺が呟くと、古泉は一層目を細めて、 「そうですね。本当に……何もかも、涼宮さんのおかげです」 「教室で叫ばれた時はどうしようかと思ったがな」 思い出すだけで恥かしい。 あんな風にクラス中の視線が集まったのは、ハルヒがSOS団を作ると言い出した時以来ではないだろうか。 国木田は普通の顔をして、 「へえ、そうなんだ。おめでとう」 と軽く言いやがるし、谷口は谷口で、 「お前、いくらもてないからって男に走るなよ」 と腹が立つほど同情的な視線を寄越した。 気持ち悪いとかなんとか言われる可能性も考えていたのだが、それはなく、あっけなさに拍子抜けするほどあっさり受け入れられちまったのは何だ。 そういう素地でもあったとでもいうのか? 「素地…そうですね。ある意味ではあったんじゃないでしょうか」 そんなことを古泉が言い出し、俺はぎょっとして古泉を見た。 どこか困ったような、苦い笑みを見せた古泉は、 「あなたはご自分では全然気が付いていらっしゃらないようですが、本当にもてるんですよ?」 「は? 何言ってんだ?」 「本当なんですってば。それも、男女問わずに人気がありますよね」 「ないだろ。大体、人気があるのともてるってのは違う」 「あなたの場合はほとんど同じですよ」 「だが、本当にもてる奴は告白くらいされるだろ。俺は長門とお前以外、誰にも告白された覚えなんかないぞ」 「うわ…」 らしくもなく古泉がそんな声を上げ、本気で憐れみを覚えているような顔になった。 「なんだよ」 「いえ……。本当に鈍いんですね、あなた」 「うるさい」 鈍いってことは自覚したからわざわざ指摘するな。 「だって、本当に酷いですよ。僕が知っているだけでも、つまりは機関が遡って調査した限りでも、あなたに告白して玉砕した人間は片手じゃ足りないはずですから」 「なんだそのいい加減な調査は」 機関も大したことないんだな。 「本当です。たとえばですね、」 と古泉は何やら言い立てようとしたが、俺は別に聞きたくもなかったので、 「古泉、これでもデートなんだろ。くだらん話はやめて、どこに行くか決めたらどうだ?」 と話をそらした。 古泉が少しの間、困ったような苦笑と共に黙り込んだのは、俺が話をそらそうとしたのを分かっているからだろう。 その上で、話を戻すべきかそれとも乗るべきか考えていたらしい。 最終的に、デートだからと思いでもしたのか、古泉は俺の話に乗った。 「そうですね……。どこか行きたいところはありますか?」 「特にないが……そうだな。とりあえず、そこに寄るか?」 俺が指差したのは、進行方向右手に見えるコンビニだった。 「そんなところでいいんですか?」 「デートだからって気張ったってしょうがないだろ。休日でもなけりゃ計画があるわけでもないんだし」 「……そうですね。あなたと一緒なら、どこでも嬉しいですし」 さらりとそんなことを言った古泉に、俺が顔を熱くしながら目を向けると、はにかむように目元をかすかに赤くしていた。 想像以上に初々しい。 「…お前、もしかして誰かと付き合ったこともないのか?」 抱いた疑問をそのまま口にすると、古泉は更に顔を赤らめて、 「ぅ…ぃ、い、いけませんか…?」 と恥かしそうに聞いてきたが、俺としてはこう返すほかない。 「お前…っ、なんでそう可愛いんだ」 「え…」 思わず撫で回したくなるような可愛さだ。 いじめ甲斐があると言い換えてもいい。 「何でそうなるんですか」 怯えたように俺から距離を取ろうとするが無駄だ。 むしろそんな反応をされると余計に可愛く思えてくるから不思議なもんだな、おい。 だから俺は古泉が抵抗するのにも構わず、手を伸ばして自分より高い位置にある古泉の頭を撫でてやった。 古泉は嬉しいくせに、強がるように恥かしそうな顔をして見せ、 「あなたって、意外と意地悪ですよね」 「そうか?」 「ええ。親しくなればなるほど意地悪になる気がします」 「……なら、お前が一番親しいってことだな。他の奴にはそんなこと言われたこともないぞ」 にやりと笑って言ってやれば、古泉はくすぐったそうに笑って、 「嬉しいですけど……あまり、いじめないでくださいね。へこたれてしまいそうになりますから」 …へこたれた古泉と言うのも見てみたいような。 「不穏なことは考えないでくださいね。お願いですから」 見透かしたように言った古泉に舌打ちをすれば、ため息が返って来た。 それから、コンビニの店内に入ったので一応辺りをはばかることにし、俺たちはデートだなんてことはおくびにも出さず、店内をぶらついた。 雑誌コーナーをのぞき、 「お前は漫画とか読むのか?」 「最近は全然ですね。小さい頃はそれなりに読んだりもしていたんですけど」 「まあ、お前のがよっぽど漫画みたいな生活してるんだしな」 軽く言えば、古泉は傷ついた風もなく、むしろ面白がるように、 「全くです。それを言うならあなたは恋愛シュミレーションゲームなんてものにはきっと用事がなかったんでしょうね」 用事がないという意味ではその通りだが、どういう意味だ。 「そのままですよ。あなたのおかれている状況をゲームか何かのように記号化して考えてみてください。どう考えてもそういうゲームみたいになりますから」 ……まあ確かに、ハルヒ、朝比奈さん、長門と美少女に囲まれているんだからそう言えなくもないかもしれないが、古泉にそんな風に言われるのは面白くない。 だから俺は渋面を作り、 「これがゲームじゃなくて残念だったな、古泉」 「はい?」 不思議そうに首を傾げた古泉に、 「普通そういうゲームでは野郎は主人公ひとりくらいであとは脇役だ。であれば、その脇役の、しかも男とくっつくなんてパターンはそうそうないだろ」 探しゃああるのかも知れんが。 「であれば、お前は俺みたいな平々凡々とした面白味もない人間に惚れられることも、何の間違いかそんな俺に惚れちまうこともなかったってことで、――残念だったな」 「ああ、そういう意味でしたか。いきなり言われたので何かと思いましたよ」 くすくすと笑った古泉は、内緒話をするように俺の耳に唇を寄せ、 「ご心配なく。僕はこれがゲームでも何でもなく、それ以上に奇妙な現実であることに感謝し、かつ満足していますから」 と囁いた。 でえい、くすぐったいっつうに。 思わず身を捩って逃げた俺に、古泉はまだ小さく笑いながら、 「僕が読むとしたらこの辺でしょうか」 とコンビニしては珍しく、一冊だけ置いてあった理系雑誌を手に取った。 「…好きなのか?」 「そうですけど…何か変でしたか?」 「いや、お前らしすぎて変な気分になっただけだ」 「僕らしすぎて、ですか」 くっと苦笑するように笑った古泉に、笑いごとじゃないと俺は返す。 「古泉一樹らしすぎる、ってことだ」 「深読みしすぎですよ。本当に、こういう雑誌が好きなんです」 根っからの理系人間ってことか。 「そうかもしれませんね。数学とか、問題を解き始めると止まらなくなったりする時があるので」 「お前……その頭、俺にも分けてくれ」 俺がどれだけ苦しんでると思ってるんだ。 年下のくせに生意気な。 「一緒に問題を解いたりする、ということでよければいくらでもお付き合いしますよ」 なんてさらりと返した古泉は、 「あなたは雑誌は買わないんですか?」 「専ら立ち読みだな。買う必要性はあまり感じん。大体、俺に雑誌なんて買っていられるだけの経済的余裕があると思うのか?」 「そうでしたね」 と古泉が笑ったのは、ハルヒに毎度奢らされている俺の情けなさを思い出したからだろう。 怨みがましく睨みあげれば、 「今度は僕もいくらか出しましょうか」 「要らん」 年下に金を出させられるか。 「別に気にしなくていいと思うんですが…あなたらしいですね。義理堅くて。でも、少しくらい何かプレゼントさせてくれませんか? …デート、なんですし」 恥ずかしげもなくそんなことを言った古泉を睨んでも無駄と踏んだ俺は、 「……百円までなら許容してやる」 と折れた。 「折れたって言うんですか、それで」 呆れたような古泉の呟きは無視だ、無視。 「まあ、いいでしょう。何がいいんです? アイスですか? お菓子ですか?」 そうだな…。 今日は割と暑いし、それならやっぱりアイスだろうか。 俺は古泉と一緒にアイスの入ったボックスに近づくと並んだアイスの群れをガラス越しに覗き込んだ。 定番のカップアイスやら安いのが売りの棒付きアイス、クレープタイプまで色々と揃っているが、ここで選ぶべきはやっぱりこれだろう。 「これでいいよな」 古泉の返事を聞くより早く俺が手に取ったのは、ソーダ味の棒付きアイス(2本入り税込み60円)だった。 「え」 絶句しかかった古泉は俺がレジの方へ向かおうとするのを慌てた様子で引き止めて、 「そんなのでいいんですか?」 と聞いてきた。 「そんなのとはなんだ」 これはこれで結構うまいんだぞ。 安くてうまい、最高じゃないか。 「それにだな、」 と俺は古泉にこっそりと囁く。 「こういうのを分け合って食べるのもよくないか?」 「っ……反則です…」 呻くように古泉は言ったが、何がどう反則だというんだか。 「何もかもですよ。そんな可愛いこと言わないでください」 アホかい。 「どこが可愛いっつうんだ。あと、そういう寝ぼけたことはこういうところで言うな」 カツン、と軽くアイスの角で頭を叩いてやっても、古泉は蕩けたような幸せそうな顔をしていた。 そういう顔は好きだが……複雑な気持ちに陥るのはなんでだろうな。 そんな顔をされるようなことをされた覚えがないからだろうか。 まあ、結局古泉が60円をきっちり10円玉六枚――50円玉の持ち合わせがなかったらしい――で支払い、俺たちはコンビニを出た。 外に出るとむわっとするような熱気が感じられたが、それにコメントする必要は感じず、俺はアイスを袋の上から二つに叩き折り、袋を開いた。 中から引っ張り出したうちの一本をくわえ、もう一本を古泉の鼻先に、 「ん」 と突きつけてやると、 「ありがとうございます」 と律儀に返事をした古泉がついでとばかりに俺の手から空になった袋を取り上げると、さっさとゴミ箱に放り捨てた。 ちびちびソーダバーを舐めながら、俺たちは歩きだした。 「アイスと言えば、僕、やってみたいことがあったんです」 「なんだよ」 「いえ、今回はちょっと意味がないですし…今度やってみます」 「気になるから言え」 と睨みあげてやると、古泉はちょっと困ったように笑ったかと思うと、いきなり顔を近づけてきやがった。 その手がソーダバーを持ったままの俺の手を握り締める。 「な…」 にしやがる、と言うより早く、古泉は俺の口元にあったソーダバーを小さくかじって、顔を離した。 「こんな風に、分けっこしてみたかったんです。今日は同じアイスですから、あまり意味はないですけど、今度やりましょうね」 なんてふわふわした笑顔で嬉しそうに言うから、俺は真っ赤になりながら、 「つうか、一口返せ」 と古泉の手首を掴み、無防備なアイスに噛み付いてやった。 取られた分より大分多めに取り返して顔を背ければ、古泉はかすかに声を立てて笑いやがった。 胸が昔懐かしくこっ恥かしい少女漫画でもないってのにドキドキしておかしくなりそうだ。 それもこれも、今時の少女漫画だって真っ青なくらい顔のいい古泉が悪い。 それにしても、このドキドキするってのはたちが悪すぎやしないか? 古泉を好きだと気がつく前、胸はドキドキするんじゃなくもやもやした。 そのもやもやは、好きだと言うことに気がついてしまえばそれ以前よりもずっと減り、付き合いはじめてからはほとんどなくなったってのに、このドキドキというやつは付き合いはじめてから余計に増えてきている気がする。 何か対処法を求む。 誰か俺に教えてやってくれ。 それから、まあ、なんだ。 色々と冷やかしながらゆっくり歩いて帰った割に、意外とあっさり家には帰り着いてしまうもので、俺はいつもよりもはるかに早い時間に家に到着する破目になった。 古泉は家の近くまで送ってくれた。 家までじゃなかったのは、一応俺の矜持に配慮してくれてのことだったんだろう。 別に俺が送って行ってもいいはずなのだが、そうならなかったのはあいつが一人暮らしだからだろうか。 よく分からん。 まあ、そんな風にして家の近くの路地で俺たちは足を止め、別れを惜しむようにまだ話していたのだが、 「それでは、そろそろ帰りますね」 と古泉が残念そうに言ったせいで、俺はつい、引きとめるように古泉に抱きついていた。 この暑さのせいか、周りに人影がなかったのも原因のひとつだろう。 驚きに息を呑んだ古泉に、 「…好きだぞ」 と呟くように言ったのは、いっそ聞こえなくてもいいと思ったからだ。 だが、古泉はなかなか耳がいいらしい。 嬉しそうに笑って俺を抱きしめ返しながら、 「僕もあなたが好きです。愛してます」 と言ってくれた。 それだけで、幸せに思えた。 だが、俺はよっぽど欲張りにでも出来ているんだろうか。 それで満足して体を離し、古泉を見送って自分も家に帰ろうとしたってのに、何かが足りないと思った。 物足りない。 だが何が? 首を捻りながら家に帰り、とっとと部屋に戻る。 そうして恥かしくも今日の初デートらしきものを反芻しようとしつつ、何気なくテレビをつけた。 たまたま映し出されたのは再放送のメロドラマか何かで、抱き合った男女がキスをしているシーンだった。 ……ああ、足りなかったのは、これなのか。 ぼんやりとそのキスシーンを見つめて俺は胸を押さえた。 今は別に、ドキドキしてはいない。 ただ、そこがずくりと痛んだだけだ。 古泉はどうして、キスもしてくれなかったんだ。 |