失言としか言えない



朝比奈さんはもしかして、身をもって俺に手本を示してくれたんだろうか。
そう思おうとしても胸の中でくすぶるもやもやしたものが消せないほど、身勝手な思いが体を蝕む。
いつになく古泉と朝比奈さんが親しくする様子を見て、酷く胸が痛んだ。
その場所は俺の場所なのにという勝手な独占欲が湧き上がり、体の中を黒く染める。
痛いくらいに思い知らされるのは、俺がどれだけ古泉を好きかということだ。
古泉を独占したい。
笑顔も、声も、言葉も、ちょっとした仕草の数々も見逃したくないし、それらが誰か俺以外の奴にほんの少しでも多く注がれるのが嫌だ。
古泉を知りたい。
俺のことを知ってもらいたい。
古泉の特別でありたい。
前に、古泉は言っていた。
俺だけ特別なんだと。
その意味がどんな可能性を持つのかなんてことを、その時の俺は少しも気付かずにいた。
だから、それ以上聞かなかった。
どうしてあの時もっとちゃんと聞いておかなかったのか、今頃になって悔やまれる。
あれがもし、俺と同じ意味なんだとしたら。
――そう思うだけで頭が沸騰しそうになるって時点で、どうしようもないのだが。
だが、そんな毛ほどもないような可能性に縋ってしまいそうな自分がいる。
古泉が俺と同じ意味で俺のことを好きでいてくれるとしたら、それだけでも胸が熱くなるほど嬉しい。
これが、人を好きになるってことなんだろうか。
考えながら、本を閉じた。
内容なんて全く頭に入ってないが仕方ないだろう。
長門が本を閉じる音が俺のそれよりはっきり響く。
「あら、もうこんな時間?」
ハルヒが言い、パソコンを終了させる。
「みくるちゃん、帰りに寄り道しない?」
「わあ、いいですね」
嬉しそうに笑った朝比奈さんは、
「じゃあ、あたし、お片づけとお着替え急ぎますね」
「いいわよ、ゆっくりで」
ハルヒはにんまり笑いながら俺と古泉に目を向けると、
「あたしたちは寄り道して帰るから、二人とも先に帰っていいわよ」
と言った。
ハルヒなりに気を遣ってくれたつもりだかなんだか知らないが、逆効果だと言いたい。
古泉と二人きりで帰るなんてのは、今の俺にとってはかなりの試練だぞ。
なんとか断れないか、と俺が逡巡している間に古泉はオセロを片付け終え、荷物をまとめる。
「帰らないんですか?」
そう聞かれ、俺は自動的に首を縦に振っていた。
…何やってんだ俺!
何でそこで頷いちまうんだ。
……多分、単純に嬉しかったんだ。
古泉と二人きりで帰れるってことが。
少なくともその間、古泉と話すのは俺だけで、俺が古泉を少しの間とはいえ独占出来るんだと思ったら、ぎこちなくなるかもしれないとか、そういう考えはどこかに行っちまってた。
実際、部室を出て昇降口に向かう間も、特に何か話したわけでもないのに嬉しくてならなかった。
胸の中が温かくて、隣りに古泉がいるというだけで幸せだった。
古泉の声を聞きたい、と思いながらもうまく話題を見つけられず、無理矢理搾り出した言葉は、
「お前、本当にもてるよな」
という僻みにしか聞こえない言葉で、瞬時に自分の頭を殴りつけてやりたくなった。
もう少しマシな話題があるだろうよ!
だが、古泉は気にした様子もなく、
「あなたほどではありませんよ」
とわけの分からない言葉を返した。
「はぁ? 何言ってんだ? 皮肉のつもりならそれなりに受けて立つぞ」
「違いますよ」
そう苦笑しながらも、説明しようとはしない。
今だったら煙に巻こうとするような長台詞だって、聞き入ってやったのに。
俺は小さく息を吐き、少しの躊躇いの後、
「なあ、嫌だったら答えなくてもいいんだが、ちょっと聞いてもいいか?」
「はい? 何でしょうか」
綺麗な目が俺の姿を写す。
それを覗き返しながら、自分が赤くなったりしないことを祈った。
「…前に、好きな相手には振られたって、言ってたよな。……好きな相手ってのは……今も、その人なのか…?」
「……ええ」
「振られたのに、か?」
「…はい」
苦しそうに短く答えるだけの古泉を見ているだけで、胸が締め付けられた。
けど、俺はもっと古泉を知りたかった。
「告白はしたんだろ?」
「いえ……」
「してないのか!?」
これは俺にとってかなりの驚きだった。
てっきり告白したものだとばかり思っていたのだ。
古泉ほどの男が振られたと言うってことは、告白して、確実に振られたということだと思っていたから。
だって、そうだろ。
俺みたいな平凡な面や、言っちゃ悪いが俺より更に酷い御面相の人間なら、告白するまでもなく振られる、というか、眼中にないと分かることもあるだろうが、古泉はそうじゃない。
顔はいいし性格も頭もいいのに、なんで。
「僕には、勇気がなかったんです」
苦笑混じりに古泉は言い、軽く目を伏せた。
「……それに、その人は、僕が好きになってはならない人ですから」
好きになってはならない?
血縁とかそういうことか?
「タブーという意味では近いですね」
「……その、どんな人なんだ? お前みたいな完璧な奴が好きになるような人間てのに興味があるんだが」
後半は要らなかったな。
不自然だ。
人間、本音を誤魔化そうとして饒舌になることはよくあることであり、俺の場合もそれが出ちまったと言うことだろう。
言ってから内心、かなり悔やんだ。
幸か不幸か、古泉は特に訝しむ様子もなく、小さく呟いた。
「……僕は、完璧なんかじゃありませんよ」
そう言って、力なく笑う顔も、好きだと思った。
支えてやれるものならそうしたくなるような、笑顔。
実際は俺なんかじゃ役に立てないのだろうが、それを悔しく感じられるほど、綺麗で悲しい笑顔だった。
「僕は、好きな人に告白する勇気もないんです。完璧なんかじゃありません」
そう繰り返した古泉に、
「告白するのに勇気がいるのは当たり前だろ」
俺だって、と声には出さずに呟く。
どうやって告白すればいいのかも分からないし、今の関係が壊れてしまうかもしれないと思うと、動くことも出来なくなる。
独り占めしたいと、愛して欲しいと、見っとも無いほどに思っているくせに。
だが、だからと言ってじっとしていたんじゃ変わらない。
果報は寝て待てという時代は終ったと、ハルヒだって言っていたじゃないか。
俺から動かなければ絶対に変わりっこないんだ。
告白するのは勇気がいる。
だが、
「告白しなかったら、もっと悔やむと思わないか」
声に出すと、それがいっそすっきりと腹の中に落ちた。
今しかない、と思った。
「あ、の…?」
戸惑うように俺を見る古泉を、真っ直ぐに見つめ返す。
そうして、
「――古泉、俺はおま…」
「やめてくださいっ!」
絶叫、と言っていいような声が響き渡り、俺は驚いて言葉を失った。
古泉の顔は赤くなどならず、むしろ青褪めている。
その目に涙が滲んで見えるのは、俺の気のせいだろうか。
「古泉…?」
「言わないで…ください……。どうか、諦めさせて、ください…。これ以上、……あなたの人生を、掻き乱したく、ないんです…!」
震える声で言う古泉に、悟った。
つまり、俺のこの自分でも持てますほどの感情はとっくの昔に知られていたということだったんだな。
は、と乾いた笑いが口から零れた。
「…すまん。迷惑、だよな。俺なんかに……思われたって」
そんな言葉だけでもびくつく古泉に、ずきずきと胸が痛む。
どうにかなってしまいそうなほど、痛い。
苦しさは、好きなのかと気付くまでのそれよりも遥かに強い。
だが古泉は言った。
「そうでは……ないん、です…。迷惑だなんて…そんな、おこがましいことは、思っていません…。……ただ、あなたには僕なんかよりも、よっぽど相応しい女性がいるではありませんか。涼宮さんも長門さんも朝比奈さんも……他にも。男同士で……なんて、非生産的で、人に後ろ指を指されるようなこと……あなたには、させられません」
なんだそりゃ。
俺は自分が泣きかけていたのも忘れて、ぽかんとした間抜け面で古泉を見つめた。
「古泉、今の話を聞いているとだな、……その、なんだ? 俺の思いあがりや過大妄想でない限りという前提はつくんだが、まるきり、お前も俺のことをす、」
「だから、言わないでください!」
――つまり、何か。
男同士だというだけのことで諦めろと、思いを告げることも許されず、女子と付き合えなんぞということを言われたわけか、俺は。
それも、ちゃんと思いあっているのに。
……ふざけるなよ。
古泉のことは好きだ。
それこそ、自分でもどうしようもないくらい好きだとも。
だがな、そんなことを言われて腹が立たないはずがあるか。
百万歩くらい譲って、そこまで俺のことを考えてくれて嬉しいと思ったにせよ、そんなものは爪の先くらいのものであり、大部分はこの馬鹿に対してぶちきれていた。
俺は相手に好意を抱いているはずだというのに、むしろ憎んでいるかのような眼差しを向け、
「そんなに男同士がダメだって言うんだったら、ハルヒに愚痴るか長門に頼むかして、女になってやろうじゃないか! それで問題ないんだろ!?」
そう怒鳴りつけると、呆然としている古泉を置いて引き返す。
もう一度坂を上ることも苦じゃないほどに、俺は切れていた。
そうして、正門まで戻ったあたりで、ハルヒたちに合流出来た。
「どうしたの? キョン。怖い顔して」
「…古泉の馬鹿さ加減が頭に来た」
「……なんだかわかんないけど、話を聞いた方がいいのよね?」
こくりと頷くと、
「じゃあ、部室に戻るわよ」
と号令をかけた。
心配そうに俺を見ている朝比奈さんにも長門にも何も言えず、俺は黙ったまま歩いた。
何をどう話すべきだろうかと考えていたのだ。
だが、実際部室に戻り、椅子に座った後、
「で? 何があったのよ」
と聞かれて、口から飛び出したのは、
「……なんで、俺は女じゃないんだろうな」
という情けない鼻声だった。
涙も一緒に零れ落ち始める。
その俺の頭を優しく撫でたのは、長門だった。
「泣いていい。泣いた方が楽になる」
その言葉は長門にしてはとても実感が込められていて、長門もそんな風に泣いたんだろうと思った。
流石に声は上げなかったものの、しばらくしゃくり上げながら泣く俺の手を、ハルヒが優しく握り締め、朝比奈さんは落ち着くようにとお茶を淹れてくださった。
「古泉くんに…告白したの?」
ハルヒの問いに、俺は首を振る。
「しようと、したら……っ、止められ…て、」
「止められた? …全く、古泉くんときたら……」
「俺が、男だから、男同士で付き合うなんてこと、俺にはさせられないとか……、わけ、分からん…あいつ……」
「…そういうこと」
ハルヒはため息を吐いて、俺に聞く。
「それであんたは、女の子になりたいわけ?」
「…なれるもんなら、なりたい。それで、古泉が……付き合って、くれるん、なら…」
恥かしさに言葉を詰まらせながら言うと、ハルヒは優しく笑った。
「そう。…そんなに、古泉くんが好きなのね」
「好き、なんだ。古泉の…彼女に、なりたい……」
そんなことを呟く俺を、ハルヒはたしなめもせず、ただそっと背中を撫でてくれていた。

これで本当に女になれるかなんてことは俺には分からない。
ただ、こうして話を聞いてくれる友人がいるということを、俺は間違いなく、喜ばしいことだと思った。