不慣れでも頑張るのは



「煽るって、具体的にどうしたらいいんでしょうか…」
あたしが聞くと、涼宮さんは答えました。
「キョンの場所を奪ってやるってくらいの勢いで、古泉くんに接近してやったらいいのよ」
キョンくんの場所って、古泉くんの前の席ってことでしょうか。
それを取っちゃうってこと?
なんだか凄く悪いことみたいです…。
でも、あたしは涼宮さんに逆らえません。
それに、涼宮さんと長門さんがいいって言うなら、きっとそれで大丈夫なんだと思うんです。
だからあたしは、その日の放課後、古泉くんがやってくるなり、
「古泉くん、今日はあたしとオセロをしませんか?」
って言ってみたんです。
あたしがそんなことを言い出すのがとっても意外だったみたいで、古泉くんはきょとんとした顔であたしを見ました。
「朝比奈さんとオセロ、ですか?」
「は、はい。たまにはあたしもやりたいなぁって思って…」
変に思われて断られたりしなきゃいいんだけど…。
びくびくしながら言ったあたしに、古泉くんは優しく笑って言いました。
「いいですよ。すぐに用意しますね」
やっぱり古泉くんは優しいです。
女の子に人気なのも、キョンくんが好きになっちゃったのも、納得ですよね。
あたしはいそいそと古泉くんの座る席の前にあたしの椅子を持って来ました。
別に、キョンくんの椅子に座ってもよかったかもしれないけど、それはなんだかキョンくんに悪いような気がしちゃったから、やめておきます。
少し横に避けさせてもらったけど、それくらいはいいですよね?
古泉くんはその間に、自分の荷物を机の下において、オセロを棚から取り出します。
箱の中から取り出そうとしたら、ふたが甘かったみたいで、オセロの石がばらばらと床に零れ落ちちゃいました。
「わっ…」
小さく声を上げる古泉くんを珍しいなぁなんて思う余裕もなく、あたしも慌てて石を拾い始めます。
「すみません」
一緒に机の下に潜り込んで石を拾い集めながら、古泉くんが苦笑混じりに言いました。
「いいですよ。でも、珍しいですね。古泉くんがうっかりしちゃうなんて」
「そうでもありませんよ。時々、間の抜けたことをしてしまって怒られてますから」
そんなことを言ってため息を吐いてるけど、古泉くんはどこか嬉しそうに見えました。
怒られるのも嬉しいってことだとしたら、相手は誰でしょう。
キョンくん?
それとも、古泉くんの家族かな。
あたしは、未来から来たと言っても、何もかも知ってるわけじゃありません。
古泉くんがどんな風に生きてきたのか、今、どんな風にして暮らしているのかなんてことは、あたしは知りません。
でも、古泉くんを見てると思うんです。
愛されてるんだなって。
少なくとも、古泉くんのことを本気で想ってくれてる人たちがきっといるんだと思います。
古泉くんが気付いているのかどうかは分からないけど、本気で考えて、愛して、慈しんでくれる人たちがいるんだなって。
それが、あたしにはちょっと羨ましいです。
今の時代では、あたしはひとりだから。
「朝比奈さん? 全部拾い終わりましたよ?」
古泉くんに言われて、あたしは慌てて机の下から這い出しました。
「あ、す、すみません。あたしったら…ぼーっとしちゃって…」
「どうぞお気になさらないでください」
そう言って古泉くんはにこっと笑って見せました。
本当に、王子様みたいな笑顔です。
こうやって、ファンを増やしちゃってるんですね。
それも多分、無意識に。
キョンくんもたちが悪いけど、古泉くんもだわ。
ちょっとだけ呆れてると、古泉くんが首を傾げたので、あたしは、
「じゃあ、始めましょうか」
って椅子に座り直しました。
古泉くんが手際よく石を置いてくれて、あたしが先手で始めました。
「朝比奈さんは、オセロをしたことはあるんですよね?」
「はい。…えっと、古泉くんは覚えてないかな。初めて古泉くんがここに来た時、キョンくんと長門さんと三人で遊んでたんですけど」
「…ああ、言われてみれば、そうでしたね」
古泉くんは懐かしそうに目を細めます。
「もう、随分と経ったものですね」
「そうですね」
あの頃はこんな風になるなんて思わなかったのに、不思議です。
「全くですね」
小さく笑った古泉くんは、
「僕が来て以来、彼とゲームをするのは僕だけになってしまっていたわけですね。そう思うと、朝比奈さんにも長門さんにも少々申し訳ない気がします」
「あたしはいいんです。お茶を淹れたり、お片づけをしたり、することは色々ありますし、キョンくんが楽しそうだったから…」
長門さんは、と思って見たら、長門さんは本を見つめ続けながら、
「私もいい」
やっぱり読書の方が好きってことなんでしょうか。
それとも、別に理由があるのかな。
古泉くんは柔らかく微笑んで、
「ありがとうございます」
って言いました。
あたしは、石の立てるパチンという気持ちのいい音を聞きながら、
「このオセロ、持ってきたのはキョンくんなんですよ」
「そうだったんですか?」
「うん。…ほら、部室の中でじっとしてても退屈でしょう? 最初の頃は色々お話しするのも難しかったから、キョンくんもなんとかしたかったんだと思うんです。家の押入れから、わざわざ探してきてくれたんですよ」
「なるほど、道理で使い込まれていると思いました」
そんなことを言いながら、古泉くんは優しい眼差しを盤上に注ぎます。
キョンくんのものだと思うと余計に愛しいってことなのかな。
そのまま、またしばらく黙ってオセロを続けてたんですけど、あたしは自分のやらなきゃいけないことを思い出して、なんとかお話しようと思いました。
それで、
「最近は、閉鎖空間はどうですか?」
って言っちゃうのもどうかと思うんですけど…。
「発生状況は、朝比奈さんもご存知でしょう? 頻度は少なくなっていて、非常にいい状態だと思いますよ」
古泉くんの表情は変わりませんでした。
優しい、いつもの表情のまま。
強張りもしなければ、嫌な顔にもなりません。
それくらい、自然なことになっちゃってるってことなんだとしたら、それはいいのかどうか、あたしにもよく分かりませんけど、辛いと思ってないならいいことのように思えます。
「古泉くんが怪我しちゃったりすることはないんですか?」
「大丈夫ですよ。…心配してくださって、ありがとうございます」
「心配してるのは、あたしだけじゃないです。分かって…ますよね?」
あたしが聞くと、古泉くんははっきりと頷いてくれました。
「ええ。よく、分かっているつもりです。……本当に、嬉しい限りですね」
そう言って、古泉くんは唇をほころばせました。
「くれぐれも、怪我には気をつけてくださいね」
重ねてあたしがお願いすると、
「はい」
と答えてくれたので、あたしもほっとしました。
そこで、こんこん、とノックの音がしました。
「はぁい」
あたしが答えると、ドアが開きます。
入ってきたのはキョンくんでした。
「こんにち…は」
変な間が空いちゃったのは多分、あたしと古泉くんがオセロをしてたのに驚いてだと思います。
その後ろから涼宮さんが顔を見せて、
「何? 今日はみくるちゃんとオセロしてるの?」
なんて言ってます。
苦笑しながら、
「朝比奈さんから誘っていただけたものですから」
って答える古泉くんに、ちょっとだけ、キョンくんの眉間に皺が出来ます。
「あ、お茶、すぐに淹れますね」
あたしは慌てて立ち上がりかけて、ちょっと思いついて、古泉くんに顔を近づけました。
内緒話でもするみたいに、
「お茶を淹れたら、続きをしていいですか?」
って聞いたら、
「ええ。お待ちしてますね」
って笑顔で返されます。
古泉くん、キョンくんの顔、見えてる?
凄く不機嫌な顔になってるのに。
しかも、ムカムカしてるんだけど、ぶつけどころがないって顔。
あたしが狙ってやったこととはいえ、申し訳ない気持ちになります。
でも、涼宮さんはお気に召したみたいで、キョンくんと古泉くんには見えないように、こっそり、あたしに向かって親指を立てて見せました。
ほっとしながらいそいそとお茶を淹れます。
やっぱり、お茶を淹れるのって落ち着きますよね。
もっと本格的に勉強しようかなぁ。
「はい、涼宮さん」
「ありがと、みくるちゃん」
「いいえ」
涼宮さんの眩しいくらいの笑顔に、あたしも笑顔で返します。
長門さんの分はテーブルに置いてあげて、キョンくんと古泉くんの前にもお茶を差し出します。
キョンくんは、今日は読書をすることにしたみたいで、本棚から出してきた難しそうな本を見てますけど、読めてないのがすぐに分かる感じでした。
「キョンくん、お茶をどうぞ」
「ありがとうございます」
そう言って笑ってくれたけど、ぎこちない笑みでした。
それに、なんだか疲れてるみたい。
また何かあったのかな。
心配しながらも、今は作戦の真っ最中なので、あたしは古泉くんにお茶を出して、さっき座ってた席に座りなおしました。
そうして続きで遊んで、少しすると勝負がつきました。
置かれた白い石の数と黒い石の数はほとんど同じでしたけど、少しだけ白い石が多くなってました。
「古泉くんの勝ちですね」
「結構いい勝負になりましたね」
ふたりでほんわかした気分になってると、古泉くんがちらっとキョンくんの方を見ました。
やっぱり、気になるみたいです。
だったら、そう言えばいいのに。
古泉くんにもキョンくんにも悪いけど、今日のあたしは意地悪なんです。
「古泉くん、もう一回しましょ? 今度はあたしが勝ちますから」
「え? …ええ、そうですね」
嫌なら断ってもよかったのに、古泉くんは簡単に頷きました。
あたしたちが石を並べなおしていると、突然、涼宮さんが言いました。
「古泉くん、女の子泣かせたって本当?」
え? そうなんですか?
「えっ…」
古泉くんの顔が一瞬で青白くなりました。
とてもびっくりしてるみたいです。
ってことは本当なのよね。
凄いグッドタイミングです。
…もしかして、涼宮さんが望んだせい、かな…。
だったらちょっと困るかも、と思っている間に、古泉くんに涼宮さんがもう一度言います。
「どうなの? 本当なの?」
「ええと……泣かせてしまったのは、事実です。でも、それは彼女に告白されて、それに対して謝罪しか言えなかったからであって、悪気はないんです」
困ったように古泉くんが説明すると、涼宮さんは意地悪なことを言います。
「なんで断ったの? 可愛い子だったんでしょ?」
「それは……彼女が悪いとか、そういうことではないんです。ただ、僕が……他に、好きな方がいる、だけで……」
古泉くんは、どうしてこんなことをキョンくんの前で言わされるのか、不思議で堪らないって感じでした。
でも、あたしには分かります。
キョンくんがどんどん、困ったような、思い詰めるような表情になってくのが。
これが、あたしたちの思った通りになってくれてるんだったらいいんですけど。

あたしがこれだけ慣れないことを頑張ったんだもの。
きっと、思いは通じますよね?