我慢の限界を知る



私は、同一の目的で作り出された同種の端末の中でも、忍耐強い個体だと認識されている。
だからこそ、いつ動きがあるとも知れない涼宮ハルヒの観察を任された。
直接的な干渉が可能になってもそうしないでいるということには、やはり忍耐を要する。
でも私は、それを任されたということに、人間の言う誇りのようなものを感じていたから、耐え続けた。
涼宮ハルヒへの干渉も、現状打破への欲求も、あるいは、周囲の人々の心を明確に読んでしまいたいという欲も、抑え続けてきた。
私が忍耐強いとする認識はおそらく間違っていないと思う。
…でも、焦れったい。
そんなことを思いながら、私は横目で彼らの様子をうかがった。
今日は二人でオセロをしている。
会話は特になく、盤上は彼の方がいくらか優勢。
でも、古泉一樹も負けていない。
それはきっと、彼が勝負に集中しきれていないから。
本当なら、集中するまでもないほど、彼と古泉一樹の力量には差がある。
今は、彼が勝負よりも目の前の古泉一樹を見つめ、その動きを網膜に刻み付けたいかのように追い続けるのに必死だから、勝負が等閑になり、古泉一樹の優位になっているだけ。
それを分かっていて、時々更に彼の精神状態を掻き乱すような言葉を掛ける古泉一樹は、意地が悪い。
彼も似たようなことをしていたけれど、古泉一樹はそれでも喜んでいたから構わなかった。
彼は違う。
からかうような言葉を掛けられるだけで心拍数も体温も上昇する。
古泉一樹の真意を計れず、それを計りたくてまた古泉一樹を見つめる。
――私に言わせると悪循環としか言いようのないことを繰り返す彼は、可愛い。
恋する乙女のようだと、幾冊もの恋愛小説を読み込んだ頭が勝手に付け足す。
少し前までは、古泉一樹の方こそそんな状態だったのに、気が付けば平然としてしまっているのが、憎らしく思えるくらい、今の彼は「恋する乙女」になってしまっている。
私もまだ、心中穏やかではいられないほどなのに。
それにしても、この二人を見ていると、既に恋人同士になっているように見えなくもない。
見た目や雰囲気だけなら、付き合っているとしか思えないほどなのに、どうして付き合い始めることさえしないんだろうか。
それが人間として自然なことなのかはよく分からないけれど、何かがおかしいような気がする。
私が読んだ作品には、ハッピーエンドと呼ばれる幸せに終わる話が多かったけれど、悲恋も多かった。
片思いをし続ける話もあった。
あるいは、すぐさまお互い恋に落ちる話も。
中には彼らと同じように、いつまで経っても付き合い始めず、お互いに片思いし続け、周囲にやきもきさせる話もあったけれど、実際にそうされてしまうと、対応に困る。
私が諦めたのだから、彼らには幸せになってほしかったのに。
…あるいは、私が読んだ話のように、周囲にいる私たちが工作を加え、干渉しなければ進展もしないということなのだろうか。

そのようなことを、要約して伝えたところ、涼宮ハルヒと朝比奈みくるは、揃って難しい顔をした。
黙っているのは、考えをまとめているからだと分かる。
そうして、先に口を開いたのは、朝比奈みくるだった。
「とりあえず…お二人が付き合い始めないのは、多分、まだ勇気が出ないからじゃないかなって、あたしは思います」
「勇気?」
「うん。…長門さんだって、告白するのって、勇気が必要だったでしょう? だから、まだ付き合い始めないのかなって…」
「甘いわみくるちゃん」
と涼宮ハルヒは嘲笑するように言った。
ただし、嘲笑の対象は彼ら。
「そんなの、あいつらがヘタレだからに決まってるじゃない」
憤然と言い放った涼宮ハルヒは、
「有希も気になってたのね。あたしも、あいつらがいつまで経ってもくっつかないからやきもきしてたんだけど、有希の手前、言い出すのも悪いかと思って大人しくしてたのよ」
と笑って言い、
「有希がいいなら、だけど、あたしたちがお節介を焼いてやるべきじゃない?」
「……私はどちらでも構わない」
ただ、焦れったいのも事実。
「じゃあ、やっちゃいましょう。あたしも、それを利用して親友って言う立場を固めてもいいと思うし」
朝比奈みくるは心配そうに私の顔をのぞき込んで、
「本当にいいんですか?」
「いい」
私がそう答えると安心したように笑って、
「よかったぁ…。あたしも、ハラハラするのはもう十分って、思ってたんです」
本当は、完全にそれでいいとは思っていない。
まだ、本気で祝福できる状態ではないと思う。
胸の中でもやもやとわだかまるものもある。
でも、それでも私は、あの二人の笑顔が見たい。
それくらいには、古泉一樹のことも、私は好き。
「じゃあ、どうしましょうか」
涼宮ハルヒはウキウキと腕を組む。
「働きかけるなら、古泉一樹は対象として不適当」
私が言うと、涼宮ハルヒも頷き、
「前に、古泉くんに発破を掛けようとして失敗したって言ってたわね。それに、あたしたちがどれだけ言っても聞かないってことは、これ以上何をしたって無駄だろうとは、あたしも思うわ。でも、機会があれば危機感をあおってやるくらいのことはしたいわね」
意地悪に、でも優しく笑う彼女は本当に魅力的だと思う。
「じゃあ、キョンくんの方に、告白しなきゃって気持ちを起こさせないとダメってことですよね? うぅん、どうしたらいいんでしょう…」
真剣に考え込む朝比奈みくるも。
そんな人たちと、友人として共にいられることを嬉しく思いながら、私も一緒になって考える。
彼はああ見えて頑固だから、一度そうと決めたらてこでも動かないだろう。
逆に言えば、告白するしかないと思わせればそれで十分ということ。
問題は、どのようにしてそう思い込ませるか。
「…どんな状況に陥った時、告白するしかないと思うもの?」
私が聞くと、朝比奈みくるが愛らしく唸りながら、
「えぇと……もうこれで自分は死んじゃうかもしれない、とかそういう時に、ってよくありますよね。テレビとかで…」
と言ったので、なるほどと頷きかけたところ、
「だめよみくるちゃん。それじゃ死亡フラグが立つだけだわ」
と涼宮ハルヒに一蹴されてしまった。
…死亡フラグって、何?
問う代わりにじっと涼宮ハルヒを見つめてみたものの、残念ながらうまく通じなかった。
彼でないと分かってもらえないのだろうか。
「でも…追い詰めるって意味ならいいかもしれないわね。んー……古泉くんが都合よく病気になったり、事故にあって入院、なんてことにならないかしら?」
涼宮ハルヒがそう願えば起きる可能性は高い。
ただ、それは危険すぎると判断されたので、
「難しい」
と口にして打ち消す。
「そうよね…。そう都合よくなんて行かないもんよね」
軽くため息を吐いた彼女は、
「……古泉くんが誰かに告白されたりしたら、どうなると思う?」
「…分からない」
と私は正直に言った。
「それに触発されて、彼が危機感を抱く可能性はある。でも、性別の差をより強く認識した場合、彼まで諦めてしまう可能性も高い」
「…もう、めんどくさい奴らね」
私もそう毒づきたい気分になる。
その時、朝比奈みくるが口を開いた。
「あの……あたし、ちょっと思ったんですけど…」
「なに? みくるちゃん」
「えっと、キョンくんって、本当に恋愛とか、慣れてないんですよね?」
「そんなの見てれば分かるじゃない」
苛立った言葉を投げつける涼宮ハルヒにびくつきながら、朝比奈みくるは言葉を続ける。
「古泉くんのことを好きって気付くまでにしても、涼宮さんやあたしが言わなかったら全然気付かなかったんじゃないかなって、思うくらいだったでしょう? だからもし、他にも古泉くんを好きな人がいるんだって気が付いたとしても、それですぐにどうしようって決めちゃったりはしないんじゃないかなって思うんです」
「……どういうこと?」
涼宮ハルヒが興味を持った様子で朝比奈みくるを見つめる。
朝比奈みくるの方は、そのことで余計にプレッシャーを感じた様子だったけれど、ちゃんと言葉を繋いだ。
「キョンくんのことだから、きっと、また…ぐるぐるって考え込んじゃって、悩んで、自分でどうしたいのかもよく分からなくなっちゃうんじゃないかな。…もし、もしも、ですよ? そこで、あたしでも涼宮さんでも長門さんでも、誰でもいいんです。誰かが、そんなに好きでライバルもたくさんいるんだったら、告白して、自分を好きになってもらうしかないんだって言っちゃったりしたら、キョンくんは素直に受け止めるんじゃないかな…?」
「――みくるちゃん」
「は、はいっ?」
怒鳴られるとでも思ったのか、身を竦ませた朝比奈みくるの肩を、涼宮ハルヒががっしと掴む。
そうして、明るい笑顔を見せ、
「冴えてるじゃないの! よく思いついてくれたわ!」
「え、あ、ありがとうございます…?」
「その線で行きましょう」
とまとめにかかる涼宮ハルヒに、朝比奈みくるは慌てて、
「あ、で、でも、都合よく古泉くんが告白されるなんてことはなかなかないと思うんですけど…」
「その時はその時よ。誰かに頼んで告白してみてもらってもいいし、そうじゃなかったら、告白されてたって嘘の情報を聞かせてやったところで、キョンのことだから確かめたりしないと思うわ」
自信たっぷりに言った彼女は、
「うまく協力者を見つけられたらもっと具体的に決めるけど、とりあえず今は大まかな分担を決めましょう」
と仕切り始める。
「告白って言ったらやっぱり放課後よね。となると、翌朝一番に顔を合わせるのはあたしになるから、あたしが相談に乗ることにしていいわよね? それから、みくるちゃんはキョンをうまくひっかけられたかどうかは別にして、とりあえずキョンのことを煽ってちょうだい」
「えええ…?」
戸惑いの声を上げる朝比奈みくるにも構わず、涼宮ハルヒは最後に私を見た。
「有希は、あたしたちのサポートをしてくれる? 協力者を探したり、うまくキョンにうわさ話を流したり、色々やるべきことはあるから」
「了解した」
そう返しながら、私は胸の中が熱くなるのを感じた。
私にもっと具体的な役目を与えなかったのは、彼女の優しさだと分かったから。
私がまだ積極的に関われないことを分かっていてのことなんだと、伝わったから。

こんな幸せもあると、改めて思った。