告白してきたのは



彼が僕を見ている。
僕の指先を、あるいは目を、手を、肩を、背中を。
その視線はくすぐったいほど熱心で、その意味に気がつくまでにそんなに長い時間は要さなかった。
「どうかしましたか?」
チェス盤上に駒を置きながら僕が問うと、彼はぱっと顔を赤らめて、
「な、んの話だ?」
と言った。
彼がそんな風にどもるなんて、なんだか不思議な気がしたけれど、あえてそこは追及せず、
「いえ、さっきから随分熱心に僕の方を見ておられるので、僕の顔に何か付いているのかと思いまして」
「別に、そんなんじゃない……」
口ごもるように小さな声でそう言って、彼はチェスピースを動かした。
彼が気もそぞろになっているからだろうか。
このところ、彼と僕の勝負は五分五分になることが多い。
勝率まではこれまでに積み重ねてきたものがあるから同じくらいとまではいかないけれど、このまま彼の調子が悪くなっていくようなら、僕が連戦連勝なんて状態に陥ることも、ありえない話ではないかもしれない。
「最近、あまりゲームに集中してくださらないんですね。…やっぱり、僕とじゃ退屈ですか?」
ぽつり、と呟いてみると、彼は慌てた様子で、
「いや、そういうんじゃない」
「そうなんですか?」
「…ああ……」
困ったように視線を伏せる彼が可愛くて、僕は思わず口元が綻ぶのを感じる。
「…それなら、いいんです。あなたが嫌々付き合ってくださっているのなら申し訳なく思っただけなので」
「遠慮すんなよ」
そう言って彼は笑う。
「こう見えて、俺も楽しんでるんだからな」
優しい言葉に、
「ありがとうございます。そう言っていただけると気が楽になります」
と正直に返せば、何故だか軽く顔をしかめられてしまった。
「…大袈裟なんだよ、お前は」
不貞腐れたような表情で言いながら、彼はさり気なく僕から視線を外した。
照れているのか、それとも今の彼にとってはこれくらいのやりとりが限界ということなんだろうか。
これまでずっと、僕をからかってきていたのは彼の方だったのに、今では彼の方が僕のちょっとした言葉や仕草に赤くなり、挙動不審に陥る。
少し近づくだけで、慌てて距離を取る彼。
僕が何かしているとぼんやりと、まるで見惚れるように見つめてくる彼。
そうなると、長門さんの言葉もあり、僕にもやっと分かった。
彼が僕のことを好きになってくれたということが。
でも……やっぱり、いけない。
現代日本において、同性愛ということは余りにもリスクが高い。
人から後ろ指を指される、なんてことで済むならまだいいだろう。
もし人に知られたら、差別され、仕事や交友関係に支障を来たすということだって考えられる。
何より、彼があの仲の良い家族に嫌われ、縁を切られるようなことになってしまったらと考えるだけで胸が痛む。
彼の家庭を直接に見たことは数えるほどしかないけれど、見ているだけで羨ましくなってしまうような、理想的な家族の形のひとつだと思った。
あの家族を壊したくない。
それは、ばれなければいいというものじゃない。
彼に、家族にも口に出来ない秘密を抱かせたくない。
そんな秘密は彼には似合わないし、そんなことを強要したくもない。
だから、涼宮さんが許してくれていても、だめだ。
僕は、彼の人生を穢したくない。
それに、と僕はまだほんのりと赤い顔をしたままチェス盤を見つめている彼を、気付かれないようこっそりと見つめる。
その頬の色以外はいつもと変わらないように見える。
僕のことを好きになってくれた、あるいは、そうと自覚してくれた後も、僕たちの関係は変わらない。
彼が何も言ってこないからだ。
つまりは、彼の方もそれでいいということなんだろう。
彼は賢い。
そうでなければ、聡いと言った方がしっくりくるかもしれない。
決して冷めているわけではないのだけれど、かといって、情熱的であるとも、少々言いかねるくらいの人だ。
そんな人が、人並み以上の苦労をすると分かっていて、道ならぬ道に足を踏み込むはずなんてない。
だから僕は沈黙を守る。
守り続けていくと、決めた。

「好きなんだ。…お前のことが」
そう言われたのは、その翌週のことだった。
誤解のないように言っておくと、そんなことを言ってきたのは彼じゃない。
同じクラスの女生徒で、特進クラスだからなのか、勉強ばかりで生白い色をした男性諸氏以上に男前で、しかも理系肌のボーイッシュな女性だ。
どことなく、彼と似たようなところがあると言えなくもない。
さばさばしていて、でも思いやりがあって、懐が深い。
顔こそ平均的とはいえ、男女問わず人気のある人だ。
本人としては、男性陣には同類としか思われていないと笑っていることもあったけれど、そればかりでないことは、傍観者である僕には明白なことだった。
そんな鈍さも、どこか彼と似ているので、僕も時々彼女を見ていたのだ。
他の女生徒と比べて、頼み事などもしやすかったので、話す機会も時々あった。
しかし、彼女が僕を慕ってくれているということを、僕は想定もしていなかった。
完全に、彼女を異性として意識していなかったのだ。
だから、中庭に呼び出された時も、何かの冗談だろうかなんてことを思いながらやってきたのだった。
…これでは彼のことを笑えないな。
そんなことを考えながら、僕は正直に言う。
「…すみません」
いつも気丈で、明るく笑っている彼女の顔が、かすかに歪む。
胸の辺りを握り締めた指が、ほんの少しだけ震えて見えた。
「好きな相手でもいるのか…?」
問われて、僕は少しの間考え込んだ。
言ってしまっていいものかと。
それくらいはいいんだろうか。
それとも、そうと人に知られ、観察されればすぐにばれてしまうだろうからと隠すべきなんだろうか。
……大丈夫だろう、きっと。
「……ええ」
たっぷり悩んだ後、僕がそう答えると、彼女はキッと僕を睨み上げ、
「そうやって、好きだってことを躊躇う程度の相手なのか? すぐに断れるってことは違うんだろ? だったら、そうやって、躊躇って見せんなよ…! もしかしたら、望みがあるのかもしれないって、思っちまうだろうが…っ…」
まだ僕を睨んでいるその目から、涙が零れだす。
それでも、僕の胸は良心の呵責に疼くだけだ。
これは彼を想う時の胸の高鳴りとは違うものだ。
「すみません」
謝りながら、僕はポケットからハンカチを取り出し、彼女に渡した。
素直に受け取った彼女は、それで目元を押さえながら、
「悪い……。泣く、つもりは、なかったんだけどな…」
「いえ、僕の方こそ…すみません」
「いいんだ。……それくらい、好きな人がいるんだろ?」
「ええ」
今度は即答すると、彼女が小さく頷いた。
「だったら、いいや」
そう呟いて、
「あたしさ、自分のこと男みたいだと思ってたし、正直女の子の方が可愛いなとか抱きしめたいなとか色々思うんだけど、古泉くんだけは、違ったんだ。一緒に歩けたらとか、そういうこと、色々考えた。それくらい、男子を好きになったのって初めてだったから、…らしくもなく、告白なんてしたくなったんだと思う」
「らしくない、なんて、そんなことは…」
「いいんだ、自分のことくらいよく分かってるから」
小さく微笑み、
「当たって砕けろ、っていうよりむしろ玉砕上等って気分だったしな。……古泉くんが、あたしのこと、意識してないんだろうなってのも、分かってたから」
「重ね重ね、すみません…」
「いいんだってば。…意識されてないことが、逆に嬉しかったんだと思う」
「…え?」
どういうことだろうか。
意識されてないことが嬉しいなんて。
「女子だって特別に意識されてないってことが、あたしには嬉しかったんだ。あたしのこと、男みたいだって言うくせに、大抵の奴等はあたしのこと、女を見る目で見るだろ? それが、嘘を吐かれてるみたいで、嫌だったんだ。…少しだけだけどね。あと、これは内緒な?」
「ええ。…そういうことも、あるんですね」
「少なくとも、あたしにとっては、な。……だから、出来ればこれからもそうしてくれるか?」
「それで…あなたはいいんですか?」
「うん。ぎこちなくなる方が寂しいからな」
そう言って彼女はハンカチを外した。
少しだけだけど、目元が赤くなっている。
でも彼女はむしろハンカチを気にして、
「ごめん、涙でぐしゃぐしゃにしちゃった。明日、ちゃんと洗って返すから」
「別にいいですよ。大した物でもありませんし、このまま差し上げます。邪魔だったら捨ててください」
「…じゃあ、もらっとこうかな」
と言って、彼女は悪戯っぽく笑い、
「呪いでもかけてやろうか」
なんてことを言ったので、僕もつい笑って、
「そういうことは、普通本人の前では言わないものだと思いますよ」
と言ってしまったのだけれど、彼女の反応は予想したものとは違っていた。
柔らかく微笑んで、優しい目で僕を見つめながら、
「……そうやって、笑っててくれるか?」
と言ったのだ。
「え……?」
どういうことだろう、と戸惑う僕に、
「お前を困らせたかったわけじゃないんだ。だから……振るにしても、悲しい顔はしなくていいし、してほしくない。…さっきまでの顔じゃ、あたしの方が振ったみたいに見えるだろ?」
実際、振られた側である彼女は、そう言って気丈にも笑って見せる。
どんなに泣きたいか分からないほどだろうに。
「…ありがとうございます」
その強さと優しさに、こちらの涙腺が熱を持ってきそうになりながら、僕がそう告げると、
「いいって。それより、これからもよろしくな?」
と手を差し出された。
「はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
とその手を握り返すと、女性らしい柔らかな手の平に、力強く握り締められた。
そうして、ぱっと手を離した彼女はそのままその身を翻し、
「ハンカチ、大事にするから」
彼女は僕をからかうように、僕のものだったハンカチを、その手の平以上に柔らかだろう唇に、そっと押し当てて見せた。

イイ女、って多分彼女みたいな人を言うんでしょうね。