その日は、部室に行っても他の誰もいませんでした。 長門さんは、昨日のことがあったから、キョンくんと顔を合わせ辛いのかな? 古泉くんはどうしたんだろう。 涼宮さんも。 キョンくんは……そろそろ来る頃かな、って思ってたら、ドアをノックする音がしました。 …でも、なんだか元気のない音に聞こえます。 コンコン、っていうよりも、…こん、こん……みたいな。 ううん、うまく言えないです。 とにかく、いつもと違うことだけは確かでした。 あたしは、 「はぁい」 と答えてドアを開けたんですけど、そこにいたのは本当にらしくないキョンくんでした。 眠れなかったみたいで、目の下にはくまが出来てるし、それ以上になんだか疲れた様子です。 「キョンくん、大丈夫ですか?」 思わず聞くと、小さく笑って、 「大丈夫です」 と返されちゃったけど、今日のキョンくんの大丈夫ですって言葉、古泉くんのと同じくらい信用出来ない気がします。 困ったなぁ。 とりあえず、これ以上眠れなくなると困るから、お茶はよしといた方がいいかもしれません。 ココアがあったはずだけど、どこにしまったかなぁ? なんて、考えながらなんとかココアを作ったのに、他の人達は誰も来ません。 あたしとキョンくん、二人っきりです。 これはつまり、あたしに任せるってことなんでしょうか。 …困ったなぁ。 なんだかもう、ずっと困りっぱなしです。 何とかそれを見せないように気をつけながら、 「眠れてないみたいだから、お茶じゃなくてココアにしました」 と言ってキョンくんにココアを渡すと、 「ありがとうございます」 っていつもと同じ台詞を言ってくれたけど、どう聞いても覇気がありませんでした。 ほうっと零れたため息が、なんて言うか……色っぽいです、キョンくん。 一体何があったんですかって聞きたくなっちゃいます。 「…ねえ、朝比奈さん、」 キョンくんは一口だけココアを飲んで、その赤味掛かった茶色を見つめながら、呟くように言いました。 「…人を好きになるって、どういうことなんでしょうね?」 「ふえぇ!?」 い、いきなりなんですか!? っていうか本当に昨日何があったんですか!? キョンくんの心理がここまで激変するようなことがあったんですよね? でも、長門さんの告白は残念だけど失敗しちゃったはずで…。 誰かお願いですから教えてください! 軽くパニック状態のあたしをよそに、キョンくんはまたため息を吐きました。 「…分からないんです。友人として好きなのか、それとも違うのか」 その呟きは、本当にキョンくんの本心なんだなって思いました。 声にも表情にも見えるのは、困惑と迷い。 でも、迷いながらも好きだと認めてしまいつつあるような気もします。 頑張って、キョンくん、と心の中でエールを送るしか、あたしには出来ません。 それが、歯痒いです。 「ハルヒは、恋なんてただの勘違いに過ぎないんだから、そうだと思うんだったらそうなんじゃないかって、いい加減なこと言うんです。フィーリングで行け、とか気楽に言うんですけど、それで違ってたらと思うと、怖くて動けなくなりそうに思えるんです」 ぽつぽつと呟かれる言葉の一つ一つが、どれもキョンくんの素直な気持ちに思えました。 「違ってたら…自分だけじゃなくて、相手のことも傷つけることになるでしょう?」 「そうかもしれないですけど…」 「だから、怖いんです」 ああ、本当にキョンくんは古泉くんのことが好きになったんですね。 そこまで、相手のことを想えるくらい、本気で。 でも、だからこそためらってるのが初々しくて、可愛くて、 「本当に、古泉くんのことが好きになったんですね」 って思わず言っちゃったら、 「――え? 俺、古泉って言いました!?」 キョンくんが真っ赤になりました。 失敗です。 あたしったら大失敗です。 何やってんだろ。 キョンくんは古泉くんなんて一度も言わなかったのに。 どうにか誤魔化さなきゃ、と慌ててる間に、キョンくんは困ったように笑って、 「俺って、そんなに分かりやすいですか? 参ったな…」 って呟いて、机に突っ伏しちゃいました。 キョンくんには悪いけど、あたしにはラッキーでした。 うまく誤魔化す方法なんて思いつかないもの。 「それくらい、好きってことなんだと思います」 あたしが言っても、キョンくんは何も答えませんでした。 でも、耳まで真っ赤になってて、可愛いです。 こんなキョンくんを見るのは初めてで、なんだか不思議な感じです。 真っ赤になってるのは見たことあったけど、それはあたしが涼宮さんに着替えさせられてる時とかだから、今とは感じも違う気がしますし。 好きってことに、照れてるのが可愛いのかな。 涼宮さんは、見れたんでしょうか。 見たがってた、キョンくんのこんな姿を見て、どう思ったんだろ。 後で聞いてみたいな。 そんなことをあたしが考えてると、キョンくんは伏せたまま、 「…こんなの、俺らしくないだろ……」 なんて唸ってます。 「人を好きになるって面倒だ…」 なんてことも。 でもきっと、それも楽しいんですよね? だって、キョンくんの声が、ちょっとだけだけど、楽しそうだもん。 「好きなんですよね?」 意地悪かなって思いながらあたしが聞くと、キョンくんはまだ赤いままの顔であたしを見ました。 視線はふらふらとさ迷わせながら、でも、 「……確証はまだ、ないんですけど、多分…そうなんだと……」 「おめでとうございます」 あたしが笑顔で言うと、キョンくんも笑って、 「それ、何か変じゃないですか?」 「そうですか? でも、やっぱりおめでとうって言いたかったんです。好きな人が出来るって、いいことでしょ?」 「……どうなんですかね…」 くすぐったそうに笑ったキョンくんは、 「まだ、何が何だかって感じですよ。いいことだと思えるか、悪いことだと思うかは、これからってところじゃないですか?」 「悪いことだなんて、そんなことなりませんよ、きっと。だからキョンくんは幸せになることを考えてくださいね」 「……その前に、しなきゃならんこともあるんですけどね」 そう言ってキョンくんはさっきとは少し違うため息を吐きました。 なんだが、つらそうなため息です。 「…長門に、返事しなきゃな……」 微かに呟いたのがあたしの耳にも届きましたけど、あたしは聞こえなかったフリをしました。 キョンくんは踏ん切りが付かないみたいでまだしばらく唸ってました。 あたしはそれを微笑ましく見守ってたんですけど、コンコン、とノックの音が響いたので、反射的に、 「はい」 と返事をしました。 かちゃりとドアが開いて、入ってきたのは古泉くんです。 「こんにちは」 とあたしに言って、キョンくんにも、と思ったところで、 「すみません、急用を思い出したのでこれで!」 という言葉だけを残して、キョンくんは部室を飛び出して行っちゃいました。 真っ赤な顔がちらっと見えたけど、古泉くんには見えなかったみたいで、 「…僕、嫌われるようなことをしてしまったんでしょうか」 なんてしょげてます。 だからあたしは笑って、 「大丈夫ですよ。キョンくんは照れてるだけだから」 「え…?」 古泉くんはどう言うことか聞きたそうにしてるけど、あたしは答えません。 だって、あたしが言っちゃうのは勿体無いし、キョンくんにも怒られちゃいそうだから。 だからあたしは、 「お茶でもいかがですか?」 笑顔でそう言って誤魔化しちゃいました。 そうやって、お茶を淹れて上げて、あたしは古泉くんに聞きます。 「もう一回、頑張ってくれる気になりましたか?」 昨日、あたしたちが三人がかりで何度言っても、古泉くんがうんって言ってくれなかったこと。 キョンくんのことを好きだと思うからこそ動けないんだってことは分かります。 それくらい真摯な気持ちでキョンくんを好きなら、古泉くんにキョンくんのことをお願いしちゃっていいかなってことも、思います。 でも、だけど、だからって好きとも言わないっていうのは、とても勿体無くて、悲しいことだから、あたしたちは三人がかりで説得したんです。 それでも頷いてはくれなかったけど、一晩経ったから変わったかなって期待したあたしに、 「……無理、ですよ」 と古泉くんは首を振ってしまった。 「どうしてなんですか? キョンくんは古泉くんを好きってことは、長門さんに言われて分かってるんでしょ?」 実際、キョンくんはあんなに可愛くなっちゃうくらい、古泉くんが好きなのに。 「彼女の仰ったことが本当だとしても、やっぱり、いけませんよ。…彼は、僕なんかを好きになって、それで、人生を過ってしまっていいような人ではありません。ご自分で平々凡々と仰り、それをひがむのでなく、むしろそれでいいと受け入れているような人に、茨の道を歩ませることは出来ません」 「…もう、頑固ね」 こうなったら、キョンくんが古泉くんに告白するのを期待するしかないのかなぁ? だとしたら、キョンくんは、いつ頃古泉くんに好きって言うのかな? そんなことを考えるだけでも、楽しい気持ちになるのはやっぱり、あたしが二人のことを大好きだからですよね? |