難しくって面白い



放課後になって部室に行っても、有希がいなかったから珍しいと思ったわ。
だって、あの子ったらいつでもどんな時でも一番乗りでしょ。
授業ちゃんと受けてるのかしら?
もしかしてコンピ研に行ってるのかもしれないと思ったんだけど、コンピ研にもいなかった。
おまけに、キョンも古泉くんもやってこない。
キョンがなかなか来ないのはそう珍しいことでもないけど、古泉くんまで何の連絡もなしにやってこないから、あたしとみくるちゃんはふたりだけで、
「何かあったのかしら?」
「心配ですよね…」
「それより、何か面白いことしてるんだとしたら許せないと思わない?」
「そんなことはないと思いますけど…」
なんて話してたんだけど、30分くらいしてから、やっと有希がやってきた。
いつにもまして空気みたいに薄い存在感で。
「有希? 何かあったの?」
あたしが聞くと、有希はやっとあたしを見た。
その目が潤んでいるように見えたのは、あたしの見間違い?
「彼に…」
ってのはキョンのことよね?
「…告白、した」
「……したの!?」
「しちゃったんですか!?」
あたしとみくるちゃんの驚きの声が響き渡る。
有希はこくりと頷いて、ドアに鍵を掛けた。
その手が震えているように見えた。
「それで……」
あたしが聞くと、有希は俯いて、でも、話し始めた。
「告白したけれど、彼は解ってもくれなかった。予想はしていた。でも、苦しい。分かって欲しかった。私にも、それくらいの心はあると、知って欲しかった、のに……彼は、驚いている、ばかり、で…」
ぱた、と小さな水滴が床に吸い込まれた。
それが何かなんて考える必要はないわ。
あたしは有希を抱き締めた。
いつもよりちっちゃくて、頼りなく見える体は暖かくて、それでも寒さに耐えかねたように震えてた。
「有希、声を出して泣いてもいいのよ?」
精一杯、あたしに出来る限りで精一杯の優しい声で言ったけど、有希は首を振った。
唇を噛み締めてるのが、見なくても分かった。
「泣いた方がいいの。こういう時は。…あたしだって、泣いたりしたんだから…」
「そういう…もの……?」
「そうよ」
みくるちゃんも頷いて、
「そうですよ。思いっきり泣いた方がいいです」
有希はこの期に及んでもまだ迷ってるみたいだったけど、それでも少しして大きく息を吸い込んだかと思うと、しゃくり上げ始めた。
「っ…っく、……ぅ…ぅう…」
「我慢しなくていいって言ってるでしょ」
ふるりと有希の体が震える。
少しして、有希は声を上げて泣き始めた。
見たこともなかった有希の姿に、あたしたちは戸惑うよりもむしろ、自分たちこそ泣きたくなった。
「キョンのばか…! 有希のこと、泣かせたりして…!」
滲み出てきた涙に、あたしの視界まで歪む。
みくるちゃんももらい泣きしたみたいで、あたしたちは三人でしばらく泣いてた。
でも、泣くのってやっぱりすっきりするし、我慢するよりもずっといいんだと思うわ。
一時間もしないうちに、あたしたちは泣きやんで、有希も落ち着いた。
その目がウサギみたいに真っ赤になってたけど、有希ははっきりと言ったわ。
「…古泉一樹に、謝りたい」
「古泉くんに? ……ああ、さっき言ってたことね」
思い出すだけでも苦しくなりそうなことを、この有希がよくやったものね、と思うあたしに、有希は言う。
「……彼に告白することを伝えた以上、きっと聞いていたはず。ここに来ていないということはきっと、どこかでひとりで傷ついていると推測できる。傷つけた私が、慰められるばかりじゃ、悪いから…」
「…分かったわ。古泉くんのことはとりあえずあたしに任せなさい」
そう言って、あたしは立ち上がった。
「みくるちゃん、有希が落ち着けるように、とびきり美味しいお茶淹れてちょうだい。あたしは古泉くんを探しに行くわ」
とりあえずと携帯を鳴らそうとしたのに、古泉くんは電源を切っているようだった。
どうしようか、と思いながらドアの鍵を外したあたしに、
「古泉一樹なら、おそらく広場にいる」
「広場って、げんこつ広場?」
有希が頷く。
「あそこを気に入ってる」
「分かったわ。行ってみる」
あたしはカバンを手に部室を出て、真っ直ぐげんこつ広場に向かったわ。
校舎のすぐそばの、ちょっとしたテーブルと椅子があるだけのスペースに、古泉くんは本当にいた。
暗い顔をして、じっと椅子に座ってたけど、あたしが近づくとすぐに気がついたみたいで、顔を上げた。
「涼宮さん……」
「…あたし、邪魔じゃない?」
本当は、すぐにでも部室に連れていこうと思ってたんだけど、気が変わった。
だって、古泉くんったら本当に酷い顔なんだもの。
キョンにからかわれてた時よりもずっと、暗くて、どうしようもないような絶望を感じさせるような顔。
古泉くんは少し悩む様子を見せたけど、そっと首を振ったわ。
「いえ。……よろしければ、少し、話を聞いてくださいますか?」
「もちろんよ」
そのために来たようなものだし。
「ありがとうございます」
と無理に笑った古泉くんが余計に痛々しく思えた。
その唇が、しばらくの沈黙の後に開かれる。
「……ここで、彼と話したことが何度かあるんです。楽しい内容ばかりでもなかったのですが、彼と話せるだけで、僕は嬉しくて……。どうして、ずっと気付いてなかったんでしょうね。自分の感情に」
そう苦笑した古泉くんを、あたしは見つめるしかできない。
相槌を打つことも、言葉を挟むことも出来ない気がした。
「…気付かずにいたなら、いっそいつまでも気が付かなければよかったとも、思うんです。それほど、苦しくて……」
その目に涙が浮かんで来ないことが、よっぽど不思議に思えた。
どうしてそこまで自制するんだろう。
泣いた方がずっと楽になれるのに。
「…涼宮さん、長門さんと話して来られたんですよね?」
確認を求めるような言葉に、あたしは頷いたわ。
隠す必要なんてないと思ったから。
「そのことで、来たの。有希が、古泉くんに謝りたいって言ってるから」
「謝る? どうしてですか? 謝るべきは盗み聞きをしてしまった僕の方でしょう?」
「だって、古泉くんだって、傷ついたでしょう?」
あたしが言うと、古泉くんの表情が凍りついた。
いつもならつまらないくらい感情を隠すのに、今はそれも出来なくなっているくらい、ショックを受けているくせにまだ無理をしようとする古泉くんが悲しい。
どうしてそこまでするのか分かってあげられないことも。
「有希は、あてつけがしたかったわけじゃないんですって。古泉くんに、もう一度頑張って欲しいって、諦めないで欲しいって言ってたわ。
そう言いながら、有希が泣きながら話していたことを、あたしは思い返す。
「あてつけがしたかったわけではない。……ただ、彼のことを諦めてしまわないで欲しかっただけ。止められるならそれでもよかった」
ぽろぽろ綺麗な涙をこぼしながら、有希は言ったわ。
「そうして、古泉一樹が彼に告白するなら、それでもいいと思った。むしろ、その方がいいと、私はどこかで思っていた。…もう、彼の心は決まったようなものだから」
赤く泣き腫らした目であたしとみくるちゃんを見て、
「…おそらく、彼は古泉一樹のことが……」
そこまでだった。
それ以上は言えなくて、また泣きじゃくった。
言えるわけないわ。
まだ好きなのに。
でも、有希は古泉くんのことも仲間として、友達として、好きだから。
キョンでもないのに、あたしには有希の気持ちがよく分かった。
あたしも、同じだったから。
思い出して、また泣いちゃいそうになりながら、ここで泣いたら古泉くんが困ると思って堪えたわ。
「まだ、キョンのことが好きなんでしょ? 諦めるなんて言ったのは、なかったことにしてあげたっていいわ。あたしたちに、見せてよ。キョンが恋愛でぐちゃぐちゃになっちゃってるところとか、らしくもなくデレデレになってるところとか。見せつけてくれたって、いいわ。部室でいちゃつくのだって、許してあげる。だから、もう一回、頑張ってよ…!」
あたしが言うと、古泉くんも苦しそうな顔をした。
「……まだ、彼のことを諦められずにいることは、認めます。しかし、だからと言って僕は……」
古泉くんはそう呟きながらぐっと拳を固めて、何かを堪えるように俯いた。
「…やっぱり、だめ、です。怖くて、仕方がないんです…。長門さんが告白するのを見て、彼女の勇気を羨む以上に、僕には出来ないと感じたんです」
その気持ちは分からないでもないけど、どうしてそこまで思うのかしら。
「…彼は、本当に疎いんですね。呼び出された時点である程度察しても不思議じゃないのに、全然分かっていない様子で現れて、はっきり告白されても戸惑うだけで……。長門さんは、本当に強いですね。勇気もおありだと思います。僕には無理です。あんな……拒絶ですら、ない、なんて…」
「……そんなに酷かったの?」
「…お聞きになったのではなかったんですか?」
「有希は泣いちゃって……それに、有希はあんまりべらべら喋ったりしないでしょ。分かってくれなかったとは言ってたけど……」
「ええ、その通りですね。……あの後彼は帰ったようでしたが、本当に告白されたということを理解しているのかも怪しいくらいです。告白されたのかもしれない、と思っていたら上出来ではないでしょうか」
「そこまで!?」
びっくりしてそう言うと、古泉くんはため息を吐いた。
「噂には聞いてましたけど、本当に凄く鈍い人だったんですね」
「…そう言えば、あたしも聞いたことあるわ。あいつ、自分に告白してきた女の子に対して、本気で勘違いして、他の奴への伝言だと思ったって伝説があるのよ」
「本当だったんですね…」
思わず、二人揃ってため息を吐いたわ。
「……残酷な人ですよね」
「ほんとにね。……でも、古泉くん、」
あたしは少し気が楽になったらしい古泉くんを見つめて言った。
「…有希はね、キョンはこれで多分、自分が古泉くんを好きなんだって気が付くはずだって言ってるんだけど?」
「…長門さんが?」
キョンが自分を好きかも知れないってことよりも、それを有希が言ったってことに、古泉くんは驚いてるように見えた。
ぽかんとした顔で、
「そんな……まさか…」
なんて呟いてる。
「本当よ。あの有希が言うんだもの。信じられると思わない?」
「…しかし、彼は涼宮さんのことが好きなのでは……」
「は? あたし?」
それこそまさかだわ。
あたしは笑って、
「キョンにとって、あたしは親友よ。多分、人生初のね」
あたしはそれでいいと思ってるし、それが凄く嬉しくもある。
「キョンがあたしを好きだったりしたら、あたしと自分の部屋で二人きりになって、平気な顔なんてしてられるわけないでしょ。だから、それは違うわ」
ぴんとくるものがあって、あたしは古泉くんの顔を覗き込みながら言った。
「もしかして、そう勘違いしたから、諦めるなんて言い出したの?」
「そう…です」
「ばかね」
あたしは笑って、古泉くんの頭を撫でた。
「…前から言ってるでしょ。キョンは古泉くんのことを意識してるんだって。自分が信じられないんだったら、あたしたちのことを信じてみたら? それとも、あたしたちのことも信じられない?」
「そんなことは…!」
慌てて言った古泉くんが、勢いよく立ち上がったから、あたしは一緒に立ち上がり、
「ほら、部室に帰るわよ」
とその手を取った。

明日、キョンに会うのが楽しみだわ。
面白い顔を見せてくれるといいんだけど。