「安心してください」 そう彼に告げながら、僕はじくじくと自分の胸が痛むのを感じていた。 ――彼はやっぱり、涼宮さんのことが好きなんだ。 その考えは、自分が彼を好きということよりも、よっぽどすんなりと胸の中に落ちてきてくれた。 すとん、とあるべきものがあるべき場所に落ち着いてくれたような気持ちだ。 これなら僕は、諦められる。 彼が誰のことも好きでないようだったから、これまでは諦められなかった。 でも、彼に好きな人が出来たのなら、その相手が涼宮さんなら、僕はこれ以上何をしたいとも思わない。 ただ、二人の幸せを見守りたいと思った。 僕は、涼宮さんのことを憎むことなど出来ない。 そもそも、そうしたいと思ったことなど、数えるほどしかない。 彼に言ったら、きっと驚かれるか、本気に取ってもらえないだろうけれど、それは事実だ。 僕が超能力とでも言うべきこの力に目覚めてから、もう四年ほどになる。 その時まで僕が満たされた日々を送っていたのなら、もっと涼宮さんを恨んだだろう。 全てを奪われたと感じただろう。 確かに僕もそれはいくらか感じたし、神人退治に赴く恐怖から彼女を嫌悪もした。 でもそれ以上に、彼女に感謝した。 四年前の僕は、何も持っていなかったから。 家族を失い、頼れる人もなく、このまま誰にも知られることなく死んで行くのだと思っていた僕に、突然おかしな力が目覚めた時は本当に、余りにも酷すぎる人生のせいで自分の頭が狂ってしまったのだと思ったし、それならこのまま死んでしまってもいいと、自殺を考えもした。 でも、それから後、機関のメンバーに接触されて僕は知った。 彼女に選ばれた人間は誰もが僕のような寂しい人だったのだと。 僕のように天涯孤独となった人もいた。 多くの人に囲まれていながら溶け込めず、孤独を感じ続け、心が壊れそうになっていた人もいた。 あるいは――僕たちを選んだ彼女も、そうだったのかもしれない。 誰にも理解してもらえないほどの望みを持ち、ひとりで退屈すぎる現実と戦っていた彼女だから、僕たちを選んだのかもしれない。 そうして僕らは、同じ力を持っている仲間という、新たな繋がりを手に入れた。 異常な力に目覚めてしまったということ、世界を守らなければならないという義務感、それらのものが僕らを繋いだ。 僕にとって機関は――少なくとも、その前線部隊とでもいうべき、涼宮さんに選ばれた超能力者たちとその協力者たちは、家族のようなものなのだ。 寂しかった僕たちは、その寂しさを埋めてくれる新しい生き方をくれた涼宮さんを神様のように思った。 最初は本当に、そんな単純な話だったのだ。 けれど、だからこそ絶対に裏切れないと思っていた。 たとえ上層部が勝手に肥大化し、僕たちの意に染まない方向へ進もうとも。 …でも、彼らは言ってくれた。 好きにしていいんだよ、と。 僕にも自由に人生を生きる権利はある、と。 だから僕は彼に約束出来た。 一度だけ、機関を裏切ると。 裏切ったその後は、僕はもう彼と顔を合わせないつもりでいたし、その決意は今も変わらない。 機関の皆に詫びて、そうして処罰を任せるつもりで。 でも僕は、それとは別に、機関を裏切ろうとしていた。 彼の心を得ようとすることで。 僕たちの敬愛する神様を悲しませて、自分の幸せだけを得ようとしていた。 傷ついた彼女が世界をどんなに嫌ってしまうか、考えもしないで。 ただ、可能性があるのかもしれないと思ってしまったそれだけで、罪のように思えた。 けれどどうか、それは咎めないでもらいたい。 僕は踏みとどまったから。 ぎりぎりのところではあるけれど、踏みとどまれた。 だから、これでいい。 これが僕のためであり、彼のためなんだ。 僕たちのためでもある。 だから、と僕は決めた。 後はそれを涼宮さんたちに伝えるだけだ。 また心配を掛けてしまいそうだから、機関のみんなには言わないでおく。 既にお見通しかもしれないけれど、それくらい、許してもらいたい。 「僕は、諦めることにします」 そう口にするのは意外と簡単だった。 苦い笑いさえ、浮かべることが出来た。 驚く涼宮さんたちに、僕は静かに告げる。 「元々、望み薄でしたし、僕の方も、気持ちに整理がついたんです。なので、申し訳ありませんが彼の恋人の座を狙うのはこれまでとさせていただきますね。これからは、精々友人として認めてもらえるよう、精進したいと思います」 「いきなりどうしたの?」 戸惑いながら涼宮さんが言った。 「キョンに何か言われた?」 「いえ、そういうわけじゃありません。ただ……なんとなく、ですかね。分かってしまったんです。どうあっても、彼は僕のことなんて好きになってはくださらないと。それを思い知ったので、諦めることが出来るようになったんです。それさえ出来なかった以前と比べると、それだけの勇気が持てた、ということに思えるので、僕としては随分と進歩したように思えるのですが」 「……古泉くんがそれでいいって言うなら、あたしは止めないわ」 納得したとはとても思えないような表情で、涼宮さんは淡々と言った。 「でも、」 と僕を射抜いた瞳は強い。 「――あたしは、そんな風に諦めちゃうのが勇気だなんて、思わないわ」 それは彼女が強いからそう言えるのだと思ったけれど、口にはしなかった。 「本当にいいんですか?」 心配そうに聞いてくる朝比奈さんに、笑顔のまま頷く。 「はい。もう、いいんです。…少しの間でしたけど、楽しい夢を見せていただいた気分ですよ。本当に、…楽しかったです」 長門さんは何も言わない。 ただ僕をじっと見つめていた。 それに僕は笑みを返すしかない。 これが僕の答えです。 …あなた方がどうするかは、あなた方の自由だと思っています。 でも……彼の思いは歪めないでください。 それから数日後の帰宅途中、不意に、彼が言った。 「なあ、お前、またなんか俺に隠してるだろ」 涼宮さんが近くにいないからこそそう尋ねてきたのだろう。 けれど僕は、苦笑を浮かべるしかない。 「……あなたには言えることの方が少ないことくらい、あなたもよくご存知でしょう?」 極力冷たく響かないように気をつけながら言い、 「すみません」 と言い添えると、彼は眉を寄せた。 不機嫌そうに。 あるいは、掴みきれない不安をなんとか掴もうとするような顔にも見えた。 「別に、謝って欲しいわけじゃねえし、お前が言えないようなことを隠してるのが嫌というわけでもない。そういうんじゃなくて、……お前自身のことで、何か隠してるだろ。機関だの何だのは関係ない。……違うか?」 「…困りましたね」 僕はそっと呟いた。 小さいけれど心からの呟きだ。 本当にどうして、人の決心をぐらつかせるようなことをしてくれるんだろう。 そんなに察しがいいのなら、いっそのこと僕の気持ちに気付いてくれたっていいじゃないかと八つ当たりをしてしまいたくなる。 どうして、気付いてくれないんだ。 それともわざと気付かないようにしているのだろうか。 どちらにせよ、酷い人だ。 「あなたには隠そうと思っても無駄なようですね」 「無駄だと思うなら、話してくれたっていいんじゃないか?」 その優しさに胸をときめかせながら、同時に嫌悪も抱く。 どうしてそんな風に、人の領域に土足で踏み込むような真似が出来るんだろう。 だからこれは――これからはそんなことをしないでもらいたいという僕のささやかな願いを込めた、ちょっとした意趣返しだ。 「……失恋、してしまったんです」 僕が呟くと、彼が大きく目を見開いた。 その口が開かれ、閉じられる。 また開かれ、閉じられる。 迷うように、言葉を探すように。 やっとのことでその口から搾り出された言葉は、 「…す…まん……」 という謝罪の言葉で、やっぱりこの人は優しすぎると思った。 その優しさが胸にずきずきと痛い。 それなのに僕は、同じくらいの痛みをこの人に与えようとしている。 申し訳なく思いながらも止められないのは、これでもう、この人の優しさに惑わされなくて済むと思ったからだ。 「今はまだ、誰かに慰められるのも辛いので……すみませんが、そっとしておいてはくれませんか?」 「あ、ああ…」 僕の酷い言葉にそう答えながら、彼は何故か胸を押さえた。 そこが急に痛みでもしたかのように。 そうして、俯いたまま、彼は言った。 「……お前が、話したくなったら…、俺でよければ、いつでも聞くから…」 「はい、話したくなったら、お付き合いくださると嬉しいです」 如才なく答える自分に吐き気すら感じる。 このことで、あなたに話せることなど、ありやしないのに。 |