その日はどうしてか涼宮さんもキョンくんもなかなか来なくって、あたしはおかしいなぁって思いながら、三人分のお茶を淹れました。 「今週は涼宮さんもキョンくんも掃除当番じゃないですよね?」 あたしが聞くと、古泉くんが頷いてくれました。 「ええ。…今日は特に用事もないはずですが……遅いですね。何か思いついたんでしょうか」 「それだったら、あたしたちにもすぐに教えてくれると思うんです。…キョンくんと何かあったのかなぁ?」 「どうでしょうね」 あたしたちがそうやって話し合っていても、長門さんは変わらず本を読み続けていました。 いつもみたいに、静かに。 でも、これまでとちょっと違うのは、長門さんの読んでる本が難しい本じゃないってこと。 余り難しくない英語で書いてあるから、あたしにも分かったそのタイトルは、どう見たって恋愛小説です。 長門さんもそういうのに興味を持ったんだなぁって思うと、なんだか微笑ましくて、嬉しい気持ちになりました。 キョンくんは気付いてるのかな。 気付いたら、どんな反応するんだろ。 「長門も色気づいて…」 なんて嘆いたりしちゃうのかな。 そんなことを考えて、なんだか温かい気持ちになった時です。 勢いよくドアが開いて、凄い音が響き渡りました。 やってきたのは涼宮さんで、 「ど、どうしたんですかぁ?」 というあたしの言葉にも答えてくれません。 物凄く怒っているような、他には何も見えないって顔で、古泉くんに詰め寄って、大きな音を立てて長机に手を付きました。 そうして、 「あたしのこと、馬鹿にしてたの!?」 そう怒鳴ったかと思ったらいきなり泣き出したんです。 あたしも古泉くんもどうしたらいいのかさえ分かんなくって、でもとりあえず何とかしなきゃって思ったから、あたしはとにかく必死になって、 「す、涼宮さん、落ち着いてください…!」 って駆け寄ったんですけど、伸ばそうとした手は振り解かれてしまいました。 「どういうことなの。以前にとはいえ、あたしがキョンを好きだなんて、なんでキョンに言ったのよ!」 そんなことを言ったのかと、あたしは驚いたりしませんでした。 あたしにも、それくらい見当はついてたから。 古泉くんの立場を考えたら、仕方ありません。 それに、以前のことなら古泉くんは自分の持ってる恋愛感情を自覚してなかったでしょうから余計に。 それくらい、涼宮さんにも分かっているはずなのに、それでも許せないみたいでした。 「そんなことされて、あたしが喜ぶと思ったの!? 嬉しがるとでも? …そんなわけ、ないでしょ。あたしは、あたしだけの力で頑張ろうとしてたのに。それでだめだったから、すっぱり諦めて、せめて友達でいようって決めたのに、なんでそんなことしてるのよ…!」 泣きながらそう言った涼宮さんは、それでも気丈に古泉くんを睨みつけると、古泉くんの苦しげに曇った瞳に向かって言いました。 「とにかく、古泉くんが納得の行く説明をしてくれなきゃ、あたしは古泉くんを許せない! あたしの仲間としても、キョンの恋人候補としても!」 そう言われても、古泉くんは涼宮さんと目を合わすことさえ出来ないようでした。 真実を話すことなんて出来ません。 それはあたしにだって分かることです。 涼宮さんを納得させられるだけの言い訳くらい、古泉くんなら簡単に思いついたでしょう。 だけど、古泉くんはそうしようとしませんでした。 ここでもっともらしい嘘を吐くことはしてはいけないことだって、古泉くんもあたしと同じように感じていたのかもしれません。 古泉くんがじっと黙ったままだったので、重たい沈黙が落ちました。 涼宮さんが痺れを切らすんじゃないかとあたしがはらはらし始めた頃になって、古泉くんはやっと口を開きましたが、その答えは、 「――すみません。それは…事実です」 というものでした。 「でしょうね。それで、何か申し開きはないの?」 あくまでも冷たく言った涼宮さんを見つめながら、古泉くんは答えます。 「……そうすることも、出来ません。以前のことだから許してくださいとも、言えません。…あなたがそんなことを彼に伝えられても喜ばないということくらい、分かっていたつもりではいたのですが……」 そう言って一度言葉を途切れさせた古泉くんは、躊躇いながらも言いました。 「ひとつだけ言えるのは、そんなことを彼に告げるのは決して僕の本意ではなかったということです。それなのにどうしてそんなことを言ったのかは……申し訳ありませんが、説明出来ません。ですから、もう許さないと言うのでしたら、それで構いません」 深く頭を下げた古泉くんは、まるで独り言のように言いました。 「彼については……もういっそ、諦めさせてくださった方が、まだ…」 「――ッ、バカ!」 パン、と乾いた音が部室に響き渡りました。 ぼろぼろと綺麗な大粒の涙をこぼしながら、涼宮さんが古泉くんの頬を思い切り平手打ちしたんです。 驚いて言葉もないあたしは、見ているしかありませんでした。 涼宮さんが泣きながら、こう言うのを。 「なんで……なんで古泉くんはそうやって嘘ばっか言う訳!? あたしがそんなに信じられないの!? 諦めさせてくれた方がいいなんて、そんなの、全然本気じゃないくせに……。それとも、あたしは本音をぶつけるに値しないとでも言うの!?」 何よりもそのことが悲しくてならないというように。 あたしたちは、何も言えませんでした。 涼宮さんがそうやって本気で怒ってくれることを嬉しく思い、同時に、申し訳なくて堪らなくなりました。 そうなったのはきっとあたしだけじゃありません。 もちろん、古泉くんは同じように感じたでしょう。 長門さんも、きっと。 誰も何も言えなくなったのは、そのせい。 シンと静まり返った部室の中で、最初に動いたのは長門さんでした。 膝に広げたまま進まなかった本のページを静かに閉じ、椅子から立ち上がります。 そうして、本を椅子に置いた長門さんは、そっと涼宮さんに歩み寄ったかと思うと、 「ありがとう。……そして…ごめんなさい」 と頭を下げたんです。 「なんで…有希が謝るのよ……」 戸惑うように涼宮さんは言いましたけど、きっと本当は分かってたはず。 あたしも長門さんも、涼宮さんに本当のことなんて言えてないって。 だから、あんなにも声が震えてたんです。 長門さんはいつもよりもどこか悲しげに聞こえる声で言いました。 「あなたに言えないことが私にもある。……だから、古泉一樹だけが外されるのは不公平」 「有希……」 悲しげに眉を寄せる涼宮さんに追い討ちを掛けるようでしたが、あたしも声を上げずにはいられませんでした。 「あ、あたしも同じです!」 「みくるちゃんまで…」 「同じ、なんです。あたしも…。涼宮さんには、言えないことばかり、で……。ごめん、なさい…本当に、ごめんなさい…!」 気がつけば、あたしの目からも涙が零れてました。 泣けない二人の分もというように、どんどん流れ落ちていきます。 涼宮さんは悲しげに、 「……そう」 と俯きました。 そんな表情をさせたかったわけじゃありません。 でも、あたしは黙ってなんていられなかったんです。 痛いくらいの沈黙がその場に広がりました。 ……けど、涼宮さんはそれで落ち込んだり、ましてや、世界を変えてしまおうとしたりするような人じゃありませんでした。 あたしたちの団長なんですから、当然かもしれませんけど、涼宮さんは顔を上げて、無理矢理にですけど、笑ったんです。 「やっぱり、あたしの選んだ団員ね。優しくて、思いやりがあって……」 口にした言葉も声も、まだ寂しそうでした。 でもそうやって、無理にでも笑ってくれたことであたしたちはほっとすることが出来たんです。 涼宮さんはあたしたちの顔を順番に見つめて言いました。 「……いつか、あたしにも話してくれる? あたしに隠してること」 「約束する」 はっきりと言ったのは長門さんでした。 あたしも、 「約束します。きっと、お話します」 と答えました。 古泉くんは困ったような顔をして、 「僕も、お話します。いえ、是非そうさせてください。その時がきたなら、必ず…」 それを聞いて、涼宮さんは今度こそ明るく笑ってくれました。 あたしたちの大好きな、お日様かヒマワリみたいな笑顔を、見せてくれたんです。 「そう、それならいいわ。許してあげる」 って。 流石はあたしたちの団長です、って、あたしは本当に涼宮さんを尊敬しました。 |