敗北宣言は開始の合図



キョンって本当にどうしてああなのかしら!
鈍いしいい加減だしいつだってやる気がなくて、かっこよくなんて全然ないのに。
…どうして、こんなに好きになっちゃったんだろ。
あたしは、キョンが好き。
それは間違いないわ。
でも、もう、疲れちゃった。
だってあいつったらあたしが、
「あんた、あたしのことどう思ってるのよ」
って聞いたのに、あたしが自分を好きなんだってことに全く気付きもしないのよ?
「傍若無人この上なくて、辺りに公害の如く迷惑を巻き散らかして俺たちを困らせてくれる奴だと思ってる。…ま、そんなに嫌でもないけどな、俺は」
なんて言われた時は脈アリじゃないかってひとりで浮かれもしたわ。
でもね、あいつにそんなつもりは全ッ然、なかったの!
あいつは本当に、あたしのことをただの友達としか見てない。
これが変わることなんて、きっとないわ。
だってあいつ、凄い頑固だし。
頭も柔らかそうに見えて凄く固いし。
…特に、人が自分をどう思ってるかとか、自分が誰かをどう思ってるか、なんてこととなると余計に頑ななんだわ。
第一印象だけで、なんてことこそないけど、数回会ってイメージが決まったらそこから逸脱するものは無視しかねないわね、あいつなら。
それか、受け入れるんだけど物凄く時間が掛かるとか、物凄くショックを受けるとかしそう。
……もし有希が思いっきり大笑いしたり、古泉くんが暴言吐いて暴れたり、みくるちゃんが腹黒なこと言ったりしたら、キョンはきっとみんなに何かあったんだと思うでしょうね。
宇宙人に洗脳されたとか、世界がおかしくなったとか。
あいつはそういうタイプだわ。
そんなところに加えて腹が立つのが、あいつがそれでもモテるってことよ。
そう、あいつを好きなのってあたしだけじゃないの。
他にもいろんな子があいつのことを見てる。
派手にモテたりしないし、皆言い出せずにいるから、あいつは自分がモテるってことにも気付いてないでしょうけどね。
でも、間違いないわ。
国木田に聞いてみたら、やっぱり昔からそうで、キョンに振られたり、病人を見るような目で見られたくなくて、告白を諦めて友達でい続けることを選んだ人間ばっかりらしいわ。
そりゃ、そうよね。
あたしは、そいつらを笑えない。
だってあたしはもう、キョンを手放せないわ。
キョンに振られたり、自分の感情を認めてもらうことすら出来なかったら、あたしはきっとキョンに酷いことだってしちゃうわ。
あたしが、頭に血が上ったら何するか分からない人間だってことくらい、あたしもちゃんと分かってるのよ。
前にもそれでキョンを怒らせちゃったしね。
だからあたしは、もう諦める。
キョンにあたしを恋人にしてなんて言わない。
ただ、一生友達として、付き合って行きたい。
でもそうね、キョンに恋してる子達にちょっとした意地悪をするくらいは許してもらいたいわ。
だってこのあたしが諦めるんだもん。
…ああでも、徹底的に蹴散らしたりはしないでおいてあげる。
どうやったって、キョンを惚れさせることなんて誰にも無理だと思うし、もし万が一、それが出来る人が居たなら、見てみたいと思うもの。
恋をして、今のあたしくらいぐるぐるいろんなこと考えちゃって、大変な状態のキョンを。
可能性があるとしたら、我がSOS団のメンバーかしらね、やっぱり。
というか、それ以外の子なんて認めないわよ、あたしは。
団長命令で団員を総動員してでも絶対邪魔してやるわ。
でも、SOS団のメンバーだったら、許す。
だって、あたしたちはもう戦友みたいなものなんだもの。
もう一年以上の間、無言の攻防が繰り広げられてきた部室で、それに耐えたばかりか、いつの間にか妙な連帯感が生まれちゃってたのよね。
どうやったって、キョンが振り向いてくれないんだもん。
でも、皆本気を出してたとは思えない。
だからあたしは、敗北を宣言する。
その代わりに、皆、頑張ってね。

キョンが家の用事で帰ってしまった放課後。
あたしは、いつもだったらつまらないからって取りやめる団活をちゃんとした。
そうして、皆集まって――ついでに皆にお茶がいきわたるのも待って――から、あたしは言ったの。
「あたし、イチ抜けた!」
突然言ったからかしら。
皆不思議そうにあたしを見てた。
でも、こんな時に有希もみくるちゃんも何も聞いてこないのもいつものことで、代表とばかりに古泉くんが言った。
「あの、一体何から…でしょうか」
「キョンのことを追っかけるのやめるってことよ。もう、キョンにあたしを好きになって欲しいなんて思いもしないことにする」
そう言った時のみんなの反応はまちまちだった。
有希は軽く目を見開いただけだったし、みくるちゃんはあたしの言ったことがよく分からないみたいだった。
古泉くんは珍しく大きく目を見開いて、分かりやすく驚いてた。
うまく言葉が見つからない感じで、口を金魚みたいにぱくぱくさせて。
「あたしはもう友達でいいわ。キョンはどうやったって振り向いてくれそうにないし、大体、あんな、ひとりでほっとくのが心配な彼氏なんて要らないわ」
だって、そうでしょ?
デートの時、待たせておくことも出来ないわよ、あいつなんて。
あたしがいっつも、あいつより早く来るためにどれくらい苦労してると思ってるのよ。
変なところにひとりで放っておいたらさらわれたりしそうで、本当に怖いのよね。
…ってこれは流石に言いすぎかしら。
でも、実際そんなもんだわ。
「キョンが誰かを好きになったりして、七転八倒してるところを、あたしは見てみたい。でも、あたしには無理だってよく分かっちゃった。だから、諦めて傍観に徹することにしたいの。キョンを惚れさせるところまで行かなくたっていいわ。あのキョンに、自分の好意を伝えて、それを理解させられたら、それだけでも十分快挙だわ。二階級特進物ね」
だから、とあたしは笑った。
ニヤリとかニタリとか、そういう感じで表現されそうな笑いよ。
あいつに向けてやるようなあっかるいのじゃないわ。
「皆、頑張ってみたら?」
部屋の中はしーんと静かになったわ。
あたしが黙ったからね。
その前から、誰も何も言えてなかったから当然かもしれないけど、こういうのも結構いい気分よね。
「どう? みくるちゃん」
あたしがそう聞いて、やっとこの世に戻ってこれたみたいな顔をしたみくるちゃんは、顔を可愛らしく真っ赤にして、ぶんぶんと派手に振ったわ。
「む、無理ですぅ!」
「何が無理なのよ。外見とかならみくるちゃんが一番キョンの好みなんじゃないの?」
それなのにどうともなってないのは、みくるちゃんがそうしようとしていないのと、キョンの方がみくるちゃんをアイドル視しすぎてるからね、多分。
「とにかく無理なんですっ」
あわあわ言ってそう首を振り続けるみくるちゃんをそれ以上いじめるのはやめにして、あたしは今度は有希に言う。
「有希は?」
「………」
有希は黙ったままだった。
でも、首を横にも振らない。
勿論縦にも振ってないんだけど、それって、有希にしては十分な意思表明って奴よね?
あたしは満足して笑って、それから多分一番厄介な、あたし的キョンの恋人候補であるところの、古泉くんに目を向けた。
「古泉くんは?」
「え」
そう声を上げて絶句した古泉くんの顔って言ったらなかったわね。
あんな顔、見たことなかったわ。
凄く間の抜けた、ビックリしきった顔。
取り澄ました顔もかっこいいんだけど、そういう顔もたまにすると可愛くて、キョンは好きそうだなぁ、なんて思ったくらいだったの。
「あの、僕に対しても……同じように仰るんですか?」
戸惑ってる古泉くんに、あたしははっきりと頷いてあげる。
「そうよ。古泉くんも、キョンが好きなんでしょ?」
そうじゃなかったら、あたしやみくるちゃんと話してるキョンに複雑な視線を向けたり、キョンとあんなにも二人だけでゲームをしたがったりなんて、しないはずだもの。
男同士ってことは気にしなくていいわよ。
あたしは別にそんなの気にする必要なんてないと思うし。
「……僕は…」
掠れているように聞こえる声で、古泉くんが言ったわ。
「…彼が好き、なん、でしょうか……」
くらりと目眩を感じたのは、別に暑さのせいでもお腹が空いたせいでもないわ。
ただ、古泉くんの鈍さに呆れただけよ。
っていうか、ここにも鈍感なのがいたのね。
SOS団の男子は皆鈍感なのかしら。
だとしたら、あたしの見る目がないってこと?
それとも、今時の男なんて皆そんなものなのかしら。
あたしの方がよっぽど戸惑いながら、あたしは親切に言ってあげたわ。
「じゃあ古泉くん、これからいくつか質問するから、ちゃんと考えなさいよ」
「はい…」
「まず、キョンのこと、どう思う?」
「常識的で頼もしい方だと思います。人付き合いもよくて、人に慕われるタイプですよね」
おそろしく客観的な発言ね。
自分の意思ってのはどこに入れてあるのかしら。
…まあいいわ。
「そうね、古泉くんの言う通りだわ。で、そのキョンが皆に慕われてるとして、たとえばあたしとかみくるちゃんとか有希がキョンを好きだとしたら? 勿論、友達としての好きじゃないわよ。独占したいとか思っちゃうような、恋愛としての好き」
っていうか、「たとえば」なんて要らないんだけどね。
「それは…」
答えながら、古泉くんはそっと胸を押さえたわ。
多分、無意識なんだろうけど、そこが痛んだろうって凄くよく分かる仕草だった。
「…そういうことも、ある、でしょうね」
「それに対して古泉くんはどう思うの?」
「……」
「遠慮しなくていいわよ」
俯き加減になってしまった古泉くんに、あたしは出来るだけ優しく、
「同じようなことをあたしたちも古泉くんに思ったりしてるから」
「……」
それでもまだ迷うような顔をしていた古泉くんだったけど、少しして、搾り出すように言った。
「…苦しい、です。当然のことだとも思うんですが、嫌、だと、思いました」
「うん、そうよね」
あたしはそっと古泉くんの髪を撫でた。
さらさらして気持ちいい髪の毛だなぁなんて思いながら。
「ごめんね、嫌なことを言わせちゃって」
「いえ…」
「それじゃあ、もうひとつ質問よ。…そのキョンが、誰かと二人きりで楽しそうにしてたらどう思う?」
「それは……、」
躊躇うように言葉を途切れさせた古泉くんだったけど、今度はそれほど長い沈黙にはならなかった。
「…やっぱり、嫌です…」
「じゃあ逆に、自分がその誰かになれたら? キョンの隣りにいて、キョンが自分にだけ特別に何かしてくれたり、ほかの人には見せてあげないような顔を見せてくれるとしたら?」
「…嬉しいです」
よね。
あたしも、本当はその特別になりたかったわ。
でも、無理だって分かった。
これ以上ぐずぐず考えて、キョンに知られたくもないし、思い続けることに疲れちゃった。
だからあたしは諦めるけど、皆には頑張って欲しい。
その分あたしは余計なお世話を焼くのよ。
ある意味では、キョンの幸せのために。
あるいは、あたしの楽しみのためにも。
「古泉くん、判定結果を教えてあげるわ」
言うまでもないんだろうけど、
「あなたはやっぱりキョンが好きなんだわ」
と言うと、古泉くんは驚くような顔をした。
分かってなかったわけじゃないと思う。
ただ、信じられなかっただけね。
今無理矢理に自覚させちゃったけど、もしかして逆効果だったりしたかしら。
そう思ったあたしの前で、古泉くんは小さく体を震わせながら、
「そう…か……。僕は、彼のことが……」
好き、とまで口に出来なくて真っ赤になった古泉くんは本当に可愛かったわ。
だって、初恋でドキドキしてる女子中学生みたいに顔を真っ赤にしてるのよ?
あの女の子にモテモテで、ファンクラブだってありそうな古泉くんがよ?
恥ずかしそうに顔を覆って、でも耳まで真っ赤だから全然意味がないの。
すっごく、可愛いと思わない?
「か」
「か?」
不思議そうに古泉くんが顔を上げる。
あたしが何を言うのか、待つみたいに。
で、あたしは立ってて、古泉くんは座ってたから、当然上目遣いになって、ああもうちょっと本気で、
「可愛いわっ、古泉くん!」
思わずそう言って抱きしめちゃったじゃない。
「わっ…!?」
声を上げて軽くもがくのに、あたし相手だからか、それ以上の抵抗も出来ない古泉くんを抱きしめて、
「ほんと、可愛いわ! 贔屓してあげたくなるくらい!」
なんて言ってたら、いきなりドアが開いて、
「…何やってんだお前ら」
って言われた時には心臓が止まるかと思ったけどね。
ああ、当然、言ったのはキョンよ。
帰ったと思ったら、途中で急いで帰らなくていいって連絡が来たんで、戻ってきたんですって。
いつもならそんな真面目に参加したりしないくせに、どうしてこういう時ばっかり戻ってきたりするんだか。
わざとじゃないのが逆に怖いわ。
びっくりして何も言えず、ひきつってたあたしたちに、キョンは小さくため息を吐いて、
「ハルヒ、お前また何を思いついたか知らんが、あんまり古泉をいじめてやるなよ。真っ赤になって可哀想だろうが」
なんてことを言った。
だめだわこいつ。
全然分かってない。
鈍いを通り越してむしろおかしいわ。
普通ここは、あたしと古泉くんが付き合ってるのかと思って驚いたり、変に気を利かせようとしたりするところじゃないの?
あたしも古泉くんも、そんなに眼中にないわけ?
……あ、だめ、落ち込みそうだわ。
そう思ったのはあたしだけじゃなかったみたいで。

あたしたちは、揃ってため息を吐いてキョンを驚かせちゃった。