しつけのキホン



天気がよく穏やかな日曜日を自由に過ごせるようになったのは、団長の気紛れのおかげなのだが、その過ごしやすい日を秘密の恋人の部屋でこっそり、しかも不健康に過ごそうとしている俺もどうなんだろうか。
自嘲し、ため息を吐いても足は止まらず、最初と比べると随分手慣れた調子で、周囲に知り合いやなんかがいないのを確認してから、古泉の住むマンションに滑り込んだ。
普段とは少し違った雰囲気の服を選んで着た俺は、大抵声を掛けられたりすることもないのだが、それでも念のため、人目につかないよう急いで古泉の部屋に入ったのだが、そこで待っていたのは想像だにしなかった姿の古泉だった。
寝室の隅に座らされ、後ろ手を逃れられないように手錠で繋がれているばかりか、その手錠はベッドの足の間に入っていた。
「古泉…!?」
何があったんだと驚く俺に、古泉は恨めしげに、
「どっちかっつーと俺が聞きたい」
と慨嘆調で呟いた。
「もーそろそろあんたが来るかなーと思って準備してたら、いきなり園ねえが来て、見ての通りの有様だよ」
「森さんが?」
「そ。…あんたの差し金?」
と言われるのは心外だ。
というか、
「お前はそういう目に遭わされるようなことをしたとでも言うのか?」
「そんなわけねーじゃん」
むーっと眉を寄せ、拗ねたように言った古泉だったが、
「なぁ、マジでこれ外してよー…」
と今度は情けなくも哀願してくる。
「外してやりたいのは山々だが、これ、オモチャとかじゃないんだろ?」
本物らしいしっかりしたつくりのそれは、ガチャガチャといじったところで外れそうには見えない。
鍵がなければ開けられないだろう、と思いながらも一応それに触れ、よく見聞する。
妹がいるから、というよりも、俺も子供の頃、手錠のオモチャなんかで遊んでいたから、外せるようなら分かるのだが、やはりそれはオモチャとは違うつくりのようだった。
「…森さんに聞くしかないか」
ため息を吐きながら、俺は携帯を引っ張り出し、森さんに掛ける。
「え? なんであんた……」
「ん? …ああ、番号か? この前聞い……」
『はい、森です』
応答があったので、慌てて言葉を切り、
「いつもお世話になってます」
と森さんに向けて言う。
『いいえ、こちらこそ、古泉がいつもお世話になっていますから』
「その古泉の件なんですが…」
俺は声に笑いが入っちまうのを抑えられないまま、ちらりと古泉を見た。
「どうしてこんなことになってるんです?」
『ああ、見つけたんですね』
森さんの声のトーンは変わらない。
特に愉快でもないけれど、驚くことでもないとでも言うような調子だ。
「古泉が悪さでもしました?」
『ある意味では、そうかも知れませんね』
物騒なことにそう頷いておいて、
『あなたが、言っていらしたでしょう?』
と言われ、驚いた。
「え? 何をですか?」
『古泉をしつけるコツを知りたい、と私に仰られたでしょう?』
「…ええと……ああ…確かにそんなことを聞いたような…」
『ですから、それを伝授しようかと思いまして。でも、私が一緒ではやりづらいでしょう? ですから、こういう形にしてみました』
「……はあ…」
『しつけの基本は、特にその子の場合、待てを覚えさせることなんです。でも、あなたとでは体力や体格に差があるでしょう? ですから、動きを封じてみました。ちゃんと言うことを聞くようになるまで、頑張ってください。鍵は玄関の靴箱の中に置いてありますから』
それでは私は仕事がありますので、と言って森さんは一方的に会話を終了させてしまった。
古泉には、話が聞こえていなかったらしい。
「園ねえ、なんて言ってた?」
「……お前のしつけ、だそうだ」
「はぁ!?」
珍妙な声を上げた古泉だったが、日頃森さんにどんな目にあわされてるのか、諦めたようにため息を吐いた。
「……園ねえのやつー…」
恨めしげに唸っても、文句を言おうとはしないあたり、徹底的に力の差というものをたたき込まれている。
「…んで、鍵は……?」
「…場所は聞いたが……外してほしいか?」
「当然じゃん。このままでどうしろってえの? これじゃ、あんたを抱き締めることも出来ないし、あんたに食事も作れないんだからさ」
不貞腐れる古泉に、俺は少し考え込んだ。
すぐに外してやるべきだろう、と思わないでもない。
しかし、こいつにちゃんと言うことを聞くとか我慢するなんてことを覚えさせてやりたいような気もしてくる。
「……たとえば、外してやったら俺の言うことを聞くか?」
そう持ちかけると、古泉は胡乱気に俺を見遣り、
「…園ねえに何入れ知恵されたわけ?」
「入れ知恵…って言うのか? ……せっかくの機会を作ってもらったんだから、少しは利用しないと悪いかと思って、な」
と笑った俺はさぞかし悪人面になっていたことだろう。
唇を卑しく歪め、古泉の側にぺたりと座り込んだ俺は、古泉の立てた膝に手を置く。
「ちょ……キョン………?」
「思えば、俺が一方的にお前に触れる、なんてシチュエーションも珍しいよな」
にたりと笑えば、古泉は何を思ったか顔を少し赤らめ、
「…やっば……。なんだよその顔…」
「ん?」
「すっげ、そそる……」
そう言って精一杯こちらに首を伸ばし、キスしたそうにするが難しい。
繋がれた犬みたいな有様に喉を鳴らして笑った。
古泉は恥かしそうにしながらも、
「あーもう、しまんねぇ…。なあ、キョン、これ外してよ」
ガチャガチャと手錠を鳴らしてそう訴えてくる。
「外したら、言うことを聞くかって聞いてるんだが?」
「俺、いっつもそうしてるじゃん! あんたが嫌ならエッチだって我慢するし、あんたが食べたがるものなら大抵なんだって作るだろ?」
「じゃあ、」
と俺は自分のシャツをめくりあげ、肌を見せ付ける。
それは無惨なほどに鬱血の後を残され、まるで虐待の痕か何かみたいな惨状と成り果てていた。
「あれだけキスマークを残すなって言っても聞かないのはなんなんだ?」
「だ、だって、それくらい……」
いつもだったら、それくらいいいじゃんとえらそうに言うだろうに、今日は状況が不利だからかそう口ごもる。
「やだって言っても聞かない時もあるな」
「…うー……だって、したいんだって…。あんたが本当に本気で嫌って時はちゃんと我慢してるだろ?」
「疲れてるとかだと押し切るのは誰だよ…」
「うぐー……」
情けなくもそう唸って沈黙した古泉に、俺は大げさにため息を吐く。
「犬でも待てくらい出来るんだから、それくらいしてもらいたいもんだな」
「これでも我慢してるのにー……」
そう言って俯いた古泉だったが、少しして上目遣いに俺を見上げたかと思うと、
「…なあ……ほんとに外してくれねえの?」
「これくらいの待ても出来ないのか?」
呆れて返せば、古泉は真っ直ぐに俺を見つめて、
「あんたを目の前にして、しかも今日は日曜日で、時間がたっぷりあんのに、こんな状態にされてるなんて、生殺しもいいとこじゃん。せっかくあんたに触れて、あんたとちゃんと恋人同士として過ごせるはずの日なのに、こんなのじゃ足んねーよ」
と熱っぽく語るのに、ぞくりと来た。
「古泉…」
「なあ、外して? 俺、あんたに触りたい。キスもしたいし、抱き締めたりもしたい。あんたと一緒にご飯も食べたい。あんたのために料理したい…」
「……どうするかな…」
「あんたは、俺がこんなでいいわけ?」
拗ねた様子で唇を尖らせる古泉に、俺は小さく笑う。
「俺は別に触れるし、お前がこんな珍しい状態になってるのを見てるのも悪くないんだけどな」
「…悪趣味ー……」
「お前に言われたくない」
というか、
「お前と付き合ってる時点で、俺が悪趣味なのは確定だろ?」
にやにやしながら言ってやれば、古泉は顔を赤く染め、
「うあ、なにその発言。卑怯過ぎる……」
などと唸る。
「事実じゃないのか?」
そう笑って、俺はゆっくりと古泉の脚を撫で上げ、体を近づける。
触れるぎりぎりまで顔を寄せ、
「どこにキスするかな…」
と独り言めかして呟けば、古泉に睨まれた。
「…なんでこういう時に限ってそう小悪魔になれるわけ?」
「お前が余計なことをしないって分かってるからに決まってるだろ」
そう言って俺は古泉の頬にキスを落とし、
「どれくらい我慢していられるか、試してみるか?」
と言ってやった。
……俺と古泉のどちらが我慢するのかは知らないが。