我慢ならないカレ



昼休みの廊下で、古泉の姿を見つけた。
だからと言って抱きついたりなどは出来ないし、そもそもそういう衝動に駆られるようなこともないのだが、つい気になって近づいたのは、古泉がえらく真剣かつ心配そうな顔をしていたからだ。
「何かあったか?」
たとえ誰かに聞かれても不自然に思われない程度の距離感で小さく告げた俺に、古泉はようやく気がついたというのかぎょっとした顔をして一歩後ずさった。
「いっ、いえ、なんでも……」
「…なんでもないって顔には見えんが……」
つうか、そういう迂闊なリアクションをしていいのか?
呆れながら古泉の見つめていた窓の外を見ると、中庭でコンビニ弁当らしい弁当を食っている会長の姿が見えた。
「……ほう」
思った以上に低い声が出て俺も驚いたが、古泉はそれ以上にびびったようだった。
びくりと竦んだそいつを横目で睨み、
「なるほどな……」
と呟けば、優等生の古泉一樹らしくもなく、青褪め、慌てふためいた様子で、
「いえ、その、これはですね…っ」
「ああ、まあ、そう必死になって言わなくていい。お前の立場からすれば、会長の体調だかなんだかも気にして当然だろうからな。それについては理解しているとも」
理解を示すような言葉を、しかし実際には冷ややかに告げれば、古泉はいよいよ慌てた様子で、
「お、怒らないでください…っ、嫌いに…ならないで……」
とこれは流石に聞き取られてはまずいと思ったのだろう、囁くような小さな声で言ったが、その代わりと言うように、俺の手を握り締めた古泉の力は存外強く、振り解くのに苦労した。
「理解してるって言っただろ」
「…しかし、」
「やめろ。ホモの愁嘆場みたいだぞ」
あえてそうせせら笑うように言ってやれば、古泉は唇を噛みながらも引き下がる。
「……すみません」
「また後でな、副団長」
と、そう言ったってのに、その後すぐに古泉からのメールが届いた。
みっともないくらい弁明だらけのメールを簡潔にまとめるなら、俺のことが一番大事なんだという話になるんだが、だからと言って機嫌が直るはずもない。
俺は冷ややかに携帯の画面を見ていたが、昼休みも終るのでとっとと閉じた。
知るか、あんな馬鹿。
学習能力がないとしか思えん。
今更くどくど言われなくても、俺と会長で比べさせれば、当然俺の方が大事だと言い張るに決まってることくらい分かってる。
そのくせ、あんな風に会長を、他の人間を心配するなんてことに腹が立つ。
分かってるくせに苛立つ自分自身にも。
とりあえず、森さんにメールか電話をすることは決めた。
機関の方で栄養管理でもしてやってくれと頼もう。
そうでもしなければ、いつまで経っても古泉がああだろうからな。
それにしても、俺はどうやら随分と嫉妬深いタチだったらしい。
古泉が俺を見ていないというだけで腹が立つ。
ただ見てないというだけならまだしも、ほかの奴を見ていて、というのなら尚更だ。
それがハルヒだとか、仕事上仕方がないと言うならともかく、そうでないのにというのでは許せない。
目には目を、歯に歯を、という言葉がある。
こういう時のセオリーでもあるだろうから、あいつにも同じような思いをさせてやろうじゃないか。
俺はまずハルヒに、
「ちょっと今日は遅れる」
と言った。
「どうかしたの?」
きょとんとした顔をして聞き返すだけ、ハルヒも丸くなったもんだなと感慨深く思う。
前なら、問答無用で遅刻を咎めただろうし、止むを得ない理由があったとしてもペナルティを課しただろうに。
「ちょっとばかり、生徒会の方に呼び出されててな」
「それならあたしが、」
「いや、直接SOS団のことで呼び出されてる訳じゃないんだ。それなら最初からお前に頼むさ」
むーっと眉を寄せたハルヒだったが、
「何か遭ったら呼びなさいよ」
と難しい顔で許してくれた。
「まあ大丈夫だろ」
そう言っておいて、ハルヒを見送り、生徒会室に足を向ける。
もちろん、呼び出しなんか食らってはいない。
「失礼します」
と声を掛けて、生徒会室の戸を開けると、中には会長だけがいた。
「…案外暇そうですね」
俺が正直な感想を漏らすと、会長は皮肉っぽく、
「今はそう忙しい時期じゃないからな。私も少し仕事をしたら帰ろうかと思っていたところだ。…何か用かね?」
「大した話じゃありませんよ。忙しくなさそうでよかった」
そう言って俺は戸を閉め、会長に近づいた。
生徒会室だの会長の席だの言っても、たかだか県立高校のそれだから簡素なもので大したことはない。
俺は会長の斜め前くらいに立ち、
「古泉がうるさくしてませんか?」
と軽く探りを入れる。
「うるさく? ……ああ、そうだな、少しばかりあれこれうるさい。お前には手を出すなとか吠えてる分には可愛いんだが、ちゃんと飯を食えと口だけで言われてもな」
意地悪く言われて少しばかり苛立つ。
「あいつが可愛いのは分かりますけど、あまりからかわないでやってくれませんか」
大体、と俺は先日古泉にも言ったような言葉を口にする。
「あいつのことは気に食わないんじゃありませんでしたっけ?」
「すかした優等生面はな。仮面染みてて気味が悪い。だが、あいつはそれだけじゃないだろう?」
にやりと笑った会長は、
「お前なら、知ってるはずだよな?」
と含みを持った言い方をされたが、
「…知ってても、教える義理はありませんね」
俺の返事の何が面白いのか、ふっと小さく笑って、
「お前も案外独占欲が強いらしいな?」
「何かおかしいですか? 当然でしょう」
あんな危なっかしくて可愛くて調子がよくて顔のいい男が恋人なら、こうなったって仕方ない。
「それだけ執着する価値のある男ってことか」
「俺にとっては。……だからと言って、あなたにまでそうだとは思いませんが」
「どうだろうな」
意地悪くはぐらかした会長は、
「それより、そんな話をしに来た訳じゃないだろう?」
と水を向けた。
「そうですね」
頷いた俺は、
「食生活をなんとかしてください」
と簡潔に口にした。
「お前までなんだ? まさかあいつの差し金でもないだろうに」
「仕方ないでしょう。あんたがそのままだと、あいつが落ち着かないらしいんだから」
「ふむ」
笑いを含んだ声で呟いた会長は少し黙り込んだ後、唇を性格の悪そうな形に歪めたまま、
「…じゃあ、お前があいつの代わりに面倒見てくれるか?」
と言いやがった。
「は?」
「それなら、お前は妬かなくて済むだろう?」
それはそうだろうが、
「俺はあいつと違って料理は得意じゃないぞ」
「だが、出来ないわけじゃないんだろ?」
じっと見つめられ、自然、しどろもどろになりながらも、
「そりゃ……まあ…」
と答えると、
「食ってみたい」
と言ってにこーっと笑った顔が、案外無邪気で、子供っぽい。
これは、と思った瞬間だった。
「この人に近づくなと言ったでしょう!?」
と俺に言ってるのか会長に言ってるのか分からんことを怒鳴りながら古泉が怒鳴り込んできた。
ハルヒに俺が生徒会室に向かったことを聞いた古泉がこうするだろうというところまでは予定通りだったし、本来の俺の予定としてはここで古泉に皮肉のひとつふたつ言ってやることにしていたのだが、どうもそれは無理だ。
俺は怒りに顔を赤くしている古泉に歩み寄ると、
「正直助かった」
と言いながら古泉の肩をぽんと叩く。
「……は?」
拍子抜けした顔をした古泉に聞かせるつもりがあるのかないのか、自分でもよく分からないのだが、
「いや、本当に危なかったな。ギャップ萌えってのは本当に困る。危ない危ない」
と独り言みたいなことを呟いて、そのまま古泉の横を通りすぎ、部屋を出ようとする。
それから軽く振り返ると、
「古泉、そいつにえさを与えるくらいなら許す。が、お前の家には連れ込むなよ」
と言い残して逃げる。
「へ? あ、あの……」
ぽかんとして間抜け面をさらす古泉に、会長がおそらく面白がっているあの顔で、
「頼んだぞ」
と言うのが聞こえ、古泉が不満げな声を上げるのも聞こえたが、その後どうしたのかはよく分からん。
俺は危ない危ないと呪文のように唱えながら、部室へと遁走した。