今日も嵐



「遊びに来たわよ!」
気合の入ったそんな声と共に訪れた嵐は、見た目だけは可愛らしい女性の姿をしていた。
しかしながら、仕事で手に入れたはずの合鍵を私用で躊躇いもなく使い、訪れを告げることもなくやってきたのだから、嵐と呼んで差し支えもないだろう。
その女性の名前を、森 園生さんという。
「園ねぇ、日曜の朝っぱらから一体なんなのさ?」
古泉が困惑に塗れた顔で言うのを無視して、森さんは俺に向かって、
「おはようございます。いらしてたんですね。ちょうどよかった。私のお買い物に付き合ってくれませんか? いいですよね」
とまくし立てる。
「ええ…?」
首を傾げた俺の呟きを、森さんは強引に肯定と取ったらしい。
「それじゃあ行きましょうか」
にっこりと楽しそうに笑った森さんに腕を引っ掴まれ、立たされる。
「ちょ…っ、ちょっと待ってください! 俺はまだ着替えも……」
「では、10分だけ待ちますので、急いでくださいね」
有無を言わさぬ笑みでそう言った森さんに圧されて、俺は素直に寝室に戻る。
朝飯を食って間もないのだが、食いっぱぐれなかっただけマシと思っておこう。
どこに連れて行かれるのか分からないが、とりあえず無難そうな服を着る。
古泉の服の中からサイズが合いそうなのを選んで使わせてもらった。
そうじゃないと、まともな格好にならんからな。
古泉の部屋に入り浸ってはいるが、流石にTPOに応じて服装を変えられるほどは、服を運び込んではないんだ。
「こんな格好で大丈夫ですか?」
問いかけながら部屋を出ると、なんでだか古泉はキッチンに立っていた。
なんだその泣きそうな顔。
「泣きそうにもなるっての! 俺もついてくって言ったら、その前に土産でも作れって言われて、今泣く泣く油味噌こさえてんだから!」
油味噌…あれか。
豚肉と赤味噌をいため合わせて作る甘辛い……。
「それ」
「…うちの分もよろしく」
すかさずそう言った俺に、古泉は情けなく眉を下げて、
「えええ…」
と声を上げたが、
「おいしいから好きなんだよな、あれ」
「…あんたにそう言われたら逆らえないじゃん……」
しくしくしく、と泣き真似する古泉に背中を向けた森さんは、
「それでは、私たちは先に行きましょうか」
「酷ぇ!」
という古泉の叫びなどまるで聞こえない様子で、森さんは俺の手を取り、
「今日はよろしくお願いしますね」
と有無を言わせぬ調子で俺を連れ出した。
森さんの運転する車に乗せられて、快調に走り出すのはいいが、
「古泉、追ってこられますかね?」
流石に心配になってそう尋ねると、
「心配要りませんよ。携帯の電源は切らずにおいてあげますからね。準備ができたら場所を聞いてくるでしょう」
「ああ、そうでしたね」
「もっとも、それに正直に答えるかどうかはまだ保留ですけど」
え。
「ちょっとしたクイズにしても面白そうですよね」
と森さんは悪戯な笑みを見せる。
……なんというか、やっぱりこの人は古泉と似た匂いがする。
苦笑しながら、俺はこうなったらもう逃げ出すことなど出来ないだろうし、森さんから古泉のことなんかを聞くのも楽しそうだと居直ることに決め、この外出を楽しむことにした。
森さんはこれといって目的地がどことは言わないまま車をしばらく走らせ、ショッピングモールに入った。
休日なだけあって、なかなか盛況だ。
駐車場もそこそこ混雑していたが、幸い割と便のいい場所に止められた。
「買い物って何を買う予定なんです?」
「服と化粧品とそれから食材なんかを見ていこうかと思ってるんです。あ、言っておきますけど私が料理をするためじゃなくって、」
「あいつのためですね。ありがとうございます」
「あの子が喜ぶかどうかは知りませんけどね」
そう笑った森さんに、俺は思い切って尋ねた。
「前から聞きたかったんですが、森さんは、あいつのことをどう思っているんですか?」
「…私?」
きょとんとした顔で問い返した森さんは、ふっと柔らかく微笑み、
「見ていて分かりませんか?」
「…なんとなく、分かる気もしますけど……」
「心配ですか? …古泉も信頼されてないんですね」
「え、いえ、そうじゃなくって……」
慌てる俺を微笑で黙らせた。
「確かめたくなりましたか?」
「…そんなところです」
「見ての通りです」
と森さんは答えてくれた。
「あの子が私をひとり余計に増えた姉扱いするのと同じように、私にとってあの子はいきなり出来た弟みたいなものなんですよ。可愛いかどうかと聞かれると…ちょっと困りますけどね」
「十分可愛がってると思いますよ」
「そうですか?」
「はい」
「…では、余計な心配をさせないよう気をつけましょう」
悪戯っぽく笑った森さんは、
「姉代わりとしても、私の立場としても、それはどうかと思われるかもしれませんけれど、私はあなたとのことを応援してるんです」
「分かります」
「あの子のこと、頼みますね」
「…ありがとうございます」
ほっとしたように頷いて、森さんはぱっと前を向くと、
「それでは、心配させてしまったお詫びも兼ねて、あなたにも何かプレゼントしますよ」
「え? いえ、別にいいんですが……」
「遠慮なんてしないでください。あの子の彼女なら、姉代わりの私にとっては可愛いお嫁さんってところでしょう?」
「お、お嫁さんって……」
思わずかあっと顔を赤らめる俺に、森さんが浮かべた悪戯っぽい笑みは、やっぱりどこか古泉のそれと似ていた。
「今日は楽しみましょうね」
と森さんが言ったところで、携帯の着信音が響いた。
俺のではなく森さんのだ。
「黙っててくださいね」
と言われて頷くと、森さんは携帯を取り出し、
「もし…」
『園ねぇ!! 今どこにいんの!? まさかとは思うけどキョンに余計なことしてねえよなぁ!?』
噴出しそうになるほど必死な声が聞こえてきた。
「煩いですよ」
『だから今どこなんだよっ!?』
「さて、どこでしょうね」
ぎゃんぎゃん吠える古泉に、楽しそうな顔でのらりくらりとかわす森さん。
凄い。
俺もあれくらいかわせたらなあ、と少しばかり思ったが、それ以上に古泉が可哀相になってくる。
その辺で、と止めたくなってきたところで、森さんは楽しそうに言った。
「お願い事があるならなんて言うんでしたっけ?」
『うー……』
不満そうに唸っておいて、古泉は従順にも、
『…お願いですから、教えてください』
と下手に出た。
なんという見事な躾だろうか、と感心すればいいのか、それともそんな風に俺以外に大人しく尻尾を振る古泉に苛立てばいいのか、よく分からん。
「仕方ありませんね」
そう言ってのけた森さんは、ようやく現在位置を古泉に伝えた。
『急いで行くから、わざわざ路線違いの場所とか面倒なトコに移動しないでよ?』
過去にやられたことでもあるのか、そう言った古泉に、
「そういう態度ならどうするか分かりませんね」
『だああああああ!! お願いします! 本気で頼むからあんまりイジメないでよ園ねぇ!!』
そんな具合で、最終的に泣きが入った。
通話を終了させた森さんに、
「凄いですね…」
と感想を正直に伝えると、森さんは恥かしがる様子もなく、むしろ誇らしげに胸を張り、澄ました様子で、
「これくらいしないとつけあがりますからね」
……姉と弟に見えるというのは訂正して、トレーナーと犬に見えると思った方がいいんだろうか。
ともあれ、それから一時間ばかりショッピングモールの中をぶらつき、森さんがシックで落ち着いた雰囲気の黒いワンピースを購入したところで、どこをどうやってかぎつけてきたものか、古泉がやってきた。
「やっと見つけましたよ!」
と言った口調と服装こそ「古泉一樹」らしい優等生仕様だが、髪を振り乱し、額に汗を浮かべた姿では減点物である。
「ぐしゃぐしゃだぞ」
呆れながら乱れた髪を直してやると、古泉は俺の肩に手を置いて、
「それだけ必死だったんですよ……」
と言ってくれるのは嬉しいが、照れ臭くもある。
「森さんの前だぞ?」
「いいんですよ。それより……労ってはくれないんですか?」
じっと上目遣いに見つめられて、どきりと胸が震える。
だから、そういう目つきはやめろって。
「…お疲れさん」
ぽんと背中を叩いて体を離すと、古泉は不満げに唇を尖らせた。
外でその顔はやめろ。
「すみません。…でも、こんなところなら知り合いになんて会いませんよ」
「その油断が問題じゃないか?」
「そうですよ」
と同意したのは当然、森さんだった。
「随分気が抜けているようですけど、そんな調子で本当にちゃんと隠せているんですか?」
呆れたように咎める森さんに古泉の顔が引きつる。
「大丈夫ですよ。きちんとしてます」
「どうだか……」
「…何か文句でもあるんですか?」
「ないとでも?」
にっこり。
「……すみません、お願いですから勘弁してください許してください気をつけますから反対しないでくださいお願いします」
平謝り。
……なんというか、まあ……。
「古泉、そんな情けないところをお見せしていいんですか?」
「うぐ」
と思わず詰まった古泉だったが、それでもぶんっと頭を振って、
「大丈夫です。…多少情けなくても、そんなことで僕を嫌いになったりはしません」
と断言した。
分かってるじゃないか、と笑った俺に、ほっとした顔をするのは少しばかり呆れるがな。
虚勢を張るにしてももうちょっと最後まで張り通してくれ。
…そう出来ないところが可愛くもあるんだがな。
苦笑しながら俺は軽く古泉の肩に触れ、大丈夫だと言う代わりにしてやった。
森さんは小さく笑って、
「仲がいいのは何よりですね」
と言っておいて、それまでに買い物を済ませていた雑貨屋なんかの入ったそこそこ重たい袋を古泉の手に押し付けた。
「荷物をお願いしますね」
と悪びれもしない森さんに、古泉が勝てるはずもない。
いきなり持たされたそれに引きつった顔をしながらも、古泉は唯々諾々として従うしかないのである。
森さんは俺の手をぐいっと引くと、
「それじゃあ、今度こそあなたの服を見に行きましょうか」
その言葉にぎょっとしたのは俺ではなく古泉で、
「なっ…!?」
と声を上げたが、当然森さんはそれを黙殺した。
なんというか……、
「完全に荷物もち扱いですか…」
「だって、今日のメインは私とあなたでしょう?」
しれっとして言った森さんに反論する気力すらないらしい古泉が、後ろでどんよりしている。
…後でフォローしてやろう。
流石にかわいそうだ。
それからも、森さんはある意味とても見事だった。
古泉のことなどないもののように話を進め、見事に買い物をしちまったんだからな。
断りきれなかった俺は本当に帽子なんか買ってもらうことになっちまった。
「いいんですか?
と何度も聞いたが、
「受け取ってもらえませんか?」
なんて言い方をされて断れるはずがない。
真新しい帽子を被って、モール内を歩きまわり、ようやく車に乗り込んだ時には日が暮れかかり、古泉は大荷物を抱えて立ち往生寸前だった。
「お疲れさん」
と古泉に声を掛けた俺に、森さんは微笑んで、
「帰りは後部座席に乗って構いませんよ」
「え、あ……はい、ありがとうございます」
照れ臭いが、古泉を支えるようにして、二人して後部座席に乗り込む。
「大丈夫か?」
「ん……大丈夫です…」
答えながら頭をもたれさせて来るので、そのまま抱きとめてやった。
「大変だな」
「いつもこんな調子ですから…」
力なく笑う古泉の、きっちりと締めたネクタイを緩めてやる。
「あの…っ!?」
驚くなよ。
「今は、優等生の面なんてしなくていいだろ?」
そのために、と襟元を緩め、シャツの裾もだらしなく引っ張り出してやる。
古泉はぽかんとして俺の手を見ていたが、ようやく理解したのか、優等生仕様の時にはしないような悪辣な笑みを見せ、
「さんきゅ」
「ん」
「…もっと甘えていい?」
「うん?」
というのは問いかけのつもりだったのだが、古泉は了承と取ったのか、俺を抱き締め、そのままごろんと横になった。
「おい!?」
「いいっしょ、こんくらい」
嬉しそうに笑って寝そべり、俺の膝に頭を押し付けてくる古泉にはもはや苦笑するしかない。
ずっと聞いていたんだろう森さんが、くすくす笑いながら、
「今日は私がいたから外でデートも出来たし、そうやっていちゃつけるんだから、感謝するんですよ?」
なんて言ってのけたのには、苦笑すら出来なかったし、古泉も文句を忘れて絶句していたが。