困ったカレ



最近の俺には自分でも、どうしようもないと呆れながらに思う瞬間がある。
それは大抵古泉絡みのことであり、更に言うならば、古泉に関して我慢が利かない時にそう思うのだ。
どうしようもなく、古泉に惚れちまってるんだなと。
思い返せば、きっかけからして強引で、その後も俺は古泉に振り回されっぱなしの流されっぱなしである。
それなのに、どうしてこんなに好きになっちまったのかと首を傾げた回数は数え切れない。
考えるたびごとにいくらか変わる結論の中で、よく思い至るのはやはり、古泉がそれだけ俺を愛してくれているからだということだ。
振り回されるし、好き勝手されてキレそうになる時だってある。
実際ぶちきれたことだって一度や二度じゃあない。
それでも、古泉は事実として俺を愛していて、だからこそ俺を大切に扱ってくれることが分かるから、付き合っていられるんだろう。
俺が本気で嫌がれば、どんなにそうしたかったとしても、俺に指一本触れずに一晩過ごすことだって出来るだろう。
実際、前に旅行に行った時には、「せっかくの高級ホテルでしかも翌日も朝から遊びまくるという予定になっているのに腰が重いんじゃ勿体無い」と俺が主張しただけで、それを許してくれた。
それでも離れて寝るのは寂しいからとあいつが言ったので、シングルサイズのベッドに二人して潜り込んで、ただ抱き合って眠ったが、それ以上のことはなかった。
そんな風に、古泉は俺を大切にしてくれる。
だからこそ、俺はあいつがこんなにも好きで、気付かれたらどんな目に遭うかも分からないってのに、ふらふらとあいつの部屋に向かっているのだ。
足元がふわふわと浮ついているのは俺の精神状態のせいではなく、身体状態のせいである。
ほんのりとだが顔が赤くなっているのも同様だ。
ついでに言うなら判断力が落ちているのもそのせいにしておきたい。
簡単に言ってしまえば、俺は今、風邪を引いているのだ。
熱はそう高くないのだが全く平熱通りというわけでもない。
少し熱っぽくて喉が痛むくらいで、咳も鼻水もあまり出ないからあまり風邪らしく見えないと信じ、俺は約束通りの時間に古泉の部屋のドアフォンを鳴らした。
「いらっしゃい」
嬉しそうな笑顔で迎え入れてくれた古泉に、来てよかったと思う。
それでも、俺はなんとか渋面を作って、
「お前、また散らかしてるんだな」
とため息なんぞこぼしつつ、古泉の肩越しに部屋の中を見遣った。
ティッシュのくずだの書類の丸めたのだの、よくまあ散らかしたものである。
食べかすの類がないだけマシなのかもしれないが、見た目の汚さではあまり変わり映えもしない。
「ちょっと散らかってるだけじゃん。まだ掃除しなくったって平気だって。大体、今日はDVD観に来たんじゃねぇの?」
誤魔化すような笑みでそう言った古泉の、「甜麺醤」と墨書されたTシャツを掴みあげ、
「大人しく観てられんような部屋にしたのはどこのどいつだ?」
と凄んでやると、
「こ、降参降参!」
間抜けなまでにあっさりとホールドアップである。
「全く…」
眉を寄せながら解放した俺に、古泉はどこか訝しげな視線を寄越すと、軽く小首を傾げつつ、
「なあ、あんた、今日は走って来てくれたとかした?」
「は?」
いきなり何を言い出すんだ?
「いや……。なんか、さっき手が妙に温かったような気が……」
「気のせいだろ」
ばっさり切り捨てて古泉に背を向けたが、内心酷く狼狽していた。
心臓がばくばく言っているくらいだ。
俺は必死に平静を装いつつ、
「ほら、いいからさっさと中に通せ。DVDなら掃除しながらでも観れるから」
「ん」
嬉しそうに頷いて、古泉は弾むような足取りで部屋の奥に向かう。
それを追いながら感じた頭痛は、風邪のせいなんだろうか。
いや、おそらく古泉の脳天気っぷりにげんなりしたせいなんだろう。
改めて好きだと認識した後に、すぐさま方針転換するようで嫌なんだが、……本当にこいつが好きでいいのか、俺よ。
ため息を吐くと、聡くもそれを聞きつけた古泉が、
「…機嫌、悪い?」
と心配そうに聞いてきた。
「別に」
「悪いだろ。……ほんとは来たくなかったとか?」
しょんぼり、とでも書いてやりたくなるような顔で言った古泉に、俺は思わず吹き出した。
そういうリアクションはナシだろ。
可愛すぎる。
「あんたの方がずっと可愛いよ」
ニヤッと笑ってそう言った古泉は、
「その様子からすると、機嫌悪いってのは俺の気のせいなんだな? よかった」
「……機嫌なんか、悪くなるかよ」
ぽつりと呟いちまったのは、やっぱり熱のせいだろう。
そうでもなければ、そんなこと言うはずがない。
「キョン?」
こんな、古泉が訝しむようなこと。
「…お前に会いたくて、来てんのに……」
「…え」
驚いたように絶句した古泉の顔が、かあっと音を立てても不思議じゃないほど急激に、赤く色を変える。
俺はそこでニンマリと意地の悪い笑みを作って見せ、
「…なんてな」
と誤魔化した。
「なんてな…って……か、からかったのかよ!」
俺の純情を弄ぶなんて酷ぇ、小悪魔がいる、などと馬鹿げたことを唸る古泉に、
「うるさい。とにかくさっさと片付けるぞ。そうじゃないと甘やかす気にもなれん」
「それ、片付け終わったら甘やかしてくれるってことだよな?」
「知らん」
ふんと顔を背けた俺の視界の端に、古泉の嬉しそうな顔が見える。
「楽しみにしてるからな」
「なら、手伝え」
「えー? 俺が手伝ったって余計に手間が増えるだけじゃん。だから、大人しく待ってるよん」
「……どアホ」
毒づきながらも、俺は指定のゴミ袋を引っ張り出してくると、散らかった室内の掃除に取り掛かった。
古泉はというとソファに陣取り、いそいそとDVDを再生しようとしている。
こんな態度に出られても、嫌いになれないってのはどういうことなんだろうな。
自分で自分に呆れながら、俺も時々画面の方へと目をやりつつ、掃除を進めた。
……までは、記憶にあるのだが、そこから先がない。
それはおそらく、俺が目眩でも起こしてぶっ倒れちまったからなんだろうが、確認はできなかった。
何故なら、俺の意識が戻った時には既に、額には熱冷ましの冷却シート、喉にはネギ湿布と言うような完全看護体勢で古泉のベッドに寝かされており、白衣の天使ではなく恐ろしい顔をした古泉が俺を睨みつけていたからである。
そんな状態で何があったかと聞けるほど俺は豪胆じゃないし、何より古泉が先に口を開いたせいで聞けやしなかった。
「こん…っの、大馬鹿野郎!!」
という怒鳴り声に、びくりと体が竦んだ。
「何いきなり倒れたりするんだよ! 驚いて森さん呼びつけちまって、でっかい借りを作っちまっただろ!? しかも、ただの風邪とか言われるし…。つうか、何をどうやったら風邪なんかで倒れられるんだよ。鍛え方が全然足りてないんじゃねぇの!?」
まくし立てられるように怒鳴る古泉は、釣りあがった眉も、苛立たしげな語調もあって、なかなかに迫力があった。
本気で怒られ、その表情も態度もそれからこの先どういうことになるのかも分からなくて怖いと確かに感じているはずだって言うのに、どういうわけか、俺の心臓は風邪のせいでなく、激しく脈打っていた。
妙にドキドキする。
まるで、古泉に告白された時みたいだ。
かっこいい、なんて思ってしまう。
うっかり、綺麗に整った歯列がのぞく様にさえ見惚れていると、ずっとまくし立てていた古泉が言葉を途切れさせた。
そのまま、
「…聞いてんの?」
訝しげに唸られ、俺は慌てて、
「う、あ、はい、聞いてます。すみません」
と反射的に返したのだが、それに古泉は一瞬きょとんとした後、盛大に噴出した。
「何やってんのさ」
「いや、つい…」
くすくすとしばらく笑っていた古泉だったが、自分がまだ怒っていると言うことを思い出しでもしたのか、
「それにしても、」
と言葉を続けた。
「ほんと、何やってんだよ。風邪ならあったかくして、大人しく寝てなきゃだめだろ? 幼稚園児でも分かるよな? それくらい」
「う……それは、分かってたんだけどな…」
「じゃあ、何でだよ?」
睨む目つきは厳しさよりも心配そうな色を滲ませている。
それに動揺しながら、俺は上目遣いに問う。
「……言わなきゃならん、のか?」
「言えよ。こんだけ心配掛けたんだからな」
眉間に皺まで寄せて言われては、俺が逆らえるはずもなく、俺は観念して白状した。
「…一緒にいたかったんだよ。お前と。……お前は、嫌…なのか?」
「ああ、嫌だね」
即答されて、今度はこっちが切れるかと思った。
「何だと!?」
怒鳴り返したところで、古泉は軽く目を伏せつつ、
「あんたがしんどい思いしてまで来てくれて、あれこれしてくれたって、嬉しくねえよ。一緒にいたいって言うんだったら、せめて、看病しろって呼びつけるとかにしてくれよ。その方が、ずっといい」
…んなことしたって、仕方ないだろ。
「俺の家じゃ、お前は猫被るんだし。だったら、意味がない。俺が好きなのは、対外仕様のお前じゃないんだぞ」
つるっと口から滑り出てしまった言葉の中に、古泉に聞かれるとまずいような恥かしいような言葉が混ざっていた気もするが、今は古泉も気にとめる余裕がないらしい。
「だったら、ここで大人しく寝るくらいにしてくれよ。――本気で心配しただろが」
「……すまん」
それから、
「…ありがとな」
小さく笑って言うと、
「叱られて喜んでんじゃねーよ。マゾかあんた」
と古泉が毒づく。
分かりやすい照れ隠しだ。
「断じて違うと言わせてもらう。…が、お前に叱られるのは悪くないな」
「…ったく、そんなんじゃ懐柔されてやんねーからな」
そうかい。
「じゃあ、どうしたら機嫌を直してくれるんだ?」
らしくもなく、媚びるようなことを聞いても、古泉は嫌な顔などしなかった。
むしろ、嬉しいが恥かしいとでも言うように目をそらし、
「…機嫌直すも何も、俺は別に機嫌なんか悪くしてねぇし。あんたが思ってたより馬鹿なんで、呆れてるだけだ」
「俺が馬鹿だとしたら、お前のせいだろ? 責任取ってくれ」
「…じゃあ、」
薄く笑った古泉が横になったままの俺の顔に自分の顔を近づける。
髪が触れるほど、近い。
吐息のかかる距離にある唇が、
「完治するまで、帰れると思うなよ?」
「ん……」
意地の悪さを装った優しい囁きに、俺の心臓がまたもや落ち着きを失ったところで、
「にしても、」
ニッと笑った古泉が、俺の頬にキスをひとつ落としてから、呟くように言う。
「風邪引いた時のあんたって、犯罪的に可愛いな」
「なっ…!?」
何言ってんだ!?
「だって、そうだろ。いつもなら言ってくれねぇようなことを頼まなくても言ってくれるし、態度は素直でいつも以上に可愛いし」
「う、うるさい黙れ! 俺はもう寝るんだ!」
がばっと布団を頭まで被った俺の耳に、古泉の立てるかすかな笑い声が響く。
「…けどま、俺としては弱ってるあんたよりは、いつも通りのあんたの方がずっといいんだけどな」
という甘ったるい言葉も。
熱が余計に上がるのを感じながら、このまま風邪が治らなくったっていいなんて思っちまったのは、絶対に風邪と熱のせいだ。