「旅行、行きたくねぇ?」 と古泉が唐突に言ったのは、とある月曜日のことだった。 俺は古泉が干しっぱなしにしていた洗濯物を取り込み、少しでもしわを伸ばそうとアイロン片手に四苦八苦しているところだった。 よって、背中にもたれかかってきている古泉を邪魔に思いつつ、突き放せもしないままになっていた。 そんな時、いきなりそんなことを言われたんだ。 言葉通りの意味には取り難く、 「行きたくないわけでもないが……いきなりなんだ?」 と聞いたのだが、 「いや、今度の週末って三連休じゃん? せっかくだから旅行行きたいなーって」 どうやら、言葉通りの意味しかなかったらしい。 「行きたいっつっても、先立つものがないだろ。大体、男二人でどこに行くっつうんだ」 「あんたが一緒なら俺はどこでもいいんだけどさ、だからって近場でデートが出来ない以上、遠くに行きたいじゃん?」 そんなことを考えてたから、さっきまでしばらくずっと有名旅番組のオープニングを口ずさんでいたというわけか。 「だから、先立つものがないだろ」 「…あったら、行ってくれる?」 そう聞きながら、古泉は俺の肩口にすりっと頬をすり寄せてくる。 くすぐったさのあまり表情を崩した俺に、 「なぁ、今週末、暇だろ?」 「暇は暇だが……」 「んじゃ、行こ。旅行」 「……何企んでるんだ?」 俺が聞くと、古泉はにんまりと笑った。 いたずら小僧なんてもんじゃない。 どこかのチンピラか素行不良者みたいな笑いだ。 「実はさ、機関から慰安旅行にでも行ってきたらーって言われてんだよなー」 「…はぁ?」 「だから費用は機関持ち、当然敬語のいい子ちゃん仕様はオフで、あんたと二人旅っていう、凄い好条件なんだけど、だめ?」 「だめ…って……いうか、やっぱり、ばれてたんだな。お前との付き合い…」 呆れているのかショックを受けているのか、自分でもよく分からないまま呟いた俺に、 「あー、そのこと?」 へらりと笑った古泉は、 「俺から報告してあったんだ」 「ほっ…!?」 報告ってなんだそりゃ!? 驚く俺に古泉は笑顔のまま、 「だってさー、どう隠したっていつかはどうせばれるだろ? んで、邪魔されるのも腹立つじゃん? だから、何を言われても別れねえってこともちゃんと言ったら、案外あっさり認められたんだ。勿論、涼宮さんにばれないようにってのはキッツク言われたけどね」 「そう…なのか…」 ほっとすると共に肩の力が抜けた。 「だから、安心してよ。もし何か言われても、ちゃんと貫き通すからさ」 そう笑う古泉は、いつになく頼りがいがあるように見えて、かっこよくて、妙に悔しかった。 だから、疑うのではなくて意地の悪いことを言ってやりたくて、 「本当か?」 と言うと、古泉は心外そうに、 「本当だって。こんなところで嘘吐いてどうすんのさ」 「森さんに脅されても?」 こいつが森さんを怖がっているような節があるのでそう言ってやれば、古泉はぎくりと身を竦ませて目をそらしつつも、 「も、森さんに言われても!」 と答えた。 ……当てにならんな、こりゃ。 俺がため息を吐くと、古泉は唇を不満そうに尖らせて、 「そういうあんたも、ちゃんとしてくれよ」 「は?」 「あんたの方に圧力が掛けられるって可能性も全くないっつーわけじゃないんだからな」 「……ああ、そうか」 そう言われてみればその通りだな。 「分かった?」 「分かったが……」 約束出来るかと言われたらよく分からんな。 「なんでだよ」 不満そうに言う古泉に俺は笑って、 「条件によるってことだ」 「なっ…!?」 怒りのせいでだろう、顔を真っ赤に染める古泉に、俺は極力柔らかく微笑み、 「何を条件に持ち出されるか分からないだろ。それがもし、お前の命とかだったら、俺にはちゃんと突っぱねられる自信はない」 「…あ……そういうこと…」 ほっとしたように息を吐いた古泉だったが、軽く眉を寄せて俺を睨みつけると、 「でもさ、俺はやっぱり、あんたと一緒にいたいよ。あんたと一緒じゃなきゃ、…嫌だ」 まるきり駄々っ子か何かである。 だから俺は苦笑して、 「そうかい。だったら、そんなことにならないよう気をつけてくれよ?」 と言って古泉の頭をくしゃりと撫でてやった。 恥かしくなったのか、古泉はかすかに顔を赤くしながらもぷるぷると頭を振って、 「そんなことより、旅行だよ、旅行!」 と言い出した。 「なあ、一緒に行こうぜ? 俺だってたまには、いい子ちゃん仕様なんてなしにしてあんたと二人、外を歩いたりしたいんだからさ」 「そうだな……」 「つうか、もうホテルも電車やテーマパークのチケットも取ってあるんだから、ダメっつってもかっさらってくからな!」 「…はぁ!?」 なんだと!? 「だって…そうでもなきゃ、あんた遠慮して安いところとか希望するに決まってるだろ」 拗ねるように言った古泉にはもはや呆れるしかない。 「…で?」 「で、って……」 叱られるとでも思ったんだろうか。 おどおどと見上げてくる古泉に、俺は必死に笑いを堪えつつ、 「…どこにさらって行ってくれるんだ?」 ぱっと顔を輝かせた古泉は、まるで子供のようだった。 そんな訳で旅行に行くことが決定したのだが、手配は本当に何もかも済ませてあったらしく、俺は自分の支度を整えるだけでよかった。 家族には古泉が言い訳をし、見事言いくるめてくれたので、そっちも問題はない。 やるべきことがあるとしたら、精々、ハルヒに見つからないよう気をつけるということくらいだ。 待ち合わせたのはいつもの駅前で、古泉の格好もいつも通りの優等生仕様だった。 「おはようございます」 「よう」 と軽く挨拶を交わす間は、視線にも甘さは欠片もありやしねえ。 「昨日はちゃんと眠れましたか?」 なんて何気なく話しながらも、足早に改札口を通りぬけ、電車に乗り込む。 移動時間が多少長くなるが、そのまま電車を乗り継いで、目的地を目指すことになっている。 理由は簡単で、 「そしたら県外に出て乗り換えた辺りでオフに出来るっしょ?」 というのがその理由だ。 実際、古泉は乗り換えのために一度下りた駅でトイレに行ったかと思うと着替えて戻ってきたのだが、 「お前…っ、それはないだろ…!」 と思わず笑った。 というか、勘弁してくれ、腹が割れる。 引き攣る腹筋を押さえている俺に古泉は軽く首なんぞ傾げて、 「えー? だめ?」 なんて言ってるのだが、ダメに決まってるだろ。 「せめてサングラスは外せ」 笑いに震える声で言うと、古泉は残念そうにサングラスを外し、アロハシャツの胸ポケットにそれを仕舞った。 これだけでも、とんでもない格好だと分かってくれるとは思うが、実際はそんなもんじゃなかった。 だぼついた大きめのズボンは何でだか膝丈だし、アロハシャツなんぞはいつもの変な漢字Tシャツ好きの派生だとでも言うような、魚編の漢字スペシャルで多い尽くされている。 それでもまだ、紺地に白なら許されたかも知れん。 だが、赤地に黄色はないだろう! わざわざ靴も履き替えたらしく、ビーチサンダルみたいなラフなサンダルになっている。 頭にはパナマ帽染みたださい帽子付だ。 付き合いだしてからでもそれなりの付き合いになるが、こいつのセンスは本当に分からん。 「いっそ着替えなおしてきてくれ」 「えぇ? やだよ、めんどくさい。それにほら、そろそろ行かないと乗り遅れるぜ?」 「じゃあ離れて歩け」 「やだ」 そう言って古泉は強引に俺の腕を引っ掴むとそのまま歩きだした。 「こら! 放せ!」 「やだよ。……これ以上抵抗するんだったら、」 古泉は不敵に笑って見せると、 「――大声で、オネェ言葉で喋って、あんたに絡んでやるからな」 ……どこの最終兵器だそれは。 かくして俺は、電波な歌を口ずさむ古泉にドナドナされた。 三連休ということもあってそれなりに混雑した電車内でべったり引っ付いて座った野郎二人というのはさぞかし見苦しいものだっただろう。 目撃者の皆さんに謝罪したい。 「そんなこと言ってるけど、結構喜んでるだろ」 もはや抵抗する気力もなくなっている俺の腕を絡め取り、さわさわと鳥肌が立ちそうな感じで撫で回していた古泉は、にたにたとあくどい笑みを見せながらそう言ったが、全力で否定させてもらう。 「どこが喜んでるように見えるんだ?」 「そうだろ? 目元とかちょっと赤くなっちゃってるし、口元も緩んでんじゃん」 そう言って、古泉はわざわざ俺の唇をちょんと指先でつついた。 「ばっ…!」 「あはは。かっわいー」 楽しげに軽く笑って、古泉は口を閉じた。 しかしその目は笑ったままであり、全体としてはまだ笑顔にしか見えない。 「たまには堂々といちゃつかせてよ。普段はどうしたって出来ねぇんだしさ。…な?」 「ぅぐ…っ……」 だからその上目遣いは狡すぎると俺は何度こいつに言えばいいんだ。 「狡いって言われてもなー。大体、どう狡いのさ?」 「狡いだろ。…んな、ちっさい子供みたいな可愛い顔でねだられたら、どうしようもないじゃねえか」 「あんた、お兄ちゃん気質だもんな。んでも、」 と古泉は少しばかり眉を寄せて、 「ちっさい子供みたいってのはあんま嬉しくねーなー。可愛いってのも。あんたのがよっぽど可愛いし」 「うるさい。いいからもう黙ってくれ、頼むから」 そろそろ本気で周りの視線が痛いんだよ。 「…はぁい」 珍しくも大人しく従ったと思ったら、古泉は楽しげに目を細めて、 「いやー、いい気分だよな。人に見せ付けれるのって」 などとほざいたばかりか、 「電車から下りた後なら、すぐ人混みに紛れられるだろ? だから、ちゅーしていい?」 と聞いてきやがったので、俺は黙って肘を古泉の腹に叩き込んだ。 |