「ただいま帰りました」 と弾んだ声で言う古泉を俺が古泉の部屋で迎えてやったのは、俺が古泉の部屋に来た途端、 「うわっ、頼むからいきなり来んなよ! まだ晩飯の買出しにも行ってねえんだぞ!? 来るって知ってたら昨日から仕込みくらいしたのに!」 とのたまった上で、手早く着替え、 「急いで買い物に行ってきます。遅くなっても必ず戻ってきて、美味しい夕食をご馳走しますから、絶っ対に! 待っていてくださいね」 などと気持ちの悪いほどの切り替えと、変わり映えのしない熱心さでもって俺を引きとめて、あっという間に飛び出していったからだった。 それでもまあ、大して待たされたわけでもないので、特に機嫌を悪くすることもなく、つまりは極普通に、 「お帰り」 と言ってやっただけなのだが、古泉は嬉しそうに笑い、 「実にいいですね。買い物から帰ってきて、あなたがいる、というのは」 「馬鹿言ってないでさっさと着替えて、その胡散臭いキャラも一緒に脱ぎ捨てて来い」 「待ってください。冷蔵庫に仕舞うだけ仕舞いますから」 そう言ってとたとたと古泉は冷蔵庫に向かう。 それくらい、俺がやってもいいのに、古泉に言わせると台所は自分のテリトリーであり、たとえ俺であってもあまりいじって欲しくないのだそうだ。 まあ、俺としては、他の部屋はどんなに言ってもぐちゃぐちゃに散らかしまくるくせに、台所だけは綺麗に整頓して使いこなしているらしいことからして、文句の付けようもないのだが、あまり面白くもない。 俺は床に放り出してあった漫画雑誌を拾い上げ、読むともなしにめくる。 そうこうするうちに古泉は台所から寝室へ移動し、出てきた時にはいつもながらどよんと伸びたジャージのズボンと馬鹿みたいな長袖Tシャツに着替えていた。 ちなみに今日は、薄水色に白抜きで「筑前煮」と書かれたTシャツだ。 …外人すら避けそうだと思えるほどおかしな漢字Tシャツを着るのはいつものことだが、何度見てもこいつのセンスは分からん。 その手には何かビニール袋を持っている。 「キョン、これ着てくれねぇ?」 にやにや笑いながらそう言って俺に渡してきた袋の内容物は、ピンク色をした布の塊だった。 「……なんだこれは」 ピンクという時点で絶対に着たくないんだが。 「開けてみりゃ分かるって」 言われるまま、仕方なく透明のビニール袋を破き、広げると、それがエプロンだと分かった。 「うわ……」 また何考えてこんなもん買ってきたんだ、こいつは。 いや、考えたことくらいはなんとなく察しは付くがな。 呆れるしかないぞ。 「可愛いだろ? あんたに似合うと思って買ってきたんだ」 楽しそうに馬鹿面下げて、予想通りのことを言っている古泉に、俺は言う。 「…お前、ちょっと後ろ向け」 「ん? いいよ」 俺が着るとでも思ったんだろうか。 素直に背中を向けた古泉の背後から、エプロンをかけてやり、リボン状になった紐をきゅっと結んでやると、古泉が不機嫌な顔をして、その肩越しに言った。 「…なあ、俺、あんたのために買ってきたんだけど?」 「これから俺のために料理してくれるんだろ。だったら、エプロンを着るべきなのはお前だ。違うか?」 大体、俺が着たところで料理なんかしないし、させてももらえないんだから、意味がない。 せっかく買ったんだったら有効活用しろ。 使わんと勿体無いだろ。 「つまんねーの。もっと大袈裟に嫌がるとかしてくれたら、それだけでも楽しいと思ったんだけどな」 「予想が外れて残念だったな」 「…まあ、いっか」 ニヤッと笑った古泉は、 「料理する時は俺が使って、寝る時はあんたが着るってのでどうよ。使わないと勿体無いんだろ?」 「ふざけるのもほどほどにしろよ。帰って欲しいのか?」 呆れながら言ってやれば、 「ちえー…」 なんて言いながらも、古泉はきちんとエプロンに腕を通し、こちらを向く。 エプロンのおかげで間抜けな文字が隠れて丁度いい、と思っている俺をふわりと抱きしめ、 「後で、ちょっとでいいから着てみてくれよ。な?」 と口説きに掛かる。 むず痒くなるから耳元で囁くなと何度言えばいいんだ。 「わ、かった、から…放せ、ばか…」 見た目よりずっと力強い腕の中でもがき、赤くなりながらそう訴えると、 「あは、さんきゅ。やっぱりキョンは優しいね。愛してる」 締りのない顔で言って、古泉は俺を解放した。 「んじゃ、後のお楽しみのために、手早く夕食を作るとしますか」 そう言って袖をまくり上げ、台所に向かう姿を、かっこいいといってやるべきかどうか、暫し迷った。 男がピンクのエプロンをつけていそいそと料理する様を見て、かっこいいと言うかどうかは判断の分かれるところだ。 たとえ古泉が、見た目だけはちょっとないくらいの美形だとしても。 俺はいつものように古泉の後ろについて台所に向かう。 だが、古泉のテリトリーまたはサンクチュアリであるところの調理スペースには立ち入らない。 精々、そこから程近いダイニングテーブルに頬杖を付き、まめまめしく働く古泉の背中を見守るだけだ。 今日の夕食はどうやら魚料理らしい。 切り身の魚に塩コショウだのスパイスだのを振っているのが見える。 それから、スープはポタージュか。 ミキサーを使う音が部屋中に響き渡るのを俺が見ていると、 「あ、もしかしてうるさかった?」 と古泉が振り向いた。 「いや、別に」 「まあ、美味しいもん作るから、ちょっと我慢してやってよ」 「だから別に不快になんか思ってねえよ。お前が、俺のために作ってくれてるのにそんな文句言えるか」 俺の言葉に、古泉は嬉しそうに顔をほころばせると、 「リップサービスにしてもサービス過剰じゃねえ? 何企んでんのかって思えてくるじゃん」 「人の好意を素直に受け取れないのか、お前は」 珍しく人があんなことを言ったってのに。 ふい、と顔を背けると、 「悪ぃ」 と少しも悪いと思ってない顔で古泉が言い、俺の顔を覗き込んだ。 そのままキスされる。 「…お前な、こんなので誤魔化せると思ってんのか?」 「違うって。単純に、俺が嬉しかったから、しただけ」 そう言って浮かべる笑顔の方が、キスなんかよりよっぽど効果的だと、こいつは分かっているんだろうか。 ……多分、分かってんだろうな。 くそ、忌々しい。 ため息を吐いた俺の視界に、ピンクのひらひらしたものが目に入る。 古泉の腰に止まった蝶のように、ゆらゆら揺れるピンクのリボン。 聖域に戻ろうとする古泉への腹いせも兼ねて、そのひらひらした翅を引っ張ってやると、蝶結びのそれは簡単に解けた。 古泉は訝しげに俺を見たかと思うと、 「何? 誘ってんの?」 「断じて違う」 「そう照れなくったっていいんだぜ?」 と言いながら、俺を腕の中に捕らえる。 「それとも、あんたが着たいってこと?」 そう囁いた唇が耳に触れる。 「ひゃ…っ……」 「かわいい」 「んっ……やめ、ろよ…ばか…」 「説得力ない声出して、よく言うよ」 からかうように言っておいて、古泉はふっと俺を解放した。 「あ……?」 てっきりこのまま、かと思った俺は肩透かしを食らわされた気分で古泉を見たが、古泉はニヤニヤ笑いながら、 「今は料理中だから、続きは後でな? 邪魔しないで、いい子で待ってろよ」 「お前は…っ、人をなんだと思ってんだ!?」 俺は猫でも犬でもないぞ!? 「分かってるって。犬猫なんかよりもずっと可愛い、俺の大事な恋人、だろ」 あっけらかんと言った古泉に、それ以上何も言えず、俺はダイニングテーブルに突っ伏すしかなかった。 普通、料理なんか放り出すところなんじゃないのか? あるいは、もう少し残念がるとか。 なのになんで、またあんな楽しそうに料理を再開出来るんだ? 本当に、こいつの優先順位が分からん。 「そんなもん、あんたがイチバンに決まってんじゃん」 ジャガイモのポタージュスープ、鮭のムニエル、鮭のマリネ、野菜のゼリー寄せなんかを並べた食卓で、スープに浸かったスプーンをぺろりと舐めながら、古泉はそう答えた。 それこそ、軽口のように。 それから、俺が釈然としていないのを見て取った様子で柔らかく微笑むと、 「あんたがイチバンだよ。だから、あんたに美味しいもん食わせたいって思うし、だからさっきは料理を優先させたわけ」 そう筋道立てて説明されると、単純明快かもしれない。 「それに、ナマモノ放っといて、後でお腹壊すのも嫌じゃん? どうせなら、安全で美味しくて、…幸せに楽しく、食べたいって思わねえ?」 「……俺は別に、お前が作るんだったらどんなのでもいいんだけどな」 たとえ百円もしないカップラーメンだって、古泉が作ってくれるなら、美味しく思えちまいそうなくらいの精神状態はちゃんと自覚してるんだ。 「そう言ってくれるのは嬉しいんだけどさ、それに胡坐かいてちゃだめだなって、俺は思うんだよ」 意外と健気なことを言うもんだ、と驚いていると、古泉は悪そうな笑みを浮かべ、 「まあ、それだけじゃなくって、……もし、あんたが俺のことを好きじゃなくなって、かと言って嫌いでもなくて、どうでもいい、なんて思い始めても、料理がうまかったら繋ぎ止められるんじゃないかなー…なんて、打算的なことを考えてたりもすんだけどさ」 「ばか」 と俺は今日何度言ってやればいいんだろうな。 「心配しなくても、当分そんなことはありえねえよ。それから、それが作戦だって言うなら、もう成功してるようなもんだろ。お前の料理は美味過ぎて困るくらいだし、お前のことも、」 好きすぎて困ってるくらいだ、などと言い掛けてやめた。 そこまで言わなくてもいいだろう。 「とにかく、そんな風にして繋ぎ止めようなんて馬鹿なこと考えなくても、俺はちゃんとお前の側にいるよ」 「…ありがとな。愛してる」 しかし、古泉は柔らかな笑みのまま言った。 「で? お前のことも、の続きは?」 「……き、聞くな」 「やだよ。なあ、教えて? 教えてくんねぇと、気になって眠れなくなりそうじゃん」 「それくらいで不眠になるなら寝ないでおけばいいだろ」 「そうなったら、あんたに添い寝頼もうかな。勿論、単純に横になるだけなんて無粋なもんじゃなくて……」 「古泉、」 声に怒気をはらませれば、流石の古泉も黙る。 俺はため息を吐き、 「…食事中だぞ。幸せで楽しい食卓にしたいんじゃなかったのか?」 「……そうだったね。ごめん」 苦いものを含んだ笑みと共に言った古泉に、小さな声で告げてやる。 「……後で、着てやってもいいぞ」 古泉は一瞬唖然とした顔で俺を見た後、ぱっと顔を輝かせる。 美形率3割増ってところか。 「ほんとに?」 「ああ。ただし、絶対似合わんから期待はするなよ」 「似合うに決まってんじゃん。俺があんたのために選んだんだから」 それで、と古泉は身を乗り出し、小さな声で囁く。 「…着てくれるってのは勿論、素肌の上に、だよな?」 「調子に乗るな、変態」 お前はどこかのおっさんか。 「俺が調子に乗ってるとしたら、乗せてんのはあんただよ」 悪辣な笑みを浮かべて言った古泉に、俺はため息を吐く。 そのため息が嘆きによるものなのか呆れによるものなのか、はたまたその笑みに脳を焼かれちまった結果なのかなんて、俺は知らん。 |
イラストは偽造愛+Sの麻宮さんからいただきました。
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