優等生の面の皮



あーあ、だりぃ。
つまんねー授業がやっと終ったってのに、俺には軽くストレッチをする自由さえ認められないなんて、酷くねえ?
人権侵害もいいところだろ。
ついでに言うと、お疲れさんと言ってこのまま帰っちまう自由もない。
…いや、たっまーにあるけどな?
「急にバイトが入りました」
とかなんとか嘘吐いて、さっさと帰る日も。
ただ、最近は控えてる。
そんなことを言った日にゃ、えらく心配してくれる人がいるもんでね。
というわけで、俺はいい子ぶって今日もいそいそと部室に向かうわけだ。
いい子ぶって、という言葉といそいそという言葉に違和感染みた矛盾を感じた奴がいたら、多分正しい。
いい子ぶって行くなら渋々向かうべきだし、いそいそ向かうならいい子ぶるなんて言葉は不似合いだ。
ただ、俺の場合はそんなもんだ。
実際、お目当ての人がいなければさっさと帰りたくなるんだからな。
それをぐっと堪えるためには、その前からいい子ぶってなんとかポジションを固めておく必要があるわけさ。
その、俺のお目当ての人ってのは、読書する宇宙人でもドジっ子未来人でもない。
神なんて大仰な言葉で呼ばれちまってる、尋常ならざる女子高生でもない。
俺の目当てはただひとり、キョンなんて可愛いあだ名で呼ばれてる彼だけだ。
ノックして入った部室には、まだ宇宙人と未来人しかいなかったが、それはいつものことだ。
キョンは大抵最後か、最後から二番目にやってくるから。
俺は精々胡散臭いとキョンが評し、俺自身そう思っている笑みを浮かべて、未来人と当たり障りのないやりとりをしてキョンを待つ。
「今日はローズティーを淹れてみたんです」
なんて言ってる未来人は、自分の役割をなんだと思ってるんだろうね?
別に俺はそれがなんなのか具体的に把握してるわけじゃねえけど、時々心配になってくる。
それももしかすると、俺がこの場所とこのSOS団なんつうふざけた名前の珍奇な集団に馴染んじまったってことのあらわれかもしれないけど。
んなことを考えてるなんてことはおくびにも出さずに、俺はあくまで詐欺師めいたにこやかさを保ちつつ、
「ありがとうございます」
と告げてローズティーを一口すする。
日々研鑽しているだけあって、美味い。
料理じゃ負けないつもりだが、単純にお茶だけなら彼女の方が上手に淹れられるかも知れない。
そんなことにかまけてていいのかよと突っ込みたくもなるが。
そうこうするうちに、キョンがやってくる。
未来人には丁寧に、
「こんにちは、朝比奈さん」
宇宙人にはそれなりに、
「よう、長門」
と挨拶をする。
それから俺が、
「こんにちは」
と声を掛けると、特に嫌がるでもなければ文句を言うでなく、
「おう」
と答える。
その下に透けて見える信頼感や親しみが、気持ちいいったらないね。
出会った頃の警戒心丸出しの態度を思うと特に。
そう思いながらもにやけそうになるのを、俺はちゃんと堪えたはずだった。
しかしキョンは軽く眉を寄せ、
「なにニヤニヤしてんだ、気色悪い」
と口にした。
「おや、僕はいつも通りですけど?」
「普段より二割増はにやけてるだろうが。何かいいことでもあったのか?」
二割増、というのは正確な表現かもしれない。
それにしても、キョンは本当に凄い。
徹底的に訓練されたということ以上に、長い間演技し続けているおかげで、俺はすっかり笑顔のポーカーフェイスに慣れてるつもりだってのに、それ以上にキョンの表情を読み取る力の方が格段にアップしてる気がしてくる。
まあ、あの無表情な宇宙人の表情の変化も分かるんだから、通常の空間ではただの人間に過ぎない俺なんか、どうってこともないのかもしれねえけど。
しかし、悪くない。
もう一割増した笑顔になりかけるのをぐっと堪えつつ、
「いいことですか。…そうですね。さして言えば……」
わざとらしく間を取ると、キョンが訝しげに俺を見る。
それに笑みを返し、
「今日もあなたにお会い出来て嬉しいと言ったところでしょうか」
「寝言は寝て言え」
8割方本音なのに酷え。
間髪入れずに言ったよこいつ。
「本気ですよ?」
「冗談にしか思えん」
「それは残念です」
くすくすと笑うと、キョンが顔をしかめた。
その不機嫌な顔も可愛い。
本当はそう大して怒っていないのも。
怒っているとしたら、本音も建て前もはっきりしない俺、あるいは古泉一樹というキャラクターに対して怒っているんだろうな。
それが、嬉しいし、可愛くてからかいたくなる。
そうして実際にからかおうとすると、そうやってしっかり突っ込み返してくれたりするのも、イイ。
キョンを見てると、飽きない。
…欲しいな。
神の意思に逆らってでも、機関に反対されても、自分のものにしたくなる。
あるいは、キョンのものになりたくなる。
どうやって口説いたら落とせるのかね。
恋愛には疎いし、経験もないらしいから、案外ころっと落ちてくれそうな気もするけど、一応男同士ってハンディキャップもある。
キョンは結構世間体とか気にするタイプだしなー…。
俺は全然気にしねぇんだけど。
世間なんてもん、気にするだけバカみたいじゃん?
それより、好きなことをしたい。
勿論、それで周囲に迷惑を撒き散らすんじゃだめだろうけどさ。
誰かを好きでいるってことは、そう悪いってことでもねえし、付き合うってことも悪くはないと思うんだよな。
世間体とかをとっぱらったら、キョン自身は結構柔軟そうだし。
……口説くとしたら、どうやろう。
キョンがそれなりに俺の顔を気に入ってくれてることは知ってるが、それだけじゃあ無理だろう。
優等生らしくいくか、自分の境遇を活かして同情を誘うか。
それとも……いっそ本当の俺を見せようか?
このままの、俺。
優等生なんかじゃねえし、だらしもないし、普通なら幻滅されること間違いなしの俺。
けど、キョンを好きになったのはそういう俺なんだから、キョンにもそういう俺を好きになってもらいてえよな。
うーん、と考え込んでいると、
「長考するような場面じゃないだろうが」
とキョンに突っ込まれた。
…確かに、オセロを始めてまだ数手目だ。
長考してどうなるってもんでもない。
「すみません」
とりあえず謝って石を置く。
「考え事か?」
あっさりと石を置きながら、キョンが聞いてきた。
「そんなところです」
答えながらも、心が湧き立つ。
ナニ?
もしかして心配してくれてるわけ?
だとしたら、嬉しいな。
脈があるってことかもしれねえって、勝手に期待しちまうよ?
「だから、にやけるなと言ってるだろうが」
「すみません、あなたに心配していただけて嬉しいんです」
と、これまた本気で言うと、
「お前は人をなんだと思ってるんだ? よっぽどの薄情者だとでも思ってんのか?」
と不機嫌に返される。
「そんな、滅相もありません」
お人好しって言ってやりたくなるくらい、情に厚くて優しい人だと思ってるよ。
薄情者なんてのも、相手によっては当てはまるんだろうけどな。
とりあえず、俺やSOS団の仲間には凄く優しいじゃん。
出来れば、俺にだけもっと優しくしてもらいたいもんだけど。
「だったら、大袈裟なことを言うな」
そう言ってキョンは顔を背ける。
照れてんの?
やっぱ、かっわいーなー…。
馬鹿みたいににやけてるうちに、俺が負けていたのは言うまでもない。
ただ、弁明させてもらうと誰にでもこうってわけじゃねえんだ。
相手がキョンだから。
つい、キョンのことを考えたり、その指や目の動きを追いかけてるうちに、勝負が疎かになって、気がついたら負けちまう、というわけ。
「お前、本当に弱いな」
「すみません」
「いっぺんくらい本気を出したらどうなんだ?」
「本気と言われましても、これが僕の実力ですよ?」
「…うそ臭い」
じとっと睨まれるけど、嬉しいだけだってこと、あんたには分かんねぇんだろうな。
「もう一回だ」
俺を睨むのをやめたキョンが言い、オセロの石を並べ直す。
その指先を見つめながら、賭けてみようかと思った。
もし、次の勝負で俺が勝てたら、近いうちにキョンに告白する。
負けたらやっぱりやめといてやろう。
今は、だけどな。
そうして真剣に始めたゲームは、途中で投了した。
盤上は真っ黒で、白石は置ける場所もない。
愕然としてそれを見つめていたキョンは、キッと俺を睨み上げると――上目遣いっていいよな――、
「お前、やっぱり強かったんだろ。これまでずっと手を抜いてたんだな!?」
なんて怒鳴ってくるのに、
「まぐれですよ」
と返す。
…本当はこれが実力なんだけどさ。
これまで出せなかったんだから、手を抜いてたわけじゃねえし。
しかし、我ながら現金だ。
よっぽどキョンに告白したいらしい。
いつにしようかな、なんて思いながらもう一度始めたゲームは、散々に負けた。
帰り道、坂を下り終えてもまだ、キョンは拗ねていた。
それが物凄く、可愛い。
俺が実力を出さないでいるってのが嫌なのか、それとも自分が負けたってのが嫌なのかはよく分かんねえけど。
今日は隣りを歩かせてもくれないくらい、拗ねてる。
でも、それはそれでいいんだよなー…。
後ろから付いて行くと、キョンの背中が見放題だから。
それなりに広いけど、薄い背中。
プールや海で見た時には、目が眩むかと思ったくらい綺麗で、堪んねえ。
よく我慢したもんだと、自分を褒め称えたな、あん時は。
薄着の季節はシャツの下にうっすらと分かる肩甲骨のラインなんかが最高だし、厚着してたらしてたで、その下を想像するとかなりクるもんがある。
あの背中に、自分の印をつけてやりたい。
顔も性格も考え方も、どれも好きだけど、特に好きな背中を見つめながら、俺はどうやって告白しようかとそればかりを考えた。

そんなことを考えるだけでも楽しくなっちまうくらい惚れ込んじまってんだ。
やっぱり、責任とってもらわなきゃな?