ご注意ください!

この作品はバンダイナムコゲームスより発売された
PSP専用ソフト「涼宮ハルヒの約束」
エンディングのひとつをもとに妄想された作品です
そのため、エンディングのひとつに関する激しいネタバレがあり、プレイされないと分からない表現などが含まれています
長門バッドエンドをまだ見ておられない方、激烈な長門ファン
ネタバレが嫌な方や未プレイの方はご注意くださいますようよろしくお願いします
























アナザー射手座の日



いつも通り部室に向かい、いつものようにドアをノックし、朝比奈さんのいつもと同じで愛らしい返事を聞いてドアを開いた俺は、いつもと違う光景に我知らず顔を顰めた。
いや、正確に言うならばそれはすでに「いつものこと」なのだ。
窓際のパイプ椅子に、そこが自分の定位置だとばかりに座って、膝に乗せた本を熱心に読む、喜緑さんという光景は。
喜緑さんは俺の失礼な反応に対して気を悪くした様子もなく、本から顔を上げると、
「こんにちは」
と柔らかな笑みを寄越した。
「こんにちは」
と返しながらも、俺には笑みなど浮かべられない。
浮かべられるはずがあるか。
眉間に皺を寄せたまま自分の席に腰を下ろした俺に、既にいつもの場所にいた古泉が、困惑混じりの苦笑いを浮かべた表情で小さく囁いた。
「そろそろ慣れてもいい頃ではありませんか?」
「無理だ」
そろそろも何も、まだ数日しか経っていないじゃないか。
「それはそうなんですけど」
と古泉は組んでいた指を落ち着かない様子で組み直しながら、
「あなたがいつまでもそんな風に彼女への不信感を露わにしていては、せっかく長門さんが我が身を犠牲にして行ってくださった工作が全くの無に帰するとは思いませんか? 長門さんのためにも、彼女が最初から我々と同じSOS団員だったとすることが、あなたの選ぶべき道だと思うのですが」
ああ、そうかもな。
何度も繰り返さなくてもそれくらいのことは理解できる。
だが、理解することと実行することは違うだろう。
理解しても感情がついていかないってことを、お前の方こそ理解してくれ。
「分からないということもないわけではないんですよ、これでも」
困ったように古泉はもう一度指を組み直した。
こいつにしては落ち着きがない。
やっぱりこいつも、それなりに居心地の悪さを感じているのだろうか。
「僕にとっても、長門さんはSOS団で共に過ごしてきた仲間でしたからね。いなくなられたばかりか、声を掛けることも推奨出来ないと言われてしまっては、残念な気持ちにもなりますよ」
仲間でしたと過去形で言うな。
たとえSOS団員でなくなろうがなんだろうが、長門は仲間だ。
「失礼しました」
朝比奈さんもお茶を淹れながらため息を吐いている。
苦手な様子は見せていたが、やはり長門がいないと落ち着かないのだろう。
部室の備品のように思えるほど、長門はいつもあの場所にいたし、それでこの部屋の空気を落ち着いた、居心地のいいものに変えていてくれたんだと、今頃になってその貴重さに気がついた。
そんな具合に、俺たちはどこか重たい気持ちを抱いて過ごしていた。
ありがたいことに、何も知らないハルヒはそれを、文化祭が終り、気が抜けたせいだと思ってくれたらしく、特に咎める様子もなければ不審に思っているようでもなかった。
そんな、文化祭から数日が過ぎた、ある日のことである。
突如としてうちの部室にコンピ研部長氏がやってきたのだ。
なんでしょうか、と御用聞きに回る前に、俺は窓際で本のページをめくっていた喜緑さんに目を向け、
「喜緑さん、彼氏が来てますけど?」
と小声で聞くと、
「何のことでしょうか?」
と笑顔ではぐらかされた。
笑顔ではぐらかすのは古泉もよくやる手ではあるのだが、見慣れていないせいか、喜緑さんの方がよっぽど恐ろしげに見えた。
美人を怒らせると怖いってことかね、と思いながら、俺は怪訝な顔をして突っ立っている部長氏に水を向けた。
「なんでしょうか」
それから部長氏はよく分かるような分からないような話をした後、ハルヒに蹴り飛ばされたのだった……南無。

俺は、今回は妙な能力を使うのはなしだと古泉に釘をさした後、喜緑さんにも同じ話をした。
すると喜緑さんは、
「分かりました」
と意外にすんなりと頷いてくれた。
どうしてだ、と戸惑う俺に、
「あなたの指示がよっぽど理不尽ないしは情報統合思念体の意思に反するものでない限り、あなたの指示に従った方がいいとのお話を前任者からうかがっていますから」
と質問する前に答えられた。
前任者、という言葉の響きとその意味するところにずきりと胸が痛んだ。
長門とはもう、時たま廊下で擦れ違うくらいの接触しかない。
その時もろくに言葉も交わせず、俺が一方的に、「よう」だの何だのと適当に声を掛けるだけだ。
どうしてあの時、ああなってしまったんだろう。
他に道はなかったんだろうかと、俺は悔やみ続けている。
「ありがとうございます」
と言ったのは喜緑さんだった。
驚いて顔を上げると、
「彼女のことをそのように案じていただけて、私としても嬉しいです」
「……そう、なんですか?」
「ええ。……私達に、個というものは基本的に存在しませんけれど、それぞれ独立した動きを取る程度には、若干の個体差も存在します。ですから私にとって彼女は、あなた方の考えるところの双子の妹か何かのようなものなんです。だから、私も嬉しいです」
「…あの、喜緑さん」
「はい?」
俺は、この人がこんな風に話すことがあるのかと驚き、かつ自分の態度を反省しながら言った。
「すみません、俺、いつまでも慣れなくて…喜緑さんが悪いんじゃないって事は分かってるんですが、」
「気にしないでください。あなたがそのように戸惑うことも、想定内のことです。それより、困りましたね」
「何がです?」
「私、コンピュータなんて授業以外で扱ったことがないんです」
そう苦笑した喜緑さんも、もしかすると長門と同じように物のないがらんどうな部屋で暮らしているのだろうか。
ずっと、ひとりで。
「あまりにも足を引っ張ってしまうのもいけませんから、コンピュータの操作にだけでも慣れられるようにしておきますね。もちろん、人間としての能力だけで」
「…色々とすみません」
「気にしないでください。あなたがそんな方だからSOS団はあるのだと、前任者からも他の方からもうかがってますから」
その他の方ってのは誰ですか、と俺が聞くより早く、喜緑さんは、
「それじゃあ、私はこれで失礼します。また明日の放課後に、部室で会いましょう」
と言って立ち去ってしまった。
俺が聞いてはまずいようなことだったんだろうか。

それから数日間、俺たちはコンピュータ研製作のゲームの特訓に励むことになったのだが、CPU相手にすら勝てないまま、当日を迎えることになっちまった。
ハルヒが敵陣に向かってがむしゃらに突進することを抜きにしても、勝ち目は薄い。
何しろこちらのメンバーと言えば、特にそんなのが得意と言うわけでもない俺と、ボードゲームのみならずPCゲームもどうやら苦手らしい古泉、何をすればいいのか全く分かっていらっしゃらない朝比奈さんに、過日の言葉通りパソコン操作さえたどたどしい喜緑さんという状態なのだから。
しかし、決戦――というほど大袈裟なものでもないが――の当日になって、奇跡にも似た現象が起きた。
俺の向かいの席に座っていた喜緑さんがバチバチとけたたましくキーボードを鳴らし、一心不乱にディスプレイを睨んでいたのだ。
戦況は厳しく、お手上げ状態、と思っていた時にそれだから、俺は思わず席を立ち、画面を覗き込んだ。
ゲーム画面が開かれているのかと思いきやそうではなく、どうやらプログラムそのものを弄っているような気配がある。
「あの、喜緑さん、一体何を……」
無形のプレッシャーにびくつきながら、おずおずと声を掛けると、
「今は、分艦隊を作り、索敵範囲の拡大を図っているところです。もう少ししたらある程度お役に立てるレベルになると思いますよ」
分艦隊?
索敵範囲の拡大?
一体どういうことだ、と首を傾げる俺に、古泉が解説をしてくれたところによると、喜緑さんは恐ろしく煩雑なことをしてくれているらしい。
って、あの、俺はインチキ――ハルヒの前なのでそう仮称させていただくが要するに宇宙人的能力の行使だ――はしないでくれるよう頼んだはずなんですが。
「してません」
あっさりと喜緑さんは言った。
その間にも、俺の使っているノートパソコンに表示された画面では真っ暗だったはずの宇宙がどんどん明るく染まっていく。
「特別な情報操作はしていませんよ。ただ、このゲームの中にあるプログラムに含まれる行動を取っているまでのことです」
「そ、そうなんですか」
なにやら恐ろしげなオーラが立ち上って見える。
もしかして、もしかするのか。
俺の直感が間違っていないのであれば、喜緑さんはどうやらかなり激昂しておられるようだった。
怒ったハルヒの比じゃないような、静かな恐ろしさがあった。
「それはすみませんでした」
思わず俺がそう言うと、喜緑さんは、
「いえ」
と笑顔で答えたが、そこで言葉を終らせたりはせず、
「インチキをしているのは、コンピュータ研究部の方々の方ですわ」
と言った。
ハルヒは今自分の画面に夢中でこちらを気にしていない。
だから俺は、ハルヒの前だが堂々と内緒話をすることにして、喜緑さんの画面を覗き込む形で体を屈めた。
「コンピ研がインチキをしてるってのはどういうことです?」
「彼らが開発したゲームですから、説明書に載っていない機能があり、彼らはそれを利用している、ということです。彼らは索敵モードをオフにして、私たちのことを索敵なしに発見、攻撃しています。更に、ワープ機能を使って移動を繰り返し、攻撃してきているんです」
それであんな風に現れたりいなくなったりを繰り返していたわけか」
「私達には、敗北以外の選択肢がありませんでした」
……今、過去形で言いました?
「あなたの命令に背くことのないような、現代技術レベルに乗っ取ったプログラムの修正を行いたいと思います。フェアでないゲームなんてしたくありませんし、かと言ってあなたの命令にも背くのはよくないでしょうから。人類のレベルに合わせたものに留めます。必要以上に私達の勝利を誘導することもしません。ですから、お願いします」
お願いって……。
「私の情報操作能力に制限を課したのはあなたです。よって、操作を行うにはあなたに許可をいただく必要があります」
喜緑さん、あなた、もしかして勝ちたいんですか。
思わずそう尋ねた俺に、喜緑さんはにっこりと微笑んだ。
「私、負けるのって好きじゃないんです」
つまり、勝ちたいってことですね。
「…本当に、人類レベルなんですね? 宇宙人的な能力は一切なしで」
「ええ、保障します」
「……それなら、どうぞ、やっちまってください。俺としてもインチキされて負けるのなんて面白くありませんからね」
「ありがとうございます」
柔らかな笑みのまま、喜緑さんは超高速のブラインドタッチで打ち込んでいたプログラムを実行させた。

それからの展開について、細々と語る必要はあるまい。
俺たちがまんまと4台ものノートパソコンをせしめたということが何よりの結果報告だ。
しかし、それ以上に俺は、喜緑さんも意外に人間的なところがあるのだと知ることが出来たことこそが収穫だと思った。
そんなことを言ったら喜緑さんには心外に思われるのかもしれないし、もしかすると人間如きと同じにしたことで大いに機嫌を損ねる可能性もあるのだが、それでもあの闘争本能というか負けず嫌いなところは、長門と同じがそれ以上に人間らしく思えた。
上機嫌で帰りの坂道を下るハルヒの後ろについて歩きながら、俺が労いの言葉を掛けると、喜緑さんは小さく微笑み、
「あなたからすると、私は長門さんとあまりに違いすぎて代わりになれないのかもしれません。でも私は、私なりにあなた方の仲間と呼ばれるようになるため、頑張りますから、どうぞこれからもよろしくお願いしますね」
「代わりになんて、ならなくていいんですよ。喜緑さんは今のままでも十分、俺たちの仲間です」
俺がそう言うと喜緑さんは軽く目を見開いた後、
「ありがとうございます」
といたって穏やかに微笑んでみせた。