ハーフムーン
  第八話



ずるずると重い足を引き摺りながら帰る。
側には誰もいない。
俺ひとりきりだ。
よっぽど、近寄るなと言うようなオーラでも出しているのか、妖精の影すら見ない。
このまま土深くに沈んでしまわないのが不思議なくらいだった。
あんな風に古泉を傷つけるつもりはなかった。
怒らせるつもりも。
なのに、どうしてああなっちまったんだろうか。
迷惑がられたり、建前で答えられるのが嫌だったにしても、正直にならなかった罰だろうか。
あの後古泉は、むっとした顔をして、
「…でしたらどうぞ御勝手に」
と言い捨てて、俺を置いて行ってしまった。
振り向くことさえしないで、あっという間にいなくなってしまったので、俺はしばらく呆然とする他なかった。
弁解の余地どころか、謝る隙すらなかった。
悲しくて、苦しくて、罪悪感に胸がひしぐ。
泣きそうだ、と思ったら、
「肩でも貸そうか」
とここしばらくですっかり耳慣れた声がした。
「突然現れるな」
「冷たいなぁ」
文句を言いながらもおっさんは笑って、
「せっかく慰めてあげようと思ったのに」
「要らん」
「そう遠慮しないで」
「しとらん」
「人間を好きになると大変だろ」
「煩い」
「私も経験があるから分かるよ」
ぎょっとして見たおっさんの顔は、本気以外の何物でもなかった。
そもそも、そんな嘘を吐く必要がないのだから、本当なんだろう。
「疑うし嫉むし妬くし拗ねるし怒るし嘘吐くし、大変なんだよねー…。人間の寿命は短いし、成長は目まぐるしいほど早くて、あっという間に別れが来るし、幽霊になってまで側に残ってくれるほど根性のある相手なんてそういやしないし。おまけに、仲間には、人間なんかに惚れたお前が馬鹿なんだって笑われるし」
だから、と俺を見て、
「私は応援するし、愚痴だって聞くよ?」
「…ありがとな」
「うむ」
やっぱり、長く生きてるだけあって、色々と知っているらしい。
珍しく頼れる気がした。
「…なぁ、正直、見込はあると思うか?」
「なんのかな?」
「俺が力を使えるようになる見込と、あいつと付き合える見込」
「……どっちも、あるとは思うけど?」
けど、なんだよ。
「…今みたいにキョンが凹んだりしてたら難しいかもねー」
「……そうかい」
「信じなよ」
何をとは言わず、おっさんは俺の頭を撫でた。
やめんか。
「えー、いいじゃん、これくらいのこと」
「キモい」
「つまんないね。どうせならもっと面白いことないかな」
と呟いた時点で、俺は警戒するべきだった。

数日後、半月も遠ざかり、俺の力も弱った頃になって、嵐の如く恐怖が放課後の部室を訪れた。
その日までに、かろうじて平静を装えるまでになっていた俺の薄っぺらな仮面など剥ぎ取られるほどの恐怖が。
「こんにちはー! キョンくんいるかい?」
と明るく弾んだ声を出したのは、間違っても鶴屋さんではない。
うん百歳(推定)という自分の歳を忘れたような、お前はどこのホストだと言いたくなるような派手な白いスーツと濃い紫のシャツなんて姿に、わざわざ人並みに短くしてはいるものの、目立つ金髪はそのままのエルフのおっさんの来訪に、俺は勿体なくもお茶を盛大に噴きそうになった。
「あーいたいた」
やほー、なんてお気楽に手を振るおっさんに、朝比奈さんがびくつき、古泉が怪訝な顔をし、ついでにハルヒもびっくり眼をさらしているということは、わざわざ人にも見えるようにしてやってきたってことか。
「てめ、な、何考えて…!」
「何って、酷いなぁ。せっかく迎えに来てあげたのに」
「は? 迎えにって……」
「約束しただろ? 今日は早く帰って一緒に過ごすって」
「……そんな記憶はない」
「忘れた? 全く、キョンは薄情だね」
とため息を吐いておいて、
「ま、いいか。ほら、帰るよ」
「って、おい!?」
ぐいっと手を引っ張られ、よろけそうになった俺の反対側の手を誰かが掴んだ。
誰だ、って、
「え……」
古泉?
「その手を離してください。彼が嫌がってますよ」
とおっさんを睨む古泉の目つきが案外怖い。
お前、ハルヒの前でそんな顔してていいのか?
後、どちらかと言うと、お前に手を掴まれる方が居心地は悪いんだが。
思いはしても言葉に出来ない俺に代わって、おっさんが余計な口を開く。
「別に嫌がってはないでしょ。ちょっと驚いただけで。…ね、キョン」
「え? あ、ああ、まあな…」
大体、これくらいで嫌がるなら、とっくにこのおっさんを家から追い出してるだろう。
「むしろ、君の方が嫌がられてるんじゃない?」
意地悪くおっさんが言うと、古泉は不快そうに軽く眉を寄せた。
「あなたは一体なんなんです?」
「私? 私は、」
にやっと笑ったおっさんには、嫌な予感しかしなかった。
こいつ、絶対誤解を招く言い回しをする。
だから俺はそれを止めようと、
「待て! 余計なことは、」
「キョンと一緒に住んでる者だよ」
間に合わなかったか。
あああ、と人が落ち込んでるというのに、
「ね、キョン」
とわざとがましく俺を抱きしめる。
やめんか。
古泉がどんな反応を示したのか、怖くて見れない。
びくつきながら目をそらしにそらしたところで、片手が解放された。
古泉が手を離したのだ。
しかし、俺にはそれに驚く間も与えられなかった。
「じゃあ、そういうことだから」
と言ったおっさんが強引に俺を連れ出したのだ。
「お前は本当に何考えてんだ!」
このぼけ! たこ! と罵ってやっても、年経たエルフにはちらとも堪えないらしい。
「まあいいじゃない。あそこにいても気詰まりだったんだろ?」
「それは……」
「それに、私ももうそろそろ北に帰ろうかと思ってるんでね。ちょっと記憶に残る思い出を作っておきたくて」
「帰るのか?」
初耳だ、と驚いていると、
「里心もついたし、キョンのために下準備もいるからね」
「は……?」
どういう意味だ。
「力を使いこなせるようになりたいんだろ?」
「それが?」
「だったら、キョンもあちらで学んだ方がいいからね。その手配なんかをキョンのママさんに頼まれてるわけさ」
「待て、あちらでって、それは……」
「勿論、北の国のことだよ。私の故郷で、キョンたちも帰省したりしてるんだろ」
「つまり、まさか、」
「キョンの飲み込みが早ければ短期で帰ってこれるから、長期の休みを利用したんでいいとは思うけど、そうじゃないならあっちに住むべきだからね」
「そんな……」
愕然とする俺に、おっさんは柔らかく微笑んだ。
「心配要らないよ。私がいいようにしてあげるから」
その手が、優しく俺の頭を撫でる。
それでも足りないと見たか、俺を抱きしめ、背中を撫でる。
それを振り払おうとする気力もなかった。
「ま、そんないきなり強引に連れてくような真似はしないから、落ち着いて考えなって。それより、今日は私に付き合ってよ」
仕方なく頷いた俺の手をとり、おっさんは上機嫌で歩き出す。
「で、どこに行きたいって?」
「甘いものが食べたいね」
「そうかい」
そういうところだけは妖精らしいのな、と苦笑したが、俺も甘いものがほしい気分だ。
「キョンもお疲れだからね」
とおっさんは軽く眉を寄せ、
「何かあったら年長者を頼りなよ。自分で頑張るのもいいけど、頑張り過ぎでもよくないよ」
「…なあ、」
「うん?」
「もしかして、それで今日、わざわざ来たのか?」
「……うん、まあ、余計なことかとは思ったけど、キョンが毎日辛そうだったから、見てられなくて……」
とおっさんは苦笑混じりに言った。
「…そうか」
自分ではうまく隠しているつもりだったのだが、そうでもなかったらしい。
相手がエルフだからだと思いたい。
そうでなければ、古泉がこのおっさんほどにも、俺に注意を払ってくれてないということになる。
だとしたら、悲しすぎる。
「キョン、」
咎めるような声で呼ばれ、慌てて顔を上げると、おっさんが難しく眉を寄せつつ笑っていた。
なんで向かい合わせになっているかと言うと、あの後すぐに見つけた喫茶店に連れ込まれたからである。
「悪い」
「気持ちは分かるけど、ため息ばかり吐いてるとよくないよ? 力が逃げてくから」
「え? そうなのか?」
「うん。呼吸が大事だって話は前にもしたよね?」
「ああ」
「力をつけたいなら、いつも意識すること。理想としてはまあこれくらい…」
そう言って、おっさんは至近距離まで顔を近づけてきたが、その呼吸は感じられない。
「…息、してるよな?」
「してるとも」
「全然分からん」
「そりゃ、精進してますから?」
「……胡散臭」
「失礼な」
とおっさんは笑って、
「あんまり酷いといじめるよ?」
「はぁ?」
「このままちゅーしちゃったりして」
そう言った唇が、俺の唇……ではなく、唇の端ぎりぎりに触れた。
「……お前な」
「あれ? 案外嫌がらないんだね。てっきり、思い切り突き飛ばされた上で、このまま置いてかれるかと思ったのに」
「そこまで言うようなもんでもないだろ、そんな場所へのキスくらい」
「そう? 俺の唇は古泉のだとかって言わなくていいの?」
「……今はその名前だけで落ち込むから、勘弁してくれ」
と呟いた声が既に鬱陶しい。
「重症だね。…そんなに苦しいなら、私にしとくかい?」
「……は?」
何言ってんだ、このおっさんは。
「ううん、いっそ清々しいまでに論外扱いだね」
と笑っておいて、おっさんは俺の手を握り、
「私なら、大事にするよ? 少なくとも、キョンを傷つけたりはしないって約束する」
「……おっさん…」
「どう? だめかな?」
「……何を企んでるんだ?」
絶対おかしい、と思って言った俺に、おっさんはにやりと笑った。
やめろ、エルフのイメージが悪くなる。
「キョンは鋭いなぁ」
にやにやしながら人の指で遊び、おっさんは答えた。
「おじさんなりにキョンに協力してあげようと思ったんだよ」
「協力だと?」
「そう。……度胸のないヘタレ男をたきつけるには、恋敵の登場が一番だろ」
そう言っておっさんは年甲斐もなくウィンクした。
やめろって。
「焚きつけにもなってないと思うが?」
「さて、それはどうかな?」
そう笑いながら、おっさんは楽しげにケーキを平らげる。
俺もせっかくだからとケーキを食べ、胸に詰まった何かを甘さでごまかした。
「この後は素直に帰るんだろうな?」
「どうしようかな」
くすくす笑いを立てながら、
「散歩がてら、遠回りしてもいいかな」
「まあ、それくらいならいいが…」
「悪いねぇ、デートの相手がこんな年寄りで」
「あほか」
思わず笑ったところで、おっさんも柔らかく微笑を浮かべ、
「うん、キョンの笑顔はいいね。いつもそうやって笑っててみたら? 人生変わるかもよ?」
「あーはいはい」
いい加減、このふざけた物言いにも慣れてきたな。
などと油断していた俺がいけなかったんだろうか。
帰りに立ち寄った公園で、何故か突然、芝生に押し倒されていた。
「な……」
「抵抗しなくていいの?」
と妖しく微笑する顔が近い。
「ほっ、本気じゃないんだろ!?」
「どうでしょう?」
ふふふ、と怪しく笑って、
「あの人間が、キョンに相応しくないようなら、私がキョンをもらってもいいって許可はあるしね」
「はぁ!?」
驚いて声を上げた俺の制服をはだけ、シャツがまくり上げられる。
「っ、ちょっ、ま、じで…!」
「ああ、怖がらないで? …ちゃんと気持ち良くするから」
そう囁かれて、ぞわりと寒気がした。
「や……!」
「どうして?」
「お前なんか、嫌に決まってんだろ!」
「傷つくなぁ…」
くすりと笑いながら手首をまとめて頭の上で押さえ込まれ、本気で危機感を感じた。
「い、やっ…! 離せ……っ!!」
必死でもがき、
「助け…!」
古泉、と叫びそうになった時、
「彼に何をしているんですか!」
激昂した古泉の声は、幻聴かと思った。
しかし、続けて、
「うちの団員に手を出したりしたら承知しないわよ! この強姦魔!」
とハルヒの声がした。
……ハルヒ?
「うーん、ぎりぎり及第点、ってとこかな」
意地の悪いことを呟きながら、おっさんは俺を解放した。
「はい、降参降参」
「なんなんですか、あなたは」
「言っとくけど、何者だろうとこのままじゃ済まないわよ!」
と言う古泉もハルヒも、本気で怒っているように見えた。
正直恐いくらいだ。
見れば、遠巻きにしているが、長門と朝比奈さんもいた。
総出で何をやってんだか。
ともあれ、おっさんをそのまま見捨てるのもまずいだろう。
「……あー…そのくらいにしてやってくれ」
吊し上げを喰らいつつあるおっさんを庇いたかった訳じゃないが、まがりなりにも世話になっている以上、傍観もしていられまい。
一応割って入ろうとした俺に、古泉が厳しい顔で、
「庇うんですか」
「庇わん訳にもいかんだろ。それでもうちの伯父だ」
正確には大伯父の家系のどこからしいが、細かいことを言う必要はないだろう。
「それでも、」
「さっきのはおっさんなりの冗談なんだ。多分、お前らがつけて来てると気づいて、からかってやりたくなったんだろ」
違うか? とおっさんを見れば、ハルヒに締め上げられながら、
「そんなとこ」
とへらりと笑う。
……首、締まってないか?
「で、お前らは何を思ってわざわざつけて来たりしたんだ?」
呆れ口調で問うと、ハルヒはむっと眉を寄せながら、
「あんたが連れてかれたから心配してやったんでしょ」
「そりゃ、ありがとよ」
そう言いながら俺は古泉を見た。
古泉はいつも通りの落ち着きを取り戻したようだった。
ほんの少し前、恐ろしげな形相をさらしていたやつだとは思えんくらいだ。
こいつも心配してくれたのかね。
さっぱり分からんな。
俺はため息を吐き、
「ハルヒ、そいつ、妖精とかヨーロッパの伝説なんかに詳しいから、話を聞いてみたらどうだ?」
と言ってハルヒにおっさんを――それともおっさんにハルヒを、だろうか――押し付け、先に帰ることにする。
「送ります」
当然のような顔でそう言い、俺について来る古泉を横目で睨み、
「ハルヒを放っておいていいのか?」
「長門さんもいますから、大丈夫でしょう」
「…ハルヒを放り出してまでついて来るような価値が、俺にあるとは思えんがな」
「そんなことはありませんよ。……僕にとっては」
その言葉に、要らん期待が沸き上がりそうになる。
もしかして、と思えた。
だが、古泉は何ひとつ決定的なことを言わないまま、俺を律義に家まで送り届けただけだった。