微エロですよー
無事に古泉をベランダに下ろし、その体についた妖精の羽根の粉を叩き落としてやった。 …そうじゃないと、いつまで効果が続くか分からんからな。 これでよしと確認した後、 「それじゃ、俺はこれで…」 と帰ろうとしたのだが、古泉が飛び立とうとした俺の足首を掴み、 「待ってください」 と言うので止まった。 なんだ。 「夜間飛行で体も随分冷えたでしょう？ 少し休んでいきませんか？ コーヒーくらいなら淹れられますよ」 「いや、別に…」 と断ろうとしたのはあれだ。 ヘタに俺が来た痕跡を残してはまずいと思ったからである。 しかし、古泉は熱っぽく、 「お願いです。…正直、まだあなたと離れたくないんです」 なんて言う。 俺は呆れながらベランダに足を着け、 「お前な、そういう台詞は女の子のために取っておけよ」 親切心からそう言ってやったつもりだったのだが、 「嫌ですよ、そんなの」 と想定以上にあっさり言われ、驚く間もなく抱き締められた。 「古泉？ まだ飛び足りないのか？」 「違います」 そう言って、更に強く抱き締められる。 少しだが痛いくらいだ。 「古泉、痛いって…」 「…離したら、帰ってしまうんでしょう？」 「帰らないから、落ち着けよ」 「……絶対ですね？」 小さな子供のように言う古泉に、ついつい噴出してしまいながら頷けば、それこそ子供のようにふわりと笑った古泉が俺の手を引いて、 「じゃあ、どうぞ、入ってください」 と部屋に入ろうとするので、 「おいおい、俺はまだ靴も脱いでないんだが…」 靴を蹴るようにして、慌てて脱ぎ捨て、俺は古泉の部屋に上がりこんだ。 初めて見たその部屋は、思ったよりも普通だった。 適度に片付き、適当に散らかってもいる、生活感のある部屋。 「なんか、お前って長門の部屋くらい生活感のない部屋に住んでるのかと思ってたんだが」 「どういう意味でしょうね」 と苦笑した古泉は、コーヒーを淹れると言ったくせして俺のことを抱き締めた。 「おい？」 「…離れ難くて」 深い意味はないだろうと思うのに、胸がざわついた。 「ば…っか、離せって」 ぴったりとくっつかれていると、心臓の音どころかざわつく胸の内まで知られてしまいそうで怖くなった俺がそう言うと、 「嫌です」 と強く言われ、余計に強く抱き締められた。 「だから、痛…」 「あなたが好きなんです」 真剣としか思えない眼差しに、声に、自然と体が震えた。 「な……」 「本当に、あなたが好きなんです」 それはそうなんだろう。 古泉はこれが現実だと思っていない。 ただの夢だと思っている。 それなら、そんな嘘や冗談を言う必要なんてないはずだ。 何より、熱を帯びたその瞳が、声が、それが本音だと告げていた。 それでもなお、俺は信じられなかった。 本音だろうと思いながらも、同時に、夢だと思っているからこそ口に出来る戯れの言葉ではないかとさえ思えた。 「嘘だろ…」 「本当です。…あなたが好きです。あなたが愛しくて、だから、あなたに無視されて、本当に辛かったんです」 ぎゅっと痛いほどに俺を抱き締める腕は、縋りついてくるかのようですらあった。 「こ、いずみ……」 「お願いです。どうか、拒まないで…」 懇願しながら近づいてきた唇が、俺のそれに重なると、体の中で心臓が痛いほどに震えた。 なんだ、この感覚は。 泣きたいのか苦しいのか嬉しいのか、それさえ分からなかった。 あまりに混乱しすぎたからか、力が発動する様子もない。 それくらい、訳が分からなかった。 分からないのは、古泉の真意なんかじゃない。 自分のそれだ。 「お前が……俺を…？」 「僕があなたを好きでは、何かおかしいでしょうか」 「だ、…って、お前、俺には冷たくて、訳、分からんことばっか、言って…」 「ああ、泣かないでください」 そう言われてやっと、自分が泣き出していたことに気付いた。 狼狽なんてものじゃない。 本当に、訳が分からない。 どうすればいいのかも、どうしたいのかも、自分がどう感じているのかさえ。 「謝るなと言われていたので、謝らないでおこうとは思ったのですが、どうか、あなたに疑われるようなことをしてしまったことについては謝らせてください。本当にすみませんでした」 「なんで……」 「言い訳になりますが、聞いてくれますか？」 頷いた俺に、古泉はほっとしたような顔をしながら、恥じ入るように小さな声で言った。 「…僕には、立場もあります。しかし、それ以上に、あなたの人生を僕なんかの邪な思いで歪めてはならないと思ったんです。だから、僕の気持ちは言えなくて……。それで、この気持ちを伝えないままあなたに言葉を掛けようとすると、どうにも間違った言葉しか選べなくて、あなたには酷い誤解をさせてしまったようですね。……すみません」 もう一度だけ謝って、古泉は泣きそうなほど必死な顔で俺を見つめた。 「あなたが好きなんです。これが、僕の包み隠すことのない本当の気持ちです。…受け入れては、もらえませんか」 その必死さもきっと、夢だと思いこんでいるからのものなのだろう。 そうでなければ、あの古泉が俺にこんなことを言えるはずがない。 「……教えてくれ」 俺の方からきつく抱き締め返して、俺は唸るように言った。 色気も何もあったものじゃない低い声で脅すように言っても、古泉は怯みもしない。 「なんでしょうか」 「正直、俺は自分で自分の気持ちが分からん。が、お前に俺の正体を信じないと言われた時は、他の誰にそう言われるよりも胸が痛かったし、お前に冷たくされる度に、同じくらいか、もっと酷い疼痛を感じた。それは、なんでだ？」 「…それは……」 「まだある。お前に囁かれるとぞくぞくするし、微笑まれたり好きだって言われるだけで心臓が挙動不審に陥る。今も、自分で何を口走ってるのか分からんくらい、訳が分からん。そんな風になるのは……」 「…なるのは……？」 うっとりとしたように、しかしながら油断ならない瞳で俺を見つめる古泉に、また背筋がぞくりと疼いた。 「…お前だけなんだ。……どうしてだと、思う…？」 「……それを僕に聞く時点で、あなたも解っておられるのではありませんか？」 困ったように微笑みながらも、古泉は優しい声で俺の耳に吹き込んだ。 「それはきっと、あなたも僕を好きだってことですよ」 「ぁ……」 ふわふわと体が浮きそうになる。 そりゃそうだ、俺にはまだ妖精の羽根の粉がついてるんだからな。 それでも、古泉に抱き締められているせいで浮き上がることはない。 しかし、どうして体が浮きそうになるかと、その原因を別の側面から探れば、恥かしさに顔を染めるしかない。 「…どうしよう」 「どうしました？」 「……お前の言う通りみたいだ…」 古泉は一瞬目を瞬かせた後、くしゃりと笑った。 「可愛いですね」 「か、わいいって、お前な…」 「可愛いですよ。…僕の可愛い妖精さん」 歌うように囁いて、古泉は俺を抱き上げた。 粉の力のせいで軽くなっている俺の体は、簡単に横抱きにされちまう。 「ちょっ……」 「落としませんから安心してください。それより、飛んでいったりしないでくださいよ？」 楽しそうに笑いながら、古泉は迷うことなく俺を寝室に連れて行くと、優しくベッドに下ろした。 「こっ、古泉……？」 「……だめですか？」 じっと上目遣いに見上げられ、俺が思わず口ごもったところで、古泉はにっこりと微笑んで、 「…ありがとうございます」 と先回りして言いやがった。 「…っ、狡い……」 「狡い僕はお嫌いですか？」 だからそういう質問が狡いんだっつうのに。 「せ、せっかち過ぎないか…？」 「……だって、朝になったらあなたは帰ってしまうんでしょう？」 そう言って、古泉は俺に覆い被さるような形で抱きついてきた。 子供か、と思いはしてもそれが嫌じゃない。 ああそういえばお袋が昔言ってたな。 妖精ってのは案外母性本能を刺激されると弱いんだって。 …俺は男なんだがそれでも母性本能なんてものを持ち合わせているんだろうか。 「ねえ、」 ねだるように迫ってくる古泉に、 「だ、から、言っただろ？ 俺はまだ力がないから、お袋にもらった羽根の粉の力で飛んでるんだって。…お前と、その……したりしたら、粉が落ちて、帰れなくなるだろ」 赤くなり、口ごもりもしながらなんとかそう言ったってのに、 「…帰らないでください」 と言われる。 「どこへも行かないでください…」 その唇が俺のそれをもう一度塞いだと思ったら、滑らかな舌が唇を割って入ってくる。 くすぐったさと苦しいまでの切なさに似た感覚に、 「んっ……ぁ…」 と勝手に声が上がった。 ドキドキして、何も考えられなくなる。 気持ちいいか悪いかで言ったら、いいに決まってるが、それだけじゃないざわめきみたいなものが感じられて居心地はよくなかった。 「あ…っ、は、……古泉…」 「…嫌でしたか？」 心配そうに問う古泉に、俺は小さく首を振った。 「嫌じゃない……が、お前は……いい、のか…？」 「…どうしてそんな心配をするんです？ そんなに不安ですか？」 「……」 答えられるはずがない。 お前はこれを夢だと思っているからこんな行動に出られるんじゃないのかなんてことを言って、本当のことに気付かれた挙句、暗示が解けたりしたら俺は明日からどんな顔をしてこいつに会えばいいのかさえ分からなくなる。 「…不安にさせてしまったんですね」 申し訳なさそうに言いながら、俺が言った「謝るな」という言葉を愚直に守り、 「僕は、あなたが好きなんです。好きだから、あなたと触れ合いたいんです。好きだから……あなたが本当に嫌なら、我慢も出来ます。…どうですか。本当に、嫌ですか？」 「俺……は…」 真っ直ぐに俺を見つめてくる古泉の瞳に、嘘の色も冗談の気配もなかった。 でも、これも古泉が夢だと思いこんでいるからだ。 そうでない限りこうはならない。 本当なら、あの役目に忠実で我慢強い古泉が、こんな風に自分の欲望丸出しの言葉を言えるはずがないんだから。 つまりは、これが最初で最後のチャンスに決まってる。 もう二度と、こんなことはないはずだ。 何度もこいつを訪ねるつもりは元々ない。 度重なれば不審に思われるのは目に見えているし、お袋にだって、手伝うのは一度きりで、本気で飛びたいならそれ以降は自力でやれるようになれと言われている。 だから、少なくとも当分は不可能だ。 もしかしたら、永遠に次は来ないかも知れない。 いや、その方が可能性としては高いだろう。 俺はなんと言っても、ただの半妖精に過ぎないのだから。 これが最初で最後、本当にこれっきりになるとしても、それでもなお構わないと言えるだろうか。 そんな風に躊躇ったのは、少しの間だけだった。 俺は自分から手を伸ばし、腕を古泉の首に絡めて、 「…嫌じゃない……。俺も…、したい、から……」 「…嬉しいです」 そう、本当に幸せそうに笑った古泉の顔を見れただけでもよかったとさえ思えた。 「古泉…」 「はい」 「…好きだ……」 「…はい」 「好き…」 馬鹿みたいに繰り返しながら、勝手に涙が溢れて止まらなくなった。 「どうして泣くんです？」 「…っ、知るか…」 これが最後だと知っているからなんて言えない。 「泣かないでください…」 優しく涙を舐め取ってくれる唇に、心が震えた。 古泉が俺をなだめようとしてくれるほどに、涙は溢れた。 そんなことばかりしていたら、時間がなくなるのに。 「…も、いいから、しろよ…。夜が明けちまうだろ…」 「明けたら、帰ってしまうんですか」 「……帰らなきゃならんだろ」 「嫌です…。あなたを離したくない…」 そう切々と言われて、 「……また、来るから…」 と嘘を吐くだけで、胸がずきずきと痛んだ。 またなんて、次の機会なんて、ないも同じなくせに。 「絶対ですよ」 「ああ」 涙じゃなくて血を吐くかと思った。 申し訳なくて、悲しくて、ぼろぼろ涙をこぼし続ける俺の目元を名残惜しげになぞりながら、古泉は涙をたどって俺の耳に口付ける。 「んっ…く、すぐったい……」 「耳、弱いんですか？」 「知るか…」 「誰にも、こんなことをされたことはない？」 「あ、るわけ、ない…っ…！」 「……嬉しいです」 そう耳孔に直接吹き込むように囁いて、古泉は舌を捻じ込んできた。 「やっ…ぁ、あ…」 ぞくぞくと震える体を抱き締めて、古泉の舌は俺の耳を這い、余すところなく味わいつくそうとするかのように振舞う。 時に甘噛みし、痛んだそこを今度はまた酷く優しく舐め、時に吸い上げたりする古泉の愛撫に、俺の体はどうしようもなく震えた。 頭を大きく振れば逃れられると分かっていながら、それすら出来ない。 古泉を拒みたくないのか、くすぐったくて震えるようなそれが気持ちよくて逃れられないのかさえ解らなくなる。 「ひ、ぁ…っ、は……あ…ん、…ん…」 吐息に紛れて、くすぐったいほどに甘えた声が溢れた。 ぎゅっと握り締めた指が痛い。 「…可愛いです」 そう繰り返しながら、古泉の唇がやっと耳を離れたかと思うと、そのまま頤をなぞり、首筋をたどる。 「ん、や……っ、あ…」 「嫌ですか？ 何が？」 「…んっ、く、すぐったい…から…」 「くすぐったいだけですか？」 言い逃れなど許さないとばかりにじっと俺を見つめ、古泉は問い詰めてくる。 「…っ、恥かしいんだよ…！」 「どうしてです？」 「……い、意地悪……」 口げんかに負けた子供のようにそう呻いたところで、古泉は優しく笑った。 「気持ちよく、ありませんでした？」 「…わ、かってる、くせに……」 「どうでしょう？ 分かってるかどうか、答え合わせでもします？」 くすくすと意地悪に笑いながら、 「…くすぐったいのも気持ちよくて、だから、恥かしいからやめて欲しいなんて言うんでしょう？ 違いました？」 「違わないから…っ、も、やめろよ…」 「やめれるわけないでしょう？」 ちゅ、と喉に吸い付かれて、体が跳ねる。 「ひゃ…っ！」 「気持ちよくなって欲しいんですから。……恥かしがらなくていいんです。僕がそうしてるせい、でしょう？」 「……だ、けどな…」 「あなたのその慎ましやかなところも好きです」 「っ……」 そんな言葉で、尻込みした気持ちがどこかへ逃げ散る。 「でも、感じてるあなたの顔も好きなんです。…ねぇ、もっと見せてください。僕がまだ知らずにいる、あなたの色んな姿を……」 「何、言って……」 「恥かしがらずに、ね…？」 「……んなこと、無責任に言っていいのかよ…」 「はい？」 「…お前が見たら幻滅するようなところが、俺にもあるかも知れんだろ。無責任にそういう台詞は言うな。自慢じゃないが、俺だって、ああ見えて案外快楽なんかに弱い妖精の血が半分は流れてるんだぞ？ お前がドン引きするくらいだったらどうするんだ」 不貞腐れたように呟いた俺に、古泉は小さく噴出した。 笑うな。 「あまりに可愛いことを仰られるものですから、つい…」 くすくすと笑いながら、古泉は俺の唇にもうひとつキスを落とし、 「そんなことを心配されてたんですか？」 「そ……ういうわけじゃ、ないが…」 「心配しなくても、間違いなく、僕はあなたのどんな姿も好きですよ。……もしかしたら、例えばあなたが血に塗れていたって、美しいと感じてしまうかもしれません」 「…お前、それは危なすぎるだろう」 「全くです」 そう笑っておきながら、目はマジだ。 「…怖くなりました？ あまりに酷い執着で」 「……あほか」 手を伸ばして抱き締めて、今度は俺からキスをする。 「…お前なんか、怖くなるわけないだろ」 「嬉しいですね。……愛してます」 「ん……」 頷き返しながら、内心では古泉に手を合わせた。 ごめんな。 古泉のそんな単純で含みも何もない一言さえ、俺はストレートに受け止められない。 それは、古泉に夢だと思い込ませているせいでもあるし、これが一度きりだと思うと、嬉しいはずの言葉さえ切なくてどうしようもなくなるせいでもある。 本当なら嬉しいはずのことさえ、苦しくて、切なくて、涙に変わった。 それが何より、古泉に対して申し訳なかった。 |