ハーフムーン
  第二話



独学かつ自力で空を飛ぶのはどうやら難しそうだと判断した俺は、先達に話を聞いてみることにした。
先達、といってもその辺にいる妖精が俺みたいな半端者を相手にしないことはよく分かっているため、駄目元でお袋に聞いてみたのだ。
「空を飛ぶのって難しいのか?」
「何? あんた、羽根なしのくせして飛びたいの?」
どこか呆れたように言ったお袋に、
「羽根なし?」
と聞き返すと、
「あんたみたいに羽根がないやつのこと。たいていのハーフは羽根なしだけど」
妹はあったな、そういえば。
「お袋は?」
「私?」
「羽根があるのか?」
生まれてこの方一度も見たことがないのだが。
「あるわよ。普段は邪魔だから仕舞ってあるの」
「羽根ってのは生れつきあるものなのか?」
「そうでもないわね。成長して生えるのもいるし、自力で生やすのもいるから」
「生やすって…」
んなことも出来るのか。
「それなりに力がいるけどね」
「じゃあ、飛ぼうと思ったらまず羽根を生やさなきゃならんのか」
これは先が長そうだ、と思った俺に、
「手っ取り早い方法もあるけど」
とお袋はあっけらかんと言った。
「手っ取り早い方法?」
「妖精の羽根の粉の魔法の話くらい、寝させる時にでも話して聞かせたでしょ?」
「ああ、あれか」
要するに、ピーター・パンなんかに出てくるあれだ。
妖精の羽根の粉を体に振り掛け、一定の方法を踏むことで、空を飛ぶというものである。
「一番簡単なのはあれでしょうね。ただし、それだけで使うと目撃された時なんかにいきなり墜落して困ったりするから、一緒に目くらましの術とかも必要にはなるけど」
「じゃあ、俺でも飛べるのか?」
「そんなに難しくはないわね。…でも、どうして急に飛びたくなったわけ?」
「あー…それはだな……」
俺はさてどこから話すべきかねと頭を掻いたが、分かり易そうなところから始めることにした。
「SOS団に、古泉ってのがいるのは知ってるだろ?」
「ああ、あの綺麗な顔した男の子?」
そう、それだ。
「あいつ、自分だって十分非常識な存在のくせして、俺が半妖精なんだと教えてやったのに、信じなくてな」
「あら」
お袋は小さく呟いて目を瞬かせた。
そうして、俺をまじまじと見つめ、
「ふぅん、そういうこと」
と何が分かったと言うのか、したり顔で呟くので、
「なんだよ?」
と俺は怪訝な顔をするしかない。
「ううん」
くふふ、と楽しげかつ怪しい笑い声を立てたお袋は、
「随分仲のいい友達が出来たみたいで羨ましくなっただけよ」
と言ったが、正直嘘臭い。
本当はもっと別なことを思ったに違いない。
それが具体的にどういうことなのかは分からんが。
ともあれ、俺はそれ以上の追及を諦めた。
お袋がそんな風に誤魔化す時は何を聞いたって無駄だと、経験上、よく分かっていたからな。
「で、とにかくその古泉が、不可能だと分かっていてやってみたいこととして、空を飛ぶことってのを提示しやがったんで、」
「あんたも飛びたくなったと」
「……まあ、そんなところだな」
微妙に違うが、そういうことにしても支障はない。
大体、細かいところどころか場合によっては大きなところさえ気にしないのがお袋なのだ。
細々と訂正したところで無駄な時間を食うだけに決まっている。
「そういうことなら、やっぱり羽根の粉でしょうね。あれなら、ただの人間でも飛ばせるから」
「そうなのか」
頷いたお袋は、
「ただし、あんまり懐疑的な態度を取るような相手と一緒に飛ぶのはオススメ出来ないわ。粉だけで飛べるのか、なんて疑われたら、即刻効果がなくなっちゃうから。それくらい、繊細なのよ。妖精の羽根もその粉も」
懐疑的な態度、か…。
「古泉くんはあんたがハーフだって言っても、信じてくれなかったのよね?」
「ああ、だから、妖精の羽根の粉なんて言っても、鼻で笑われるだろうな」
どうしたもんか、とため息を吐いた俺に、お袋はなんでもないことのように言った。
「だったら、暗示をかけてやんなさい」
「暗示?」
「そう。今は夢の中にいるんだ、とかそういう暗示よ。そうしたら、何が起きても不思議じゃないでしょ?」
なるほどな。
ただ問題は、暗示や目くらましの術を俺が使えるのかってことだが、
「そんなに難しいものじゃないわよ。そりゃ確かに、かけらも力がないなら無理だけど、あんた、ハーフにしては力があるみたいだし、何とかなるんじゃない?」
どこか無責任にそう言ったお袋が、
「教えてほしい?」
とにまにま笑って言うので、
「……なんか条件でもあるのか?」
慎重にそう尋ねたのだが、お袋は一瞬目を見開いた後、声を立てて笑った。
「あんたって、そういうところは本当に人間らしいわ」
「悪かったな」
「なのに無駄に力が強いなんて、どうなるんだか」
無駄呼ばわりか。
ため息を吐きたくなったところで、お袋は楽しげに笑い、
「無駄なのは嫌?」
「……そりゃ、な。どうせあるものなら有効活用してやりたいに決まってるだろ」
「ふぅん…」
なんだよ。
「ううん、なんでも。……それより、手伝ってほしいのかどうかを答えなさい」
「……手伝ってください」
きちんと頭を下げると、お袋は満足そうに頷いた。
「いいわ。しっかり教えてあげる」
そうして俺はその日からあれこれ訓練を受けさせられる破目になったんだが、それは置いといて、その翌日の話である。
「こんにちは」
何食わぬ顔で古泉が言ったのは昼休みのことであり、場所は部室でなく、なんの変哲もない渡り廊下の途中だった。
訓練がてら、その辺にいる妖精の姿を見る努力でもして見ようかと、俺が校内をうろついていると、古泉の方から声を掛けてきたのだ。
「…珍しいな」
思わず挨拶を返すのも忘れてそう独り言ちた俺に、古泉は苦い顔をするでなく微笑んで、
「そうですね」
と自分から認めた。
「何か用か?」
「ええ、そんなところです。よろしければ少々お時間をいただきたいのですが…」
それこそ珍しい。
一体何事かと首を捻りながらも、つい頷いたのはそのせいに決まっている。
昨日のこともあって、古泉と話すのが嫌でない気分だったしな。
そしてどうやら、古泉の話も昨日のことに関係していたらしい。
「昨夜は失礼しました」
と柔らかくはあるものの、どこか苦い笑いとともに古泉は言った。
「失礼って言われるようなこともなかったと思うが」
「そうでしょうか。…いえ、あなたが御不快でなかったならいいんです」
そんな喋り方が、かすかにだが気に障った。
昨日はあんな風に話せて、そしてそれが結構楽しかった。
古泉だって楽しんでくれたと思いたい。
それなのに、謝られ、そんな風に腫れ物に触るような扱いをされるのは面白くなかった。
昨日は確かに、古泉と親しくなれたように、そうだな、本当に気のおけない友人として話せたような気がするってのに、それさえ全て、なかったことのようにされたようで。
俺は思わず眉を寄せてしまいながら、
「で、何の用だ」
と聞くと、古泉はなぜだかどこかが痛みでもしたような顔をした。
なんだその顔は。
俺が何かしたみたいじゃないか。
「いえ、……僕があなたに話し掛けると、何か用件がなくてはならないのだなと思ったまでです」
そう答えて、俺の胸を良心の呵責という奴でずきりと痛ませておいて、古泉は首を振った。
「すみません、こんなことを言うつもりではなかったんですが…」
と戸惑いを見せたということは、本当にそうなのだろう。
もしかすると、古泉が口を滑らせたのも俺のせいなのかも知れない。
今夜はちょうど月が半分になる日だ。
昨日以上に俺の力が暴走しても不思議じゃない。
俺が頭の片隅でちらとでも、素直に喋れなんて思いでもしたのが、力として発動しちまったんだろう。
となると、あまり長いこと話すのはまずい。
変に思われ、警戒されると今計画中のことさえダメになるかもしれん。
びくつきながら、俺はそれを押し隠すため、わざとぶっきらぼうに言った。
「いいから、用件を言えよ」
「はい、すみません。……昨夜、言いそびれたことがひとつだけ」
「うん?」
なんだ、と首を捻った俺に、古泉はかすかに厳しさを滲ませながら、
「夜の独り歩きは感心しません。……危ないですから、やめておいた方がいいと思います」
「……は?」
一瞬、何を言われたのかと思った。
理解した瞬間、頭に血が上った。
なんだそれ。
自分だってひとりでふらふらしてやがったくせに、俺はするなってのはどういうことだ。
それに、俺がああして散歩をしていたからこそ、あんな風に話せたってのに、それをするなってことはつまり、そんなことも嫌ってことか。
ぐっと奥歯を噛み締めたのは、何を堪えるためだったんだろうか。
酷い憤りじみた怒りを感じていたはずなのに、どうして俺は冷めた目で古泉を見れたんだろうか。
「忠告ありがとよ。だが、」
俺らしくない反応にか、びくりと一瞬体を強張らせた古泉を軽く睨み据え、
「お前に言われる筋合はない」
と言うなり、踵を返してその場を離れた。
その後のことはよく覚えていない。
それでも、翌日ハルヒに聞いたところ、ちゃんと部室にも顔を出していたらしいから、表面上は極普通にやり過ごしたということなのだろう。
だが、俺にはそんな記憶もない。
気がついたら自室のベッドに突っ伏していた。
どうしてか、胸はずくずくと疼くような痛みを訴えていたし、その痛みは、自分が半妖精であるということを否定された時以上のものだった。
痛くて苦しくて、勝手に涙が零れていた。
理由なんて知るものか。
俺はひたすら心を閉じた。
そうしなければ、力が暴走してどうなるかさえ分からん。
もしかしたら、昼休み以降もそうしていたのかもしれない。
それでも抑え切れなかったのか、気がつけば外は酷い嵐になっていた。
俺の心と同じだ。
月が見えないことに安堵しながら、俺は布団の中で小さくなるしかなかった。
最悪の状態の俺の元に送り込まれて来たのは、シャミセンだった。
元野良のくせして、あるいは元野良だからこそか、含蓄に富んだ小難しい話をするこの猫は、一時ハルヒの力で喋れるようになっていたが、その後はただの猫に戻った――ということになっている。
勿論、シャミセンはただの猫だ。
しかし、俺やお袋、妹の方がただの人間じゃないので、会話は成立したままだったりする。
「失礼するよ」
相変わらず渋い声でシャミセンは言った。
「今日はどうしたのかね」
「んなもん、俺が聞きたいくらいだ」
ため息を吐けば、シャミセンは片眉を上げるという器用さを見せながら、
「これはおかしなことを言うものだね。君なら自分の不快の理由くらい、きちんと把握出来ると思うが」
「俺はそこまで出来た人間じゃない」
「ふむ。確かに君は人間ではない」
「そこじゃない」
お前な、と呆れながら呟けば、シャミセンが笑った。
…乗せられた。
猫に乗せられるってのもどうなんだ、と凹む俺に、シャミセンは素知らぬ顔で、
「表が騒がしいようだが、あれは君で間違いないのかね」
「多分な」
「ふむ……。流石というべきかね。君はよほど力があるようだ」
「力なんて、あったってどうにもならんだろ」
「そう思うのは、君が既にある程度の力を持っており、なおかつ、力を振るい、思うままにしようとすることの愚かしさを解っているからだろう。実に立派なことだと私は思うがね」
「…おだてても何も出せんぞ」
「それは残念だ」
にっと笑ったシャミセンは、
「しかし、君にそんなつもりはなくとも、君がこのまま部屋に篭るようであれば、自動的に君の夕食のおこぼれに与ることが出来そうだ」
「そうかい」
「君も、あれだけ力を使ってしまえば空腹も覚えるだろう? 意地を張らずに食事にしてはどうかね」
「……」
「なに、みな食事は終えている。君が気まずい思いをすることはないだろう」
嘘つけ、と思いながら俺が起き上がったのは、根負けしたからだ。
「行かなきゃお前はここに居座るつもりなんだろ」
シャミセンは笑って答えなかった。
それでも、腹に物を入れればいくらか落ち着くものらしい。
シャミセンと一緒に、残してくれていた飯を食い、一息ついたところで、風呂から上がってきたお袋が、
「ちょっとは落ち着いた?」
「……まあ、な」
「そ」
小さく笑ったお袋は、
「懐かしいわぁ…」
と呟いた。
何がだ。
「私にもそんな頃があったなってだけよ」
くふふふふ、と楽しげに笑って、
「あんたもそんな年頃なのね」
……だから、一体なんだかさっぱりだというのに。
「そのうち分かるわよ。……それにしても、」
とお袋は珍しく表情を曇らせた。
「あんたって、本当に力が強いのね。半月の前後に限るとは言っても、天候をここまで動かすなんて、思ってた以上だわ」
「……物凄く迷惑だよな、こりゃ」
「別に、これくらいなら短期的な物だし、根本から変えてるってんじゃないからマシだとは思うけど。そうね、気象予報士は迷惑がってるかもね」
そうじゃないだろ。
「風の精とかは?」
「なんの苦情も聞かないわ。嫌ならあんたに釣られて荒れたりしないだろうし、たとえ本意じゃなかったとしても、あんたみたいな半妖精なんかに、一方的に引きずられたなんて言ったら恥だから、これからも何も言わないとは思うし」
「だが…」
「あんたは気になるのね」
優しく微笑んだお袋は、そっと俺の頭を撫でてくれた。
「優し過ぎると苦労するわよ? もっとも、だからこそ力もあるし、あんたに従うものも多いんだろうけど」
「……そんなんじゃない」
俺はただ、自分が嫌なだけなんだ。
無意識に発動する力のせいで、誰かの気持ちを歪めたりしてないか、怖がっているだけなんだ。
「ばかね。あんたは力があっても半妖精でしかないのよ? そのあんたに、人の心を操るほどの力がある訳無いじゃない。せいぜい、軽い暗示くらいが関の山よ。相手が本当に嫌がっていることをやらせられるほどの力なんてないもの。だから、」
とお袋は軽く俺の頬を引っ張り、
「半妖精ってことに甘えずに、半分は持ってるはずの人間らしいところで考えてみなさいよ。自分のことも、相手のことも、ね」
「お袋?」
お袋は何か気付いているんだろうか。
俺ですら気付いていない何かを。
しかしお袋は笑って、
「しっかりしなさいよ」
と俺の背中を叩くだけだった。