ショタ注意
































認知しろ



入社三年目ともなると、流石に自分のリズムが掴めて来る。
勿論、下に後輩が出来てるから、その指導で忙しかったりもするんだけれど、それだって、自分が新入りだった頃のことを思い出せば、そう苦でもない。
僕はきっと、とても順調な人生を歩んできていた。
会社の人間関係に負担を感じることもなければ、給料や労働時間に不満もなく、強いて言うならば、家族がいないのが少しばかり寂しかったので、ペットでも飼おうかな、なんて思っていた。
そんな、ある、春の日のこと。
安っぽい古びた賃貸の、しかしながら、それが理由で最近ペット可になったマンションは、セキュリティなんてあったもんじゃないから、誰だって入り込める。
今日もポストいっぱいに詰め込まれたアダルトビデオや近所のピザ屋のチラシを忌々しく引き抜きながら、必要な手紙が紛れていないか確認しつつ、階段を上がる。
僕の部屋は二階の奥、角部屋だ。
だからと言ってそんなにいい目を見てる気がしないのは、他のビルに挟まれ、しかも北向きで日当りの悪いの部屋だからだろう。
今日は疲れたし、夕食は食べてきたから、もうさっさと寝てしまおう。
そう思いながら、ほとんど前も見ず、うつむいて歩いていた僕の視界に、何か小さな塊が入ってきた。
薄汚れた小さなもの。
「え」
よく見るとそれは、くしゅくしゅになった毛布の塊だった。
「…誰がこんなところにゴミを……」
もう寝ようと思ってたのに、ドアの前に置かれてたら、片付けなきゃならないじゃないか。
ぶつぶつ言いながら毛布を掴んで持ち上げた。
ら。
……中から光り輝くような赤ん坊が、と言うと竹取物語の出来の悪い模倣だけれど、実際その子は光り輝いて見えた。
赤ん坊なんて歳じゃない。
立派な幼児だ。
でもって、毛布と同様に薄汚れてた。
どう見ても家出した子供という風体。
それなのに、その小汚い子供が、僕には輝いて見えた。
見るからに可愛い顔立ちというわけじゃない。
こう言うとなんだけど、極一般的な程度だと思う。
それなのに、惹かれた。
まだ肌寒いこの季節に、すやすやとそんな場所で眠る安らかな寝顔に、胸がときめいた。
ちょっと待て、これはヤバくないか?
変質者一直線じゃないか。
とにかく落ち着こう、と思ったところで、毛布がなくなって寒くなったのか、
「んん……」
とその子が身動ぎした。
そうして、目を薄っすらと開く。
「…あ、の……」
どう声を掛けたものか、と思いながら口を開いた僕より、よっぽど流暢にその子は言った。
「認知しろ」
………はいぃ?
「これ、お前だろ?」
そう言って、その子が突き付けたのは、薄汚れた、しかしながら確かに見覚えのある、大学時代の僕の写真だった。
裏面には僕の字ではないけれど、僕の名前まで書いてある。
これを持っている人はそうはいないはずだけど、
「これをどこで?」
「俺がずっと持ってるんだ」
そう言ってぎゅっと心細そうに写真を握りしめる姿に、胸がきゅんとした。
「俺のお袋が残してくれたものはこれだけだから、きっとお前が父親なんだろうって思ってたんだ。…この前、偶然、街でお前を見かけて…それで、お前を探してここまで来たんだが……、違う、のか…?」
子供らしからぬ口の聞き方をするけれど、まだ小さな子供らしい弱さもあるのだと思うと、どうしようもなく胸が痛んだ。
「とりあえず、中に入りませんか? ここは冷えますし、いつから待っていたのか知りませんが、こんな時間です。お腹も空いたでしょう?」
こくんと頷いたその子を連れて、僕は家に入った。
「お邪魔します…」
小さな声だけれど、そうやって声を掛けるということは、よく躾けられているのだろう。
「何もないですけど、食べたいものはありますか? ピザくらいならこの時間帯でも配達してくれるそうですよ」
さっき掴んできたチラシの中からピザとか寿司とか弁当なんかの使えそうなものを選び――同時に子供に見せたくないものはさり気なくぐしゃぐしゃに丸め――ながら呟くと、
「宅配ピザなんて食ったことない」
と言われた。
「そうなんですか?」
こくんと頼りなさげに頷くので、思わずその頭を撫でたら、その子は一瞬びっくりした顔をした後、くすぐったそうに笑った。
「頭なんて撫でられたのはいつ以来だろ」
寂しいことを呟く子だ。
「初めてなら、子供向けのにしておきましょうか」
大人しく頷いてくれたので手早く注文し、僕はこの可愛らしい珍客の話に耳を傾けることにした。
彼はキョンくんというらしい。
歳は五歳で、しっかりしている割に自分の本名は、
「まともに呼ぶ奴がいないんだ」
という理由で覚えていないと言う。
母親は不幸にも産辱で亡くなり、今は祖父母の家で育てられているのだが、
「父親がどこの誰だか分からんというだけで、母親まで酷く言われるんだ」
と顔をしかめた。
「ええとつまり、あなたは僕があなたの父親であると、そう、おっしゃるんですね?」
「……違う、のか…?」
不安げな上目使いだけで、たとえ身に覚えがなかったとしても引き取りたくなりそうだ。
「待ってください。あなたが今五歳ってことは、僕が大学生の頃の子ってことですよね…」
その頃付き合っていた彼女で、子供が出来るようなことをして、なおかつそんな偉そうな親がいる子……?
首を捻り捻り考えている間にピザが届いたので、ひとまずキョンくんに食べさせる。
マヨネーズたっぷりのポテトピザをもしょもしょと食べる、その口の動きに、記憶が刺激された。
「思い出しました」
そう、確かそんな風にもしょもしょちょっとずつ食べる可愛い子がいた。
よく見れば、キョンくんは彼女によく似ている。
「……彼女が亡くなってたなんて、知りませんでした」
在学中にいなくなってしまったのを不審に思いはしたけれど、既に別れた後だったから、深く考えなかったのだ。
「ごめんなさい。僕が至らなかったばっかりに、あなたを苦しめてしまって……」
「……つまり、認知してくれるのか?」
「それは勿論、しますよ」
「本当に、いいのか?」
「ええ。ここは狭いですから、別の部屋を探しましょうね」
その前に、謝罪の意と、父親として彼を引き取らせてもらう旨を今の保護者に伝えるべく、挨拶に行かなきゃならないか。
「ほ、本当に?」
繰り返し問うキョンくんに、僕は苦笑して、
「それとも、嫌ですか? 僕と暮らすのは」
「んなことない」
ぷるぷると首を盛大に振ってくれるのも可愛い。
「いいのか? 俺、邪魔になったり…」
「しませんよ」
「……ありがとな、古泉」
そう、はにかむように笑った顔はとても可愛いんだけど、
「父親を名字で呼ぶことはないでしょう」
「じゃあ、名前で呼べばいいのか?」
「違うでしょう? どうせなら、パパと呼んでください」
「ぱ…」
何故か絶句した彼は顔を真っ赤にして、
「そんなむず痒い呼び方出来るかっ!」
「じゃあ、何ならいいんです?」
「お、親父、とか」
「そんなのは反抗期が来てからで十分です」
「じゃあ、お父さん、とか…?」
「うーん……。もういっそ、いっちゃんって呼びません?」
「……それも相当恥ずかしいぞ?」
「ではやはりパパと…」
「もういいから! ……いっちゃんって呼べばいいんだろ」
拗ねたような恥ずかしがるような調子で言ったキョンくんに、やられました。
思わず抱きしめて、
「うわっ!?」
と声をあげる彼を抱き上げ、
「ああもう、どこにもやりません! ずっと一緒にいてください…!」
と口走っていた。
「いっちゃん…?」
訝る彼に、まずいと思った。
何しろ彼はひとりでこうして訪ねてきたばかりか、認知を迫るような知恵者である。
今の僕の発言をおかしく思い、同居を拒んでも仕方がないだろう。
びくつく僕がキョンくんを見ると、彼はその目に大粒の涙を浮かべてた。
「どっ、どうしたんです!? どこか痛みました…!?」
「ちが…っ、俺、嬉しく、て……」
え。
「どこか行けって言われたことはあったが、いてほしいなんて、初めて、で…」
悲しすぎる言葉に胸が詰まり、キョンくんを抱きしめる腕に力がこもる。
「一緒にいてくださいね。出来ることならなんだってしますから」
「誕生日のお祝いも?」
「当たり前です」
「一緒に寝たり……」
「あなたがそうしたいなら。どのみち、この部屋は狭いので、今夜は一緒に寝ないといけませんけど」
「日曜日には遊んだり、」
「喜んで。そうですね、色んなところに出かけましょう。水族館なんてお好きですか?」
「行ったことない…。テレビで見たことくらいなら、あるが……」
「では是非」
「テレビも、見ていいか…?」
「あなたの好きなチャンネルをどうぞ」
「なんで、」
またひとつしゃくり上げて、潤んだ瞳でキョンくんは僕を見つめた。
「そんな、優しいんだ…?」
それは勿論、
「初めて見た時から、あなたが可愛くて愛しくてならないからですよ」
そう答えて、ついでとばかりに頬にキスをすると、キョンくんはびっくりした顔で、
「な……」
「キスですよ。これくらいのことも、してもらえませんでした?」
「される訳無い…」
「じゃあ、僕が初めてですか。…嬉しいですね」
「なんで、なんのために、するんだ?」
「大好きって気持ちを伝えるためですよ」
そう言った僕を真剣な面持ちで見つめた彼は、覚悟を決めるように、小さく、
「よし、」
と呟いて僕の頬に触れると、そこに愛らしい唇を触れさせた。
「いっちゃん、その…俺も、大好きだから、な…?」
「嬉しいです」
お返しにとキスをしたら更にお返しをしてくれる。
一通り、親子のスキンシップを楽しんだ後、そろそろ寝る準備を、ということになったので、
「お風呂はどうします? ひとりで入れますか?」
と聞くと、
「入れるが……」
と口ごもられた。
「一緒に入りたい?」
内緒話でもするように聞いてみたら、キョンくんは恥ずかしそうに顔を赤くしながらもこくんと頷いてくれた。
「じゃあ、一緒に入りましょう」
「ん」
横柄な返事に聞こえるかも知れないが、実際にはそんなことはなく、くすぐったくて堪らないというようなキョンくんは可愛くてならない。
「脱ぐのも手伝いましょうか?」
冗談半分で尋ねると、流石にそれは、
「要らん」
と断られてしまったけど。
狭苦しい湯舟に無理矢理二人で浸かって、狭い狭いと言いながら体や頭を洗うのも楽しくて、
「こんなに楽しいのもいつ以来かな…」
なんて呟いたら、
「これまでは楽しくなかったのか?」
と心配されてしまった。
「楽しくなかったわけではないと思います。ただ、寂しい気持ちはいつでもありましたね」
「そうなのか…」
「だから、」
と僕はキョンくんの柔らかく小さな体を抱きしめて、
「あなたが来てくださって、本当に嬉しいです」
「……そこまで喜ばれるなんて、思わなかった…」
驚いたみたいに呟いたキョンくんに、
「そうですか?」
「嫌がられて、自分の子供じゃないって言われるとばかり思ってた」
「おやおや」
僕は苦笑した。
確かに普通ならそうする男も多いだろう。
でも僕は違う。
「僕は、ずっと家族がほしかったんです」
「……って…」
「僕もね、母親の顔を知らないんですよ」
それどころか、父親の顔も。
写真すらなかった。
身元が分かるものをすべて剥ぎ取られ、ぐしゃぐしゃになった毛布に包まれて泣いていたところを保護されたと聞いている。
だからかも知れない。
毛布の中から現れたキョンくんが、あんなにも輝いて見えたのは。
「家族がほしいなら結婚すればよかったんじゃないのか?」
「それも考えましたけどね、家族を持てるくらいの収入が入るようになったのはつい最近のことですし、そして家族になりたいと思うほどの人とも出会えなかったんです。……今日までは」
「……じゃあ、俺は邪魔なんじゃないのか?」
「え……?」
どうしてそうなるんだろうと思う僕の体に、しがみつくように抱き着いて、彼はくしゃくしゃに顔を歪めた。
泣いてしまいそうだ、と思った時にはもう涙が溢れ出す。
「ど、どうして泣くんです!?」
「だ、って……」
ひっく、と苦しそうにしゃくり上げながら、彼は喚くように、
「家族になるのに、俺みたいな余計なのがいたら邪魔だろ…! なの、に、っふ、なんで、俺を糠喜びさせるような、こと……!」
「糠喜びなんて言葉も知ってるんですか。やっぱりあなたは賢いんですね」
「話をそらすなぁ…!」
「それだけ賢いのに、どうしてそんな勘違いをするんですかねぇ?」
僕はくすぐったくて、申し訳なくて、困り笑いみたいな顔になりながら、泣きじゃくるキョンくんの頭を撫でる。
濡れてぺしゃりと寝た髪も可愛い。
「自慢じゃないですけど、僕はここしばらく、非常に退屈で変化のない日常を送っているんです。新しく人と出会うようなこともろくになく、似たような仕事を消化するばかりです。ですから、今日初めて出会えたのは、あなただけですよ?」
「ふ…ぇ……?」
キョトンとした顔をしたキョンくんに微笑んで、
「あなたとなら、家族として、うまくやっていけると思うんです。だから、僕と家族になってくださいませんか?」
返事は、力いっぱい抱きしめての、唇へのキスだった。
その時の胸の高鳴りを、僕は必死に押さえ込んだ。
押さえ込まなければ、この可愛らしい人を永遠に逃してしまうということくらい分かったし、ここで自制心も働かせられないほどの変質者にはなりたくなかったので、本当に必死だった。
何とかかんとか風呂から上がり、キョンくんには僕のTシャツを着せる。
「服も買いに行きたいですね」
「あんまり贅沢させなくていいぞ」
と釘を刺すキョンくんは、とてもさっきまで大泣きしていたようには見えないしっかり者だ。
「ちょっと甘やかすくらい、いいじゃないですか」
「お前の場合、ちょっとで済むとは思えん」
「あなたがしっかりしているから大丈夫ですよ」
そんな風にはしゃいで話しながら、僕たちはベッドに潜り込んだ。
「二人で寝るには狭いですね」
「平気だ」
平気だって言われても、潰しそうで恐いんですが。
「やっぱり、僕は床で寝ましょうか」
「やだ」
やだって……。
「……一緒に寝るって言ったくせに」
じっと見つめられて、負けた。
「危なかったら、潰されないように、逃げてくださいね」
そう言って、僕はキョンくんを抱きしめる。
その暖かさに安らぎを感じた。
僕は本当に、家族が、人の温もりが恋しかったらしい。
「おやすみなさい、キョンくん」
「ん…、おやすみ、いっちゃん……」
柔らかな頬におやすみのキスをしたら、お返しが来た。
幸せな気持ちで眠れば、きっと幸せな夢を見るだろう。
願わくば、キョンくんもそうでありますように。


目を覚まして見た天井は、ぼろいマンションのそれじゃなかった。
困惑したのは一瞬で、
「ああ、夢か……」
と呟くと、勝手にため息が出た。
「夢がどうした、一樹」
「いえ、」
と僕は苦笑して、
「あなたに認知を迫られた時の夢を見ました」
正直に答えたのに、キョンくんは眼鏡の下で思い切り不機嫌な目をして、
「ああ、お前が変態ショタコンの本性を隠しおおせてた頃の話か」
「それは酷すぎません?」
「事実だろ」
吐き捨てるように言いながら、彼は優しく、
「引き取った息子に手をつけた変態のくせに」
と僕に伸し掛かるような格好でキスを寄越した。
その拍子に僕の顔に当たる眼鏡にもう一つ顔をしかめながら、それをサイドボードに放り出す彼に僕は言う。
「……台詞と行動があまり噛み合ってない気がするんですけど」
「しょうがないだろ」
どうして何がしょうがないのかは言わず、今年高校に入学したばかりの彼は、とてもそうとは思えないような慣れた仕草で僕の首に腕を絡める。
「朝飯出来てるぞ」
「…って言う割に、僕が起き上がれなくなってるんですが」
「朝飯の前に運動しないのか」
「……キョンくん」
「なんだ」
この小悪魔、と罵るのと、懇々と諭すのとどっちがいいかな、と考えながら僕はキョンくんを見つめる。
…一応諭してみるか。
話して分からないわけじゃないだろうし。
「あなたは青春真っ只中の若者ですけど、僕はもう三十路も半ばの親父なんですよ?」
「それが?」
それがって。
「関係ないだろ。…俺よりよっぽど高校生みたいな顔してるだけじゃなく、俺よりよっぽど我慢もきかないくせに」
にやっと笑った唇の触れる感触に興奮を煽られながら、
「…て、いう、か、あの、今日は土曜の特別講義じゃ……」
「成績優秀者は免除」
ああ、あなた昔から賢いですもんねー…。
「お前がそうやって賢い賢い言うのがプレッシャーになるんだよ」
拗ねたように言いながら、
「おかげで眼鏡の世話になるほど努力させられてるんだ。ご褒美くらい寄越せ」
「……仕方ありませんね」
どっちみち、これだけ煽られたら欲求を大人しくさせる方が難しい。
僕はキョンくんの体を抱きしめて、ベッドに押し倒した。
「…愛してますよ。お願いですから、どこにも行かないでくださいね?」
そう囁いて、彼に口づける。
「行く訳無いだろ。…お前こそ、今更俺を捨てるなよ?」
そう言った彼の顔に、不安や威しはない。
あるのはただ、自信だけだ。
「僕が捨てるわけがないと分かってて、言ってますよね?」
「そうじゃなかったら言えるか」
と笑って、彼は僕を抱きしめた。