数え切れないほど



「見たいと思ってた新作のDVDが、今日あたり入荷されてるはずなんだ」
ぽつり、と俺が呟いたのは、いつも通りの帰り道のことであり、いつも通りということは即ち、前方にハルヒたちSOS団三人娘がおり、隣りには穏やかな微笑をたたえた古泉がいるということだ。
そして、俺の声が前方の騒がしいハルヒの声にかき消されるほどの小さな声だったことを考えれば、俺が言葉を掛けた相手は言うまでもない。
そいつは、にこにこと無駄に笑みを振り撒き続けながら、
「それは、いつものレンタルショップに、ですよね?」
「ああ。…それで、その……」
恥かしさと照れでうまく言えない俺に代わって、古泉は優しく言った。
「では、あなたの都合さえよろしければ僕の部屋で一緒に見ませんか? わざわざ教えてくださるということは、僕にも楽しめそうな作品なんでしょう?」
「あ、ああ、そうだ。…構わない、か? お前の部屋に行っても…」
「いつでも歓迎しますと、何度も言っているでしょう?」
そう言って古泉はその笑みの中にどこか悪戯っ子のようなきらめきを追加した。
「じゃあ、遠慮なく邪魔させてもらう」
「はい」
嬉しそうに頷いた顔はあくまで爽やかであり、いやらしさは一片も感じられなかった。
先ほどから俺が変に口ごもったりしたことでお分かりかとは思うが、俺と古泉はいわゆる恋人同士と言うやつである。
付き合いはじめておよそ三ヶ月。
そろそろお互いのことがよく分かってきているところであり、場合によっては飽きが来ていても不思議じゃないような時期だと思うのだが、俺はいまだに古泉の部屋に行くと言い出すだけで緊張しちまう。
それはもしかすると、古泉が悪いと言うよりはむしろ、俺の方が古泉を意識し過ぎているからなのかもしれないが。
とにかく、行きつけのレンタルショップに寄ってDVDを二本ばかり借りた俺たちは、そのまま古泉の部屋に入った。
いつもすっきりと片付けられたその部屋は、なんだか不思議と居心地がよくて、気持ちのいい場所だと思う。
こう言うとくすぐったいが、それはおそらく万人に共通のものではなく、俺が古泉の部屋にいるからこそ感じるものなんだろう。
ソファに並んで座って、DVDを再生する。
口実に使ったとはいえ、一応興味がないわけじゃないはずだってのに、内容は頭に入ってこない。
それよりもむしろ、かすかに感じる古泉の体温に惹かれていた。
ぴったりくっついて座っているわけじゃないから、ほとんど気のせいに思えてくるようなかすかなものだってのに、暖かいと感じ、もっとはっきりそれを感じたいと思えてくる。
そもそも、どうして俺がわざわざ古泉の部屋に来たがったかと言うと、単純に古泉に甘えたかったのだ。
時々あるだろ?
無性に寂しいとか人肌が恋しいとか、そういう時が。
今がたまたまそういう時期だったんだよ、俺は。
そう、そういう時期だっただけだ。
古泉がクラスの女子に囲まれてたのをたまたま偶然見かけちまったなんてこととは一切関係ない。
そう思いながらも、俺はすぐ側にいる古泉へ手を伸ばすことも出来ない。
ほんの少し腰を浮かし、ちょっと体を動かせば、ぴったり寄り添うことが出来ると分かっているくせに、まるで石にでもなったかのように体が動かせない。
その理由は自分でもよく分からん。
ただ恥かしいだけなのか、それとも余計なプライドと言うものが邪魔しているのか、あるいはその両方か。
考え込んでいるうちに映画はストーリーが進行し、俺はもはや登場人物の顔と名前を覚えようとすることさえ放棄するしかなかった。
余裕があったら後で見直そう。
そう思いながら、俺は古泉の様子を横目で伺うしかない。
せめて一言、何か言えればいいかもしれないってのに、それが出来ない。
頭が沸騰してどうにかなっちまってるような時には、好きだの愛してるだのといったこっ恥かしいことこの上ない台詞はもちろんのこと、18歳未満の身としては口にしちゃまずいような単語すら淫猥極まりなく叫んでしまえるくせに、そうじゃない時はどうしてこうなんだ。
余計なことを思いだしたせいで顔が熱くなってきたが、羞恥心を追いやるにはまだ足りないらしく、俺はまだしばらく悶々と考え込む破目になった。
ところが、不意に古泉がこちらを見たかと思うと、柔らかく笑ったのだ。
「…なんだよ、気色悪い」
だから、なんでそう可愛くないんだ俺!
いや、元から可愛くなんかないし、可愛く見えるとしたらそれはどこかおかしいと全力で言ってやる所存ではあるのだが、もう少し柔らかい態度を取ったっていいだろうが。
思わず頭をテーブルにたたきつけてやりたくなっている俺に、古泉が手を伸ばす。
そうして、いささか強引に俺を抱き寄せると、俺を膝に抱きかかえるような形で、その腕の中に捕らえた。
「なっ…!?」
驚きに声を上げると、古泉はかすかな忍び笑いを漏らし、
「すみません。あなたを抱きしめたくなってしまったんです」
と言ったが、その言葉には小さな嘘を感じた。
古泉がそうしたいと思ったんじゃない。
……多分、見抜かれたんだ。
俺がこんな風にしてほしかったということを。
こんな風に抱きしめて欲しい、古泉の体温を感じたいと思っていたことを、はっきりと見透かされていたんだ。
暖かくて気持ちいいということよりもむしろ、嬉しくて、恥かしくて、体を震わせた。
恥かしくて赤くなっても、後ろから抱きかかえられている姿勢では古泉に見られる心配はない。
だから俺は遠慮なく顔をくしゃくしゃに歪め、嬉しくて泣きそうになるのを抑えた。
見抜いていたなら、古泉には、ちょっとばかり意地の悪いことでも言って、俺が要求を口にするよう仕向けることだって出来ただろう。
なのに、古泉はそうしなかった。
それが悔しいほどにかっこよく思えた。
思考回路が恋する乙女染みておかしくなってようが何だろうが構うもんか。
俺はぐるりと体を反転させると、古泉の首に腕を回し、ぎゅっと抱きしめた。
古泉の柔らかな笑い声が耳をくすぐり、
「ありがとうございます」
嬉しそうに言った古泉にキスをして、
「…好きだぞ」
と真っ赤になりながら告げれば、
「僕も好きですよ。あなたにそう言っていただけると、とても嬉しいです。…ありがとうございます」
と返された。
そのどこか他人行儀過ぎる言葉に、寂しさらしいものを感じた俺は思わず眉を寄せ、
「何でだよ。…そこまで言うほどのことじゃないはずだろ?」
と聞いていた。
「…あ……」
しまったとばかりに口元を押さえた古泉を見つめて、俺は問う。
「…やっぱり、俺は言葉とか…ちゃんと足りてないか?」
古泉は正直にも困ったように眉を下げ、
「…すみません。時々…不安になってしまうんです。でも、少しですよ」
「…悪い」
「いえ、いいんです。…その分、思いがけずあなたにそう言っていただけたり、キスしていただけた時に、たくさん喜びを感じられるんですから」
それじゃだめだろ。
俺は古泉に溢れるほど好きだという気持ちをもらっていて、大事にもしてもらってる。
それなのに、古泉に寂しい思いをさせてしまうなら、それは俺がずるくて不甲斐無いってことじゃないのか。
だから俺は、
「…言葉と態度なら、どっちがいい?」
と古泉に聞いた。
「え?」
「…俺は……いつも、お前に好きって気持ちをもらってる。だから…俺も、お前に、ちゃんと…伝えたいんだ…」
好きなんだから。
「嬉しいです」
本当に感激したように呟いた古泉が、俺を優しく抱きしめてキスをしてくれる。
「言葉で言うのは、恥かしいんですよね?」
申し訳なく思いながら小さく頷いた俺に、古泉はどこまでも優しく、
「それでは、態度で示してもらえますか?」
「どうしたらいい?」
「そうですね…」
としばし考え込んだ古泉は、
「…さっきのように、キス、してくださいますか? 恥かしかったら、唇じゃなくてもいいですから」
「ん…」
答えて、俺は古泉にキスをする。
頬へ、それから唇へ、何度も何度も。
好きだと言う言葉に代えてキスを繰り返す。
「…好きだと思った数だけキスしてたら、そのうち唇が腫れてきそうだな」
そう冗談のように呟けば、
「そうしたら、舐めて治して差し上げますよ」
という言葉と共に、甘ったるいキスをされた。



数え切れないほど、キスをしよう。