エロくないけど古泉×キョン子です
女体化が苦手な方はバックプリーズ
















特権的な制限



その、従業員もほんの数人しかいないような小さなクラブの名前は、僕も常連になる前から知っていた。
その理由は、そこがちょっとばかり有名だったからなのだけれど、それは別に、「SOS」という名前が風変わりだったわけじゃない。
そういう名前なら、別にそんなに珍しくないし、むしろもっと凝った名前や奇抜な名前、もはや由来も予想出来ないような名前も多い業界では大人しいくらいだった。
女の子達が可愛いからというだけでもない。
勿論、どの女性も可愛らしくて外れのないそこは、そういう意味でも多少有名だったけれど、何より有名なのは、そこじゃない。
ママの心が広くて、少々のお触りくらい許してくれる、という理由で、有名だったのだ。
そしてそれは、過去形ではない。
現在進行形で、有名なのだ。
「キョン」なんて変わった源氏名を名乗っているママは、懐の深さと心の広さで有名な美人ママであり、過去はともかく現在は、想像を絶するほどの競争を経て、僕の恋人となったその人である。
しかし、だ。
相変わらず彼女は有名なわけだ。
今日も今日とて、
「キョン〜」
なんて情けない声を出す男に抱きつかれて、薄手のドレスしか身につけていないその胸を貸してやっている。
「情けない声を出すな、谷口」
客に対してそんな口のきき方でいいのか、と思う人もいるだろうけれど、これが彼女の接客スタイルなのだ。
特に、自分と同年代以下ならこうなる。
逆に年上だと、よっぽど頼まない限り、律儀に敬語で話すのだが、その話し方がまた好ましくていいと人気らしい。
言葉一つとっても透けて見える親しみの表し方、親切かつ親身になって耳を傾ける話の聞き方、年齢以上に落ち着いた風情など、彼女に敵う人はこの街にはいるまい。
また、対抗しようと思う人だっていないに決まっている。
同じ女性にさえ慕われ、好かれ、他の店のホステスが駆け込んできて彼女に泣きついてくる、ということさえ珍しくないのが彼女という人なのだから。
そして、それを突き放したり面倒がったりせずに、優しく世話してやるのが彼女という人であり、それも彼女の魅力なのだということだって、僕も重々承知しているし、その上で彼女と交際させてもらっている。
それでも、だ。
仕事とはいえ、恋人がほかの男に抱きつかれているのを見ていて面白いはずがなく、自然と眉間に眉が寄ったところで、
「酒がまずくなるから、もうちっと愛想よくしてろ」
と隣りにいた気障な眼鏡の男に言われた。
「放っといてください。あなたには関係ないでしょう」
「まずくなるからやめろって言ってんだろ。十分迷惑なんだ。文句があるならそもそも俺を誘うな」
「仕方ないじゃないですか、僕ひとりでの入店は彼女に禁止されてるんですから。それなら、誰か誘うしかないでしょう?」
「そりゃまた、随分と好かれたもんだな?」
というのは彼なりの皮肉なんだろうけれど、僕は開き直って答えてやる。
「ええ、愛されてますよ」
「勝手に言ってろ」
はっと鼻で笑った彼だったけれど、内心では悔しがっていることを僕は知っている。
何せ、彼もまた、彼女狙いだった男の一人なのだから。
彼女狙いだった男達が、彼女を僕が苦労の末に見事射止めた後、通ってこなくなったかと言えばそうじゃない。
むしろ、前以上の頻度で通ってきている気さえする。
なぜかと言えば、
「しかし、相変わらず見事なまでにお前のことは無視するな、キョンは。見てて面白いんだが、いっそ気の毒になってくるくらいだな」
……そういう理由だ。
というか、気の毒だなんてちらとも思ってないくせに白々しい。
僕は歯噛みする代わりにため息を吐き、
「仕方ないじゃないですか。公私の混同はしないってのが、彼女のポリシーであり、そこがまた彼女の素晴らしいところなんですから」
「あいつがイイ女だってことは、お前なんかに言われなくても知ってる」
舌打ちしたくなったところで、彼がこちらを見た。
……僕じゃなくて、僕の隣りにいる男を見ただけなんだろうけど、それでもその瞳を真正面から見つめれると、それだけで嬉しくなるなんて、僕って本当に安上がりだ。
「会長」
と彼女は僕の隣りの男を呼んだ。
もちろんそれが本名というわけじゃない。
そういう呼び名なのだ。
僕も、他に呼び名を知らないので、そいつのことは一応会長と呼んでいる。
一体なんの会長なのかはしらないけれど、そう呼んでも差し支えないほどの威厳らしきものを備えているのが腹立たしい男である。
「今夜も来てくれたんですね。…ありがとうございます」
と彼女の浮かべる愛想笑いは、ただの営業スマイルだと分かっていても胸を掻き乱す。
僕にはそんな風に笑ってくれないくせに、と恨みがましい気持ちで見つめても、彼女はにこにこと会長を見るばかりだ。
会長はと言うと、僕の内心を透かし見てせせら笑っているのだろう。
さっきまでのしかめっ面など忘れたような間抜けな薄笑いで、
「今日もママは大忙しらしいな?」
「え?」
「谷口に絡まれてただろ?」
「ああ、見てたんですか」
はにかむように笑った彼女は軽く頭を掻き、
「あいつときたら、また振られちまったらしいんです。会長、誰かいい人でもいません?」
「知らんな」
と会長は笑った。
彼女もまた、そんな風にしか答えないだろうと予測していたらしい。
くすりと小さく笑って、
「そうですね。いたら、会長がさっさと捕まえてるでしょうし」
「イイ女なら、今、俺の目の前にいるんだがな」
あからさまな秋波にも、彼女はよろめいたりしない。
「相変わらず口がお上手ですね。でも、ありがとうございます」
そう言った彼女は、会長のグラスが空になるのを見て、何も言わずにボトルを引き寄せる。
無駄な言葉も動作もなく、そして決して間違えることなく、客の好みの酒を用意する手際も見事で、そこがまた男達を惹きつけずにはおれないらしい。
黄金色の酒を注いだグラスを両手で捧げるようにして渡した彼女は、まだ中身のたっぷり入ったボトルをそっと抱え込むようにして、
「残りはまた来た時に、ね?」
と悪戯っぽく笑う彼女に、会長は苦笑を返し、
「全く…さっさとボトルを空にした方がお前だって儲かるだろうに」
「それで体を壊されて、二度と来ていただけなくなりでもしたら困りますから。…お忙しいんでしょう?」
優しく気遣うその瞳に、どれだけの男が落とされたんだろう。
「それなりに、な。だが、ここに通うくらいの時間くらい、十分あるさ」
「ありがとうございます」
そう言いながら彼女は立ち上がる。
「ボトルを仕舞ってきますね」
歩く姿も美しく、彼女はかすかに甘く爽やかな香水の香りを残していなくなった。
その姿を目で追えば、カウンターの定位置にいる女性バーテンダーの長門さんにボトルを渡してしまわせた、と思ったところで、彼女の小さめだけれど形のいいお尻を、誰かの手がぺろりと撫で上げた。
思わず立ち上がりかけた僕の肩を会長が押さえつける。
「落ち着け」
落ち着いていられますか、と言うより早く、彼女の笑い声が聞こえた。
「もう、やめろって。そんなことしてたら、女の子に嫌われるぞ。嫌われたくないだろ?」
なんて、綺麗とか美しいと言うより可愛らしいと言った方がしっくり来るような笑顔で、客をたしなめる。
「ママは嫌いになるのか?」
図々しいことを聞き返す客にも、彼女の笑顔は崩れない。
「これくらいで嫌いになるほど、酷いお客じゃないだろ? …俺ならまだいいけど、他の女の子にしたら、って話」
ああもう、どこまで心が広いんですか。
不感症って訳でもないくせに。
大体、恋人である僕には、店じゃ指一本触れさせてくれないどころか、指に触れることさえ許してくれないくせに、どうしてほかの男はいいんですか。
「お前だって、付き合い始める前は好き放題に触ってたんじゃないのか?」
「そんなことありませんよ」
全力で否定したのは、それが本当に事実だからだ。
「どういうわけか、彼女は僕にだけガードが固いんです。知り合ったばかりの頃はまだ、ちょっとくらい許してくれましたけどね。付き合う前でさえ、一度、悪乗りして抱きついたら頬に手形が残るくらいの勢いで引っ叩かれたことだってあるんです」
「……ふぅん」
と何故か会長はつまらなさそうだ。
彼のことだから、僕が酷い目に遭ったと言う話を面白がるだろうと思ったのに、えらく渋い顔で酒を舐めている。
それでも僕はこんなことを愚痴れる相手なんてそういやしないので、
「付き合い始めたら、ひとりで入店するなとか言われるし、それでもなんとか口実を作って来たら、こうして無視されるし、冷遇もいいところですよ。…ちょっと指に触れただけで、店から追い出されることもあるくらいなんです」
「それはお前が我慢出来ないからだろ。それで別れ話に発展しないだけ、キョンの心の広さをありがたく思え」
「思えますか? あなたなら」
「無理だな」
即答しやがった。
「だったら、」
とまだ愚痴を続けようとした僕の言葉を遮って、彼は言った。
「というかだな、お前、俺と話してるならこっちを向け。未練がましくキョンを目で追うな」
「見るくらい、いいじゃないですか」
これでも物凄く我慢しているんです。
本当なら、彼女に遠慮なく触る男を一人残らず叩きのめしたいし、むしろ彼女を店に出したくないくらいなのだけれど、彼女がオーナーの涼宮さんに雇われている身であり、しかもこの仕事が楽しいと言うのだから仕方ない。
これだけ我慢出来るんだから、もう少しいい目を見せてもらったっていいと思うくらいなのに、本当にうまくいかない。
はぁ、とため息を吐きながらも、他の男に肩を抱かれ、胸の谷間をのぞき込まれそうな体勢になっている彼女をじっと見つめていると、不意に彼女がその男から離れた。
何か用事でもあったのだろうか、と思いながら見つめれば、どういうわけか、彼女はこちらに近づいてくる。
それも、段々と頬を赤くしながら。
そんな表情は、店では見せないものだ。
僕にだけ見せてくれるはずの、顔。
彼女の素顔。
それをここで無防備にもさらすなんて、と嫉妬の炎で焼け死んでしまいそうになっていた僕に向かって、彼女は小さく毒づくように唸った。
「…ッ、古泉! お前、もう、見過ぎだろ…!」
怒ったような声は、照れている時のそれに相違ない。
赤く染まった頬も、潤んだ瞳も、本気で怒っている時のものではない。
それでも僕は、言わずにいられなかった。
「み、見るのも禁止されてしまうんですか!?」
「そうしてやりたいくらいだ!」
唸りながら、彼女は僕を見つめる。
睨むと言うよりも、熱っぽく見つめると言った方がいいような艶かしい目つきで。
これはどういうことなんだろう。
戸惑う僕に、彼女は言った。
「だって…」
酷く恥かしそうに。
「……ちょっと、こっち、来い」
言葉がうまく出せなかったかのように、彼女は乱暴に僕の腕を掴むと、強引にバックヤードに連れ込んだ。
狭苦しい店以上に狭いそこに詰め込まれ、一体何を言われるのだろうとびくつく僕を赤い顔で見つめて、
「…お前、あんまり見るの、本気でやめてくれ。仕事にならなくなる…」
「どうしてです? 見るくらい、許してくださいよ」
「嫌だ」
「どうしてですか。そもそも、触れるのさえ禁止された理由も、僕は聞かせてもらってないんですよ?」
「……だ、って、仕方ないだろ…?」
羞恥に震えながら、彼女は僕から目をそらした。
「…お前に触られたり、見られたりするだけで、か、…感じ、ちまうんだから、……っ…」
そう言って、これ以上はないと言うほどに真っ赤になった彼女を、僕は迷うことなく抱き締めた。
「ひゃっ!?」
悲鳴と言うより嬌声に近い声を上げる彼女が愛しくて、きつく抱き締める。
「なんて可愛らしいことを仰るんですか、あなたは…」
「んなっ…!?」
「可愛いです。…愛してます。……ねえ、今日は朝比奈さんも朝倉さんもいらっしゃるんでしょう? 人手は十分ですよね?」
耳元で囁くだけで、彼女の体が震える。
おそらくだけれど、羞恥ではない、別のものに。
「ぁ……何、言って…」
「このまま、抜けませんか?」
「………だから、嫌なんだよ…」
綺麗に整えられ、美しく彩られた指先を、きゅっと僕のスーツに食い込ませながら、彼女は小さな声で囁いた。
「仕事にならなくなるから、お前に来て欲しくないのに……」
「すみません。でも僕は、少しでも長く、あなたと一緒にいたいんですよ」
「……も」
「はい?」
彼女の声があまりに小さ過ぎて聞き取れなかったので聞き返すと、彼女はくすぐったそうにしながらも僕を真っ直ぐに見つめて言ってくれた。
「…俺も、一緒にいたいのは同じ、だから」
「…嬉しいです」
「……ハルヒに怒鳴られる時は、お前も一緒だからな?」
拗ねるように言った彼女に、僕は迷わず頷いて、そのまま裏口から彼女を連れ出した。

そういう理由なら、僕ひとりに対する理不尽なまでに厳しいあれこれも、ある種の特権だと思って受け入れてもいいかな、なんて思った。