嫌い嫌い愛してる



せっかく結ばれたのに。
やっと両思いになれたのに。
どうして、
「お前なんか嫌いだ」
なんて、言われてしまうんだろう。
「ど………うしたんですか、急に」
驚きながらも動揺して情けないところを見せたりはしたくなくて、僕は必死に平静を保ちながらそう尋ねた。
場所は、僕の部屋で、だから、誰にも遠慮なんてせずに、好きなだけ彼と二人きりで楽しく過ごせると思っていたし、実際楽しく過ごせていたはずだった。
僕は彼が僕の隣りにいてくれる、僕の部屋にいてくれるというただそれだけでも嬉しくて、幸せで、のぼせ上がってしまいそうなほどだったし、彼もまた、嬉しそうに笑っていてくれたと思う。
普段は滅多に見せてくれない笑顔を、ここにいる時だけは大盤振る舞いしてくれる彼が愛しくて、そんな風に素直に喜怒哀楽を露わにしてくれたもう一人の「彼」が懐かしくて、つい、目を細めた時だった。
何かに気付いたように彼が眉をひそめ、ポツリと呟いたのは。
「だって、」
と彼はらしくもなく、不貞腐れた子供のように呟いた。
「お前は、俺のことを見てないじゃないか」
「どういう意味です?」
僕は困惑するしかない。
僕が彼のことを見ていないなら、一体何を見ているというのだろうか。
彼以外に見つめる価値のあるものなんて、見出せてもいないのに。
「僕は、あなたしか見えてませんよ」
「嘘吐け」
泣きそうな顔で、それでも彼は僕を睨みつける。
「お前は、俺のことなんか見てない。俺の中に、別の誰かの面影か何かを見てるだけなんだろ」
くしゃりと顔を歪めて、
「お前なんか、大っ嫌いだ!」
とだけ怒鳴ると、もう我慢出来ないとばかりに彼は部屋を飛び出して行った。
「待っ…」
「追いかけて来るな!」
怒鳴り声と共に玄関のドアを叩きつけられる音がして、僕はその場で立ち尽くすしかなくなった。
僕が彼の中に別の誰かを見てる?
そう誤解されても仕方ないのかもしれない。
僕は確かに、彼の中に「彼」の姿を見つけては喜んでいたのだから。
でも、「彼」もまた彼なのに、どうしろっていうのだろう。
本当にこのまま彼に嫌われてしまったら、と思うと、それだけでずきりと胸が痛んだ。
どうしようもなく足が竦み、動けなくなる。
想像するだけでも恐ろしいことだった。
僕は、彼が愛しくて、好きで、好きで、どうしようもなくなるほどなのに。
呆然と、一体どれだけの間立ち尽くしていたのだろう。
不意に目の前に「彼」が現れた。
実体ではない、幻のようなものでしかない、「彼」が。
「お前…何突っ立ってんだ? まさか、あれからずっとそうしてたなんて言わんだろうな?」
呆れたような声にほっとしながらも、彼の複雑そうな表情を見るとため息も吐けなかった。
「す…みません、少なからず、ショックだったものですから…」
「……すまん」
「いえ…」
「…俺は、ちゃんと分かってるからな?」
そう言って彼は僕の顔を覗き込む。
その唇は優しい弧を描き、目もほんのりと細められている。
眉間にはしわの気配もなく、頬はかすかに紅潮していた。
可愛い。
「あなたが分かってくださってるなら、大丈夫ですね」
「そりゃ、な。遅かれ早かれ、本体も音を上げるんだろうが……だからって、胡坐かいて余裕こいてたら、殴ってやるからな」
「そんなこと、していられませんよ。…万が一、ということを考えるだけで、僕は怖くてならないくらいなんですからね」
「万が一ってのは何だよ」
怪訝な顔をする彼に、本当に分かっていないのだろうかと疑いながらも、僕は正直に口にする。
「万が一、あなたに嫌われ、別れ話を切り出されたら、ということです」
「有り得んな」
すっぱりと断言され、思わず笑った。
「笑うなよ」
「すみません、嬉しくて、つい…」
「ばぁか」
可愛らしく毒づいて、彼は魅力的な微笑を見せ、
「早く仲直りしてくれよ?」
と言い残してあっさり消えてしまった。
うっかり聞きそびれてしまったけれど、こんな中途半端な時間、こんなタイミングで現れたということは、彼が帰ってから不貞寝でもしたということなんだろうか。
だとしたらやっぱり可愛い、と笑みが自然と零れた。
そんな風になるのも、相手が彼だからだと言うのに、翌日になっても彼の機嫌は悪かった。
いや、正確に言うなら、ただ機嫌が悪いのではなく、僕に対してだけ、態度が冷たく、厳しかったのだ。
目があったかと思えば顔を背けられる。
ゲームも一緒にしてくれない。
そればかりか挨拶の一言もなく、そのくせ心配した朝比奈さんが、
「古泉くん、何かあったんですか?」
と僕に声を掛けてくると、更に機嫌の悪さに磨きがかかった。
嫉妬してくれることをくすぐったくも嬉しく思いたいところなのだけれど、これで更に機嫌を損ねられたらと思うと恐ろしくて笑ってなどいられない。
たった一言くれた言葉は、
「お前みたいなスケコマシ、大っ嫌いだ」
というトドメのような言葉で、それも帰り際に呟かれ、一緒に下校することも拒まれた格好となった僕は、悲しくも一人寂しく家路をたどる破目になった。
かくして、大方の予想を裏切ることなく、久し振りに、二日続きでの「彼」のご来訪となった。
「ごめんな?」
というのが、彼の第一声だった。
本当に申し訳なさそうにしてソファに座った彼は、僕の顔を隣りから覗き込むようにして、そのくせ、上目遣いとしか言いようのない目つきで僕を見つめ、
「お前のことを嫌いになったりしたんじゃないんだぞ」
と念を押す。
「本当ですね?」
「ん、当たり前だろ。……お前も、俺のこと、嫌いになんかなったりしてないよな…?」
なんて、本当に心配そうに聞かれるので、僕は小さく笑って、
「なるわけないでしょう?」
「なら、よかった」
安堵した様子で彼も微笑む。
「…と、言いますか、それが気になったんですか?」
「気になるに、決まってんだろ」
拗ねたように彼は呟いた。
「あんな態度取ったりして、お前に嫌われたらどうしようかって、気が気じゃなかったぞ、俺は。…本体は、現在進行形で不安で堪らないと思う」
「そんな心配、するだけ無駄なんですけどねぇ」
「…そうか?」
「ええ、勿論。…僕が好きなのは、あなたですから」
僕が言うと、彼は本当に嬉しそうに微笑んだ。
ほんのりと頬を赤くして、はにかむように笑いながら、
「ん、俺も、好きだ。愛してる…」
自然に目を閉じ、顔を近づける彼に、僕もそろりと顔を近づけたのだけれど、やはり唇が重なることはなかった。
ちっ、と小さく舌打ちした彼はむくれて、
「キスしたい」
なんて可愛らしい駄々をこねてくれる。
「僕もですよ。あなたにキスしたい。それなのに出来なくて、歯痒いくらいです。……あなたも、キスはお好きですか?」
「好きだ」
笑顔と共に素直に答えてくれるのも、表層意識の彼ではありえないようなことなので、なんだかくすぐったさも増しているように思える。
「お前、うまいから」
「そうですか?」
「うまいだろ。……なぁ、なんでキスがうまいんだ?」
素直であるがゆえに答え難い質問をされるのはちょっとばかり困るけれど、いい思いばかりしていては悪いので、僕は苦笑しながらも正直に答えるしかない。
「それは、まあ………やっぱり、少々とはいえ、経験があるからではないかと思いますが…」
「やっぱりか」
どうやら答えは彼も予想していたようで、存外あっさりと呟かれた。
でも、面白がっているような調子はない。
むしろ不機嫌に眉を寄せられ、
「…面白くない」
と言われてしまった。
「すみません」
「謝られたってなぁ。……仕方ないんだろうけど、やっぱり、面白くないってだけだ」
「…妬けます?」
優越感染みたものをくすぐられるような気持ちで尋ねてみても、彼は素直に答えてくれる。
「妬けるに決まってるだろ」
「嬉しいです」
と正直に答えると、彼は軽く目を見張り、それから柔らかく微笑んだ。
「…そうかい」
そう言ってから、彼はもう一度こちらに身を乗り出してきた。
実体を伴っていたなら触れ合っているだろう。
それほど近くに顔を寄せ、
「お前も妬いたりするのか?」
と言わずもがなのことを聞いてくるので、僕は思わず苦笑して、
「言わなきゃ分かりません?」
「俺が言ったんだから言えよ」
「そうですね。…それは勿論、僕だって妬きますよ」
「へぇ、どんな時に?」
「涼宮さんと仲良く話してらっしゃる時も、長門さんの面倒を見ておられる時も、それに、朝比奈さんの入れたお茶で嬉しそうな顔をされているのも、ちゃんと見てるんですからね?」
「は…、無駄なことしてるな」
僕のさっきの発言を揶揄するように、彼は笑ってそう言った。
「無駄ですか?」
「無駄だろ。……俺がここに来てるんだからな」
ニヤリと笑って言った彼に、言外に、心を飛ばすほど愛しているのは僕だけだと告げられて、僕も笑みを深める。
「なるほど、そうでしたね」
二人して顔を見合わせて笑う、ただそれだけのことでも嬉しくて、幸せなのに、やっぱり触れられないのは物足りなく思える。
すぐにも触れ合えるほどの至近距離にいれば、触れたくなるし、キスもしたくなる。
場所が自分の部屋ならば尚更だ。
でも、それは叶わない。
思わずため息を吐いた僕に、
「早く仲直りしろよ」
と彼は昨日も口にした言葉を告げた。
「…俺も早く、お前とキスしたいし、触れ合いたいって思ってるんだからな」
「ありがとうございます」
その一言で随分救われる思いがしますよ。
そう思った僕に、彼は悪戯っぽく微笑んだ。
「本体が自覚するくらいに、な」
「え」
絶句した僕に向かって、
「待ってるから」
と言い残して彼は消えてしまった。
残された僕は真っ赤になりながら、悶々とした熱を抱え込む破目になった。
だから、だ。
翌日、彼を待ち伏せするような形でとっ捕まえた僕は、
「朝っぱらからなんだ」
と抵抗する彼に理由の説明もせず、昇降口から少し離れた物陰に彼を連れ込み、有無をも言わせずキスをした。
「なっ……!?」
驚きの声を上げる彼を抱き締めて、無防備にも開かれた唇を割って舌を捻じ込めば、彼の味がした。
甘い口内を味わい、唾液をすすり、歯列をなぞると、抱き締めたままの彼の体が僕の腕の中でひくんと小さく痙攣した。
薄目を開ければ、彼はすっかり目を閉じて、そのくせ意外と長い睫毛を快感に震わせていた。
可愛い。
このまま酷いことをしてしまいたくなるくらい、可愛くて、愛しい。
弾力のある舌を吸い上げれば、同じように舌を吸われ、絡められた。
そんな態度に、ああ本当に彼も僕を欲してくれてたんだなと思えると、嬉しくてたまらなくなる。
むしろ、止まらなくなりそうだと思ったので、頃合を見て体を離した。
その時には、彼の呼吸もすっかり上がっていて、酸欠のせいもあって赤くなった顔は、それだけで凶器のように思えた。
可愛すぎます。
「おま、なに、いきなり……」
はぁはぁと荒い息を吐き出しながら、手の甲で唇を押さえた彼は、それでも真っ直ぐに僕を見つめてくる。
その視線すら愛しくて、ついつい笑顔になってしまいながら、
「すみません。我慢出来なくて……」
「我慢って……」
かぁっとその頬に赤味が増す。
「…アホか」
と毒づいても可愛いし、愛しい。
「それくらい、あなたが好きなんですよ」
「っ…!」
また嘘だろとかなんとか言われてしまう前に、と僕は言葉を紡ぎ出す。
「あなたの中に別の誰かの面影を追ったりしているつもりはありません。僕はただ、あなたが僕にだけ見せてくれる姿を見つけると、それだけで嬉しくなってしまうだけなんです」
「…本当、か?」
まだ不安げに見上げてくる彼に、僕は真剣な顔で頷いた。
「はい。……あなただけです」
「……なら、いい」
ほっとしたように呟いた彼は、そのまま僕を見つめ、そうして、恥かしそうにしながらも、そっと目を閉じた。
それの意味するところは、僕の思いあがりによる読み違いでない限り、ひとつしかない。
だから僕は、彼を改めて抱き締めて、もう一度深く口付けた。