とある彼女の憂鬱  第六話



田舎とは比べ物にならないほどの蔵書量を誇る図書館でひたすら読書をして過ごすことしばし。
お昼前になって僕の携帯が鳴った。
発信元は涼宮さん。
『十二時に一度集合してね。さっきの駅前んとこ』
「了解しました」
と答えたのはいいけど、今は何時だ?
……急いだ方がよさそうだ。
「長門さん、駅前に再集合だそうです。急いで戻りましょう」
頷いた長門さんはしかし、貸し出し用カードを作成の上、分厚い本を一冊借り出すまで図書館のカウンターから動いてくれなかった。
意外と長門さんの脚が早かったから間に合ったものの、そうじゃなかったら間に合わず、涼宮さんの不興を買うことになっていただろう。
涼宮さんには逆らうな、というのが、クラスメイトからの忠告であるだけに、僕はそうならずに済んだことに、心底ほっとしていた。
「そんなに慌てて来なくってもよかったのに」
涼宮さんは案外あっさりとそう言い、朝比奈さんは軽く息を切らしている僕に、
「大丈夫ですか?」
とハンカチを差し出してくれたけれど、どう使えという意味かを考えると受け取るわけにはいかないだろう。
「大丈夫ですよ」
と言いながら自分のハンカチで汗をぬぐっていると、まるでそれを言わなければ落ち着かないとでも言いたげに、彼がぼそりと、
「遅い」
と呟いた。
「お待たせしてしまってすみません」
苦笑しながらそう言えば、彼はじっと僕を見た後、
「…まあ、別にいいさ。待つのは慣れてる」
「はあ」
どういう意味だろう。
「それで、何か収穫はありましたか?」
「あるわけないだろ」
あってたまるか、と彼は毒づくように吐き捨てた。
どう言ったらいいのか分からないまま、僕たちは近くのファーストフード店に入り、それぞれに注文の品を受け取ってから席についた。
僕の隣りに座った朝比奈さんは、なんだかお疲れの様子で、
「何かあったんですか?」
と聞いても、
「ううん、なんでもないの。気にしないでください」
と言うばかりだ。
しかし、そう言われると余計に気になる。
「また涼宮さんと何か…?」
小声でもう一度聞くと、朝比奈さんは困ったように眉を寄せて、それからこっそりと、僕にだけ聞こえるような小さな声で教えてくれた。
「やっぱりこうやって探してても、不思議なこととはあえないのかなって思ったら、なんだか寂しくなっちゃって……」
と可愛らしいことをいうものだから、
「きっと、朝比奈さんのような可愛らしい女性が探しているので、不思議の方が恥かしがって出て来てくれないだけですよ」
なんてことを言っていた。
うわ、恥かしいな自分。
どうやら聞こえていたらしい彼の視線も痛いし、朝比奈さんだってビックリした顔をしてるじゃないか。
しかし、朝比奈さんはくすぐったそうに笑って、
「ありがとう、古泉くん」
と言ってくれた。
こちらこそ、ありがとうですよ朝比奈さん。
あなたの笑顔に救われました。
ほっとしながら全員揃って食事をして、それでは午後はどうするのかと思ったら、準備のいい涼宮さんが午前中にも見たあの爪楊枝の束を取り出した。
捨てずに持っていたらしい。
「もう一回くじ引きしましょ」
と言う。
まず朝比奈さんが引かされる。
無印。
次に僕は当たりを引いて、彼も当たり。
残ったのは無印だけだ。
「よろしくお願いしますね」
と愛想笑いを浮かべて言っても、彼は軽く頷いただけだった。
機嫌でも悪いのだろうか。
二手に分かれた後、彼にそう聞いて見ると、
「は?」
と返された。
本当に驚いた様子で。
「ええと、僕の気のせいだったんですか?」
「機嫌が悪いも何も……別になんとも思ってないからな」
そう言った彼の表情が、あの打ち明け話の時のように無表情に見えた。
「お前は俺の正体を知ってるんだから、多少気を抜いたって構わんだろ。キャラ作りってのも疲れるんだ」
と呟いたと言うことはつまり、気を許してくれてると言うことなんだろうか。
僕はなんだか嬉しいようなくすぐったいような気持ちになりながら、
「そういうことでしたらどうぞ、お好きになさってください」
「ああ」
そう言った彼の瞳からも光が失せると、ただの無機質な人形のような印象だけが残ることになる。
それをみながら僕はふと、もうひとりの人形のような人を思い出した。
「先日の、あなたの打ち明け話の件ですけどね」
「うん?」
「なんとなく、少し信じてもいいような気がしてきました」
「……そうかい」
「ええ。もっとも、これが驚くほど手間をかけた壮大なペテンであると言う説も、まだ捨て切れてはいないのですが」
「素直に信じとけよ」
「すみません」
「……」
「………」
「……ああ、そうだ」
思い出したように彼が呟いたが、声のトーンは単調で、とても何か感情らしきものがあるようには感じられないような響きだった。
「どうかしましたか?」
「いや、お前、引っ越してきたばっかりだったよな。このあたりの案内でもしてやった方がいいのか?」
ぼそぼそと言われ、僕は苦笑する。
「いいんですか? お疲れなんじゃ……」
「別に、わざわざ人間らしくしてなくていいなら変わらん。このまま駅前でぼんやりしてたってしょうがないなら、少しは有益なことでもした方がいいだろ。それに、お前を観察するのは俺にとっても役に立ちそうだ」
「…ええと、どういう意味でしょうか」
「普通の男子高校生ってのがどんなもんか、実際のところを知りたいだけだ」
「……そうですか」
もう、好きにしてくださいよ。
そうして僕は涼宮さんからの呼び出しがかかるまで、駅周辺の施設やなんかについて、事細か過ぎて情報過多に陥りそうな案内をしてもらうことになった。
それこそ、それだけで、宇宙人であるという彼の主張を受け入れてもいいかもしれないと思うほどだった。
頭も足もへとへとになりながら再集合した僕たちは顔を合わせ、明後日学校で反省会をするという約束を確認した後、解散となった。
朝比奈さんはくすぐったくなりそうな可愛らしい笑みと共に、
「今日はお疲れ様でした。でも、楽しかったですよね」
「ええ、そうですね。…涼宮さんはどうでした?」
「面白い人でしたよ」
それじゃあまた明後日、と言って朝比奈さんは去った。
涼宮さんは僕の胸倉を掴みあげそうな勢いで僕に詰め寄り、しかし笑顔で、
「やっぱりみくるちゃんは面白かったわ。今日、古泉くんと一緒になれなかったのは残念だけど、また機会もあるでしょうしね。明後日、ちゃんと来てよ?」
と言うだけ言っていなくなった。
長門さんはさっさといなくなっていたし、彼もまた、僕が朝比奈さんと話している間に軽く手を振って帰っていた。
ひとりになるとなんだか無性に寂しくなったように感じたけれど、そうしてやっと僕は気がついた。
一人暮らしをはじめて、そろそろ一週間になるのに、寂しいなんて思ったのが初めてだったということに。

週明け。
梅雨が近づき、じっとりと汗が滲んでくるような鬱陶しい湿り気を帯びた空気の中一日を過ごした僕は、これから始まるミーティングをどう乗り切ったものか考えていた。
不思議が見つかったわけでもないのに、どういう反省会をするんだろうか。
見つけるための相談か?
……意味のあるものになるとは到底思えない。
どうしたものか、とため息を吐きながら部室に入ると、
「遅い」
といつもの声が返ってきた。
しかし今日はそれに続けて、
「十分早いでしょ。あんたと一緒にしないでやりなさいよ、馬鹿キョン」
という涼宮さんの声までした。
「こんにちは。今日は早かったんですね。僕が最後ですか?」
「来るメンバーではね」
と涼宮さんは苦笑した。
「みくるちゃん、今日は来れないんですって。だから、ミーティングも中止にするわ」
「そうですか」
そう返した僕だったけれど、何か言いたげな涼宮さんの視線に気付いてしまった。
…この人は、自分から言い出すタイプだと思っていたんだけど、と思いながら、僕は小さくため息を吐き、
「涼宮さんも、僕に何かお話があるんでしょうか。……朝比奈さんのことで」
涼宮さんはニヤッと笑って見せた。
どこかの悪役か、そうでなければトリックスターのように。
「古泉くんの方から言い出してくれると助かるわ」
そう言って団長席から立ち上がった涼宮さんは、
「場所を変えましょ。もし、みくるちゃんに聞かれでもしたら、流石に困るから」
涼宮さんが僕を連れていった先は、食堂の屋外テーブルだった。
途中で自販機のコーヒーを僕が買って、二人して丸いテーブルに座る。
男女が二人で、というのはちょっとばかり誤解を招きそうな気もしたけれど、この際気にしないことにしよう。
「それで、どこまで聞いてるの?」
「朝比奈さんがただ者ではないということくらいでしょうか」
「ああ、それなら話は簡単ね。その通りなんだから」
予想どころかむしろ期待していたような話が始まったと言うのに、僕は目眩のようなものを感じずにはいられなかった。
これはやっぱり何かの冗談なんじゃないだろうか。
SOS団に揃った三人が三人とも朝比奈さんのような普通の、外見や性格が希少なほどに愛らしい美少女であるほかはいたって普通の少女を捕まえて、人間じゃないと言うようなことを言い出すなんて。
これが揃って本気なら、何かおかしな異常でも起きているんじゃないだろうか。
地球温暖化とかそういうグローバルなレベルで。
「…それではまず、あなたの正体からお伺いしましょうか」
宇宙人と未来人には心当たりがありますし、何かと言っては羅列する割に、その中に入れないことからして、
「実は超能力者だ、なんて、言い出さないでしょうね?」
「もう、先に言わないでよ」
文句を言いながらも、涼宮さんは楽しげに笑っていた。
「ちょっと違うような気もするんだけど、でも、そうね、超能力者と呼ぶのが一番近いし分かりやすいんじゃない? そう、あたしは実は超能力者なの」
もはや相槌を打つ気力もなくて、僕は黙ったままコーヒーを飲んだ。
甘い。
「ほかの二人からは、もう色々聞かされてるんでしょ? 混乱させて悪いけど、あたしはまた別の見解を持ってるから、まずは話を聞いてちょうだい」
彼女にしては申し訳なさそうな前置きがされたと思ったら、それからの話が長かった。
それこそ、一演説打たれたような感じである。
文庫本なら10ページ近くは浪費しそうなほど、長々と続く荒唐無稽な物語を聞きながら、途中で寝てしまわなかった自分を褒めたい。
キーワードはまたしても『三年前』。
そして、僕が選ばれたということ。
その他、機関とかビッグバンとかあれこれ話され、ついでのように、初めて異能に目覚めた時の楽しく誇らしい気持ちについて語られたりもした。
その中には興味を引かれる内容だって多分に含まれていたのだけれど、いかんせん、彼女のマシンガントークは長時間耳を傾けるには、少々耳と頭に負担が大きすぎた。
結果、
「あたしの話はこれで終り。何か質問は?」
という彼女の言葉に、心底感謝したのだけれど、僕は愚かにも自分から会話を引き伸ばすような質問を口にした。
「ひとつだけ、教えてください。あなたたちは、朝比奈さんには無自覚なままでいてもらいたいと仰いましたよね?」
「言ったわ」
「となると、彼女が超常現象を含めた非現実的な物事に対して興味を抱いていることはあなた方にとってマイナスにしかならないはずです。それなのにどうして、あなたは彼女を後押しするように、わざわざSOS団なんて集まりを作ったりしたんです?」
涼宮さんは僕の問いかけにニヤリと笑って見せた。
「流石はみくるちゃんが選んだだけのことはあるわね」
と独り言のように呟き、
「あたしは、みくるちゃんのガス抜きをさせてあげたいだけよ」
「ガス抜き…ですか?」
「そ。不満を溜め込まれて、あたしたちにとって不都合な形で爆発させられるくらいなら、みくるちゃんに気付かれない範囲で、時々小規模な爆発をさせてあげて、大事にならないうちに対処した方がいいと思わない?」
「それは……一理あるかもしれませんが、危険なのでは? あなた方の主張を真実とするならばと仮定しての話ですが」
「そうね、危ないわ」
晴れやかに笑うところじゃないだろうに、彼女は軽く笑って言った。
「だけど、みくるちゃんの望みは叶えてあげたいじゃない」
「……え?」
「ただでさえ、こっそり色々と制限しちゃってるんだから、せめて許容範囲内では、みくるちゃんの望みを叶えてあげたいの。…あたしがしてることって、ほとんどみくるちゃんの望みそのままなのよ? 宇宙人や未来人や超能力者と遊びたい。超常現象やなんかについて語れる仲間が欲しい。コスプレしてみたい。どうせするならメイド服とかバニースーツがいい」
…すいません、後半、あまりに信憑性がないんですけど。
「何より、危険だとかそんなこと以上に、面白いと思わない?」
「……は?」
今なんと仰いましたか。
「面白いじゃない。だって、あたしも好きなのよ。小さい頃は自分が正義の味方の仲間だったらとか思ってたし、今だって、UMA特集とかしてるとテレビを独占してかぶりついてるわ。そのあたしが、物凄い低い確率の中、偶然選ばれて超能力者になって、しかも神様みたいな力を持ってる子の近くにいるんだもの。楽しまなきゃ損だと思わない?」
「楽しまなきゃ、って……」
もしかして、SOS団は本当にあなたの趣味の集まりなんですか。
「そうよ?」
けろっとした顔で涼宮さんは答えた。
脱力する僕にも構わず、
「有希は前々から目をつけてたのよね。未来人の中では迂闊な方だし、読書好きの眼鏡っ子ってポイント高いと思わない?」
知りませんよ。
「で、キョンはキョンで凄いレアなのよ。あいつの仲間の宇宙人の中で、男ってあいつ一人しか知らないわ。もしかしたら他にもいるのかもしれないけど、それだけでも入団させる価値はあるってもんでしょ」
知りませんってば。
「みくるちゃんが願うことは叶えてあげたいんだって言ったでしょ? だからあたしは、行動力に乏しいみくるちゃんに代わって実行する。それがあたしの、SOS団における役割なのよ」
そう言って、涼宮さんはどこか誇らしげに笑って見せた。
話は終わったとばかりに立ち上がった彼女に、
「待ってください」
と呼び止めて僕は言う。
「もうひとつだけ。……超能力者だと仰いましたよね?」
「そうよ?」
それがどうかしたの? と言う彼女に、僕はすっかり冷めてしまったコーヒーの紙コップを指し示す。
「でしたら、何か力を使ってみせてはいただけませんか? 先ほどの話だけでは信じるに足るとは言えない、ということはあなただってお分かりでしょう? たとえば、このコーヒーを元の熱さに戻す、とか」
「ごめんね」
イタイ発言をした子供を見るような目で笑って、涼宮さんは言った。
「超能力者って言うのが近い、って言ったでしょ? つまり、そういう分かりやすい超能力者とは違うのよ。それに普段のあたしには何の力もないの。力を使えるのは一定の条件が揃ってはじめて出来ることってわけ。近いうちに、証拠代わりに見せてあげられる時もあると思うから、それまで待ってちょうだい」
それじゃ、長いこと悪かったわね、今日はもう帰っていいから、と言いおいて、涼宮さんはテーブルを離れた。
もう帰っていいも何も、カバンは部室に置いてきたままなんですが。
僕は足取りも軽く去っていく涼宮さんの背中が校舎に吸い込まれて消えるまで見送って、それからふと思いついて、紙コップを手に取ってみた。
言うまでもないことだろうけれど、当然中身は冷たいままで、無理矢理に飲み干すとなんだか嫌な予感そのままのような味わいが、舌の上を通過していった。