とある彼女の憂鬱  第五話



写真撮影、ということで、デジタルカメラを振りかざした涼宮さんは、それだけでは飽き足らず、どこかからまた強奪してきたらしいレフ板まで用意していた。
僕はそれを持たされ、高く掲げさせられる。
撮影役はいつの間にやら彼に任され、涼宮さんはポーズ指導と演出に忙しい。
「有希っ、眼鏡借りるわよ」
と言って読書を続けていた長門さんから眼鏡を取り上げると、朝比奈さんに掛けさせた。
長門さんは読書を続行しているけど、眼鏡なしなのにちゃんと見えてるんでしょうか。
そうこうするうちに、涼宮さんの興味は写真撮影から朝比奈さん自身へと移ったらしい。
「ああもうほんっと可愛いわみくるちゃん! 明日から部室ではいっつもその格好してなさい。いいわね?」
とかなんとか言いながら、朝比奈さんを抱きしめ、無体を働いている。
朝比奈さんはと言うと、最初こそもがいていたものの、段々と抵抗する力さえ奪われたのか、動かなくなってきた。
流石に危なそうだ。
「す、涼宮さん、それくらいにした方が…」
「なに? 古泉くんも一緒にみくるちゃんにイタズラしたいの?」
誰も言ってませんよそんなこと!
て言うか、あああ、朝比奈さん、怯えないでください。
僕はそんなこと言ってませんから!
「まあいいわ。今日はこれだけじゃないんだからね」
そう言って涼宮さんは朝比奈さんを解放した。
僕はぐったりと床に座り込んだ朝比奈さんを助け起こし、
「大丈夫ですか?」
と聞いたのだが、反応がなかった。
…本当に大丈夫なんだろうか。
「こーらー! みくるちゃんも古泉くんも聞きなさいっ!」
うっかり団長の演説を聞き流していたらそう叱られた。
「今、重大発表をしてたんだから!」
「す、すみません」
「全くもう」
不満そうに言いながらも、涼宮さんはどこか楽しそうに笑った。
それでいいと言うように。
…一体なんだろう、この感覚は。
首を傾げていると、
涼宮さんは簡潔に、必要事項だけを叫んでくれた。
「明日は朝から不思議を探しにいくわよ! 来ないと死刑だから!」
死刑って。
呆れながらも、それで本日のミーティングが終了したことに感謝した僕は、うつむいたまま何も言わない朝比奈さんを、途中まで送って帰った。
家まで送ってもよかったんだけれど、それは遠慮されてしまったのだ。
それにしても涼宮さんは何を考えているんだろうか。
朝比奈さんを傷つけるようなことばかりしているように思うんだけれど。
……やっぱり、朝比奈さんが入ろうとした時に止めるべきだったんだろうか。
そんなことを考えていたからか、家に帰ってもなかなか寝付けず、ほとんど眠らないまま夜を明かすことになってしまった。
環境が急激に変わったおかげで疲れてたんだから、もっとよく眠れたってよかっただろうに。
寝不足のせいで眠い目を擦りながらも、支度をして待ち合わせ場所に向かったおかげで、遅刻にはならなかった。
大体、15分くらいは早く到着出来たと思うのだけれど、朝比奈さんと長門さんは既に到着していた。
だからと言って会話が弾んだりもしていなかったのか、朝比奈さんは僕が来たのを見て、あからさま過ぎて長門さんに申し訳なくなるくらい、安堵した表情を見せた。
「おはようございます」
僕から声を掛けると、どこか背伸びをしたようなフェミニンな服装のせいか、いつにもまして愛らしい朝比奈さんはほんのりと微笑して、
「おはようございます、古泉くん」
と言い、長門さんはと言うと分厚いSFのハードカバーから顔を上げもしないまま、軽い会釈らしきものを寄越すだけだった。
それとも、挨拶らしきものをくれるだけマシなのだろうか。
それにどうして休日だと言うのに私服でなく制服なのか。
…謎だらけです。
首を捻りつつ、ついつい愛想がよく、会話の成立する朝比奈さんに近寄ってしまうのは悪いだろうか。
「早いんですね」
と言うと、朝比奈さんは小さく笑って、
「だって、お待たせしちゃったら悪いから…」
「そうしたら、朝比奈さんが待つことになるじゃないですか」
「あたしはいいんです。待ってるのも、嫌じゃないから」
なんて健気なことを言う人なんだろうか。
今時珍しいんじゃないだろうか、ここまで健気な人なんて。
田舎にも強かな女の子しかいなかったものだけど、都会でこれって本当に希少な気がする。
そんな朝比奈さんに癒されること十分ほどで涼宮さんがやってきた。
「キョン以外は皆そろってるわね!」
と今日もまた挨拶をすっとばしての発言だ。
「おはようございます」
苦笑しながら涼宮さんに言うと、涼宮さんは笑顔のままで、
「おはよ、古泉くん。みくるちゃんと話してたの?」
「ええ」
何かいけなかっただろうかと思いながら頷くと、涼宮さんは笑みを深めて、
「団員同士仲がよくて結構結構っ」
となんだか田舎の寄り合いで集まってたおじさんたちのようなことを言うので噴出しそうになった。
そんなことをしていると、待ち合わせ時間ぴったりに、気だるげな顔をした彼が現れた。
ぴったりというのがある意味凄いけれど、涼宮さんは感心などしないらしい。
「遅い。罰金」
と冷たく言った。
「九時には間に合ってるだろ」
呆れたように言う彼に、涼宮さんは憤然と言い放つ。
「たとえ遅れなくとも一番最後に来た奴は罰金なの。それがあたしたちのルールよ」
「……間違いなく初耳だが」
「今決めたからね」
そう言って涼宮さんは晴れやかに笑い、
「だから全員にお茶おごること」
「理不尽だ」
「いいでしょ、それくらい、あんたには屁でもないんだから」
「女の子が屁とか言うな」
「言うわよ今時それくらい。あんたの情報が古すぎるんだわ。さっさと新しいOSでもインストールしてもらったら?」
「馬鹿言うな」
「馬鹿はあんたよ、馬鹿キョン」
などと言いながらも、二人はちっとも険悪ではないのだ。
まるでそのやりとりさえ楽しむような感じで、側から見てるとまるで痴話喧嘩だ。
彼と長門さんが付き合ってるんじゃないだろうかなんて思ったのは流石に邪推だと思っていたけれど、本当は涼宮さんと付き合ってるということなんだろうか。
…これもきっと邪推だろうな。
いけないいけない、と自分をたしなめていると、
「古泉、遅いぞ」
と部室でもないのに彼に言われた。
どうやらいつの間にか話が決まり、喫茶店へ向かうことになっていたらしい。
置いていかれそうになっていた僕に彼が声を掛けてくれたというわけだ。
「すみません」
「余計なことを考えてる暇があったら、朝比奈さんをエスコートしてやったらどうだ?」
そそのかすように小声で囁く彼に、僕は苦笑を返すしかない。
エスコートだなんて難しいこと言わないでくださいよ。
「何が難しいんだ? お前なら簡単だろ」
「簡単じゃないですよ。人をなんだと思ってるんですか?」
「顔がいい奴は須らくスケコマシだと思えとハルヒから聞いたことがある」
「デマです。涼宮さんが面白半分にする発言を、そんなに素直に信じないでください。……と言いますか、別に僕は顔がいいなんてもんじゃないと思いますよ?」
精々並みの上ってところじゃないかと。
「謙遜もほどほどにしないとイヤミだぞ」
「はぁ。……ところで、」
と僕はじっと彼を見つめた。
「……なんだよ?」
「どうして休日なのに制服姿なんです?」
「長門もだろ。なんで俺だけに聞くんだ?」
それはそうなんですけど、
「長門さんのあの無表情さとか見てるとあまり違和感がないんですよね、どうにも。でも、あなたなら、そうですね、ありふれたTシャツにありふれたジーパン姿で現れそうだと思ったものですから」
「……ああそうか、その方が普通だったな。学習しておこう」
独り言のように呟いた彼は僕を見た。
その瞳には表情のようなものが欠片もなく、薄ら寒さに思わずぞくっとした。
しかし別に僕を脅かすつもりではなかったらしく、
「ありがとな」
とお礼を言われる。
「はぁ…どういたしまして」
と言ったんでいいんだろうか。
首を捻りつつ、僕たちは涼宮さんたちを追って喫茶店に入った。
ドアのベルが鳴るのを聞きながら、彼はおそらく喫茶店で最もよく頼まれる飲物だろう、コーヒーを頼むのだろうなと予測した。
それは実際その通りとなり、彼がどこまで本気で自分が宇宙人だなんて妄想に囚われているのか、いっそ心配になったくらいだった。

二手に分かれて市内探索を行う、というのが涼宮さんの提案だった。
その際、不思議な現象を発見したら携帯で連絡を取り合いつつ状況を確保。
最終的には、どこかで落ち合って反省点と展望を語り合う。
以上。
不思議を探すと言いながら、最終的に反省会をするという段階で、本気で見つかると思ってないのがまる分かりだ。
思ったより常識は持ち合わせているらしいとほっとしていると、
「それじゃ、くじ引きね」
涼宮さんは喫茶店のテーブルに備え付けられた容器から爪楊枝を人数分引き抜いたかと思うと、横のアンケート用紙入れにさしてあったボールペンで印をつけて握り込んだ。
頭が飛び出た爪楊枝を僕たちがそれぞれ引き抜くことになる。
印入りりは僕と長門さんで、残り三人は当然のことながら無印。
それに作意の割り込む隙間はないけれど、くじを引く直前、長門さんが彼に向かってかすかに目配せしたのが気になった。
「ふむ、この組み合わせね…」
そう言いながら涼宮さんは何故か、長門さんと彼とを交互に見つめた。
彼女も何か気になったのだろうか。
しかし、疑問や詰問を口にすることもなく、
「まあいいわ」
と呟いた彼女は、
「遊びじゃないんだから、皆真面目にやってよ!」
と気合を入れる。
真面目に、というのはいいんだけれど、
「具体的には何を探せばいいんでしょうね?」
僕は隣りに居た朝比奈さんに聞いてみた。
朝比奈さんは、いきなり話を振られて戸惑いながらも、
「え? ええっとぉ、とにかく不思議なものならいいんですよね? 不可解なもの、疑問に思えること、謎っぽい人間………だったら、えっと、時空が歪んでる場所とか、地球人のフリをしたエイリアンとか、油断した超能力者とかじゃないでしょうか」
思わず口の中に含んだコーヒーを盛大に吹き出しそうになった。
見れば、涼宮さんどころか長門さんまで変な顔になっている。
彼のポーカーフェイスだけは相変わらずだったけど。
涼宮さんはどこかぎこちない表情のまま、
「要するに、宇宙人とか未来人とか超能力者本人や、彼ら彼女らが地上に残した痕跡なんかを探せばいいってことよ。それにしてもみくるちゃん、あなた、なかなか見込みがあるわ! さすがあたしの選んだ団員ね!」
「え? そ、そうですか?」
そんな内容であっても褒められると嬉しいらしい朝比奈さんは無邪気に笑っているけれど、本当にそれでいいのだろうか。
「じゃ、そろそろ出発しましょ」
そう言って涼宮さんは彼に勘定書きを握らせ、振り返りもせずに店を出て行った。
彼はため息を吐きもせず、それどころか反論もしないで、大人しくそれに従うようだ。
そうして駅まで戻り、涼宮さんたちは駅の北、僕たちは南側を探索するということになったのだけれど、長門さんは彼らが見えなくなっても動かない。
「ええと、どうしましょうか?」
ぎこちない愛想笑いを浮かべながら聞いてみるものの、
「………」
完全なる沈黙。
だめだ、コミュニケーションすらまともに取れる気がしない。
長門さんは本の入った通学カバンを持ったまま、微動だにせずに立っている。
僕が勝手に行き先を決めていいと言うことなんだろうか。
それとも、ここから動きたくないとでも?
しばらく悩みこんだ僕だったけれど、それなりに暑い初夏の日差しの中、これ以上立ち尽くしているのは得策ではないと判断した上で、安上がりかつ涼しい場所への移動を提案した。
図書館である。
読書家の彼女なら、これには逆らうまいと思ったのが正しかったのか、それとも行き先をどこに指定しようとも彼女の反応は変わらなかったのか、僕にはよく分からないが、とりあえず反対はされなかった。
むしろ、図書館に到着した途端、彼女の無機質めいた瞳が輝いたようにさえ見えた。
「ここでよかったですか?」
こくん、といつもよりはっきり頷かれる。
その唇が何か言いたげに開かれる、けれど、言葉は聞こえてこなかった。
「長門さん?」
「…なんでもない」
淡々とした声を響かせながら、彼女は引き寄せられるように書棚の群れの中へ消えた。
気に入ったのならよかった。
わざわざ駅前で周辺案内図とにらめっこをしたり、順路の丸暗記を図ったりした甲斐もあると言うものだ。
ほっとしながら、僕は空いている椅子を探して腰を下ろした。
本にも興味はあったけれど、眠れなかった頭は睡眠を要求している。
少しだけでも仮眠したい。
そう思って目を閉じて、……どれほどの時間が過ぎた頃だろうか。
多分、そんなに経ってはいないはずだ。
そっと揺り起こされて、目の前に本を突き出された。
「……え」
「読んで」
「…は?」
「今すぐ」
そう言って長門さんは僕に本を押し付けると、そのままいなくなってしまった。
残された僕は狐につままれたか狸に化かされたかと言うような気分で本をまじまじと見つめるしかない。
今のは本当に長門さんだったのだろうか。
長門さんにしてはよく動き、よく喋っていた気がする。
彼女が二言も喋るなんて珍しいんじゃないだろうか。
それでも、僕の手元には本が残っている。
ということは、あれは夢でも幻覚でもないと言うことなんだろう。
それならとにかく読んでみようかと思ったものの、僕もその本は知っていた。
有名な子供向けのSF作品だ。
未来からやってきたタイムパトロールが歴史を書き換えようとする悪の一派と戦うと言う非常に分かりやすい設定の、そのためにタイムパラドクスやなんかが蔑ろにされた作品だったように覚えている。
これを読んだからなんだというのだろうかと思いながら、僕は本を閉じ、長門さんを探す。
いや、探すまでもなかったらしい。
僕が椅子から立ち上がると、どこからともなく長門さんがやってきて、
「……外へ」
と僕を促した。
なんだか分からないまま、僕は本を棚に戻し、長門さんと共に図書館を出る。
一体何が始まると言うのだろうか。
木陰のベンチに座って、彼女は僕を見つめた。
「……読んだ?」
「ええ、昔読んだことがありましたから……」
「…それが、私」
「……は?」
「……」
困ったように彼女は僕を見つめ、
「うまく言葉に出来ない。私には、制限がかかっているから」
は? 制限?
どういう意味でしょうか。
「……」
彼女はまたしばらく黙り込んだ後、どこか決意を秘めた瞳で告げた。
「私は、未来からやってきた」
いつどこから来たのかも明かせない。
言いたくても言えない。
それどころか、ちょっとした表情に表したり、余計な言動でこの時間における正しい時間の流れを変えてしまうことのないよう、日常生活の些細なことにまで制御プログラムがかけられているのだという。
だから彼女はこんなにも無表情で、淡々と、短くしか話せもしないのだと。
そんなにも複雑な制限がされているのだと彼女は語った。
時間というものの構造についても、拙いながらも説明してくれたが、僕には半分も理解出来たようには思えない。
おまけに、「三年前」の話。
…また三年前だ、と思ったのは、自称宇宙人の彼もまた、三年前というフレーズを口にしていたからだ。
そして、やはり、キーパーソンは朝比奈さんであり、彼女に選ばれたから僕に話したのだという。
……訳が分からない。
僕がぶつけた質問はことごとく、
「禁則事項」
の一言で蹴散らされた。
「すまない」
ぽつりと彼女は呟くように言った。
本当に申し訳なさそうに。
「…これ以上の説明は不可能。でも、…信じて」
その言葉に、似たようなセリフを先日も聞いたな、なんて悠長なことを思った。
確かに人が暮らしているのに、生活感の薄い奇妙なマンションの一室で。
「…急に、こんなことを言って、すまないと思ってる……」
「いえ、それは別に構わないんですが……」
自分が宇宙人に作られた人造人間だと言い出す人がいたかと思ったら今度は未来人の出現とは。
なにをどうやったらそんなことを信じられるというのだろうか。
ひとつだけでも十分胡散臭いのに、いっぺんに二つだなんて余計に混乱するだけだ。
やっぱりこれは何かの陰謀、壮大なドッキリなんだろうか。
そんなことを考えながら、僕は目の前の道を行く人たちを眺めていた。
思い思いに休日を過ごす人たちは、こんなところでわけの分からないSFめいた話をしている人間がいるなんて思いもしないんだろう。
そうして、どれだけの時間が経っただろうか。
「…長門さん」
「……」
いつの間にやらうつむいていた彼女が顔を上げ、僕を見る。
「全部、保留でいいですか。信じるとか信じないとかはとりあえず置いておいて、保留ってことで。ただ僕はあなたの話を聞いて、それを覚えておく。それだけでは、いけませんか?」
「いい」
かすかに、彼女のまとう空気がやわらいだように感じられた。
「それで十分。今後も私とは普通に接して欲しい」
「分かりました。…でも、一つだけ聞いてもいいですか?」
ちょっとした悪戯心がわいてきて、僕は聞いてみた。
「あなたの本当の年齢を教えてください」
「禁則事項」
彼女の表情筋は一ミクロンたりとも余分に動いてはいないのだけれど、僕には彼女が悪戯っぽく笑ったような気がした。