とある彼女の憂鬱  第二話



放課後、僕はまだあれこれやることがあると思いながらも、ついつい文芸部室へと向かっていた。
それまでの間に、涼宮さんに関する恐ろしい話をいくつも聞いてしまったのが関係してないとはいえないのだけれど、それ以上に僕は、彼女の突拍子もない言動に興味を引かれていた。
高校生にもなって――と言ってもまだなったばかりだけれど――本気で宇宙人や未来人や異世界人という存在を信じているらしく、自己紹介ではそれらを召喚するようなことを言ってのけたと言うのには驚かされた。
そこになぜ超能力者や霊能力者が入っていないのか聞きたいような気もするし、当たり障りのない、つまりは無個性で印象に残らない自己紹介しか出来ない僕としては、インパクトのある自己紹介のやり方を伝授してもらいたいくらいだ。
勿論、僕だって年頃の男子高校生だから、魅力的な美少女である彼女の容姿に、お近づきになりたいなんてことを思ってしまったことも否定は出来ない。
ただ、どうしてだろうか、それ以上に危険信号が脳内をちらついていた。
出来れば早々に解放してもらえるように、そうして後は遠巻きに見ていられるようにと祈りながら、僕は文芸部室のドアを叩いた。
「どーぞ」
素っ気ない男の声がした。
誰だろう。
「失礼します」
怖々足を踏み入れた室内は、なんというか、非常に特徴のない部屋だった。
これが文芸部室でなく、たとえば超常現象研究会だとか、おまじない同好会なんかでも同じような部屋になったんじゃないだろうかと思わせる、ろくな備品もない部屋。
いや、文芸部にそんなに備品が必要だとは思えないから、それで仕方ないのかもしれないけれど、唯一の文芸部らしい備品であるところの本棚に、文学全集が一冊もなく、逆に科学系の全集のうち数冊だけがある理由が気になる。
量子論なんて誰が読むんだ。
しかも微妙に古そうで役に立つのか分からない。
あとは、部屋の中にあるのは、教室にあるのと同じ机がひとつ、どこの学校に行っても共通の長机が二つ、それからパイプ椅子がいくつかあり、そのうちの二つがすでにふさがっていた。
窓際のひとつに座っているのは、眼鏡をかけた少女で、熱心に本を読み耽っているその横顔だけでも、美少女と分かるほどだった。
どういうことなんだろう。
やっぱりこの辺りの名産品は美少女なんだろうか。
そう思う僕に、
「よく来たな、古泉」
と声をかけたのが、さっき返事をしてくれた人らしい。
「お邪魔します。涼宮さんに呼ばれて来たのですが……」
「ハルヒなら、後五分もしないうちに戻ってくる。お前も適当に座ったらどうだ」
言いながら彼はわざわざ立ち上がり、パイプ椅子をひとつ広げてくれた。
「ありがとうございます。…ええと、」
自己紹介をした方がいいのかな、と思っていると、彼は小さく唇を歪めた。
その形からすると、もしかしたら笑ったのかもしれない。
「俺はキョンだ。これからよろしくな」
「はぁ」
そう言えばどうしてこの人はさっき僕の名前を言ったんだろう。
涼宮さんから聞いていたのか?
戸惑っていると、窓際の文学少女が本から顔を上げ、こちらを見た。
ずれた眼鏡を直しつつ、
「……長門有希」
と一言。
…今のはもしかして自己紹介のつもりなんだろうか。
僕以上に自己紹介が得意でないのかなんなのか。
とりあえずと僕も自己紹介をしてみた方がよさそうだ。
「古泉一樹で…」
と言いかけた時、いきなりドアが開き、満面の笑みを浮かべた涼宮さんが姿を見せた。
「みんな、おっまたせー! 古泉くんもちゃんと来てくれたのね? 感心感心っ」
上機嫌で言った彼女は、それからドアの外にいる誰かに向かって、
「ほら、泣いてないでこっち来なさい! あなたがいないと話が始まらないでしょ」
と言いながら、強引に掴んでいた手を引っ張った。
「ふきゃあ!」
可愛らしい悲鳴と共に転がり込んできたのは、今朝の美少女だった。
今は、長い髪がいくらか乱れ、大きな目は涙に濡れてしまっているものの、それでも美少女ぶりに変わりはない。
いえむしろ、朝より磨きがかかっているかもしれません。
「大丈夫ですか?」
転んでしまった彼女を助け起こそうと、僕が膝をつくと、彼女は驚きに目を見開いた。
ただでさえ大きな瞳がそのまま転がり落ちてしまいそうなほどだ。
「あなたは…今朝の……」
「はい。古泉一樹です」
朝は名乗り忘れたので、ここできっちりと名乗りつつ、彼女の手を取って立ち上がるのを手伝った。
彼女はどこかぽやんとした頼りない瞳でこちらを見つめながら、蚊の鳴くような声で、
「あたしは、朝比奈みくるです…」
と名乗った。
朝比奈みくるさん。
名前まで可愛らしい。
「またお会い出来て嬉しいです」
「あ、あたしも……」
二人してささやかながらも再会を喜んだところで、涼宮さんが、
「こーらーっ! いちゃついてんじゃないの! そんなことのためにつれてきたんじゃないんだから!」
と怒鳴って、朝比奈さんを背後から抱きかかえ、僕から引き剥がした。
いちゃついてるようなつもりはなかったんですけど。
「わひゃああ!」
という朝比奈さんの悲鳴が響き渡る中、
「ハルヒ」
と言ったのはキョンと名乗った彼だった。
「お前、一体何のために俺たちを呼び集めたんだ?」
「そんなの決まってるでしょ」
眩しいくらいの笑顔で、彼女はすっと息を吸い、
「あたしたちのクラブを作るためよ!」
と高らかに宣言したのだった。
ぽかんとする僕と朝比奈さんとは違い、長門さんは無反応のままだし、彼はと言えばやっぱりかと言わんばかりに頭を抱えた。
何か心当たりがあるということなんでしょうか。
「どど、どうしてあたしは連れてこられたんですかぁ?」
戸惑って、というよりむしろパニックしている朝比奈さんに、涼宮さんは楽しそうに、
「そりゃもちろん、」
と言いながら、朝比奈さんの顔つきと身長の割に豊満な胸を背後から鷲掴みにした。
「どひぇええ!」
な、なにをするんですか!?
「この胸っ! みくるちゃんったら、あたしよりちっこいくせに胸だけはこんなにおっきいのよ」
「それがどうした」
目の前で女の子が無体をされているというのに、蚊ほどの興味も示さない声で彼が聞いた。
聞きようによっては咎めているように聞こえなくもない声だったけれど、それ以上に冷たさが目立った気がする。
しかし、涼宮さんは気にしない様子で、
「あたし思うんだけど、萌えって結構重要な要素だと思うのよね」
……何がなんですって?
「萌えよ萌え、いわゆるひとつの萌え要素。基本的にね、何かおかしな事件が起こるような物語にはこういう萌えでロリっぽいキャラが一人はいるものなのよ!」
「確かに、ラノベだなんだを統計的に見てったらそうなるかもな。だが、だからと言ってこの人を引っ張ってくる理由にはならんだろうが」
少々論点のずれたことを言う彼に僕は呆れればいいのかなんなのかわからなくなりながらも、話し続けつつも手を止めない涼宮さんの腕の中で、朝比奈さんが息も絶え絶えになっているのを見て、
「そろそろ止めてあげてください」
と声をかけ、涼宮さんの手から朝比奈さんを救い出した。
女の子には親切にしなくてはならない、というのは可愛い女の子が少なく、ついでに言うとそもそも女の子の絶対数が男子に比べて少なかったために女性上位社会となっていた僕の故郷における、男たちの生きるための知恵だったけれど、都会でもどうやら使える知恵であったらしい。
ほっとしたように朝比奈さんは僕にすがり、涼宮さんも機嫌を悪くしたかと思いきや、意外にも面白がるような顔をしていた。
「思ったより根性があるみたいでなによりだわ。古泉くん、これからよろしくね」
強引につかまれた手で握手をされたと言うことは、僕は入部――それとも入団、かな――に同意してしまったことになるんだろうか。
「それじゃ、あたしはやることがあるから」
と言って涼宮さんが早々に出て行ってしまった後、朝比奈さんは青ざめながら僕を見つめた。
「あの……古泉くんも入るんですか?」
「え?」
……どうなんだろう。
入るつもりはなかったんだけど、入らないことには許してもらえなさそうだ。
迷っていると、彼が、
「当然、入るよな」
と言った。
どうやら逃がしてはもらえないらしい。
「…はい」
がくりと頷くと、朝比奈さんは小さく微笑んで、
「だったら、いいです。これからどうぞよろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
僕が頭を下げたところで、彼が言った。
「それじゃ、今日はもう帰るとするか」
「え? 帰っていいんですか?」
「いいだろ。ハルヒはもう戻ってこないんだからな」
見れば、長門さんも本を閉じ、帰り支度を始めていた。
僕と朝比奈さんも慌てて荷物を取り上げる。
そうして、部室を出たところで彼が部屋に鍵をかけた。
「お前らも、さっさと帰れよ」
と言って、僕たちの隣りをすり抜け様、僕にしか聞こえないほどの小さな声で囁いた。
「上出来だ。精々そうやって王子様らしく庇ってやれよ」
「え?」
聞き返そうにも、彼はそれきり、振り返りもせずに帰っていく。
その隣りにいる長門さんは、彼においてかれまいとしているのか、いくらか急ぎがちに足を動かしている。
一体なんだったんだ、今のは。
というか、何か違和感がある。
彼も、長門さんも、涼宮さんも。
朝比奈さんだけは特に何も気になるところはないけれど。
…僕は一体、何に巻き込まれようとしているんだろうか。
そんなことを考えていたからだろうか。
「あの…」
と僕に声をかけた朝比奈さんは、不安そうな顔をしていた。
僕は慌てて愛想笑いを作って彼女を安心させられるように努めつつ、
「…僕たちも帰りましょうか」
とまだどこか呆然として現実感の薄い朝比奈さんに声をかけると、朝比奈さんはこくんと頷いた。
長い坂道を下りながら、
「一体、なんなんでしょうね」
と僕が呟くと、朝比奈さんも笑って頷いた。
「本当ですね。あたしも、何がなんだか……」
そう言って、何か思い出した様子で、
「あたし、書道部に入ってるんですけど、どうしたらいいんでしょう?」
「かけもちしてもいいんじゃないかとは思いますけど……涼宮さんが承知してくださるかどうかが問題ですよね」
「そう…ですよね……」
目に見えて落ち込んだ朝比奈さんに、僕は聞く。
「二年生だったんですね」
「え?」
「いえ、靴箱が……」
「ああ」
くすぐったそうに微笑んだ朝比奈さんは、
「古泉くんこそ、一年生だったなんてびっくりです。てっきり、二年生か三年生かと思ったのに」
「そうだったんですか?」
「だって、落ち着いてるから」
そんなつもりはないんですが、そう見えるのかな。
僕からすると、クラスメイトの方がよっぽど都会の子らしく大人びて見えるんだけど。
顔を上げて前を見ると、少し離れて、肩を並べて歩く長門さんと彼の姿が見えた。
「…あの二人、付き合ってるんですかね。お似合いですけど」
僕が呟くと、朝比奈さんは曖昧に、
「さぁ」
と首を傾げた。
そりゃそうだ。
おそらく初対面のはずの彼女が知っているはずがない。
「僕たちも、カップルに見えてしまってるかもしれませんね。少し間を空けましょうか」
割と距離が近すぎると言われてしまう傾向が強いので、僕がそう言ってみると、彼女はかすかに頬を赤らめて、
「え、あ、あたしは……別に、このままで、いいです…」
と言った。
言い終わる頃には顔が真っ赤になっていて、本当に可愛かった。

次の日は、部室に行くのが遅くなった。
転校してきたばかりなので、授業の進度確認や諸々の手続きなど、やらなくてはならないことが山積だからだ。
随分と遅れて部室に着き、ドアをノックすると、
「どーぞ」
と昨日と同じくらい素っ気無い声が返ってきた。
「失礼しま」
「遅い」
不機嫌に言った彼が僕を睨んだ。
「すみません。やることがありまして…」
言いながら室内を見回した僕は、驚かされ、また戸惑う破目になった。
昨日より備品がやたらと増えている。
移動式のハンガーラックやCDラジカセ、給湯ポットと急須、湯のみ(人数分)に小ぶりな冷蔵庫まである。
他にも食器やカセットコンロが所狭しと並べられ、昨日の無個性さはどこへやら、と言った感じだ。
中でも目を引くのは団長席と書かれた三角錐の乗った机に置かれたパソコンだろう。
何があったんだろう。
涼宮さんはご機嫌でパソコンをいじってるみたいだけど、パイプ椅子に座った朝比奈さんがやけに意気消沈しているのが気になる。
「どうかされたんですか?」
戸惑いながら聞いても、朝比奈さんの返事はない。
うつむいたまま、じっと何かを堪えているようでもある。
どうしたものか、と立ち尽くす僕の襟首を強引に掴み、廊下に連れ出したのは彼だった。
「ちょっと来い」
と言った時にはもう僕の首が絞まってた。
殺される。
廊下へ出るなり、彼は苛立たしげに言った。
「何でお前、こんなに遅れたんだ」
「ですから、用事があったものですから…」
「何よりもこっちを優先させてくれ。でないとまた今日みたいなことになっても知らんぞ」
「今日みたいな…と仰いますと」
「……ハルヒが、朝比奈さんを餌に使ってコンピ研からパソコンを脅し取るような真似だ」
「えええ?」
「あいつときたら、わざわざコンピ研まで行って、そこの部長氏の手を朝比奈さんの胸に強引に押し当て、あまつさえそれを現場として抑えたとばかりに証拠写真を撮影させたんだぞ。こういう時は、あいつこそよっぽど人外だと思えるな」
「あ、あなたは止めなかったんですか!?」
「俺が止めて聞くと思うか? あのハルヒが。それに、」
と彼はこちらをまじまじと見つめた。
それこそ、穴が開きそうなほどに。
「…朝比奈さんを助けるのは、お前じゃなきゃ意味がない」
「あの…それはどういう意味ですか…?」
「さてね」
肝心なところをはぐらかして頭をかいた彼は、
「にしても、あいつもなんだって、わざわざ自分の仕事を増やそうとするんだか」
と独り言めいた呟きを漏らした。
どういう意味だろう。
それを問うべきかどうか迷っていると、勢いよく部室のドアが開き、涼宮さんが飛び出してきた。
「あたし、急にバイトが入ったから帰るわ! キョン、あんたはちゃんとサイトを作っておくのよ!」
と言い置いて、走っていく。
なんなんだ、と思いながら、ため息を吐けば、同じくため息を漏らした彼も、部室に戻るようだった。
話はあれで終わりらしい。
部室に戻ると、珍しくも長門さんが本から顔を上げていた。
窓の外、それもかなり遠くの方を茫洋と見つめている。
何か気にかかることでもあるのだろうか。
彼女のあまりにも無表情かつ物静かなところを見ていると、ああして宇宙と交信しているのだと言われてしまえば信じてしまいそうになる。
ともあれ、僕は荷物を床に置き、痛いほどに視線を感じる方向へと目を向けた。
見るまでもなく分かっていたことではあるのだけれど、彼が僕を睨んでいる。
その視線が滑る先には朝比奈さんがいて、つまりは僕に彼女を慰めろと言いたいらしい。
その視線の強さに気圧されつつ、僕は朝比奈さんににじり寄った。
大丈夫だろうか。
さっきそんな酷い目に遭ったのだとしたら、男に近づかれるだけで恐怖を感じたりしないのだろうか。
びくつきながら、
「あの…大丈夫ですか?」
返事はない。
「何か、温かいものでも買ってきましょうか」
ふるりと力なく首を振られてしまった。
お手上げです。
パソコンの前に座った彼からは、視線だけで役立たずと罵られた気がした。