とある彼女の憂鬱  第一話



サンタクロースをいつまで信じていたかなんてことはたわいもない世間話程度のことであり、特にクリスマスを目前に控えた頃に、初対面の人と話したりしていると出てくることも多い話題だとは思うのだけれど、僕はこの質問をされるのがとても苦手だ。
なにしろ、嘘を吐くのも気の利いたことを言うのもそう得意じゃない僕なので、適当なことをいって誤魔化すということが出来ない。
かといって、正直に答えれば気まずくさせることになってしまう。
だから、笑って誤魔化すのが限界だ。
どうしてそうなってしまうかと言えば、僕がサンタクロースの不在を極々幼いうちから経験的に知っていたからであり、それ以前の問題として、うちの両親はサンタどころかクリスマスの存在も忘れてしまうような人たちだったからである。
クリスマスを忘れられ、サンタクロースの存在を演出されることもなく、お正月も松の内が過ぎてから、クリスマスの分もと言って過剰なまでに増額された現金入りポチ袋――世間一般で言うお年玉というものであるはずだ――を渡される虚しさと言ったらなかった。
そんなわけで、不公平にも訪れる家を選ぶようなサンタクロースならそもそも存在しない方がいいに違いないという、やっぱりどこかでそういうものを信じているような微妙な理屈と共に、サンタクロースの不在を確証した子供時代を過ごした僕だったのだけれど、そんな家庭に育ったおかげで、テレビのお世話にはなりっぱなしだった。
土日の朝ともなればアニメや特撮に夢中になったし、親の帰りが遅いのをいいことに、夜中まで心霊特集や超常現象特集にかぶりついていたものである。
そんな風だったからか、それらが全く以って全て嘘であり、人の手によって作られたものに過ぎないと理解したのは随分と後になってからのことだった。
テレビでやっていることは全て正しいなんて思っていた子供時代を過ぎ、僕もいくらか大人になったとは思うのだけれど、相変わらず怪しげな特番なんかは見てしまう。
多分、もっとひねくれたってよかったんだろう家庭環境におかれながら、僕が変にひねくれることもなく育ったのは、それなりに周囲の人に恵まれていたからだろう。
父母はともかくとして、保育園に通っていた頃からの友人や、あるいは保育士、教師、近所の人まで、僕に関わる人は、僕の置かれている境遇というものを、僕以上に分かってくれた上で、非常に気を遣って扱ってくれたものだから、僕はそんな環境で育ったにしては、妙に素直に育ってしまったらしい。
小さい頃には、見た目のせいもあって、格好のからかいの対象にされたし、僕もまた、毎回毎回律儀に騙されたりしたものだった。
学校の裏山にツチノコがいたと言われれば、泥だらけになるまで這いずり回ったものだったし、怪談で散々っぱら脅かされ、いい年をして――具体的にいくつだったかは思い出したくもない――おねしょしてしまったことも、今となってはいい思い出だということにするしかない。
えらく大掛かりなドッキリを仕掛けられ、中学の校内キャンプ程度のイベントだったはずの一晩で、「そして誰もいなくなった」状態を味わった時には、よく泣きださなかったものだと思う。
そんな風に、比較的純朴な人間も多いといわれる片田舎でも、鈍いとかお人好しとか奥手とか好き放題言われ、事実そんなところのある僕が、都会に出て行くと決まった時には、皆盛大に心配してくれたものだった。
中には、引っ越したりせずにうちで一緒に住めばいいと言ってくれた近所の人までいてくれたけど、それは流石に丁重にお断りした。
心配する友人たちに別れを告げ、こうして僕は五月中旬と言うなんとも微妙な時期に転校することになってしまった。
理由は思い出したくもない。
来るべきものが、変なタイミングで来てしまったというだけのことだ。
真新しいオシャレな制服――ブレザーなんて初めて着た――に袖を通し、僕は新しい「僕の家」であるところのマンションの一室を出た。
一人きりで狭苦しい部屋にいたところで気が滅入るだけだし、高校まで地図片手に行かなくてはならないのだから、早めに家を出るのは当然だろうと思ったのだけれど、校庭に部活生の姿さえ見えないのを見ると失敗だった気がした。
初夏の日差しと長い坂道のせいでうっすらとにじんで来た汗をぬぐいつつ、僕は広い校庭を見回した。
どこに何があるのか覚えるだけでも苦労しそうだ。
とりあえず、大判の封筒で送られてきた書類にあった校内の地図と見比べながら、ひとりで歩いてみていると、中庭に人影を見つけて足を止めた。
大きくも小さくもない、ほどほどの大きさで青々と茂る木を見上げているのは、長い髪の美少女だった。
思わず目を奪われるような愛らしさを持った彼女は、小柄な体の割に大人っぽい体つきと表情をしていて、田舎育ちの僕は、都会の子って何か凄いなぁなんて妙な感心をしながら彼女を見つめた。
その木に何か思い入れでもあるのだろうか。
彼女は熱心に見つめ続けている。
僕が近づいても気がつかない様子でいるので、ついつい足音を殺して近づいて見たのがいけなかったのだろうか。
あと二、三歩の距離まで近づいたところで、彼女が僕に気付き、
「きゃっ…」
と小さく声を上げた。
女の子がそんな風に愛らしい声を上げて驚くのなんて、テレビ以外で聞いたことのなかった僕は、思わずそれに聞き惚れつつも、
「驚かせてすみません。そんなつもりはなかったのですが…」
と出来る限り丁寧に言ってみた。
田舎の訛りが出たら恥かしいからでもあったし、そうした方がいいと思わせるような美少女だったからでもある。
彼女には特に変にも思われなかったようで、
「あ…。あたしこそ、ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げるのも可愛い。
同じ一年生だろうか、だったら、同じクラスになれたらいいのに、などと少々不埒なことを思いながら、
「何をしてらしたんですか?」
と聞いてしまったのは、男のサガとでもいうものだろう。
美少女とお近づきになれるような機会をみすみす逃したいと思うほど、僕だって奥手じゃない。
「あたしは…ちょっと、考え事をしてました。早く来すぎちゃったから」
はにかむように笑った彼女に釣られるように僕も微笑し、
「僕もなんです。今日からここの生徒になるのですが、張り切りすぎてしまったようで」
「転校して来たんですか?」
「はい」
「こんな時期になんて…なんだかちょっと不思議な感じですね」
と楽しそうに笑う彼女へ、
「そうですか? では、理由は内緒にしておきましょう。本当のところは不思議でもなければ面白くもありませんからね」
と悪戯っぽく言ってみると、彼女は意外にも悲しげな顔をした。
「そうなんですよね」
呟く声にも力がない。
彼女は表情を曇らせたまま、まるで独り言のように呟いた。
「本当のことって、どうして面白くないんでしょう。不思議なことだって思っても、種明かしされちゃうと全然不思議じゃないし……」
「そうですね。…僕も、テレビの超常現象特集とかが好きで、よく見たりもするんですけど、どう贔屓目に見ても、嘘っぽくなってしまうんです。もっと不思議なことがあってもいいと思うんですけど」
彼女は僕の言葉に驚いたように僕を見て、それから嬉しそうに笑った。
そんな風に満面の笑みを浮かべると、更に華やかで愛らしく見える。
「そうなんですよね。――うふ、初めて同意してもらえちゃった」
「そうなんですか?」
聞き返しながら、内心で、そうかもしれないと思った。
彼女は楚々とした大人しげな美少女で、そうであればこそ、世の中がもっと不思議であって欲しいなんて突飛なことを思っているようには見えなかったからだ。
彼女が、幽霊やUFOやUMAの実在性を力説したところで、本気で言っていると取る人間はそういやしないだろう。
……リリカルにも、妖精や天使と戯れることを夢見ているのであれば、この上なく似合ったかもしれないけれど。
僕がそんなことを思っているとは気付きもせずに、彼女は夢見るような瞳で語った。
「あたし、時々思うんです。人間ばかりが威張っちゃってるから、戦争とかも起こっちゃうんじゃないのかなって。もっと、宇宙人とか未来人とか異世界人とか超能力者とか……もっと、色々な人たちがいたら、立場も考え方も出来ることも違うような人たちがいたら、かえってそうはならないんじゃないかなって」
「それは、人類に共通の敵を、ということではないんですよね?」
確かめるように問うた僕に、彼女は気を悪くした様子もなく、
「勿論、違います。それで戦ってたら同じじゃない」
でも、と彼女は楽しげに笑った。
「全く違ってたら、かえってケンカもしないものでしょ? そうしたらその内、自分たちのことも客観的に見られるようになるんじゃないかなって…。……うまく、言えないんですけど」
「ああいえ、なんとなくですが分かりますよ」
と僕が言うと、
「本当ですか?」
嬉しそうに顔を輝かせる彼女に、僕も笑みを返し、
「本当ですよ」
と答えれば、彼女はなんとなくぼんやりした表情で僕を見つめた。
「…あの……?」
どうかしましたか?
「……あ、ご、ごめんなさい。なんだか、どこかで会ったことがあるような気がして……。でも、気のせいですよね? ごめんなさい」
赤くなった彼女は慌てて謝り、
「あの、また、お話出来ますか?」
と上目遣いに僕を見つめた。
そんな様子も可愛らしくて、
「僕でよければ、いくらでも」
と安請け合いすると、彼女は更に花のような笑みを見せ、
「約束ですよ」
と言って、恥ずかしくなったかのように走り去ってしまった。

名前も聞きそびれてしまったようなこの出会いこそが、全てのきっかけなのだと言われたなら、あなたならどう思うでしょうか。
僕の場合は、こう呟くしかなかった。
「冗談でしょう?」
と。
その複雑な事情を説明する前に、もう一つの出会いについてお話ししましょうか。


やっとざわついて来た校内を抜けて、職員室に向かい、諸々の手続きを済ませた。
そうして、いくらか時間を潰した僕は、どうやら教育熱心そうな担任教師に連れられて三階の教室へと向かった。
編入試験の結果と内申書がよっぽどいいようになっていたらしいけれど、それにしたって担任の妙な愛想のよさが不気味だと思いつつ、そんなことはおくびにも出さないで、大人しくついていく。
緊張しながら教室に入ると、クラス中の視線が、いっそ怖いくらいこちらに集中した。
ざわめきも起こったけれど、何と言われたのかよく分からないので怯むしかない。
…いや、悪意はないと思いたいのだけれど。
担任教師がざわつく生徒に向かって簡単に僕の紹介をした後、自分で自己紹介をするように促した。
僕は壇上の真ん中へ進められながら、意を決して作り笑いなぞ作ってみた。
困ったら愛想笑いでもしておけ、というのが故郷で別れた友人のアドバイスだったからだ。
「古泉一樹です。田舎から出て来たばかりで何も分かっていないような若輩者ですが、よろしくご教授願います」
適当に定型句で作った自己紹介のつもりだったけれど、よく考えると時代がかった言い回しでおかしな自己紹介になっていたかもしれない。
しかし、口から出たものは提出済みのテスト以上に取り消しようがない。
どこからもツッコミがなかったと言うことは、おかしくは思われなかったということだと解釈しよう。
第一の関門を潜り抜けたことに、とりあえず安堵しながら、僕は言われるまま、空けてあった席に座った。
自己紹介だけで随分と疲れた気がする。
それから、ショートホームルームが終ると、これはまあ、どこのどんな学校にどんな時期に転校したとしても同じなんじゃないかと思うような質問をあれこれされた。
それについてはさして述べる必要はないように思う。
それ以上に印象的な人が、人垣を割るようにして現れたのだから。
「転校生ってのはどこ?」
そんな声がしたのは、1時間目が終った後の休み時間のことだった。
やってきたのは、どうやら別のクラスの生徒であり、しかもそうやってわざわざ他のクラスにやってきてまで人に話しかけるようなタイプの女性ではなかったらしく、彼女が乗り込んできただけで、数人のクラスメイトがぎょっとしたように道を開け、釣られるように他の人も数歩引いた。
適当に捕まえた男子生徒に僕を指で示された彼女は、迷うことなく真っ直ぐこちらへ近づいてきた。
避けなければ跳ね飛ばされそうな勢いだが、見た目だけなら、彼女は美少女の部類に入ると思った。
朝の美少女といい、都会というのは美少女の名産地なんだろうか。
しかし、こちらは朝の美少女とはあまりにタイプが違っていた。
明るく、生気に溢れた彼女は、どこか不敵な笑みを浮かべて僕を見ると、ニヤリと唇を歪めた。
「あんたが転校生?」
「そうですけど…あなたは?」
質問への返事はなく、
「あんた、男? 女?」
と突拍子のない質問をされた。
小さい頃は女の子と間違えられたこともあるけれど、この年になってそんなことを聞かれるなんて思わなかった。
大体、制服を着ているんだから分かるだろうに。
「男に見えませんか?」
と苦笑しても彼女は答えず、じっと僕を見るばかりだ。
どうやら、彼女は僕について何か調べに来ただけであり、僕の質問に答えてくれるつもりはないらしい。
彼女は、その大きな瞳で僕を見つめた。
それこそ、こっちが恥かしくなりそうなくらい、じっと。
僕はとりあえず作り笑いなど浮かべつつ、彼女を見つめ返した。
だけど、正直なところ、逃げられるものなら逃げたかった。
なんというか、彼女は怖い。
肉食獣めいたような、あるいは、変に老獪なところがあるように思えた。
僕と同じくらいの年頃の女の子に、老獪も何もないだろうけれど、油断ならない感じは間違いなくある。
彼女は面白がるように笑みを深め、
「面白いわ」
と呟いた。
「何がですか?」
「あんた、放課後必ず文芸部室に来なさい。来なかったら、私刑だから」
一方的に言って、彼女はもう背中を向けていた。
…一体何なんだ。
「災難だったわね」
と声を掛けられ振り向くと、そこにはこれまた美少女がいた。
今度田舎に帰ったら、都会には可愛い女の子がいっぱいいて驚いたと報告しよう。
「えぇと…?」
誰だろうか、同じクラスの子かな、と思いながら声を上げると、彼女は長い髪を揺らして微笑んだ。
「委員長の朝倉涼子よ。転校早々涼宮さんに目をつけられるなんて、大変ね」
「そんな大変な人なんですか?」
それっぽいとは思ったけど。
「そうね。基本的に大人しくはしてられないタイプじゃないかな。気分屋で、振り回されてる人は大変そうにしてるから」
でも、と彼女は楽しげに笑って言った。
「悪い人じゃないのよ。むしろ、嫌われるよりは気に入られた方がいいとは思うわ。…その分、他の友達は減っちゃうかもしれないけど」
「それは困りますね」
「でも、だからって逆らおうとするのは止めた方がいいわね。大人しくしてたら、そのうちいなくなってくれると思うから」
という彼女の言葉に、他の人たちも頷いたくらい、先の涼宮さんとかいう少女は危険人物らしい。
やれやれ、とため息を吐きながらも、僕は自分が面白がっていることに気付かざるを得なかった。
何か非日常的で面白いことが始まろうとしている。
そんな予感があったのかもしれない。
そしてその予感は、良くも悪くも的中してしまったのだ。

そしてこの日から、僕の冗談みたいな日々は、始まってしまった。