古泉がとある精神病を患っていたら、と言う話
情報源は主にうぃきぺでぃあ先生ですので、
間違ってたらすみません←










本音



真夜中と言って誰からも文句が出ないだろう時間帯に、携帯が鳴り始めた。
俺は薄目を開けて時刻を確認し、それだけで、誰からの電話か分かっちまった。
真夜中の電話といえば緊急連絡が相場だろう。
俺だって、ずっとそうだと思っていた。
ところが、このところ、俺の携帯は度々夜中に鳴らされるのだ。
相手は、TPOの意味すらまともに答えられず、家庭科で酷い点数を取ったことのある谷口……ではなく、TPOという言葉を理解してはいても、俺には適用しない傍若無人な我等が団長閣下でもない。
当然、緊急時でもなければろくにメールもしてはくれない長門でも朝比奈さんでもない。
おそらく、団内でも一番常識というものを分かっているはずの、古泉だ。
俺は、今夜もまたしぶとく音を立て続けている携帯を重い腕で掴み、開いた。
『どうも、古泉です』
真夜中だってのに、眠気の欠片も感じさせない朗らかな声が聞こえた。
なんていうか、語尾に音符のマークでも付けたくなるような声だ。
「寝てなかったのか」
『ええ、眠くないものですから』
そう明るく言った古泉に舌打ちしたい気持ちになりながら、
「俺は眠いんだ」
『少しだけでいいですから、付き合ってくださいよぉ』
とらしくもなく甘えた声を出すので、思わず怖気が来た。
「気色悪い声を出すな」
『気色といえば、』
くすくすと楽しげに笑い声を立てながら古泉は口を開き、
『面白い言葉ですよね。きしょく、とも、けしき、とも、きそく、とも読めて、それぞれに意味が違っていて。単純な言葉のように見えてそうでない、というのはどこかあなたと似ているような気がします』
「どこがだ」
『日常語として口にされる気色という言葉に、たとえば自然界の有様といった大きな意味が含まれるなんて、なかなか思い至りませんよね』
「んなこと言ってたら、ろくに会話も出来んだろ」
『あっは、そうですね。あなたの仰る通りです』
馬鹿みたいに楽しそうに笑って、古泉は話題を変えた。
『今日……もう、昨日ですか? 涼宮さんのご機嫌はいかがでした?』
「お前も会ったんだから知ってるだろ。いつも通りの上機嫌だ」
『それは何よりです。それは、教室でも?』
「ああ。少なくとも、俺の知る範囲ではな」
『嬉しいことですね。僕も、最近は随分と楽をさせていただいてるんですよ?』
嘘吐け、と思いながら、俺は舌打ちしたいのを堪え、
「楽ならさっさと寝ろ」
『それが、さっきも言いましたけど、眠くないんですよね。このままずっと起きていても平気ですよ、きっと』
「俺は眠いんだってさっきも言っただろうが」
『ちょっとくらいいいでしょう? 今日ね、クラスでこんなことがあったんですよ』
そう言って古泉は、ぺらぺらとその日クラスであったということを話して聞かせてくれた。
そんなこともこれで何度目だか分からん。
おかげで俺は滅多に足を踏み入れることもない9組についてえらく詳しくなっちまっている。
こんな知識が何かの役に立つはずもないってのに、余計なことばかり俺の頭は記憶したがるらしい。
適当に相槌を打ちながらも、なんとか眠気に囚われずに済んでいた俺の耳に、物騒な一言が届いた。
『あなたと話すことが、何よりも楽しいです。他のどんなことよりも楽しくって、食事や睡眠も忘れてしまうくらいですよ』
「……おいこら」
『はい? どうしたんですか? 珍しい声を出して』
「まさかとは思うが、お前、晩飯も食ってないとか言わんだろうな?」
『………どうでしたっけねぇ?』
とはぐらかすように言ったってことは食ってないんだろう。
「頼むから、飯くらいはちゃんと食ってくれ」
『お腹が空かないんですよ』
「それならクッキーみたいなのでもチョコレートでもゼリーでもいいから流し込め」
『えぇ?』
「いいから」
『……分かりました』
渋々答えた古泉の足音が携帯越しに聞こえてくる。
冷蔵庫の開閉の音も、銀紙のかすれる音もよく拾う。
そうして、一応チョコレートか何かを食べたらしい古泉は、
『あなたと一緒なら、食事だって楽しくなりそうなんですけどね』
とまたもや不穏な言葉を囁いた。
『あぁ、そうだ』
非常にいいことを思いついたように古泉は楽しそうな声を上げた。
『一緒に食事に行きませんか?』
また始まったよ。
「食事だと?」
聞き返してやる俺も相当律義者だ。
『はい。ねえ、いいでしょう? どこがいいですか? オシャレなイタリアンレストラン? それとも和食の方がお好きですか?』
「おいこら、俺は行くとは一言も…」
『どうせならお肉とか食べたいですよね。そうだ、ほら、駅の近くに新しいステーキショップが出来ましたよね? そこに行きましょう』
「お前な、」
『開店時間は11時でしたよね。それに間に合うように、明日の朝、10時45分に駅前でどうです? 構いませんよね?』
「だから俺は、」
『デート、しましょうよ』
ぞくりと来るような声で囁かれ、ベッドの上で身を竦ませると、古泉はニコニコとしたあの笑顔が見えるような声で続けた。
『デートしましょう。…あなたのために、大きなバラの花束をお持ちしますから、絶対に受け取ってくださいよ?』
強引にそんな恥かしいことを言って、古泉は通話を終了させ、俺の手にはかなり長い通話時間を示す携帯だけが残った。
俺は携帯を閉じながら、深い深いため息を吐く。
どうせいつものビョーキに決まってる。
真に受けるだけ馬鹿だ。
そうと分かっていて、それでも出向く俺は馬鹿を通りこして三国一の愚か者といったところだろうか。
せっかくの日曜日、しかも夜中に安眠妨害をされたってのに、俺は馬鹿正直にも待ち合わせ場所に立っていた。
時刻は10時30分。
待ち合わせの15分前だ。
そこに古泉がいなかったというだけで、答えはもう決まったようなものだったってのに、俺は律儀にも、やってくるはずのない男を待ち続けた。
およそ1時間15分の待ちぼうけの後、俺は諦めのため息を吐いて家に帰った。
全く、貴重な日曜の数時間(待たされた時間に加えて支度時間を含む)を無駄にさせやがって。
その苛立ちは当然本人に向けてやった。
翌、月曜日。
朝早くから教室で大人しくしている古泉を9組から連れ出し、強引に人の少ない屋上に連れて行った俺は、機嫌の悪さを少しも隠さず、
「お前、また来なかったな」
と言った。
古泉は戸惑いを隠しもせず、
「え?」
と首を傾げる。
「土曜の夜中、電話してきただろ」
「…すみません、記憶にありません」
やっぱりな、とため息を吐いた俺に、古泉は申し訳なさそうな顔をして、
「また、あなたを呼び出すような真似をしたんですか?」
「ああ」
「…ご迷惑をお掛けしてすみません。でも、あなたも、僕の病気のことはよくご存知でしょう?」
そう当人が言う通り、古泉は病気だ。
と言っても、多重人格とかそういうドラマチックなものを想像するのは気が早い。
古泉のかかっている病気は、双極性障害――いわゆる躁鬱病というやつである。
それのII型、ということは躁状態は軽度のもののはずなのだが、こいつの症状はなかなか酷い。
まず、典型的な症状ではあるのだが、躁状態になると睡眠欲求が異常なまでに減退する。
それどころか、食事などに対する欲求も減退するため、気をつけないと睡眠不足やエネルギー不足で倒れることもあり得るのだ。
おまけに、多弁というこれまた割と典型的な症状が現れる。
これは、一日中喋り捲ったり、手当たり次第電話をするといったものなのだが、厄介なことに古泉は、躁状態が治まると共に、約束したことはおろか、電話を掛けて来たことそのものさえ忘れちまうのだ。
おまけに、電話を掛けるとすっきりするのか、大抵、俺に電話を掛けて来た後すぐに躁状態が治まるようで、電話で交わされた日曜の約束は全力ですっぽかされることとなる。
逆に、鬱状態の方が害が少ないように思えてくるほどだ。
鬱状態と言っても、薬が効いてるのかなんなのか、軽い抑鬱になり、悲観的になる程度で済む……というか、俺にとって見慣れた古泉が、どちらかと言うと悲愴感に塗れた鬱気質の強く出た性格をしているせいでそう見えるだけかも知れないが。
もうひとつ、古泉は変わったところを持っている。
躁鬱の入れ替わり…というか、軽躁状態になるのが、決まって団活も何もない週末だということだ。
おそらく、ハルヒの目を気にしなくていいということから、タガが外れるということなんだろうが、面倒な奴だ。
躁状態で週末を過ごし、月曜日にはすっきりと平常仕様で現れ、またハルヒのご機嫌伺いに忙しく過ごし、ストレスを蓄積し、鬱状態に陥り、また反動で躁状態……というのが古泉の平均的プロセスなのだ。
「ですから、律儀に約束に応じなくて結構です。あなただって、迷惑なだけでしょう?」
そう言った古泉に、俺は思い切り眉を寄せた。
本気で苛立った。
こいつはどうしてまだ分からないんだ。
そんなに理解力が低いわけじゃないだろうに分からないってことは、分かろうとする気がないってことなんだろうが、とにかく腹が立つ。
あの、躁状態での馬鹿みたいな発言こそがお前の本音なんだとしたら、あの約束も、こっ恥かしい発言も、本当にお前がしたいと思ってることなんだとしたら、俺はそれを無下にすることなんて出来ないんだよ。
約束させられるたびに、今度こそって思っちまうんだ。
その理由を、お前は早く分かるべきだろ、この大馬鹿野郎!

度重なる古泉の非常に迷惑な言動に俺がとうとう痺れを切らしたのは、これもやはりとある土曜日の真夜中のことだった。
いつものようにくだらない話と、聞きたくもないクラスメイトとのやりとり、機関で叱られたなんて話の後に、まるで必ずそうしなくてはならないと思っているかのように、決まって到達する話題に至った。
「デートしましょう」
というやつである。
いつもなら俺は適当に相槌を打つか、そうでなければ思い切り断ってやるところなのだが、今夜の俺は非常にむかついていた。
「いいだろう、やってやろうじゃねぇか」
と答え、
「古泉、手元にメモはあるか?」
『ありますよ?』
「じゃあそこに、ちゃんとメモしとけ」
そう言って俺は古泉に一言一句違わずメモを取らせた挙句、それに間違いがないかの確認のため、繰り返し読み上げさせてやった。
これでもし忘れでもしたら、今度こそ安眠妨害もいいところな真夜中の電話になんか出てやらん。
自分でも、苛立っているのかほくそ笑んでいるのかよく分からなくなりながら、俺は眠りについた。
夜更かしゆえの深く心地好い眠りを妨げたのは、他の誰でもない、古泉の声だった。
「あの、起きてください」
といういくらか控え目な声が聞こえてきて、俺は思いきり眉をしかめた。
意地でも目を開けてやるものかと思いながら、固く目を閉じる。
「起きてくださらないつもりですか?」
困り果てた声で言った古泉は、何やら紙の擦れる音を立てた。
おそらく昨日のメモだろう。
そこに書いてある文言に、困惑しきっているに違いない。
「……起きてくださらないなら、このメモにある通りのことを、本当に実行してしまいますからね?」
そう言った声は、やけに小さかった。
最終通告のつもりなら、もっと大きな声で言ったらどうなんだ。
それじゃ、起きるなと言ってるようなもんだぞ。
込み上げてきた笑いを必死に堪えていると、古泉が小さく深呼吸をするのが聞こえた。
そうして、片手をつかれたベッドが、軽く音を立ててきしむ。
古泉の少しばかり伸びすぎた前髪が俺の顔に触れたかと思うと、唇に柔らかな感触が伝わった。
薄く目を開けると、唇を離したもののまだ至近距離にあった古泉の目が見えた。
赤味の差した顔で、恨めしげに俺を見ている。
「一体どういうつもりなんです?」
「それはこっちのセリフだろ」
せせら笑うような調子で俺は答えた。
「全部お前が悪いんだ。暇な週末が来るたびにわけの分からん電話を寄越して人の生活を掻き乱すお前がな」
「このメモは何なんですか」
俺の話を聞いているのかいないのか、よく分からん調子で古泉は言った。
「お前が約束しておいてやらなかったことのリストに決まってるだろ」
ちなみに、朝っぱらから出かけられるかと文句を言った俺に、「それなら僕が目覚めのキスをしてあげますよ」と浮かれきった声で約束したのは、初回の電話での話だ。
あまりの衝撃にいまだに覚えていたというわけである。
「あの状態の僕のことは気にしなくていいと何度も申し上げたでしょう?」
「ああ、そうしてるさ」
古泉は迷惑そうな顔をして言ったが、俺は偽悪的な笑いを浮かべたまま返した。
難しい顔をしているのが古泉で、笑ってるのが俺とは、いつもと逆だな。
「どこがですか」
と不機嫌に眉を寄せる古泉に、俺は上体を起こしながら答えてやる。
「あの状態のお前のことは心配なんぞしとらん。精々、飯を食ったか聞いてやるくらいだ」
「そうではなくて、」
「お前が、」
俺は古泉の言葉を遮り、強く言葉を放った。
「本音を隠すのが悪いんだろ」
「本音……です、か…?」
古泉の表情に怯えの色が滲む。
ここまできて、怯えなくたっていいだろうにな。
「躁状態のお前の方が、本音が丸出しになってるんだってことは、俺にだって分かる。……したかったこと、なんだろ?」
そのリストにある全部が。
俺がにやりと笑って指摘してやると、古泉の頬が更に赤くなった。
見たこともないほどに真っ赤な顔をしている。
「僕は……」
古泉は精一杯に眉を寄せて強がる様子を見せたが、そんな赤い顔じゃ全く意味がなかった。
それでも、口だけは達者に動くらしい。
「キスで起こしたいなんて、そんな恥かしいこと、思ったことはありません。手を繋いで歩くなんて、そんなことも、出来るとは思いませんし、大体、あなたと二人でどうしろっていうんですか。バラの花束だって、……本当に、恥かしかったんですからね」
「でも、持ってきてくれたんだな」
黙り込んだ古泉に、俺は小さく笑いながらベッドから下り、
「どこに置いてきたんだ?」
「リビングに……」
「なんだ、受け取ってくれと言うから手渡しだと思ったんだがな」
「……っ、」
古泉は、隣りをすり抜けていこうとした俺の肩を痛いほどに掴んだ。
そのままぐいと振り向かされる。
「あなたは一体何がしたいんですか!?」
そう怒鳴られても俺の笑みは消えない。
「ちょっと考えれば分かるだろ」
とだけ言ってやり、俺は古泉の手を振り解く。
「呆然とするのは勝手だが、ほどほどにしろよ。リストの項目はまだたっぷり残ってるんだからな。到底一日じゃこなしきれないくらいに」
「あなたって人は……」
本気で困惑したらしい古泉は、途方に暮れたような情けない声を出した。
「…一体何を考えているんです? 嫌じゃないんですか? こんなことに付き合わされて……」
「嫌だと思うか?」
「分からないから聞いてるんです」
「…お前って、本当にばかだよな」
呆れながら俺は聞いてやる。
「お前は嫌なのか?」
「……え…?」
「嫌か? 男相手にキスなんかして、花束を抱えてやってきて、これから飯と映画と買い物が待ってるんだ。嫌だっていうのが普通だろうとは思うが、一般的にどうだとか、お前のキャラ作りがどうだとかいうことは、今は一切関係ない。お前がどう思うかを答えろよ」
「それは……その…」
言い辛そうに言葉を詰まらせた古泉の顔はまだ赤い。
それだけで答えは分かったようなもんだ。
そうやって、自分は肝心なことを少しも言わないくせに、人には言わせたいらしい古泉に、俺は可能な限り意地の悪い笑みを見せ、
「わざわざメモまで取らせてやったんだ。…ちょっと考えれば、俺がどう思ってるかなんて分かるだろ」
と言ってやった。