時間というのは案外あっという間に過ぎ去っていくものだと、年寄り染みたことを思うようになったのも、いつかはこの目にタイムリミットが来るということを強く実感したせいだろう。 初夏から始まった忙しい日々は、ハルヒによる騒動もあって、どんどん過ぎ去っていき、気が付けばそろそろ文化祭が近くなってきていた。 古泉と付き合い始めてからでさえ、早数ヶ月が過ぎ、いつの間にか古泉と一緒に過ごす時間も長くなっている。 そんな状況下で、いつまでも黙っていられるはずもなく、俺たちはそろそろ覚悟を決めるべき時期を迎えていた。 普通、こういう時は親に話せばそれでいいはずであり、そっちの方はとっくの昔に話は済んでいる。 ところが、俺たちにはハルヒと言う強敵が仁王立ちして待ち構えているのだ。 「どうしたもんかね」 と俺が呟くのも何度目だろうか。 古泉の方はいくらか諦観染みたものを感じさせるような調子で、 「どうも何も、正直にお話しするしかないでしょうね」 「それは分かるんだが、こういう話はタイミングと出だしが肝心だろう」 「そして、タイミングはすでに逸したも同然ですからね」 「他人事みたいに言うな」 しかし、実際古泉の言う通りだ。 どう考えても、俺たちのことは噂になっている。 チャリで二人乗りだの、あれこれ目立つことをしてるんだから当たり前だ。 その状況下でハルヒに黙っているのだ。 これはどう楽観視したところで、俺たちがハルヒに隠し事をしているということをハルヒに認識されており、しかもいつまで経っても黙っていることで、あいつの不機嫌ゲージを着実に悪化の方向へ傾けていると分かる。 それでも踏ん切りが付かないのは……なんでだろうな。 やっぱり、怖いんだろうか。 反対されるのが、あるいは、ハルヒが何かすることが。 …いや、俺だって今更ハルヒがこの程度のことで世界を作り変えるだとか、ましてや俺や古泉を消しちまうなんてそんな馬鹿なことをするとは考えていない。 いいとこ、黙っていたことに対して、これでもかと言うほどに説教を食らい、ペナルティとして何かさせられる程度だろうと思っている。 それなのに言えないのは、気恥ずかしさの問題なんだろうか。 分からんな、と首をひねると、 「こういうとなんですが、僕はまだそこまで涼宮さんを信じ切れていないので、怖いと思いますけどね」 そりゃ、お前の方が良くも悪くもハルヒとの付き合いは長いから、そうなるかもな。 おまけに、その大半はどうプラス思考に持って行こうとしたところで、ハルヒに好意的な感情など持てないような関わり方だ。 そう思ったって仕方ない。 「だが、ハルヒだっていつまでも無茶苦茶じゃないだろ」 「そうなのでしょうね。…それに、あなたがそこまで信じているんですから、僕は、あなたが信じる涼宮さんを信じたいと思っていますよ」 そう言っておいて、古泉は小さく苦笑して俺を見つめ、 「その信頼関係は、少々妬けますが」 「阿呆」 と笑えば、極自然にキスされた。 「…もういっそ、占いにでも頼るか」 「占いですか」 古泉の声が笑っているが、あえて無視することにし、 「今度の大安はいつだ?」 と言いながら壁掛けのカレンダーを見ると、……なんてこったい。 「明日か」 「……ええと、明日言うってことですか?」 「もう少し間が欲しいような気もするが、大安に言うことにしようかと決めたところで翌日が大安だと気付くってことは、もう早いうちに言っちまえってことじゃないのか?」 「あなたがそれでいいならいいですけど……」 本当にそんな適当なことでいいのか、と古泉の目は言っていた。 しかし、俺は案外適当に出来ているし、大体こうなったら踏ん切りと思い切りが大事だと思ってるからな。 「明日、言うか」 呟きながら、決定した。 そうしてやってきた翌日、その放課後。 俺は長門も朝比奈さんもいる部室で、団長席の前に立っていた。 まるで、教師に呼び出されて説教される子供のようだが、状況的には似たようなもんだろう。 相手が教師なんぞよりもよっぽど恐ろしい涼宮ハルヒ団長閣下であるというだけで。 「一体何よ。二人揃ってあたしに用事?」 普段と何も変わらない様子で言ったはずのハルヒが、気のせいか不機嫌に見えた。 しかし、ここで尻込みしているわけにはいかない。 「ああ、ちょっとばかり報告したいことがある」 「報告?」 「そうだ。報告だ」 了承を得たいわけでもなければ、許可を求めているわけでもない。 事実を報告するだけだ。 「ずっと前から言わなきゃならんとは思っていたんだが、何しろ内容が内容でな。言い辛いものがあって黙ってた。まずはそれを謝らせてくれ。すまん」 すみません、と古泉も頭を下げる。 ハルヒは俺たちを睥睨するだけで何も言わないが、これは先を促しているということでいいんだよな? 「本当は、報告すべきことなのかってこともよく分からん。分からん、が、黙っているのも悪いかと思ったから、言う」 緊張のあまり軽く手が震えた。 「……俺は、」 「僕は、彼と付き合ってます」 っておい、俺が言うはずだっただろ!? 「すみません、でも、あなたにだけ言わせるのもどうかと思いまして…」 調子が狂うからそういうことはせめて前もって言え。 というか、こいつの口から言われると余計に恥ずかしさが増す。 今、顔が、絶対、赤いだろ。 ――って、それどころじゃない。 肝心のハルヒは…と俺がハルヒを見ると、ハルヒはそれこそ本気でどうでもいいような顔をしていた。 「…あんたたち、わざわざ惚気に来たわけ?」 そういうつもりじゃなかったんだが、 「…結果的にそうなってしまいましたかね?」 「惚気以外の何物でもないわよ! 全く」 と言いながらも、ハルヒは笑った。 笑ってくれた。 そのことに、俺たちがどんなに安堵したかなんてことは、ハルヒには分からないんだろう。 しかし、長門や朝比奈さんには通じたに違いない。 朝比奈さんはまるで自分のことのように、嬉しそうに笑ってくださった。 「大体ね、報告するつもりがあったなら、もっと早く言いに来なさいよ。とっくの昔に気付いてたわよ」 やっぱりそうだったか。 「あんたたち分かりやすいからいけないんでしょ」 ……なんというか、噂を聞いて知っていたといわれるよりも恥ずかしい気がするのは気のせいだろうか。 「そんなに分かりやすかったですか?」 「分かりやすかったわよ。少なくとも、あたしたちには。ね、みくるちゃん」 いきなり話を振られた朝比奈さんだったが、慌てたのは一瞬で、すぐに柔らかく微笑んだ。 「そうですね。夏休み前くらいから、でしたよね? なんだかすっごくいい雰囲気になったなって思いましたから」 朝比奈さんにまでそう言われるとは、どれだけ垂れ流しだったんだ。 俺と古泉は苦笑しながら顔を見合わせた。 「そもそも、なんで隠してたのよ。あたしたちがたかがその程度のことであんたたちを追い出すとでも思ったわけ?」 そう言ってハルヒは俺たちをからかうように笑ったので、俺も肩の力が抜けた。 そのついでに、調子に乗って、 「いや、お前のことだ。好奇心の赴くままにあれこれ根掘り葉掘り聞きそうだと思ったんでな。まだ付き合い始めたばかりのデリケートな時期にそれは流石に遠慮したかったんだ」 と返してみると、隣で古泉がいくらか慌てるのが分かったが、それ以上にハルヒが笑ったのでよしとしよう。 「そうね。それくらいしてやろうって思ってたわ。で? デリケートな時期はもう脱したわけ?」 「聞きたいか?」 「そうね……」 ハルヒは指をあごに当てて考え込みながらぶつぶつと、 「気になりはするけどでもそれで惚気られるのも面白くないし…」 等と呟いていたが、結局聞くことに決めたらしい。 「白状しなさい」 と満面の笑みで言われた。 「…デリケートな時期ってのは多分、もう終わったな」 そう言いながら古泉を見ると、 「不安はありませんからね」 と頷かれた。 「あたし、前から気になってたんだけど、古泉くんって基本的に物腰は柔らかだし、親切じゃない? ただのクラスメイトなんかにもそうなんだから、恋人なんて出来たらどうなるんだろって思ってたのよね。キョン、どうなの?」 「なんとなく予想は出来るだろうが、べたべたに甘やかそうとしてくるな。それこそ、鬱陶しいくらい」 「そこまで?」 たしなめるように言ったと思ったら大間違いだ。 ハルヒは面白がっている。 「うん、でも、なんとなく分かるわ」 とまで言った。 それから、俺たちは椅子を持ってきたハルヒと共に座って、ああだこうだと話し込んだ。 朝比奈さんと長門も参加だ。 古泉が過保護過ぎるだとか言いもしたし、ハルヒに、「あんたはデレが足りなさ過ぎるわ」と訳の分からないことを言われもした。 そんな風に、古泉とのことを隠しもせず、好き勝手に喋れることが酷く楽しくて、幸せなことだと思えた。 その、帰りのことである。 ハルヒたちに冷やかされながら別れを告げ、俺は古泉と連れ立って当然のように古泉の部屋に向かおうとしていたのだが、古泉が珍しく真剣な顔になって言ったのだ。 「あなたって、本当に隠し事が上手ですよね」 「お前ほどじゃない。それに、ハルヒどころか朝比奈さんにまでばれてただろ」 「そのことじゃありませんよ」 分かってる。 が、言われたくなかったんだ。 それなのに古泉は、 「…病気のことは、言わないままなんですね」 ぽつりと、どこか物悲しげに、呟いた。 「言わなくていいだろ」 というか、言いたくない。 「あなたの気持ちも分からないでもないですけど、言った方がいいのではありませんか?」 言った方がいいってのも、分からんでもない。 だが、言いたくない。 何があっても、隠しておきたい。 「どうしてですか」 「…言ったら、知る前とじゃ、態度が変わるかも知れんだろ」 それが嫌なんだと呟く。 ハルヒのことだから、その程度のことで態度が変わったりしないのかも知れない。 だが、言ってしまったら、ハルヒが知っていると思ったら、俺の方が自意識過剰になり、被害妄想に陥った精神疾患患者のように、過剰反応を起こしそうな自分もいる。 だから、黙っておきたい。 そう思ったってのに、 「あなたの目も、涼宮さんに言えば、治るかも知れませんよ」 その言葉に、カチンと来た。 「っ、余計なお世話だ!」 思わず怒鳴り返して足を止めると、古泉が驚いた顔をして振り向いた。 「言うか言わないかは、俺の勝手だろ。病気だって、俺だけの問題なんだ。お前には、関係ない」 「関係ない…なんて、本当にそう思ってるって言うんですか?」 咎めるような言葉と共に、古泉の顔が険しくなる。 それでも俺は止められなかった。 「ああ。関係ないだろ。俺の目が見えなくなろうが、なんだろうが、俺の目なんだ。お前の目じゃない」 「……そうですね。ある意味では、関係ありませんね」 自分から言い出しておいて、古泉にそう言われるとずきりと胸が痛んだ。 だから俺は、古泉がまだ何か言おうとしたのを振り切るように、その場から逃げ出した。 全力で走って、自分の部屋に逃げ込んだ頃には、息がすっかり上がっていて、酷く汗をかいていた。 目の前が滲むのは、目に汗が入ったせいだ。 体が震えているのも、無茶苦茶に走ったせいだ。 古泉とケンカしたからじゃない。 古泉に嫌われたかもしれないなんて、思ったからじゃない。 しかし、俺の様子は目に見えておかしかったらしい。 親どころか、事情も何も分かっていないはずの妹にすら心配され、翌日になって会ったハルヒにまで、 「あんた、何変な顔してんの?」 と言われたくらいだったからな。 「そんなに酷いか?」 「酷いなんてもんじゃないわよ。何? 古泉くんとケンカでもしたの?」 「……」 黙り込んだ俺に、ハルヒは呆れたようにため息を吐き、 「痴話ゲンカもほどほどにしなさいよ」 と言ったが、痴話ゲンカくらいならここまで落ち込みやしないだろう。 仲直りだって、さっさと出来たに違いない。 それくらいなら、これまでだってなかったわけじゃないからな。 だが、今回はそうは行かない。 俺は何があっても古泉の提案を受け入れられないし、古泉だって引く気はないに決まってる。 そうして、これがちょっとした意地の張り合い程度ならともかく、お互いに譲れない主張である以上、長期戦は必至だった。 古泉と、目を合わせるだけで泣きそうになるくらい苦しくて、堪らなくて、だから俺は、必至に目をそらし続けた。 まるで、自分の心の内から目をそらすように。 |