光は消えない 4



ギラギラと照り付ける太陽の下にも関わらず、古泉を抱き締めて、抱き締められて、キスをした。
触れるだけのキスも、おかしくなりそうなくらいねちっこいキスも。
その間中、俺はずっと目を開けていた。
瞬きすら、したくないくらい、俺は古泉に夢中だった。
古泉の熱を持った瞳も、何かを堪えるように寄せられた眉も、間近に見る肌も、何もかも覚えておきたい。
それがどんな風に変わるのか見つめていたいと、そう思った。
古泉も、そんな俺の気持ちを分かってくれているのだろう。
文句も言わず、ただ、照れ臭そうに笑っていた。
体をぴったりとくっつけていれば、あれだけ大汗をかいた後なんだから、不快であっても不思議じゃないはずだってのに、酷く落ち着いた。
離れたくないとさえ、思った。
「こい、ずみ……」
ぎょっとするほど甘ったれた声が喉から出たが、訂正したり言い直したりするような余裕もなかった。
実際、俺は古泉に甘えているんだろう。
そうでもなけりゃ、こんなことになるはずがない。
サイクリングに誘った段階から既に、俺は古泉に甘えっぱなしなのだ。
それを古泉が嫌がらないなら、そのままでいいんだろうと、こじつけ染みたことを思いながら、俺は古泉を抱き締め、その首に腕を絡める。
「…お前と、したい」
「っ…」
古泉が息を呑んだのは、俺のいいように解釈していいんだよな?
「本気、ですか?」
その声が上擦ってるのも。
頷いた俺を見て、ごくりと喉が鳴ったのも。
獣染みた目の光も。
「別に、明日にはもうすぐに失明するわけじゃないって、分かってはいるし、何年も時間があるんだろうってことも、ちゃんと分かってる。分かってるんだが……不安なのに、変わりはないんだ。だから、少しでも早く見ておきたい。お前のことを、知りたいと、思うんだ」
「焦らなくても、いなくなったりしませんよ?」
ああ、お前がそう言うならそうなんだろう。
それでも、と思ってしまうくらいには、俺はやっぱり弱いらしい。
「分かってても、…したいん、だよ。証拠が欲しい、って言うと酷く聞こえるか? でも……実際、そんな感じだ。これが現実なのか信じきれない気がしてならん」
「……分かりました」
そう言って、古泉はじっとりと汗ばんだ体を離した。
「正直なところ、」
と話しながら浮かぶ笑みは、いつも以上に優しくて柔らかい。
「僕も、あなたにそんな風に言われて、我慢できるほどの理性なんて持ち合わせてないんです」
「ばか」
笑って言ってやれば、どこか茶目っ気を感じさせる形にその目が細められる。
その、ほんの少し違うだけの笑みすら、忘れたくない。
「では、どうしましょうか? 僕の家に行ったんで構いませんか?」
「他にないだろ?」
「途中のホテルとか……」
それは流石にやめてくれ。
通学にも使うチャリでラブホに入るなんて、家の近所じゃなくても嫌過ぎる。
「では、僕の家ですね」
くすくすと面白がるように笑った古泉が、もう一つ優しいキスをくれて、チャリを方向転換させた。
「帰りは下りですから、早く帰れそうですね」
「…そうだな」
笑って頷き、俺たちは来た道を戻り始めた。
一度通った道だってのに、酷く違って見えたのは、その間にあったことのせいであり、つまりは精神的な問題なんだろう。
そうでなければ、天候に変化があったわけでもないのに、こんなに眩しく見えるはずがない。
「不思議ですね」
と古泉が言って、それこそ眩しいほど明るい笑みを向けた。
「何がだ?」
「景色がまるで違って見えるんです」
…お前もか。
同じことを感じることが、嬉しくて、くすぐったくて、思わず笑えば、古泉も目を細める。
その視線が、いかにも優しく、愛し気で、どうにも照れ臭い。
だが、それすら嫌じゃなかった。
むしろ、嬉しい。
信号で止まったのをいいことに、俺は古泉の肩に手を置いた。
「どうしました?」
と首を傾げる古泉に、俺は笑う。
「ちょっと、な」
「……触ってみたかった?」
そう聞かれ、俺は少し躊躇った後、素直に頷いた。
古泉は花がほころぶように微笑んだ。
それくらい、華やかで、惹きつけられるような笑みだった。
「…嬉しいですね」
そう言った古泉の手が、肩に触れたままの俺の手に重ねられた。
悪戯っぽく俺を見る古泉の目がくすぐったい。
くすぐったいのだが、俺はそんな瞳も、しっかり見つめておきたいと思った。
途中で寄り道をしながら、それでも急いで、俺たちは古泉の家に行った。
いや、帰った、と言うべきなんだろうか。
古泉が嬉しそうに、
「遠慮なく上がってください」
と言ったその部屋を、俺は知っていた。
見知っていた訳ではなく、感覚的に知っていると思った。
おそらく、目を閉じて歩いても迷いはしなかっただろう。
古泉の部屋は、夢の中で俺が暮らしている部屋と、そっくり同じだった。
あまりにはっきりとした感覚に、もしかすると俺が覚えている以上に、俺はあの予知夢めいた不思議な夢を何度も見ているのかもしれないとさえ思ったくらいだった。
「どうしたんですか?」
玄関で立ち尽くしている俺に、古泉は怪訝な顔をしている。
「…やっぱり、帰ります?」
そう聞いてくる古泉に、俺ははっきりと首を振った。
「そういうんじゃなくて、だな…」
どう言ったものかと迷いながら、俺は古泉を見た。
不安そうな、俺を引き止めたがっているような顔。
俺はそれに思わず笑ってしまいながら、答えた。
「多分、俺はこの部屋を知ってる」
「…どういう、意味でしょうか?」
戸惑う古泉に、説明は後だと言って、俺は見えるドアを指差した。
「あっちがリビングを兼ねたダイニングキッチンだろ? で、あっちが風呂。そこのドアはトイレで、寝室はそっちの奥。……違うか?」
答えは、まん丸く見開かれた古泉の目だった。
「一体どういうことなんです?」
「夢を、見てるんだ」
「夢?」
「何度も何度も見る。正確には、見る、とは言えない夢なのかも知れん。なにせ、視覚情報はないんだからな」
「それは…」
察しのいい古泉らしく、気が付いたらしい。
俺は笑って頷いた。
「失明した俺が、ここで、お前と暮らしてる夢を見るんだ」
まあ、詳しい話は座ってしよう、と俺は夢で覚えている通り、リビングに入る。
ソファやテレビの配置が記憶にあるのとは微妙に違っているのがまた、妙にリアルな感じでいっそ薄気味悪いくらいだ。
やはり、予知能力でも押し付けられたんだろうか。
そう思いながらソファに腰を下ろすと、まだ戸惑っている様子の古泉が、遠慮がちに隣へ座った。
ほんの少し開いた空間を寂しいなんて思っちまうのは、夢のせいなのかそれとも今の俺の精神状態のせいなのか。
理由は分からないものの、とりあえずこの寂しさを埋めるべく、俺は古泉に擦り寄るようにして距離を詰めた。
驚いたのかびくっと体を震わせた古泉だったが、特に咎めはせず、くすぐったそうに笑って俺を見つめた。
「夢の話、してくれますか?」
「ああ」
俺は頷いて口を開いた。
「見た回数は、そう多くはないはずだったんだ。覚えているのなら、本当に数回だし、家の中を動き回った記憶もない。だが、これだけ記憶にあるってことは、俺が忘れちまっただけで、もっと頻繁に夢を見ているのかも知れんな。…俺はここで、お前と二人で暮らしてるんだ。俺はもう目が見えてないってのに、お前がどんな顔しているのかってことは呆れるくらいよく分かって、本当に見えてるのかと思うくらい、お前の顔を思い浮かべてた。お前は、本当に優しくて、献身的で、俺は申し訳なく思ったっていいはずなのに、当然みたいな顔して受け入れてるのがおかしかったな」
「そんな夢を……」
「勿論、ただの夢なのかも知れん。ハルヒの気まぐれか何かで予知夢みたいなものを見てる可能性もある。どっちでもいいがな」
「どっちでもって……」
驚いた顔をした古泉に、こっちが驚かされる。
「気になるか? どっちにしても、夢は夢だろ? 俺の目が完全に見えなくなると断定されたわけでもなければ、お前がずっと俺のそばにいてくれるという保証がされたわけでもない」
「それは…そうかもしれませんが……」
「ましてや、夢のせいで俺がお前を好きになったのかもなんてことを考えてるなら、お前は案外馬鹿だってことになるな」
そう言ってやると、古泉はほんの少しだが体を竦ませた。
やっぱりそういう無駄なことを考えてたのか?
「俺がお前を好きになったのは、お前が気になったからだ。夢はあんまり関係ない。だから、気にするな」
「……はい」
渋々、と言った様子で頷いた古泉に、俺は笑って言う。
「ああ、だが、」
「はい?」
「夢を現実にしてくれるか? お前が」
「…え?」
首を傾げる古泉を抱きしめて、俺はからかうように囁いた。
「俺の目が見えなくなっても、俺と一緒にいてくれるか? ずっと、一緒に」
やっと意味が通じたらしい古泉は、ふわりと微笑むと、
「はい。約束しますよ。…いえ、違いますね。……あなたのそばに、いさせてください。お願いします」
「…ああ、約束する」
「いなくなったり、しないでくださいね? 迷惑になるとか、考えたりしないでください。僕は、あなたと一緒に幸せになりたいですけど、それと同じか、それ以上に、あなたと一緒に苦労をしていく覚悟でいるんですから」
「…ん、よろしくな」
「はい」
嬉しそうに笑った古泉が俺を抱きしめる。
唇が重なり合う。
薄いくせに柔らかな唇の感触を気持ちいいなんて思っていると、舌が入り込んできた。
それを受け入れながら、自分からも求めると、古泉が目を細めるのが見えた。
「ぁ……古泉……」
「…本当に、いいんですか?」
「いい。……が、その前にシャワーくらい浴びさせてくれ。あれだけ汗かいたんだからな」
「僕はこのままでもいいですけどね」
そう言いながら、古泉は俺の首筋をねっとりと舐め上げた。
くすぐったさに体が震える。
「っ、こら…」
「あなたの味がはっきり分かって」
くすりと笑っておきながら、古泉は俺を優しく見つめて、
「でも、あなたが恥ずかしいとか、汗を流してさっぱりしたいのでしたら、止めません。…どうします?」
「あ、浴びるに決まってんだろうが!」
「分かりました」
笑いながら古泉は俺を解放し、
「その間に、準備でもしておきますね」
「準備って……」
赤くなった俺に、古泉は悪戯っぽく笑い、
「お昼もまだでしょう?」
「…あ、そ、そうか。そう言えばそうだったな…」
思わず別の方向に考えちまった自分を恥じていると、
「勿論、ベッドの方の準備もありますけど」
と言われ、余計に顔が赤くなる。
「古泉っ」
抗議の声を上げれば、古泉は楽しげに笑って、
「すみません、あなたがかわいらしいものだから、つい」
「お前、案外性格悪いよな」
「おや、案外、なんですか? いい方に過大評価していただけているようで光栄ですね」
「だから、光栄だのなんだのって、そういう言い方は好きじゃないんだ。……分かってるんだろ?」
「勿論、分かってます。…これでもね、浮かれてるんですよ」
そう言って古泉は茶目っ気たっぷりにウィンクなどよこして誤魔化しやがった。