お狐様の休日



最近、お兄さんは気がつくとうちにいるようになっていた。
お狐様としての力を使ってまで、うちに入り浸っている。
突然現れ、突然帰り、また戻ってきたかと思うと、
「妹が部屋に来そうだったから、その間だけ戻ってた」
なんて言ったりする。
そこまでするのは何でなのか、聞いても答えてくれない。
そんな風にいきなり出入りされたりすると心臓に悪いと言っても、当然、聞きいれてくれやしない。
最初のうちこそ、もう少しなんとかなりませんかと言っていた僕だけど、お兄さんに勝てるはずもなく、そのうち諦めた。
一度諦めてしまえば、慣れるまでそう時間も必要ないわけで、気がつくと僕も突然の訪問に慣らされ、何の驚きも感じなくなっていた。
そんな、ある日曜日の朝のことである。
僕が少しばかりゆっくり眠り、十時ごろに目を覚ますと、目の前にお兄さんの顔があった。
これにはさすがに驚かされ、思わず、
「うわっ――!?」
と声を上げてしまったのだが、お兄さんは不機嫌に眉を寄せ、
「んん…うる、さい……」
と布団を三角形の耳の上まで押し上げた。
なんで耳が出てるんですか。
「うるさいっつうの…」
文句を言うお兄さんは答えてくれそうにない。
僕は諦めてベッドから出ると、
「朝ごはん作りますけど、要らないなら今言ってくださいね」
「んー…食う……」
そうですか。
やれやれ、とため息を吐きながら、僕は寝室を出た。
朝ごはんを作ると言ったのはいいものの、何を作ろうか。
お兄さんに食べてもらうなら、それなりに手間をかけたいけれど、いつもより長々と眠りを貪ったせいで、いつも以上にお腹は空いている。
早く食べれて手間がかかる、というのは矛盾してるし、どうしようかな。
とりあえず、炊飯器をセットしておいたのは正解だったようだ。
多めに炊いてあるから、二人でも足りるだろう。
お稲荷さんを作るわけでもないから、お兄さんが大量に食べてしまうということもないだろうし。
頭を悩ませながら作った朝食は、おにぎりと味噌汁に漬物という、手抜きのものだったのだけれど、おにぎりの具を一応自作したのと、味噌汁にしっかりと油揚げを入れておいたからか、お兄さんは案外ご満悦の様子で平らげてくれた。
「美味しかったですか?」
と聞いてみても、
「不味けりゃ食わん」
なんて返事が返ってくるだけなんだけれど、それでも十分嬉しい。
僕もしっかり食事を取ったところで、お兄さんは居間のソファに僕を呼びつけた。
「ちょっとここに座れ」
と、ついこの間も言われたようなことを言われたので、何をするのかと警戒しながら腰を下ろすと、この前と違い、今度はお兄さんが僕の膝に頭を乗せてきた。
「えぇと……」
「膝枕くらい、いいだろ。昔してやった分を返せ」
と言われては、文句も言えない。
それに、別に嫌だったわけでもないんだ。
ただ、少し恥ずかしくて、落ち着かなくて、戸惑っただけで。
お兄さんは薄く目を閉じながら、何か遠い昔のことを思い出すような調子で呟いた。
「…小さい頃のお前は、本当に俺によくなついてて、可愛かったな」
おそらく僕などでは想像もつかないほどの長い時間を生きてきているのだろうお兄さんに、そんな風に懐かしまれるのはなんだか不思議な気がしたけれど、いい思い出として記憶してもらえているのは嬉しい。
だから僕はつい、
「今はどうです?」
と聞いてみたのだけれど、お兄さんはビシリと、
「もう小さくないだろうが」
と言った。
……ですよね。
嬉しくなったのも束の間、一気に寂しくなった。
やっぱりお兄さんに僕を意識してもらうなんて無理なんだろうな。
考えるほどに虚しくなって、いっそ泣きたくなってきたところで、お兄さんがかすかに口の端を吊り上げて、
「…だが、まあ、……まだまだ可愛いな」
「お兄さん…っ!」
感激のあまり抱きつこうとしたら、
「暑苦しい」
という一言と共に尻尾で叩かれた。
「……暑苦しいって、膝枕を要求しておいて言う台詞ですか、それ」
「膝枕ならいいんだ」
そう言っておいて、自分に都合が悪くなった時の常で、ぷいっと顔を背けるように、うつ伏せになってしまった。
わがままだなと思う。
でも、そんな風にわがままを言ってもらえることも嬉しくて、だからついつい言うことを聞いてしまうんだろう。
うつぶせ寝の状態だから、お兄さんがどんな顔をしているのかは見えない。
でも、そんなに機嫌が悪いわけじゃないということは、その尻尾がふわふわと柔らかく、僕にじゃれ付いてくることから分かった。
柔らかくて気持ちのいいそれが触れてくる感覚に口元をほころばせながら、お兄さんの背中を撫でていると、お兄さんも気持ちがいいのか、とろんとした声で、
「なあ、一樹……」
と僕を呼んだ。
「なんですか?」
「お前、もし、俺が……その…お前の………あー……」
お兄さんは、何か言いたいことがあったようだった。
でも、続きはいくら待っても聞こえてこない。
その代わりのように、お兄さんの耳が尖った狐のそれに変わり、なにやら恥ずかしそうに震えた。
ところがである。
たっぷり5分は思い悩んでいただろうお兄さんは、諦めるようにため息を吐き、
「……いや、やっぱりいい」
と言ったのだ。
「ええ? あれだけ焦らしておいてなんですか。気になりますよ」
「いいったらいいんだ。お前に言ったって仕方ない」
という言葉もきつければ、べしべしと僕を叩く尻尾にも容赦がない。
「まさか、いなくなるとかそういうことじゃないでしょうね?」
心配になって問えば、お兄さんは僕の足に爪を立てて、
「それはない。というかだな、お前はそんなくだらないことよりも、昼飯の献立でも考えてろ」
と不貞腐れたように言われてしまった。
一体、なんなんだろう。
お兄さんが、どこかおかしい気がする。
そう思うのは、今が初めてのことじゃない。
このところ、お兄さんは変なのだ。
「彼」として部室で過ごしている時でも、なんだか化け切れていないような感じがする時がある。
僕を見る目や、ちょっとした言葉の端に、お兄さんらしさが表れているように思うのだ。
優しくて、ちょっと意地悪な、いつものお兄さんらしさが。
そのくせ僕に冷たくしたりもする。
だから僕は、お兄さんに嫌われるようなことをしてしまっただろうかと不安になりもすると言うのに、お兄さんとして僕と二人きりになると、今日のようにべたべたしてくる。
「もう疲れたりしねぇんだから」
という理由で、押し倒される頻度も高くなっている。
「そんなに力を使ってるんですか?」
と聞けば、
「違う。…この、ばか。鈍感。お前なんか馬に蹴られるか豆腐の角に頭をぶつけるかしたらいいんだ」
なんて罵られる。
一体なんでなんだろう。
首を傾げ傾げ、僕が何とかこのところ疑問に思っていることを並べたてて、
「どうしてなんですか?」
と聞いてみると、お兄さんは顔を真っ赤にして怒り、
「知るかっ!」
と吐き捨てたばかりか、
「自分で考えろ、馬鹿!!」
と怒鳴って雲隠れしてしまった。
……謎は深まるばかりです。